【信念】「断らない救急」「究極の社会奉仕」である名古屋掖済会病院救急医療センターを描く映画:『その鼓動に耳をあてよ』(監督:足立拓朗)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「その鼓動に耳をあてよ」公式HP

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この記事の3つの要点

  • 「研修医が多く、かつキツい労働環境」において「高い心理的安全性が確保されている」という事実に驚かされてしまった
  • 救急医は専門医より低く見られがちという厳しい現実
  • 病気だけではなく、あらゆる社会問題とも対峙せざるを得ない医師たちの様々な葛藤

私はとにかく、「どうか無理のない範囲で社会奉仕を続けてほしい」と強く感じさせられた

自己紹介記事

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記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『その鼓動に耳をあてよ』は、開院当初からずっと「断らない救急」を掲げる名古屋掖済会病院の救命救急センターに密着した驚くべきドキュメンタリー

シンプルな感想としてはホントに「頭が下がる」である。そんな感想が真っ先に浮かぶような作品だ。本作では名古屋掖済会病院の救命救急センター(ER)に密着しているのだが、作中では「究極の社会奉仕」という表現が出てきた。本当にその通りだなと思う。

「救急搬送される患者を断らない」という凄まじいスタンスを継続し続ける名古屋掖済会病院

名古屋掖済会病院は、1948年の開院以来ずっと「断らない救急」を掲げている。これはり、「救急搬送される患者を断らない」という意味なのだが、誰だって「そんなことあり得ない」と感じるんじゃないかと思う。ニュースでも時々、「救急車が病院をたらい回しにされて搬送が遅れた」みたいな話が出てくる。つまり「医療機関が救急搬送の患者を断っている」ということだ。各医療機関にはそれぞれなりの理由があって断っているのだろうし、そういう状況は仕方ないというのが一般的な理解だと思うのだが、掖済会病院では基本的には断らずに全員受け入れているというのである。

しかもこれは、言葉の響き以上に凄いことだ。24時間365日受け入れいるというのはERの特性上当然かもしれないが、掖済会病院では「診療代の回収が出来なさそうな人」でも分け隔てなく受け入れるのだ。また本作ではなんと、コロナ禍中にも密着を続けているのだが、日本中あらゆる病院で病床が埋まっていたあの時期でさえ、彼らはギリギリのギリギリまで患者を受け入れ続けたのである。

そんなスタンスは地域でも浸透しているのだろう。救急車に乗る救急隊は基本的に、まず他の病院を当たり、それでダメだったら最後に掖済会病院を頼る、というやり方にしているようだ。掖済会病院も「最後の砦」を自認しているようで、電話口でよく「これ何件目?」と救急隊に確認していた。これは、「他の病院に当たっている件数が少ない場合、もう少し粘ってみてくれ」という意味であり、掖済会病院でもギリギリの状況だと一旦このように「もう少し他を当たってくれ」と突き返すことがある。しかし、それでもダメなら最終的には引き受けるというわけだ。

そんな「『断らない』をモットーに掲げたER」をひたすらに映し続けるのが本作『その鼓動に耳をあてよ』である。

ER(救命救急センター)内の「心理的安全性」がとても印象的だった

本作を観て私が最も印象的だったのは「ER内の心理的安全性」である。要するに、「職場環境がとても良く見えた」ということだ。取材班が名古屋掖済会病院への密着で何を一番撮りたかったのか、それはよく分からないが、恐らくこの点は「当初想定していたもの」ではない気がする「密着してみたら、心理的安全性がメチャクチャ高い職場だった」みたいな感じだったんじゃないだろうか。

さて、掖済会病院のERについて書く前に、まずは一般的なERの大変さについて触れておくことにしよう。ERの労働環境はかなりキツい。そもそも救急医になりたいと思っている人は少ないから慢性的に人員不足になりがちだし、定期的に朝までの当直をこなさなければならない。さらに言えば、単に「病気を診る」というだけではなく、通常診療以上に「トラブル等を抱えたややこしい人」への対処にも時間を割かなければならないのだ。本作でも、医師が何度も「キツいです」と口にしていたし、「掖済会病院が最後の砦だ」というプライドだけで何とか乗り切っているようにさえ見えた。本当に大変な環境である。

というわけで、ERの労働環境がかなりハードであることは確かだ。しかし、他の病院のことは知らないが、少なくとも掖済会病院のERはとても雰囲気が良かった

心理的安全性」というのはものすごくざっくり言うと、「安心して発言・行動できると感じられる状態」を指す言葉だ。「ハラスメントが存在しない」なんてのは当然のこと、「上下関係が厳しくて言いたいことがあっても言えない」「ミスしたらメチャクチャ怒られるから申告しにくい」みたいなことを感じずにいられる環境が「心理的安全性が確保されている状態」なのである。そして掖済会病院のERはまさにそのような環境に見えたし、そのことに私は最も感心させられてしまったどうやったらこんな組織づくりが出来るのか、実に気になるところである。

あくまでもイメージだが、病院という組織には「権威を持つ者がその権威を振りかざすが故に風通しが悪い」みたいな印象がある。ドラマや映画でそんな風に描かれることが多いからだが、もちろんそれらはフィクションだ。しかしそれはそれとして、「知識や経験値の違いによる能力差が大きい世界」であることもまた確かだろうし、そういう環境で「心理的安全性」をちゃんと確保するのはとても難しいような気もしている。

しかも、これも他の病院のことは分からないが、少なくとも掖済会病院のERには研修医が多い。本作を観た上での私の理解が正しければ、掖済会病院では「研修医は2年目までは全員救急科に配属」と決まっているからである。そういう環境では、「入りたての若手が萎縮する」みたいな想像は容易だし、実際にそうなってしまってもおかしくはないように思う。だからこそ、一層積極的に「心理的安全性の確保」のための努力をする必要があるだろう。

そして、掖済会病院のERでは実際に、ちゃんと心理的安全性が確保されているように見えた。本当に、どんな風にそんな環境を実現しているんだろうなと思う。もちろん穿った見方をするならば「カメラで撮られているから良く見せているだけだ」みたいな可能性も考えられるだろう。ただ、1分1秒を争う救急の現場でそんな余裕はないはずだし、医師たちが「カメラ映え」を意識しているとしたら病院としても密着中止の判断を下すだろう。ごく普通に考えれば、映し出された映像は「掖済会病院の日常風景」と考えるべきだと思う。そしてそうだとすれば、「働く環境としては実に素晴らしいな」と感じさせられた。

もちろん、肉体的にはかなりキツいだろうし、ややこしい患者とのやり取りでは精神的に疲弊することもあるだろう。ただ、「職場環境そのものが働く人を害する」みたいなことは無さそうだし、それは、厳しい状況と関わらざるを得ない仕事をする上でとても良い環境なのではないかと感じた。

本作をこんな角度から観るのはちょっと亜流かもしれないが、個人的にはまずこの点が一番気になったし、凄く良かったなと思う

専門医よりも下に見られる救急医の苦悩

さて、どのように心理的安全性を確保しているのかは分からないものの、そのような環境づくりを意識的に行っている理由は容易に想像できる。というのは、掖済会病院ではどうやら「完全に研修医の希望のみで配属先が決まる」ようだからだ。つまり、「研修医に選んでもらえるような環境」でなければ新たな人が入って来ないのである。救急科だから優遇されるとか、人員を多目に回してもらえるなんてことはないわけで、「『研修医獲得競争』に負けないために良い環境づくりをしている」という側面もあるのだと思う。

先述した通り、ERはただでさえ希望する人が少ない。もちろん「キツいから」という理由もあるのだが、決してそれだけではないらしい。ERのセンター長が話していたのだが、「救急医はどうしても、専門医よりも下に見られてしまう」みたいな側面があり、このことも人気薄となる理由であるようだ。

ERではもちろん運ばれてきた患者を可能な限り診察するのだが、時にはどうにもしようがなく専門医の助けを借りることもあるどんぐりが鼻の奥に詰まってしまった子どもや、腹痛を訴えているがCTを見ても原因が分からない患者など、ERで手に負えない場合は専門医に診てもらうのだ。腹痛を訴えていた患者は、専門医の診断によって「腸が壊死している」ことが判明し、そのまま手術が決まった。このシーンでは、「最初からERを志望している」と話していた研修医(これはとても珍しいケースだと思う)の櫻木佑が、「やっぱり専門医は凄い。こういう姿を見ると、救急科に希望を出すのかちょっと悩んでしまう」とその心境を吐露する場面がある(ただ、こういうことをカメラの前ではっきり口に出来るというのも、心理的安全性の高さを感じさせるなと思う)。

救急医は可能な限り精一杯やっているのだが、専門医からすれば「救急医は患者を専門医に振り分けているだけ」に思えてしまう部分もあるだろうし、本作では実際に「振り分けられるこっちの身にもなってよ」と愚痴を零す専門医の姿が映し出されていた(恐らく、こういう齟齬を出来るだけなくそうとして、「研修医は全員、最初は救急科」と決まっているのだろう)。

このように救急医は、「何でも診れはするが、専門的に深めるのは難しい」という状態になりやすい。本作『その鼓動に耳をあてよ』の主人公的な存在である救急医・蜂矢康二は「何でも診れるから面白い」と言っていたし、先述した研修医の櫻木も同じ理由で救急科を志望しているようだ。この点を面白がれる人なら救急科にやりがいを感じられるだろう。一方で、「専門を深めたい」という人には向かないし、その場合、ERはどうしても選択肢から外れてしまう。

また、救急科以外の科の場合、その後の出世もある程度見通せるようなのだが、ERではどうも難しいようだ。これもセンター長が話していたことだが、「救急科から上の立場に昇進していく人は少ない」らしい。彼は「専門医と救急医が同列になるように努力してきたつもり」と口にしていたのだが、そう言っているということは、やはりまだまだ現実は厳しいということなのだろう。

ただ、2023年にこのセンター長が院長に就任したと映画の最後に表示され、「おぉ!」となった。掖済会病院では、救急科出身の院長は75年の歴史で初らしい。これまでの努力の賜物といった感じなんだろうし、有限実行感があって素晴らしいと思う。

とまあ色々書いたが、要するに「ERは不人気だから、せめて職場環境を良くしておかないと研修医に選んでもらえない」みたいな危機感があるのだろうし、それが「心理的安全性の高い環境作り」に繋がっているのだろうなと感じた。

医師たちは様々な「社会問題」とも対峙している

本作『その鼓動に耳をあてよ』の予告編で流れるフレーズで一番印象的だったものを紹介しよう。

「何でも診る」というのは、年齢・病気の「何でも」だと思っていたのだが、社会問題を含めた「何でも」だった。

冒頭で少し触れたことではあるが、ERの医師たちは「病気」だけではなく「社会問題」とも日常的に接しているのである。

例えばこんなシーンがあった。ある患者が何らかの症状を訴え、雪降る夜に自ら歩いてERまでやってきたのだが、保険に入っていないしお金もないという。そこで医師・看護師がどう対応すべきか議論するのだが、最終的にはその患者は「寒かったから来た」と打ち明けたのだそうだ。寒さを凌ぎたかっただけで、病気でも何でもなかったのである。

そして個人的に凄いなと感じたのが、この話を看護師たちが楽しそうに喋っている場面が映し出されていたことだ。正直私だったら、「ンだよ、だったら来るんじゃねーよ」みたいにちょっとイラッとしてしまうような気がする。ただ掖済会病院では「断らないし、誰でも診る」というモットーが通底しているからだろう、医師や看護師はむしろ「病気じゃなくて良かったね~」という反応になるのだ。凄いものだなと思う。

一方で、「苛立ち」というわけではないのだが、「どう対処すべきか」で葛藤する場面も映し出されていた。

例えば「コロナ禍におけるPCR検査」。掖済会病院のERでは当初から「保健所の指示がない患者のPCR検査はしない」と表明していた。理由はシンプルで、「受け入れた患者は全員PCR検査をする」としてしまえば、「救急車を呼んで掖済会病院のERに連れて行ってもらえればPCR検査が受けられる」みたいに誤解されかねないからだ。当時はどこに行ってもPCR検査の予約が取れなかった。そしてそういう人たちが掖済会病院のERに詰めかけることで、すぐに対処が必要な重症患者への対応が後手に回らないようにしていたのだ。

ただもちろん、すべての状況でスパッと割り切れるわけではない。掖済会病院の救急医は基本的に、救急隊からの「患者がこう話している」という報告を踏まえてPCR検査の有無を判断するのだが、そもそも患者が本当の話をしているとは限らないのだ。「PCR検査を受けたいがために嘘をついている可能性」ももちろんある。本来であればそういう「重症患者の対応をすべきERの本質的役割を侵害する患者」は拒否したいのだが、嘘をついている確証もないわけで受け入れざるを得なくなってしまう。このような葛藤は随所で浮き彫りにされていた。

また「高齢者の搬送が多い」という状況がややこしい問題を引き起こしもする。「患者の家族が納得しない」という問題だ。

作中では、「1982年には37万件だった高齢者の救急搬送が、2021年には340万件になった」と表示された(データの出典は記載されていなかったはずで、日本全体のデータなのか、愛知県だけなのか、名古屋市だけなのかも分からない)。40年で約10倍といったところである。超高齢化社会だから当然と言えば当然だが、これだけ激増すると「断らないER」である掖済会病院は相当厳しい状況に置かれていると理解できるだろう。

そしてその上で難しいのが「患者の家族」だという。医学的には「自然な経緯で容態が悪化した」と考えるのが自然な状況だとしても、家族が「昨日までは元気だった」「これから回復する可能性がゼロなわけじゃない」と考え、医師の説明に納得しないケースも多いようなのだ。このこと自体は別に「社会問題」というわけではないが、「超高齢化社会」という社会問題に付随して増えていることは確かだろうし、これもまた医師たちを困らせているというわけだ。

ただ、少なくとも蜂矢医師は「病気だけを診ているわけではない」という状況を楽しめているようだ。ある場面で彼は、「患者は数字じゃないぞ」と研修医に語っていた。「患者の背景まで含めて病気」という発想を持っているようだ。「患者が置かれた状況を含めた上で病気を診ることで見えてくるものがある」というわけで、なんとなく「事件現場を調べる鑑識」みたいな印象にもなるだろう。「専門性を深められない」という難点はあるものの、本作を観ると「救急医ってカッコいいな」という感じが伝わってくるのではないかと思う。

凄い世界を垣間見たなという印象が強い作品だった。

最後に

本作を観ながら強く感じていたのは、「とにかく『マンパワー』でどうにか乗り切るような仕組みじゃないといいな」ということだ。日々大変な状況と向き合わざるを得ない職場だからこそ、「個人の努力」ではなく「全体のシステム」によって状況が改善されてほしいものだなと思う。近年、「赤字の医療機関が多い」という報道も目にするし、そうでなくとも掖済会病院では「診療代の回収が出来ていない案件」も多々あるので、より厳しい状況にあると考えるべきだろう。私としては、これだけの”奉仕”を続けている人たちは大いに報われてほしいなと思う。

救急科初の院長が誕生したということなので、状況の改善はある程度期待してもいいのかもしれないが、やはり「無い袖は振れない」だろうし、その辺りは診療報酬の改定など国の支援も必要だろう。年間1万台(つまり1日あたり約300台)の救急車を受け入れるという常軌を逸したERの凄まじさには圧倒させられたし、「どうか無理しない範囲で頑張ってほしい」と願わずにはいられなかった。

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