はじめに
この記事で取り上げる映画
「ヒポクラテスの盲点」公式HP
今どこで観れるのか?
公式HPの劇場情報をご覧ください
この記事の3つの要点
- 私は今でも「『全体の利益』のためなら『多少の犠牲』は仕方ない」という考えを持っているが、「コロナワクチンによる『犠牲』は”多少”だったのか?」についての判断は難しいなと思う
- 「オミクロン株登場以降、コロナワクチンに感染予防効果はなくなった」という話、そして「『ワクチンの強制接種は間違いだった』という主張は早計ではないか」という話
- 「2000件の死亡例」の捉え方の難しさと、「平均余命の低下」などの影響について
自己紹介記事


記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
コロナワクチンを検証するドキュメンタリー映画『ヒポクラテスの盲点』は、非常に中立的で示唆に富む作品だった

非常に興味深い映画だったなと思う。私は特段の疑問を抱くことなくコロナワクチンを5回ぐらい打った人間だが、本作を観ると「なるほどなぁ」という情報が多く、非常にためになった。で、「コロナワクチンの問題点を斬る」みたいな作品の場合、よくあるのが「いわゆる反ワクの人たちによる主張」だと思うが、本作『ヒポクラテスの盲点』はそんな感じではない。あくまでも私の個人的な感覚だが、かなり中立的に問題提起をしている印象で、「ワクチン、全然普通に打ちました」みたいな私のような人間も観ておいた方が良い作品だと感じた。

それで、先に1つ書いておきたいことがある。そもそもこの「ルシルナ」というサイトは、「私が本名でやっているnoteに書いた感想を元に、再度文章を書き直してUPする」というスタイルでやっているのだが(本名のnoteの方は「鑑賞直後の書き殴り」という感じで、それを清書してこちらに載せている)、その本名の方のnote記事に対して結構批判がきた。いわゆる「反ワク」と言われる人たちの意見だと思う。個人的には「的外れじゃないか」と感じるものが多く、私のその感覚はまた別途noteの記事としてまとめたのだが、要するに何が言いたいかというと「本作に関する私の文章は、どうやら反ワクの人を苛立たせるらしい」ということだ。個人的には、私が書いて発表した文章をどう受け取ってもらっても別に構わないと思っているので、「私の意図した通りに受け取らないなんてプンスカ」みたいなことは全然感じないし、好きに読んでもらえればいい。「一応言及しておいた方がいいかな」ぐらいの話なので、「そういう批判されるような記事なんだな」という理解で読んでもらうのがいいかなと思う。
「リスクよりもベネフィット」という判断に対する私のスタンス
さて、本作『ヒポクラテスの盲点』の内容に触れる前にまず、コロナワクチンに関係するだろう私のある感覚について説明しておくことにしよう。それが、コロナワクチンに関する議論が盛んだった時期によく出てきた「リスクよりもベネフィット」についてである。
この点についてはまず、コロナワクチンに限らずもう少し広い視点から話を始めたいと思う。

薬でも食品でも新技術でも何でもいいのだが、「(商売が成り立つ範囲内で)どれだけ時間とお金を費やして作ったとしても『100%安全なもの』は生み出せない」と私は考えている。この点に関しては、「それって100%安全なんですか?」と問うような形で不信感を示す定型文があることを踏まえれば、世の中の一定数の人はきっと「100%安全」という概念を信じているのだろう。しかし一般的には概ね、「まあ、100%なんてことはあり得ないよね」という共通理解が存在するんじゃないかと思う。
そりゃあそうだろう。「『100%安全なもの』しか流通させてはいけません」なんてことになったら、社会は立ち行かなくなるはずだ。「ふぐは危険だから食べてはいけません」とか「火災の危険があるからリチウムイオン電池の使用は禁止です」とかなったら困るだろう。あるいは、私はあまり自動運転に賛成ではない(懸念を感じている部分がある)のだが、しかし社会的には「不完全なものかもしれないけど、便利になるかもね」という感じで受け入れられていくような気がしている。
そしてそうだとすれば、「『リスク(危険)が存在するとしても、そこから得られるベネフィット(利益)が上回るなら、社会は一旦それを受け入れた方がいいよね』という感覚を社会全体がある程度許容している」と考えてもいいはずだ。少なくとも私はそういうスタンスで生きているし、「『全体の利益』のために『多少の犠牲』が生じるとしても、それは仕方ないことだ」と考えている。

ただ、これは書いておくべきだろうが、そういうスタンスを持っているとはいえ、もし自分が「犠牲」側に立たされたとしたら、文句も言うし後悔もすると思う。別にこれはダブルスタンダードのつもりはないのだが、そう受け取る人もいるだろう。ただ、「立場が異なれば受け取り方も主張も変わる」というのは当然のことだと思うし、それに私は別に、「『リスクよりベネフィット』という考えを受け入れてるなら、『犠牲』を被る側に回ったとしても文句を言うな」なんて風には全然考えていない。「犠牲」側は声を上げるべきだし、主張することによって自身の権利を獲得したり世の中を変えたりするべきだとも思う。

さてその上で、コロナワクチンの話に限定するのであれば、「『ワクチン接種による死亡や後遺症』は一体どの程度存在していて、そしてそれは『多少の被害』と言えるものなのか?」という問題が出てくる。「『全体の利益』のために許容すべき『被害』だったのか?」ということだ。そしてこの点に関しては、「本作を観てよく分からなくなった」というのが正直なところである。観る前は、「犠牲の規模感はよく分からないものの、母数はかなり大きいし、だから『被害』があるとして、それは『全体の利益』のためには仕方なかったんじゃないか」みたいに考えていたように思う。ただ本作を観て、「『多少の犠牲』ではなかったのかもしれないな」という感じにはなった。ちなみに、本作にメインで登場する福島雅典医師はこの点に関して「そんなことあり得ない」と断言している。「『多少の犠牲』なわけがない」というわけだ。
そんなわけで、私の問題意識は「コロナワクチンによる犠牲が存在したか?」ではなく、「コロナワクチンによる犠牲は『全体の利益』のために許容すべき『多少の犠牲』と言える規模だったのか?」であるという点をまずは認識していただければと思う。恐らく、この考え方に納得できない人もいるだろうし、そういう人はこれ以降の文章を読んでもイライラするだけだと思うので、ここで読むのを止めていただく方がいいだろう。

映画『ヒポクラテスの盲点』では、様々なデータを基にコロナワクチンに対する客観的な評価を行っている
本作『ヒポクラテスの盲点』では冒頭からしばらくの間、「コロナワクチン後遺症に苦しむ個人」に焦点が当てられる。もちろんそういう人たちを取り上げることは重要だ。どのような症状が出て、日常生活にどのような困難さがあるのかが分かるし、さらに、「『その存在がまだ社会的に受け入れられているとは言えない後遺症』を有していることで生まれる様々な障壁」が可視化されることで、現状への理解や社会の変化に繋がっていくと思うからである。
しかし正直なところ、本作が最後までそういう内容に終始していたとしたら、私の考えはあまり変わらなかっただろうなとも思う。先述した通り、私の問題意識は「犠牲が存在したか?」ではなく「どのぐらいあったのか?」にあるからだ。なので、個々人の状況を知っても、「『全体の利益』のためには仕方なかったんじゃないか」みたいな感覚は消えはしない。もちろん、こんな捉え方は人間を「個人」ではなく「数字」で見ているなと自分でも感じるし、良いことだと思ってはいないのだが、正直な感覚を伝えないとフェアではないかなとも思うので書いてみた。私にしても、「犠牲」側だとしたら恐らく、今自分が書いた文章に苛立ちを覚えるだろう。それぐらいの自覚はある。
それで本作では、しばらくしてから様々な専門家が登場し、彼らの話を聞くような流れになっていく。そしてそういう話を色々と総合することで、自分の中で「コロナワクチンはどうも、感染抑止などのメリットを与えていなかったようだ」と理解できるようになっていった。要するに「『全体の利益』と呼べるものが存在したのか?」という話になっていくのだが、だとすると、私が重視している「リスクよりベネフィット」の前提がひっくり返ってしまう。それで、「だったら考えを変えざるを得ないな」という感じになっていったというわけだ。

さて、1つ先に書いていくと、本作には「コロナワクチンの接種やその効果について反対の意見を持つ人」ばかりが登場する。しかしそれは、別に偏った取材をした結果なわけではない。監督は、ワクチン接種やその効果などに肯定的な主張をしていた専門家や、あるいは接種を推奨していた厚労省にも取材の打診を行ったのだが、軒並み断られてしまったという。そして、その中で唯一取材を受けてくれたのが森内浩幸医師だったそうである。

彼はコロナ禍によくメディア出演していたので、すぐに「あぁ、あの人だ」と分かった。当時は他にも、メディア等でワクチンを推奨していた医師・専門家は多くいたはずなのだが、打診を受けたほとんどの人が本作への出演を断る中で、彼だけはきちんと取材に応じたのである。出演に悩んだのかどうかは知らないが、勇気の要る決断だったはずだし、なかなか誠実なスタンスだなと思う。
そんなわけで、本作にはワクチンに反対する人たち(この記事では、本作に出演している人を「反ワク」とは呼ばない。その理由は本編を観れば理解できるだろう)ばかりが出てくるわけで、そのため「ワクチンには効果がなかった」という主張の印象が強くなっているみたいな側面はあるかもしれない。ただ、ワクチン接種によって積み上がった様々なデータを基にした主張がなされており、個人的には信憑性があるなと感じられた。

また、鑑賞後に公式HPを見て知ったのだが、本作の監督は、東京大学大学院を修了した理学博士なのだそうだ。私の中には、「ドキュメンタリー映画を撮る人に理系の人間はあまりいない」という勝手なイメージがある。科学的な知識を必要とするような取材の場合でも、監督自身が理系的な知識を持っているというよりは、監修のような形で専門家に関わってもらって情報を精査することの方が多いんじゃないだろうか。だから、「監督自身が科学的な知識を有している」という点もまた、一般的なドキュメンタリー映画とは異なる点に感じられるし、本作にとっても大きな意味を持つのではないかと思う。
というわけで、ここからより具体的に本作の内容に触れていくが、「私が主観的に情報の取捨選択を行っている」という点は理解しておいてほしい。当然だが、作中で取り上げられていたすべての情報に言及できるわけではない。私の琴線に触れたトピックだけを取り上げているので、私のこの記事だけから何かを判断しないようにしていただければと思う。
「コロナワクチンはある時点から接種効果が失われた」という様々な主張
それではまず、本作に出演した唯一の賛成派である森内浩幸医師の主張から紹介していくことにしよう。

彼はインタビューの中で、「早くても数年はかかるだろうと思っていたワクチンが11ヶ月で完成して驚いた」「感染予防効果が80~90%というデータだったので、国民の7割が打ってくれればパンデミックを抑えられると考えていた」みたいな話をしていた。かなりポジティブなイメージで捉えていたということだろう。しかし私は、彼がちょくちょく「当初は」という言葉を使っていたのが気になっていた。そして、その理由はしばらくして明らかになる。
どうやら、彼が「コロナワクチンに効果がある」と考えていたのは、変異株であるオミクロン株が登場する前までだったようなのだ。森内氏は、「オミクロン株の登場から少なくとも半年以内ぐらいには、コロナワクチンの感染予防効果が無くなったことが判明したと思う」みたいに話していた。そんなわけで彼は、「3回目のワクチンを打つ必要はなかった」と考えていたようで、本作でもそのように主張していたのである。
さて作中では、ある免疫学者が「有効なワクチンの条件」について話す場面があった。確か、「病気にならない」「数年は防げる」「副作用がほとんどない」「死なない」の4つだったと思う。そしてこの4つの定義を踏まえた上でその免疫学者は「コロナワクチンはとてもワクチンと言える代物ではない」と断言していた。

そして制作陣がこの話を森内氏にぶつける場面がある。それを受けて彼は、「確かに素晴らしいワクチンとは言えないし、理想とはほど遠い。とはいえ、人に勧めるべきではないかというとそうは思わない」「パンデミックワクチンとしては、他に有効な手段がなかった以上、今でもベストな選択肢だと思っている」と主張していた。そしてその上で彼は、「ただ、若くて健康な人は使うべきではない」とも言っていたのだ(この「若くて健康な人は使うべきではない」という主張は「オミクロン株が出てきて以降は」という話だったと思うのだが、正確には覚えていない)。
さて、賛成派の森内氏ですらこのようなスタンスだという事実が、「コロナワクチンの有効性」をよく表していると言えるだろう。要するに、「オミクロン株が出てくる前の1・2回目の接種に意味はあったが、3回目以降は概ね無意味だった」という主張になるからだ。そしてこの主張は、反対派の人たちによる様々な調査でも裏付けられている。

福島雅典医師は「LHS研究所」という創薬を支援する組織の代表でもあるのだが、そのLHS研究所が厚労省に様々な情報開示請求を行い、データ分析を行ったそうだ。そしてそれによると、「多くの年代で、ワクチン接種後に感染率が上がっている」ことが明らかになったという。正確には覚えていないが、確か「40代と50代を除くすべての年代で接種後の感染率が上がっている」というデータだったように思う。

また、「ワクチンの接種回数が増えると致死率が上がる」という事実も厚労省のデータから読み取れるそうだ。しかし、その元となるデータは、厚労省がかなり早い段階でデータ化するのを止めてしまったという。そこでLHS研究所は、厚労省がまとめる前の元データ(「HER-SYS」というシステムで収集している)の開示請求を行ったのだが、厚労省からはデータ部分が黒塗り(いわゆる「海苔弁状態」)の回答が返ってきたそうだ。そして結局、「世界に誇るシステム」だと福島氏が評価していた(正確な記憶ではないが)「HER-SYS」は、2024年3月に運用を停止してしまったという。このエピソードは、「コロナワクチンの有効性」の話に留まらず、「厚労省が情報を隠蔽しているのではないか」といった疑惑にも繋がるだろう。
このように、「少なくともオミクロン株登場以降は、コロナワクチンに有効性はなかった」「それどころか、マイナスの効果をもたらしていたかもしれない」ということがデータから明らかになりつつあるようだ。
そうだとしても、「接種を”強制”させるべきではなかった」という判断は早計ではないか
しかしだからと言って、「コロナワクチンを国民にほぼ強制的に接種させるべきではなかった」と主張するのはまだ早いと私は思う。この点に関しては、「政府の政策をチェックしている」という人物(はっきりとは覚えていないが、「医師兼翻訳家」みたいな肩書きだった気がする)がこんな話をしていた。

見切りの部分が残った状態で、それでも接種を推し進めようという最初の判断は、決して間違っていなかったと思う。しかし、3回目の接種ぐらいからどうも怪しくなっていった。日本の政治家たちは、「2回やってダメなら3回やればいいだろう」という願望だけで突き進んだように見える。
「最初の判断は、決して間違っていなかったと思う」という感覚は私も同感である。「100%の安全が確認されてから使おう」みたいな判断はやはり現実的ではない気がするからだ。「危険性はあるかもしれないが、ある程度の安全性・有効性が確認されているならとりあえず使ってみる」という国の決断は、少なくともあの当時の判断としては間違いだったとは言えないだろう。
問題だったのは、そこから恐らく「止める人が誰もいない」という状況になってしまったことなのだと思う。そしてこの点に関しても様々な言及があった。

多くの人が指摘していたのが、「誰も責任を取らなくていい仕組みになっている」という話である。厚労省も専門家も製薬会社も、自分のところに責任が回ってこないように上手く立ち回っていたというわけだ。「始まったものを止める」のにも当然責任がついてまわるわけで、そんな「火中の栗を拾う」みたいなことを誰もやりたがらなかったというのが問題の本質なのだと思う。

またこの件に関しては、分かりやすく数値を挙げて状況を説明してくれた人もいる。一般的にワクチン接種の場合、死亡例が1~2例でも存在すれば「一旦ストップしましょう」という話になるのだそうだ。ワクチン接種は通常、それぐらい慎重な判断で運用されているという。具体的には、死亡例が「10万ショットあたり0.5例(つまり0.0005%)」存在すれば一度止めるというのが通例であるようだ。
ではコロナワクチンはどうなのか。日本では1回目から7回目までの合計で4億ショット打たれているそうだが、その中で「コロナワクチンが原因かもしれない死亡例」が2000件存在するという。これは0.0005%であり、通常なら接種をストップするレベルなのだそうだ。この指摘をしていた人物は、「国の政策に関わる人がこの事実を知らないなんてことはあり得ない。にも拘らず、誰もストップをかけようとしない」みたいに言っていた。日本らしいと言えば日本らしいが、「責任を負いたくない」という心理が「効果の無くなったワクチンを国民に打たせ続ける」みたいな動きに繋がってしまったということなのだろう。

作中で度々言及される「2000件の死亡例」は、一体何を指しているのか?
さて、本作の説明で私にはよく理解できなかったことがある。それが、度々言及される「2000件の死亡例」についてだ。
で、その前に必要な説明をしておこう。コロナワクチンの接種においては、「副反応の報告ルート」として、医師・医療機関からの「副反応疑い報告」と、患者・遺族からの「健康被害救済申請」の2つがあると説明がある。そして、いつ時点のものかは分からない(私が覚えていないだけなのか、作中でも示されなかったのかさえ覚えていない)が、それぞれ以下のようなデータが示された(私のメモが正しければ)。
- 副反応疑い報告 :総数37555件 認定数9325件 死亡認定数2295件
- 健康被害救済申請:総数14189件 認定数9290件 死亡認定数1035件
そしてこれを踏まえれば、「2000件の死亡例」というのは「副反応疑い報告の死亡認定数」のことを指しているのだろうなと思うし、私はそのように理解している。

さて一方で、別の場面では「副反応はα、β、γの3種類に分けられている」という話が出てきた。それぞれ、以下の通りである。
- α:否定できない
- β:関係ない
- γ:評価できない
その上で、「99.99%の事例がγ、つまり『評価できない』とされている」とも説明があった。そして私には、この情報をどう処理すべきなのかがイマイチ理解できないのである。
「γではない0.01%が2295件」ということはないだろう。その場合、22950000件、つまり2300万件弱の死亡例が存在するという話になってしまうからだ。であれば、「2295件の99.99%がγ評価」と考えるのが自然ではないかと思う。そしてだとすれば、「2000件の死亡例」という主張は、「ただしそのほとんどの因果関係は証明されていない」みたいな話になるんじゃないかという気がする。「α評価の死亡例が2000件」ということなら話は別だが、恐らくそうではないはずだ。だから、情報として一人歩きしている感じがあった「2000件の死亡例」については捉え方にちょっと注意が必要ではないかと感じた。

またそもそもだが、森内浩幸医師は作中で次のような主張をしており、「確かにそうだよな」と思う。
日本では毎日3400人が死亡しているわけで、その人たちがワクチンを打って亡くなったみたいなケースもあるだろう。死亡例のデータには、「ワクチンを打たなくても亡くなったはずの人」がかなり紛れているはずだ。

このような点も考慮すべきだろう。
さてその一方で、別のデータも提示された。「2021年から2024年にかけての超過死亡数が33万人」というものだ。「超過死亡数」は、「あらかじめ予測されていた死亡者数をどのぐらい超えたか」を示す指標である。地震などの災害が起こると「超過死亡数」が増えるというのはイメージしやすいだろう。そして本作では、「2021年から2024年にかけての超過死亡数の増大はワクチン接種によるものではないか?」と示唆されていたのだ。
ただ私には、「シンプルにコロナウイルスのせいなのでは?」と感じられた。そう考える方が自然ではないだろうか(あるいは、そんなことはないと思うが、「『コロナウイルスによる死者』を加味してもなお超えた分」という意味だったのだろうか?)。本作では他の場面でも、「コロナ禍における様々な変化」を「ワクチン接種」と結びつける主張があったのだが、「ウイルスによるもの」という可能性が検討されていないように感じられたのが結構謎だったなと思う。私が何か捉え間違いをしているだけかもしれないが、「コロナウイルスによる影響を考慮せずに、一足飛びに『ワクチンのせい』という話になっている」ような印象で、違和感があった。

というわけで脱線したが、いずれにせよ、私には本作で提示された「2000件の死亡例」「99.99%がγ評価」という話をどう捉えたらいいのかがよく分からなかったし、その辺りのことが理解できないと「ワクチンによる被害」をどう評価すべきなのかも判断できないように思う。そういう点については本作を最後まで観ても全然解消されなかった。
「日本の平均余命が下がった」というデータについての分析
さて、似たような話として「日本人の平均余命」についても取り上げられる。日本はこれまで順調に平均余命を上げてきた国であり、「あとは健康寿命に注力すれば良い」という状況だったそうだ。しかしそんな平均余命が、2021年・2022年で一気に下がったという。
私には先程と同様、「コロナウイルスによる死亡件数が増えただけでは?」と思えてしまうのだが、この件に関しては同時に別の興味深いデータも提示された。なんと、同時期の「がんによる死亡率」も上昇しているというのだ。その事実を指摘した論文は海外の専門誌に提出され、査読前の論文が閲覧できるサイトでの注目度はかなり高かったそうなのだが、最終的には「Retracted」、つまり「撤回」という結論になったという。本論文では「ワクチン接種との因果関係についてこれからも調査する必要がある」と締め括ったのだが、それに対して「ワクチン接種との因果関係が証明されていない」という理由で撤回されてしまったのだそうだ。なんとなく「的を射ていない撤回理由だな」と感じたし、恐らく研究者の世界でも違和感が共有されているからこそ本作でも紹介されたのだと思う。

ちなみに少し脱線するが、本作には「コロナワクチンに対する悪評は検閲されていた」という話が出てくる。確か医師だったと思うが、ある専門家が作中で、「コロナワクチンに関して否定的なことを書いたフェイスブックの投稿がすぐに消されてしまった」みたいな話をしていたのだ。最初は「ンなアホな」と思っていたのだが、その直後に、フェイスブック(今はメタだったか)のトップであるザッカーバーグが何か公的な場で証言している映像が流れる。そしてその中で、「コロナワクチンに関しては情報統制が行われている。検閲を強制されたので、『副反応がある』などの投稿は削除せざるを得なかった」みたいな話をしていたのだ。なるほど、ザッカーバーグがそう言っているなら、実際に「検閲の強制」があったと考えるしかない。そしてだとすれば、「専門誌が『撤回』という判断を下した」のも、もしかしたら同じような理由なんじゃないかと邪推したくもなるだろう。

というわけで話を戻すが、本作には、「がんによる死亡率が上昇している」という話に関連する注目の論文を書いた医師へのインタビューもあった。彼が勤務する病院での「がん患者の治療成績」を分析した結果をまとめた論文である。
その人物は研究を行った動機について、「医療技術の進歩などもあり、2018・19年と治療成績はどんどん良くなっていったのだが、2020年に停滞し、2021年に下がったので、これは何かおかしいと思った」みたいな話をしていた。そこで「がん患者の治療成績」と「コロナワクチン」との関連を調べたところ、「ブースター接種(複数回の接種)をした人の方が、がんの治療成績が1.72倍悪い」ことが分かったという。そして彼はこの事実を、「反復接種が膵臓がんの予後不良因子ではないか?」という主旨で論文にまとめて発表したのである。

「反復接種が膵臓がんの予後不良因子ではないか?」について少し説明しておこう。ブースター接種をした場合、「IgGA」という抗体が増加することが分かっているという。そしてこれは「免疫にブレーキをかける性質を持つ抗体」なのだそうだ。論文を書いた医師は「ワクチンを繰り返し接種することが、免疫にとって負担になっているのではないか」と推論していた。事実として証明された話ではないものの、理屈としては「なるほど」という感じがする。
そしてもし彼の推論が正しければ、「平均余命の低下」にも説明がつくかもしれない。何故なら、「ブースター接種によってIgGA抗体が増え、免疫の働きが制限されることで、他の様々な病気が進行しやすくなる」と解釈できるからだ。恐らく人類はこれまで、「同じ効果を持つワクチンを短期間に3回以上接種する」なんて経験をして来なかったはずである。だから、先の話が証明されたとすれば、「ワクチンに関する新たな知見」ということになるんじゃないかとも思う。
「mRNAワクチン接種後の体内分布」に関する嘘と、「管轄する側」が持つべき責任感
さて、もう1つ興味深いなと感じたのが、「mRNAワクチン接種後の体内分布」に関する話である(コロナワクチンは初のmRNAワクチンとして開発された)。コロナワクチンに関しては当初、「ワクチンは注射を打った腕に留まる」と説明されていた(接種会場の案内にもそう記載されていた記憶がある)。しかしどうやらこれは嘘だったらしく、さらに製薬会社はかなり早い時期にその事実を認識していたというのだ。

ちゃんとした時系列はちょっと把握できなかったのだが、まず、製薬会社のファイザーが早い段階で「ワクチンの体内分布」に関する調査を行っていたようだ。そしてアメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター)に関わっていたという医師が、2021年の春か夏にはそのデータを見たと証言していた(と記憶している)。さらに、日本のPDMA(医薬品などの副作用を調べる機関らしい)がかなり早い時期にファイザーに対して体内分布のデータを開示するよう要求していたことも分かっているという。確か、「日本での承認がなされる前の時点で、PDMAがデータをファイザーに要求していた」と説明があったはずだ。

どうやらファイザーはその要求を断ったらしく(何故でしょうね?)、だからPDMAは結局体内分布のデータ無しで承認を行ったという。通常であれば、ワクチンの認可の際には「体内分布」や「がん発生率」などのデータを参照するそうなのだが、mRNAワクチンの場合は何故かそれらのデータを確認することなく承認できる仕組みになっているのだそうだ。福島雅典医師はそもそもこの点が問題だとして、厚労省に提言を行ったことがあるという。
さて、PDMAは当然「mRNAワクチンの場合、『体内分布』のデータ無しで承認が可能」だと理解していたはずだ。そしてその上でファイザーに体内分布のデータを要求していたことになる。となれば、PDMAは最初から「ワクチンは腕に留まらない可能性がある」と疑念を抱いていたのではないかと推察できるだろう。そしてもしそうだとすれば、「疑念を放置して承認したこと」は重大な過失と言えるのではないか。本作ではそのように指摘されていた。

この点に関しては、福島氏がかつて抗がん剤「イレッサ」に関わった経験について話す中で興味深いエピソードが出てくる。イレッサの場合は臨床試験中に死亡例が発生したため、福島氏は「危険が過小評価されている」と考え訴えを起こしたという。結果的には敗訴となったが、福島氏は「PDMAはイレッサの危険性を認識していたはずだ」と主張していた。
ではそうだとして、どうして誰も承認を止めようとしなかったのか。その点について監督が問うと、「もし拒否したら、審査課長の首が危うかっただろう」みたいなことを言っていた。製薬会社との繋がりがあるからだ。つまり「保身のためにNOとは言えなかったんじゃないか」というのである。本当にそんなことが過去に起こっていたのなら、コロナワクチンでも同じようなことが起こっていたと考えるのも自然だろう。
ちなみに福島氏は、確か「イレッサの裁判の過程で」という話だったと思うが、他の医師から「副作用は必ずあるんだから、それを『薬害』だなんて言ってたら何も進まない」と言われたことがあると話していた。しかし彼は、この主張に真っ向から反論する。福島氏も当然「副作用は必ずある」と思っているのだが、加えて「それが人間のせいで広まってしまうのは良くない」と考えてもいるのだ。つまり福島氏にとっての「薬害」とは、「甚大な副作用がある薬の使用・流通を止めなかった」という「人災」を指しているのである。この点は私も納得できるなと思う。

さて話は少し変わるが、私は「原子力発電」に関して、「理論や技術は信頼してもいいが、管轄する人間に不備があるから、全体としては信用できない」という意見を持っている。私が言っている「管轄する人間」とは現場の技術者ではなく、福島第一原発事故の際に偉そうにしていたいわゆる「本店の人間」のことだ。いくら現場が良い仕事をしていても、現場に明るくない管理者が愚かな行動を取れば何の意味もない。私にとって福島第一原発事故は「管轄する人間の無能さ」を明らかにした出来事なのである。
そして私は、コロナワクチンに対しても同じような感覚を抱かされてしまう。実際に患者を診る現場の医師がどれだけ優秀でも、政治家や政策に関わる専門家がちゃんとしていなければ何も上手くいかないからだ。福島氏は「日本のアカデミアははっきり言って怠慢だ」と厳しい言い方をしていたが、これはまさにそのような状況を批判した言葉なのだと思う。イレッサの承認に関しても福島氏は、「太平洋戦争と同じ」という表現でその決定プロセスを批判していた。
当時入手可能だった情報を基に政府の対応を考えるなら、「オミクロン株登場以降はワクチン接種による感染予防効果は低くなったので、特に若くて健康な人は積極的には打たない方が良い」というようなメッセージを発信すべきだったのだと思う。そしてそうならなかった背景に「NOと言えない雰囲気」が関係していたのだとすれば、日本は戦時中から何も変わっていないということになるだろう。そういう問題も浮き彫りにする作品なのである。


最後に
繰り返しになるが、この記事は私の主観で情報を取捨選択して書いたので、この記事だけからコロナワクチンに関する何かを判断しないでほしい。ちゃんを本作『ヒポクラテスの盲点』を観るか、別途自分で情報収集するなりしていただければと思う。何にしても私は、本作を観ながら「過去の検証はやはり重要だ」と改めて実感させられた。どんな結果が出るにしても、研究している方には頑張ってほしいものだなと思う。
そして最後に。全然言及してこなかったが、もちろん私の中にも「コロナワクチンによって亡くなったり後遺症が残ったりした人はやりきれないだろうし、大変な状況にいるのだろう」という感覚はある。そしてそういう人たちからすれば、私のこの記事は「温度を感じられない冷たいもの」に感じられるだろう。自分でもそう思う。冒頭でも触れた通り、もし自分が「犠牲」側にいたら同じような文章は書けなかったはずだ。とはいえ私は、少なくとも今のところは「コロナワクチンによる悪影響」を実感してはいないものの、本作を観て「それは単に幸運なだけだったのかもしれない」と感じられるようになった。私が何を書いたところで何の意味もないだろうが、今も後遺症に苦しむ人たちがどういう形であれ報われてほしいなと思っているし、様々な選択肢が奪われてしまっただろう人生においてどうにか最善を見つけ出してほしいものだと願っている。








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