【天才】映画『箱男』はやはり、安部公房がSNSの無い時代に見通した「匿名性」への洞察が驚異的(監督:石井岳龍、主演:永瀬正敏、浅野忠信、白本彩奈、佐藤浩市)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

監督:石井岳龍, プロデュース:小西啓介, プロデュース:関友彦, Writer:いながききよたか, Writer:石井岳龍, 出演:永瀬正敏, 出演:浅野忠信, 出演:白本彩奈, 出演:佐藤浩市, 出演:渋川清彦, 出演:中村優子, 出演:川瀬陽太
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「箱を被る」というシンプルな発想から、現代性すら感じさせる「匿名性」を現出させた安部公房の洞察力に驚かされる
  • 「お札」や「ブランド物」が持つ「素材・製法が同じであることは『本物』の条件にはなり得ない」という性質から、「本物の箱男」について考えてみる
  • 「安部公房の小説は映画化不可能」とまで囁かれていた中で実現にこぎつけた石井岳龍監督の執念

全体的には理解不能だったものの、興味深い作品であることは確かで、観て良かったなと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

安部公房『箱男』がついに映画化!SNSが無かった時代には驚異的と言うほかない「匿名性」への洞察に圧倒されてしまった

予想通り、という表現が正しいのかは何とも言えないが、やはりよく分からない映画だった。ただ、「理解できる作品ではきっとないだろう」と思いながら観に行ったので、そのこと自体は大した問題ではない。「そりゃそうだろう」という感じである。

さて、私はどうやら、安部公房が書いた原作小説『箱男』を読んでいるようだ。「ようだ」と書いたのは、まったく記憶がないからである。別のブログに感想がアップされているので、読んでいることは間違いない。今から20年ほど前のことである。「読んだ」という事実を含め、内容も何もかもまったく覚えていない

そんなわけで、私は観ながら「『箱男』ってこんな話だっけ?」と思っていた。まあ、記憶がないから比較のしようもないのだが。それにしても、映画という形で改めて触れてもまったく記憶が喚起されないほど何も覚えていないことに驚く。というわけで、この記事では原作小説との比較はしていない

映画『箱男』の内容紹介

本作の物語には、途中までしかまともについていけなかったので、私が何となく理解できた範囲で内容紹介をしておこうと思う。

主人公の「わたし」はある時、別の人物が担っていた「箱男」の座を奪った「箱男」になったのだ。その生活は「完璧な孤立」と「完璧な匿名性」を有し、さらに「自分だけの暗室・洞窟」を支配出来るため、「わたし」は大層満足していた。とはいえ、まったく悩みが無いわけではない。理由は分からないが、執拗に追いかけてくるカメラマンがいる(もしかしたらこいつも、「箱男」の座を狙っているのだろうか?)。あるいは、乞食が仕掛けてくる意味不明な攻撃。そういったややこしさに日常生活を脅かされながらも、「わたし」は「箱男」として概ね満たされた日々を送っていた

そんなある日のこと。「近くに病院があります」と言いながら、女性が箱の中に地図を入れてきた。これはなんだ? 罠なのか? まあ、そう判断するのが自然だろう。しかし「わたし」は、「この罠には乗っかってみてもいいかもしれない」と考える。そして彼は、「箱」を脱ぎ捨てた姿で病院を訪れることに決めた。

一方、その病院で治療に当たっている「ニセ医者」は、葉子という看護師と共に病院を回しつつ、謎の「白髪の男」の世話もしている「白髪の男」はどうも、何か犯罪の計画を持っているようなのだが、それが何なのかはよく分からない。そして「ニセ医者」は、彼の計画に協力するような素振りを見せつつ、どうもそんなつもりはなさそうだ。

さて、「わたし」を病院へと誘ったのはもちろん看護師の葉子である。「わたし」は彼女に惹かれていく。しかし葉子は「ニセ医者」と親しい。であれば、彼女が「わたし」を窮地に追い詰める悪魔だという可能性も出てくる。

そんな思考に囚われている内に、「わたし」は次第に「本物の箱男」を巡る争いに巻き込まれることになり……。

というような話、だと思う。正直、自信はないが

安部公房が大昔に見通した「匿名性」に対する驚きの洞察

安部公房が本作を発表した時には、「スマホ」の存在などまったく想像出来ていなかったはずだ。にも拘らず、本作の中心的なテーマである「匿名性」には、とても現代的な響きを感じるだろう。私たちは「インターネット」と「SNS」を手に入れたことで、「ほぼ完全な匿名性」が実現可能な社会に生きている。だから「匿名性」という概念もかなり身近に感じられると思う。しかし安部公房の時代には、そんな「匿名性」が成り立つ可能性など微塵も想像出来なかったはずだ。せいぜい「覆面作家として活動する」ぐらいが限界だったのではないかと思う。

そんな時代に「箱を被る」という絶妙なアイデアで「匿名性」を実現させ、さらにそれを物語という形で昇華させた安部公房の手腕には、ちょっと驚愕させられてしまった

そしてその上で、安部公房が提示する「匿名性」には少し違った特徴がある。作中では、「箱男」が街中に潜んでいる時の独白でそのことが指摘されていた。街中にでかいダンボールがドーンと置かれていても、誰もさほど注目しないだろう。ただ人によっては、「箱の中に人がいる」という事実に気づくかもしれない。しかしたとえそうだとしても問題はない。「わたし」の独白の言葉を借りるなら、

仮に私の存在に気づいたとしても、見て見ぬふりする。

からである。

インターネットやSNSがもたらす「匿名性」は少し違う。最近は「バンクシー」や「Ado」などのように、顔出しせずに様々な活動を行うことが普通になっているが、そういう存在に対してはやはり「どんな人なんだろう?」という興味が湧いてくるはずだ。そしてその思いが過剰になれば「詮索」みたいな感じにもなっていく。つまり、「匿名性」こそが「詮索」を喚起しているというわけだ。

しかし「箱男」が有する「匿名性」はそうではない仮にその存在に気づいたとしても、「そこにいないものとして扱う」みたいになるはずだからだ。それはたぶん、「匿名性」がリアルに染み出しているからだと思う。やろうと思えば、「箱男が被っているダンボールを無理やり取る」という形で、その「匿名性」を剥ぎ取ることは可能だ。しかし、その「匿名性」の陰から何が出てくるかは分からない。インターネットやSNS上の「匿名性」であれば、剥ぎ取ったところで自分には何の影響もないが、「箱男」の「匿名性」の場合は、剥ぎ取った自分に直接影響するのである。

であれば「それを避けたい」という気持ちになるのは当然だし、となれば、「仮に気づいたとしても無視するしかない」という感覚にもなるはずだ。

「匿名性」という形で括るなら現代性との繋がりが連想されはするものの、描かれているのは私たちが馴染んでいるものとはやや異なる種類の「匿名性」であり、その普遍性と異様さみたいなものに惹きつけられたのだと思う。恐らくだが、「『箱男』が突きつける『匿名性』」に類似するようなものを、誰も思いつけないのではないかと思う。「『箱を被る』というシンプルさ故に奥深い『匿名性』の追究」が、まずは実に興味深いなと感じさせられた。

「本物とは何か?」という問いかけについて

本作でもう1つ突きつけられるのが、「本物とは何か?」という問いだ。この点については、私もよく考えることがある。

ではここで「お札」について考えてみよう。例えばだが、本物とまったく同じ素材・技術・機械を使って1万円札を印刷したとしても、「独立行政法人国立印刷局」が印刷したものでなければ「本物」とは認められない。もちろん現実には、「まったく同じ素材・技術・機械」を使えば区別がつかないものが出来上がるだろう。しかし今は、「見分けられるかどうか」の話はしていない。そうではなく、「何が『本物』の基準なのか」という話である。

また同じようなことは、「ブランド物」に対しても言えるだろう。例えば、グッチのバッグと同じ素材・技術・機械を使って何かバッグを仕上げたとしても、「グッチが作ったもの」でなければそれは「本物」ではない。つまり、「お札」にしても「ブランド物」にしても、「素材や製法が同じであること」は本質的な意味で「本物」の証にはなり得ないというわけだ。

普通はこのように、「『本物』であるための条件」を確認した上でその真偽を議論することになるだろう。では、本作で争われる「本物の箱男」とは一体なんだろうか? 何を以って「本物の箱男」と言えるのだろうか?

「わたし」は、「”前任”の箱男」から奪い取る形で「箱男」の座についた。これは分かりやすいと言えば分かりやすいそれまでは”前任”が「本物の箱男」だった。そしてその”前任”を追いやったのだから、「わたし」が「箱男」を名乗れば自ずと「本物の箱男」になれる、というわけだ。この辺の理屈は、ガチャピンをイメージすると分かりやすいだろうい。ガチャピンはスキージャンプやサーフィンなど様々なことにチャレンジしている。そしてそうだとすれば、「中の人が同じ」とはちょっと考えにくいだろう。しかし、「中の人」が誰だろうと、「外見がガチャピン」なら、それは「本物のガチャピン」である。皆そのように考えているはずだ。であれば「箱男」も同様に、「中の人」が誰であれ「箱男の箱」を被っている者が「本物の箱男」だと考えるのが自然だろう。

しかし、本作に登場する「『箱男』になろうとする者」は、どうも違うアプローチを取っていた。その人物はまず、「わたし」から「箱男の箱」を買い取ろうと考える。そしてそれが無理だと分かると、その後は「『箱男』が映っている映像を見ながら、自ら用意したダンボールに汚しを入れる」なんてことをし始めるのだ。

つまりこういうことである。「『箱男』になろうとする者」は「私」から「箱」を奪う(買い取る)ことで「『本物の箱男』の不在」という状況を作り出し、その上で「箱男の箱」を精巧に再現することにより、自分が「本物の箱男」になろうとしているというわけだ。

ここでもやはり、「『本物の箱男』を不在にする」というステップが必要とされているわけだが、それはそれとして、「だったら何故、『わたし』から買い取った箱をそのまま被るという判断をしなかったのか?」という点が気になるところである。「わたし」と同じやり方をすれば、「『本物の箱男』の不在」と「『本物の箱男』への就任」が同時に行えるだろう。それに、「お札」や「ブランド物」で検討した通り、「素材や製法が同じであること」は決して「本物」の条件にはならない。決して「わたし」のやり方を称賛したいわけではないのだが、しかし、「本物」という観点から考えればやはり、「わたし」のスタンスの方に軍配が上がるように思う。

そういう、「『箱男』になろうとする者」が持っているだろう理屈の捻じれみたいなものも実に興味深かった

その他の感想と、本作『箱男』の映画化までのエピソード

内容紹介でも触れた通り、途中まではなんとなくついて行けたものの、最後に「わたし」が改めて病院を訪れてからの展開はなかなかに意味不明で、私には上手く捉えられなかった役者たちは何をどんな風に理解して演じていたのだろう。その辺りも興味深い。

また本作では、謎の看護師が物語をかき乱していくのだが、この看護師が凄まじくエロさも醸し出していて、より一層「こんな話だったっけ?」みたいに感じさせられた。本当に、原作の記憶が全然ない

さて、先ほど「本物」に関する議論に触れたが、エンドロールでもそんな問いかけがなされていると言えるだろう。というのも、本作のエンドロールは「手書き」なのである。すべて異なる字なので、恐らくだが、全部「本人の直筆」なのだと思う。そして本作においては、「筆跡」もまた「本物か否か」を突きつける要素として扱われている。途中で出てくる謎の器具が、この点に関係しているのだと思う。

「お札」や「ブランド物」と同様、「筆跡」もまた「見た目が同じだとしても『本物』とは限らない」だろう。しかし、これも「お札」や「ブランド物」と同じだが、「見抜かれなければ『本物』として扱われる」こともまた確かである。本作ではこのような形でも「本物を巡る議論」が展開されており、それを踏まえた上でのエンドロールなのだと思う。なかなか興味深い演出だった。

さて最後に。映画鑑賞後に公式HPを読んだ知った、本作『箱男』映画化にまつわるエピソードに触れてこの記事を終えようと思う。

元々、小説『箱男』が発表されて以降、ヨーロッパやハリウッドで映画化の企画が何度も持ち上がっていたらしいのだが、その度に頓挫してしまったそうだ。そんな状況を繰り返す中で、1986年に安部公房本人が映画化権を最終的に託したのが、本作監督の石井岳龍だったのである。その後1997年に、日独共同制作として『箱男』映画化が正式に決定されたドイツで撮影することが決まりし、スタッフ・キャストが現地入りしたのだが、クランクイン前日に事件が起こる。なんと、日本側の資金不足が理由で企画が頓挫してしまったのだ。

その後、映画化権はハリウッドなどに渡り、再び制作の話が持ち上がったりもしたが、結局誰も企画を実現させられなかった。そんな状況が続いたため、世界のマーケットでは、「安部公房原作の映画化は不可能」とまで囁かれるようになったという。しかし、石井岳龍は諦めていなかった。改めて企画を立ち上げ、映画化権を手に入れて、ようやく公開にこぎつけたというわけだ。企画頓挫の悲劇から27年、そして奇しくも、安部公房生誕100周年にあたる2024年の公開となった。さらに言えば、本作に出演している永瀬正敏、佐藤浩市は、27年前にもキャスティングされていたそうである。まさに「執念」と言っていいだろう。

本作『箱男』は、そのような経緯で完成に至った作品というわけだ。このような制作の裏話もまた、実に興味深いと言えるのではないだろうか。

監督:石井岳龍, プロデュース:小西啓介, プロデュース:関友彦, Writer:いながききよたか, Writer:石井岳龍, 出演:永瀬正敏, 出演:浅野忠信, 出演:白本彩奈, 出演:佐藤浩市, 出演:渋川清彦, 出演:中村優子, 出演:川瀬陽太
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最後に

作品全体に対しては正直なところ、「よく分からない」という感覚の方が強かった。とはいえ、全体像をきちんと把握できていなくても思考が刺激されたし、また「幻惑的な世界観」も魅力的で、総合的には「観て良かった」と感じられる作品だったなと思う。悲願を成就した監督・役者には、「ご苦労さまでした」と言いたい気分である。

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