【あらすじ】杉咲花と安田顕が圧巻!映画『朽ちないサクラ』(原廣利)は「正義の難しさ」を描く(原作:柚月裕子)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「朽ちないサクラ」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「5人救えるなら1人を死なせてもいいか?」と問う「トロッコ問題」的状況が本作でも提示される
  • 「正義」は誰がどこから見るかによって形を変えるものであり、「すべての人が納得する正義」など存在し得ない
  • あまりにも辛い状況に置かれた主人公の存在感をその佇まいによって成立させる杉咲花と、「良き上司」かつ「不穏さ」という相反する雰囲気を両立させた安田顕の演技が見事

警察の隠語で「公安」を意味する「サクラ」が、本作では様々な形で散りばめられている

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

映画『朽ちないサクラ』はとにかく、杉咲花と安田顕の演技が圧巻だった!さらに、本作の物語が突きつける「正義とは何か?」という問いかけも実に興味深い

本作『朽ちないサクラ』に関してはやはり、何よりもまず杉咲花の素晴らしさに脱帽させられた。特別彼女のファンのつもりはないのだが、ここ最近は特に、杉咲花が出ている映画は「観よう」という気になる。他にも、古川琴音や河合優実など、「この人が出ていたら観てしまう」みたいな役者はいるが、杉咲花もそんな1人である。少し前に観た映画『52ヘルツのクジラたち』もそうだったのだが、本作もやはり、「杉咲花を観に映画館へ行った」と言っていいだろう。

また本作においては、安田顕も素晴らしかった良い役者だとはもちろん知っていたけれども、本作ではかなり難しい役どころを演じており、「彼の演技によって作品が成立するかどうか決まる」と言ってもいいように思う。そして安田顕は、冒頭から何とも言えない絶妙な雰囲気を醸し出しており、見事に作品を成立させていたと私には感じられた。

物語だけを取り出せば「地味」な作品かもしれない。しかし、中心を貫く「正義」というテーマの重厚さ、そして役者たちの見事な演技に支えられ、実に骨太な作品に仕上がっていると私は思う。

「トロッコ問題」的な状況を扱うことで「正義の難しさ」を浮き彫りにする物語

さて、なるべくネタバレにならないように内容に触れていくつもりだが、本作では物語の底流の部分で、哲学の世界でよく知られている「トロッコ問題」に似たような状況が扱われている。詳しい内容については是非ネットで調べてほしいが、本質的な部分だけを取り出せば、「5人を救うためなら、1人を死なせることは許されるか?」というような問いだ。

「トロッコ問題」についは哲学の世界でもはっきりとした結論が出ているわけではなく、「このような状況を想定してみることで、『正義』について考えてみましょう」という例題としてよく使われている。だから我々は自分なりの答えを導くしかない。私が初めて「トロッコ問題」を知った時には、「5人が助かるのなら、1人を死なせるのも仕方ない」という感覚になったような気がする。問題の設定として、「全員が助かることはない」というのが大前提なので、だったら「5人死ぬ」より「1人死ぬ」方がマシだろうと考えたのだと思う。そしてそのような感覚は今も変わらない。やはり、「全員が助からないのなら、犠牲者数が少ない方が良い」というのが、自然と言えば自然な発想ではないかと思う。

ただ、本作を観終えた後で同じ問いについて考えると、それまでの感覚を捨てざるを得なくなる。特に、主人公・森口泉(杉咲花)の立場で考えればなおさらだ。彼女と同じ状況に置かれれば私も、「5人を救うためなら、1人を死なせるのも仕方ない」などとはとてもじゃないけど言えないと思う。

このように、「正義」というのは簡単には捉えられない。「正義のヒーロー」みたいに使う場合、「正義」というのは割とシンプルな概念だと思うが、世の中はそんな分かりやすく出来てはいないのだ。誰がどこから見るかによって「正義」は変わるものだし、となれば「すべての人が納得できる正義」など存在するはずもないだろう。

しかしそれでも、私を含めたごく一般的な市民は「『正義』の側にいたい」と考えているだろうし、そういう振る舞いを心がけてもいると思う。それはもちろん、本作の登場人物たちにしても同じだろう。しかしやはり、「正義」の捉え方が異なるために、「正義」を希求する者同士の行動がぶつかり、軋轢が生まれ、犠牲が出てしまうのだ。本当に難しいなと思う。

だから私は、「逃げ」だと自覚した上で書くが、「そのような問いを突きつけられるような状況に直面しない生き方をしよう」と考えている。「戦争」のような大きなものから、「自殺幇助」みたいな比較的身近に起こり得ることまで、「正義の難しさ」が突きつけられる状況は様々に想定できるが、「出来うる限りそのような状況からは離れていよう」と考えているというわけだ。

だから私には、「そのような状況から逃げずに闘っている者たち」に言えることなど何もないどれだけ彼らの決断・行動に違和感を覚えようとも、それを批判できるような土俵に立ってはいないのだ。そしてだからこそ私は、本作のラストシーンにグッときた。何故なら、泉がしたある決断は、まさに「私も逃げずに闘う」という宣言そのものだったからだ。

本作はそんな、物語全体に通底する「正義」を巡るやりとりが、とても印象的な作品だった。

さて、そろそろ内容を紹介しようと思うが、先に1点だけ公式HPでは、映画の後半の内容にまで踏み込んだ内容紹介がされている。ただ私は普段から、「自分なりのネタバレ基準」に沿って記事を書くことにしているので、以下では「物語がどのように始まっていくか」という冒頭部分にしか触れない。もっと先の展開まで知りたいという方は、公式HPを読んでほしい。

映画『朽ちないサクラ』の内容紹介

愛知県警広報課で事務職として働く森口泉は、今朝から鳴りっぱなしの電話に一抹の不安を覚えていた。「この状況はもしかしたら、自分が招いてしまったのかもしれない」と考えていたのだ。しかしそうだとしたら、親友であり、米崎新聞の記者でもある津村千佳が約束を破ったことになる。それは万が一にも信じたくない想像なのだが、しかし……。

その少し前から、愛知県警は平井中央署の不手際への対応に追われていた女子大生が度重なるストーカー被害に遭った末に神職の男に殺害されたのだが、生活安全課の辺見巡査長が、女性からの被害届を受理せず先延ばしにしていたことが明らかになったのだ。これだけでも既に大問題だが、さらに追い打ちをかけるような情報が出回った。被害届を受理せずにいた期間は慰安旅行中だったことがすっぱ抜かれたのだ。このネタは米崎新聞の単独スクープだった。

そして米崎新聞がその記事を出す少し前、泉は千佳と会っており、その際に慰安旅行の話をしてしまっていたのである。泉は生活安全課の磯川と仲が良く、「彼から慰安旅行のお土産をもらった」という話をしたところ、察しの良い千佳が状況を理解したというわけだ。

しかし、そんな情報が泉から漏れたと知られたらマズい泉はただでさえ行政職員であり、一緒に働く警察官と比べて立場が低いのである。だから千佳に「記事にはしないで」と頼んだ。そして、昔から嘘をつかなかった千佳が「分かった」と言ってくれたので、泉は安心していたのである。

そんなことがあった直後のスクープだったこともあり、泉はやはり悪い想像をしてしまった千佳が約束を破って記事にしたのではないかという疑いがどうしても消えなかったのだ。そのため千佳を呼び出して話を聞いてみることにしたのだが、千佳は「絶対に私じゃない」と言い張る。結局、話し合いは平行線のまま気まずく終わった。そして千佳は去り際に、「疑いは絶対に晴らすから、その時は謝ってよ」と言って車に乗り込んだのである。

その1週間後のことだった。千佳の死体が川底から発見されたのは。泉は当然こう考えた。自分のせいで、千佳は命を落としたのだと。そこで泉は、刑事ではないにも拘らず独自に調査を始めることに決めた。磯川に手伝ってもらいながら、気になる情報を洗っていったのだが……。

杉咲花と安田顕が圧倒的に素晴らしかった

冒頭でも書いた通り、杉咲花と安田顕がとにかく素晴らしかった。上記の内容紹介では、安田顕がどんな役を演じたのかについては一切触れなかったが、彼が演じた富樫隆幸は広報課の課長で、泉の直属の上司である。本作では、捜査のイロハも知らない泉を陰ながらサポートする役として登場していた。

杉咲花に関しては、『法廷遊戯』『市子』『52ヘルツのクジラたち』と、私はこのところ彼女の出演作をよく観ているのだが、本作を含めて、彼女が演じる役どころは、「絶望を背負った笑わない人物」であることが多いように思う。そして、そんな役柄を演じさせたら、杉咲花は最強だ。物語世界の中で、杉咲花(が演じる役)が“笑っている”姿を、ほとんど見ることがない気がする。圧倒的な不幸を体現する杉咲花の存在感は、ちょっと凄まじいものがあるなと思う。

本作でも杉咲花演じる森口泉は、冒頭からどん底に叩き落とされる。先述した通り、「自分のせいで親友が死んでしまったかもしれない」という状況に直面するのだ。これは相当キツイだろうと思う。しかも、最後の会話が険悪すぎたまま二度と会えなくなってしまったのだ。そんなの、あまりにも辛い状況だろう。

ただ、森口泉は分かりやすく感情を表に出すような人物ではない。これも杉咲花が演じる役柄に比較的共通する印象なのだが、泣いたり叫んだりといった形で「辛さ」を表現するようなことはないのだ。しかしそれでも、森口泉が抱えている息苦しさやしんどさはビシビシと伝わってくる「存在の仕方」や「佇まい」によって人物を表現しているということなのだろう。何なら、「映し出されている場面以外ではきっと泣いているだろう」とさえ思わせる雰囲気さえあり、その圧倒的な存在感には毎回のことながら驚かされてしまう

そして、杉咲花と共に中心的な人物を演じた安田顕もまた見事だった。「元公安刑事で、現広報課長」というちょっと変わった経歴の人物を演じており、津村千佳の死が発覚して以降、上司として何かにつけて森口泉と関わることになる。そして何よりも、その「上司感」とでも言うべき雰囲気が素晴らしいのだ。「多くを語りはしないが、必要な時には的を射たことを言う」という感じで、随所に「メチャクチャかっこいいシーン」もあった

さて、それはそれとして、彼が演じる富樫隆幸には「何を考えているんだか分からない」という独特の雰囲気もある。この点は、物語の展開と共に実に大きな意味を持つことになるので、その「何とも言えない雰囲気」が欠かせない作品だとも言えるだろう。そういう意味で、安田顕は非常に難しい演技を求められていたように思う。杉咲花もなかなか難しい役どころだったと思うので、「この2人が本作『朽ちないサクラ』を成り立たせていた」という印象がとても強い物語以上に、役者の演技に魅入られた作品という感じだった。

「普通ではない刑事モノ」が放つリアリティと、「サクラ」が有する意味

さて、本作は柚月裕子の同名小説が原作であり、ジャンルとしては「警察小説」に分類されるだろう。ただ、単純な「刑事モノ」ではない。内容紹介でも触れた通り、本作の主人公は刑事ではなく事務員であり、かなり珍しい設定と言えると思う。警察内部にはいるが、捜査に直接関わる立場ではないわけで、森口泉はシンプルに「親友の仇討ち」みたいな動機で調べを進めているに過ぎない。

著:柚月裕子
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となると、「そんな物語にリアリティがあるのか?」と感じられるかもしれないが、私の感触では、とても絶妙なラインに収まっていたように思う。というのも、刑事ではない森口泉が随所で見つけてくる「情報」が、「これは確かに、警察の捜査では拾いにくいかもしれない」と感じさせるものだったからだ。確かに、刑事もいずれは彼女が見つけた「情報」にたどり着いたかもしれないが、「森口泉が勝手に首を突っ込んだお陰で真相究明が早まったのではないか」という印象を与える展開で、私にはリアリティが感じられた。これはやはり、原作の物語が絶妙だったお陰だろう。さすが柚月裕子だなと思う。

さて、タイトルにある「サクラ」は当然、「花の桜」を指している。本作には桜が映し出されるシーンが随所にあるが、公式HPによると、それらは実際の桜を撮影したものなのだそうだ。

しかしこの「サクラ」には、実はもう1つ意味がある。警察の隠語で「公安」を指しているのだ。「富樫隆幸がかつて公安にいた」という話は既に触れたが、本作ではもっと本質的な形で公安が絡んでくる。どのように関わるのかは是非本編を観てほしいが、描き出される「現実」は実に重苦しい「公安が考える『正義』」が、我々一般市民が想像する「正義」とかけ離れているからこそ炙り出される矛盾なのだが、とはいえ、「『公安の正義』が間違っている」ともなかなか言いにくいとても難しい問いが突きつけられているというわけだ。

また本作には、「それでも前を向いて歩いていくしかない」というセリフが何度か出てくる。そしてこの言葉からは、「毎年花を咲かせては散っていく桜」が連想されるだろう。また、桜の花言葉には「高潔」というような意味があるらしく、これも森口泉を始めする「正義を体現しようとする人物」に重なるんじゃないかと思う。このように本作では、色んな形で「サクラ」に繋がる要素が配されており、作品全体からテーマ性が打ち出される構成もとても上手いと感じた。実に素敵な作品だったなと思う。

最後に

本作は、ストーリーももちろん面白かった。しかし何度も繰り返すが、やはり杉咲花と安田顕の演技が見事で、彼らが醸し出す雰囲気だけで十分作品として成立するんじゃないかとも思う。

あなたならどんな「正義」を体現したいと思うか、是非考えてみてほしい。

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