【アート】映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』が描く「美術界の闇」と「芸術作品の真正性」の奥深さ

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

出演:ロバート・サイモン, Writer:アントワーヌ・ヴィトキーヌ, 監督:アントワーヌ・ヴィトキーヌ

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 実話とは思えないほどスリリングで衝撃的な展開満載の美術ドキュメンタリー
  • 「救世主」はレオナルド・ダ・ヴィンチ本人が描いたのか、それとも弟子が描いたのか?
  • 何かが少しでも違っていたら510億円という落札額にはならなかっただろう、驚愕の展開

私のような美術門外漢でも十分楽しめる、知らない世界を堪能できる衝撃のドキュメンタリー映画

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

美術界史上最高額の510億円で落札された「男性版モナ・リザ」が巻き起こした熱狂とその真実を映し出す映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』

メチャクチャ面白い映画だった。「男性版モナ・リザ」とも呼ばれる、レオナルド・ダ・ヴィンチ作ではないかと話題になった「サルバドール・ムンディ(世界の救世主)」。この絵は、「美術界史上最高額の510億円で落札された」ということもあり、そのニュースが一般的にも大きく報じられたそうだが、私は全然知らなかった。まさか一枚の絵の背後に、ここまで壮大なストーリーが存在するとは。私は「美術に興味はあるが詳しくはない」のだが、映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』はそんな人間でも楽しめるドキュメンタリー映画である。まるでフィクションではないかとさえ思うほどの展開に驚かされ、「いかがわしい闇の王国」とも称される美術界の深部を垣間見ることが出来る作品だ。

さて、内容に触れる前にまず、この映画の構成を称賛することにしよう。冒頭で映画のポイントとなる要素を一気に詰め込んだような映像が流れるのだが、これがとても良かった。冒頭にこの描写があるお陰で、美術に詳しくない者でも、その内容に一気に引き込まれるのではないかと思う。

映画でも本でも、「時系列順に語る」という構成のものは多くあるが、その場合、核心となる部分にたどり着く前に観客・読者の関心が途切れてしまう可能性がある。映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』では、映画の面白ポイントを凝縮した予告映像のような映像を冒頭に配したことで、「どうなっていくんだろう」という興味を抱かせることに成功していると私は感じた。

基本的にこの冒頭以降は時系列順に状況が説明されるのだが、冒頭で気になるワードやシーンについて触れられているので、興味が持続する。この構成は素晴らしかった。

さてそんなわけでこの記事でも、重要なポイントが分かりやすいように要点をまとめてみたいと思う。

個人宅から、ある絵が発見された。その絵を約1200ドル(約13万円)で購入した美術商が、レオナルド・ダ・ヴィンチ作である可能性を示唆する。美術界において長らく「失われた絵」と呼ばれていた絵かもしれない、というのだ。その「真正性」について様々な議論が巻き起こるが、最終的にその絵は約4億5000万ドル(約510億円)という、美術界史上最高額で落札される。しかし本当にこの絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチの手によるものなのだろうか?

いかがだろう。この設定だけでも十分興味が惹かれないだろうか

映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』を理解するために重要な2つの要素

私のように美術に詳しくない方向けに、この映画を観る上で重要となる2つの要素についてまず触れておこうと思う。それが以下の2点だ。ちなみにこの映画では、問題となる絵画は概ね「救世主」と呼ばれることが多いので、この記事でもそれに倣うことにする。

  • 「救世主」はなぜ「失われた絵」と呼ばれ、「存在するはず」と考えられてきたのか?
  • 「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品である」という「真正性」の問題とは何か?

前者から話を進めていこう

後に510億円で落札されることになるこの「救世主」という絵画は、個人宅で発見される以前からその存在が噂されていた。つまり、「この世のどこかに存在しているはずだが、見つかっていない絵」というわけであり、そのため「失われた絵」と呼ばれていたのである。

しかし一体なぜ、見つかってもいない絵が存在すると考えられていたのか。その理由は、「ホラーの銅版画」と呼ばれている作品に関係がある。

1600年代にホラーという銅版画家がいた。彼はある銅版画を制作し、それを図録に載せる。そしてその説明に、「レオナルド・ダ・ヴィンチ、これを描く」と記載した。これが後に、「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を写した銅版画」だと解釈されるようになっていく。つまり、「ホラーの銅版画の元となった絵が存在し、それはレオナルド・ダ・ヴィンチ作である」と考えられるようになったというわけだ。

「救世主」はこのように、その存在が明らかになる以前から美術界では話題の作品だったのである。そして、その「ホラーの銅版画」に似た絵が、地方の小さなオークション会社のHPで出品されていたのをとある美術商が見つけたことから、物語が動き出していったというわけだ。

それでは後者の「真正性」の問題の説明に移ろう。この点については、映画の冒頭では要点があまり説明されず、「『救世主』の『真正性』は一体何が問題になっているのか?」がなかなか理解できなかった。観る前にこの点を理解しておくと、すんなり映画を理解できるのではないかと思う

ポイントは実にシンプルだ。つまり、「レオナルド・ダ・ヴィンチ本人が描いた」のか、あるいは「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房で作られたのか」の違いである。

レオナルド・ダ・ヴィンチは自身の工房を有しており、そこで弟子たちに様々なものを制作させていた。そしてそれらの作品が「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」として世に出ていたのだと思う。イメージとしては、マンガ家の分業を想像すればいいだろう。人気漫画であればあるほど、マンガ家はアシスタントを抱え、背景などを描いてもらっているはずだ。しかしそれらはすべて、そのマンガ家の作品として発表される。「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」というのは、そのようなイメージで捉えればいいだろう。

マンガ家の場合、キャラクターやストーリーなど中核となる部分をマンガ家自身が考えているだろうから、背景などをアシスタントに描いてもらったとしても、マンガ家自身の作品であると受け取られる。しかし、「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」の場合、レオナルド・ダ・ヴィンチによる指導やアドバイスなどあるとしても、すべてを弟子が描いているというケースもあるわけだ。つまり、「レオナルド・ダ・ヴィンチ作」と「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」では、その価値が大きく異なるということになる。

映画の中では、「『救世主』がレオナルド・ダ・ヴィンチの工房で生み出されたこと」は間違いないという見解で一致していたと思う。しかし「レオナルド・ダ・ヴィンチ作か否か」については議論の余地がある、という説明だった。つまり「救世主」における「真正性」の問題は、「弟子ではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたかかどうか」だと考えればいいということになる。

映画だけ観ていると、この点を理解できるようになるまでかなり時間を要するので、この知識は持っておくと分かりやすいだろう。

「救世主」がナショナル・ギャラリーで展示されるまでの経緯

それでは、映画で描かれる順に、「救世主」が辿った軌跡をざっと概観していこう。

きっかけを作ったのは、ロバート・サイモンという美術商だ。彼の基本的な仕事は、「誤解・誤認された絵画を探すこと」だという。そんな彼が2005年4月9日に発見したのが、後に「救世主」と呼ばれることになる絵だ。ルイジアナの小さなオークション会社のカタログに載っており、説明には「複製か、あるいは後世に描かれたものだ」と記されていた

「ホラーの銅版画」のことを当然知っていたロバートは、これこそ「失われた絵」ではないかと考える。そこで約1200ドルで落札し、2年の歳月を掛けて修復を行った。そしてその過程で驚くべき事実を発見する

親指が2本あるのだ

検討に値する可能性はいくつかあるものの、最終的に彼は次のような判断を下した。親指が2本ある理由は、一方が下描きだからだ、と。そして、下描きが残っているなら、これはレオナルド・ダ・ヴィンチ本人が描いたに違いないと彼は考えた。

さて、先程の「真正性」の問題を理解した上でロバートのこの判断を捉えると、少し先走りすぎているように感じられるだろう。というのも、「下描きはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたかもしれないが、絵全体は弟子の手によるもの」という可能性だって否定できないからだ。というかそもそも、「下描きがあるからダ・ヴィンチ作だ」という判断もイマイチよく分からない。弟子だって下描きぐらいするだろう。

しかし、先述した通りこの映画では、ポイントとなる「真正性」の説明が後半になってからなされるので、私はこの時点ではロバートの判断に疑問を抱けなかった。「下描きがあるならレオナルド・ダ・ヴィンチ本人が描いた」というロバートの判断に、「なるほど、そういうものなのだろう」と私も考えた次第である。

さて、ロバートなりに確信が持てたのだから、次は専門家に鑑定を託したいと考えるだろう。ロバートは2008年に、ロンドンのナショナル・ギャラリーに連絡を取った。実はタイミングが絶妙で、この時ナショナル・ギャラリーは、2012年開催予定の「ダ・ヴィンチ展」の準備の真っ最中だったのだ。そして、その企画を主導した学芸員の提案で、3カ国から計5人の専門家を集め、「失われた絵」の鑑定をしてもらうことになった。

しかし、5人の専門家による鑑定でも、はっきりとした結論には至らない。5人の内、1人は「レオナルド・ダ・ヴィンチ作だと確信」、1人は「レオナルド・ダ・ヴィンチ作ではない」、残り3人は判断保留、という立場を取った。この結果だけを見れば、「真正性」の問題に決着がついていないことは明白だろう

しかし事態は大きく動く。なんと、「真正性」のはっきりしない「救世主」を、「ダ・ヴィンチ展」で展示するというのだ。この背景には2つの要素が絡んでいる。

1つは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ作だと確信」と主張した専門家ケンプが、高名な人物であることだ。映画にも登場している彼は、5人の専門家で鑑定した経験に触れ、「間違いなくレオナルド・ダ・ヴィンチ作だと確信した」と断言していた。しかし、私が美術に詳しくないからかもしれないが、その根拠は非常に感覚的で曖昧なものであるように感じられる。

もう1つは、「ダ・ヴィンチ展」を企画した学芸員の「野心」だ。出世欲が強い人物のようで、「真正性」よりも「話題性」を優先したのだと思う。またこの学芸員は、「展示し、来館者に見てもらうことで、本物かどうか確かめてもらいましょう」みたいな発言を堂々としていた。普通に考えれば「真正性」が一般客の判断で決まるはずもないのだが、あたかもそれが望ましいことであるかのように口にする彼は、私にはとても胡散臭い人物に見えてしまった。

経緯はともかく、名高いナショナル・ギャラリーで展示されたという事実は、間接的に「救世主」の「真正性」を高める結果になったはずだ。そう考えると、ロバートが鑑定を依頼した時期を含め、すべてが絶妙のタイミングだったと感じる。本当に、何かのタイミングが少しでもズレていたら、最終的に510億円での落札には至らなかっただろう。そういう意味でも、凄まじい実話だと感じた。

「救世主」に510億円の値がつくまでの経緯

さて、「ダ・ヴィンチ展」での展示が終わり、「救世主」はロバートの元へと戻ってきた。その後彼は、この絵を売ろうと試み、有名な美術商に協力を仰いで美術館や大富豪にアプローチする。1億8000万ドルの売値を付け、バチカンを含め様々な売り先を当たってみるが、残念ながら一向に買い手がつかない。

しかしそんなある日、「救世主」を買いたいという人物が現れた。ロシア人のイヴである。彼は、ある大富豪の代理人だった。美術の世界では、売り主と買い主の匿名性が重視されるそうだ。今回も、「救世主」を欲しいと望む大富豪が表に出ることなく、以後イヴが中心となり「救世主」売買の話が進んでいく

イヴは「右腕と呼ばれた男」と呼称されるのだが、この男の物語もめっぽう面白い。「救世主」そのものの話とはズレるのでこの記事では深入りしないが、ちょっと思いがけないような展開をもたらすのだ。まさに「いかがわしい闇の王国」を体現するかのような存在と言える。

さて、本来であれば、イヴを通じて大富豪が「救世主」を購入したことで、この絵に関する物語にピリオドが撃たれてもおかしくはなかった。しかしイヴのせいで(あるいは「救世主」の視点に立てば「イブのお陰で」と言うべきだろうか)、そうはならない。「救世主」は再び美術市場に姿を現すこととなったのだ。

この後中心となる人物は、「マーケティングの天才」と紹介されるロイクである。オークション会社に勤める彼は、この「救世主」を売るためにありとあらゆる仕掛けを施した。そしてその仕掛けが功を奏し、美術史上最高額での落札を実現することになったのである。

彼が行った仕掛けの1つは、非常にシンプルだ。「救世主」を「古典絵画」ではなく「現代アート」のオークションに出品したのである。古典絵画部門に出すと、「真正性」などの知識を持つ顧客と関わらなければならずややこしい。しかし現代アートの顧客はそのような知識をあまり持っていない。作家名で売り買いされることが多いからだ。もし「救世主」が古典絵画として出品されていたら、間違いなく510億円などという値がつくことはなかっただろう。ロイクの試みは大成功に終わったと言っていい。

さて、最高額で落札された後もまだ物語は続く。イギリスのナショナル・ギャラリーに続いて、今度はフランスのルーヴル美術館で「ダ・ヴィンチ展」が開催されることが決まった。当然、「救世主」にも注目が集まる。しかし実に様々な思惑が絡み合い、「いち美術品をどう扱うか」に留まらない大騒動になっていくのである。

映画はそこで終わるが、「救世主」は今も510億円支払った者の元にあるはずだ。これから「救世主」がどんな物語を生きるのか、気になるところである。

「真正性」の問題の難しさと、「表現の問題」というグレーゾーン

映画の焦点はやはり、「真正性」の問題に帰着する。専門家でも判断が分かれる、非常に難しい領域なのだと感じさせられた。

この映画の主役である「救世主」の場合、「真贋」が問題になることはない。「真贋」とは、本物なのか偽物なのかという問題だ。少なくとも「救世主」は「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房で生まれたこと」は間違いないとされているので、そういう意味で「本物」であることは確定している。残る問題は、「レオナルド・ダ・ヴィンチ本人が描いた」のか「弟子が描いたのか」であり、この点の判断は非常に難しいというわけだ。

ある人物が映画の中で、

これは儲かる作り話だ。肩書きを利用して大金を生み出した。

という言い方をしていた。まさにこれが「表現の問題」なのである

私はこの映画を観るまで、「レオナルド・ダ・ヴィンチ作」なのか「レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子作」なのかという問題が存在することを認識していなかった。美術に詳しくない人は、そのような認識であることが多いのではないだろうか。つまり先の引用は、「工房作である」という可能性を示唆せずに、あたかも「レオナルド・ダ・ヴィンチ本人が描いた」と受け取られるような”表現”で「救世主」を説明することで、510億円という価値を作り上げたと言っているのである。

知識を持つ者なら、「レオナルド・ダ・ヴィンチ作」と書かれていても、「本当に本人が描いたのか、あるいは工房作なのか」という疑問を思い浮かべられるのだろう。しかし、そのような知識を持っていなければ、疑問さえ抱けない。そして、そのような曖昧さを上手く利用して「救世主」に価値があると見せかけたというわけだ。恐らく業界的には、「騙される方が悪い」という感覚なのだろう。やはり足を踏み入れるには恐ろしい世界であるように感じられた。

ちなみに映画では、「ルーヴル美術館は『救世主』に関する科学的な調査を詳細に行った」と説明しているのだが、ルーヴル美術館は公式にはその事実を認めていないそうだ。映画を観れば理解できるが、ここには、フランスが直面した非常に難しい問題が横たわっている。ルーヴル美術館としても、「調査をしていない」言わざるを得ない状況だったのだろう。

このように、個人宅から見つかった一枚の絵が、国家の関係を揺るがすような大きな問題にまで発展してしまう物語なのである。その壮大さと、フィクションとしか思えないような怒涛の展開に驚かされる映画だった。

出演:ロバート・サイモン, Writer:アントワーヌ・ヴィトキーヌ, 監督:アントワーヌ・ヴィトキーヌ

最後に

個人的には、「自分が好きだと感じる芸術作品ならそれでいい」と思うのだが、アートを「投機」的なものとして捉える場合はそうも言っていられない。ロマンと実益が微妙なバランスで成り立っているからこその複雑な世界が、「救世主」にまつわる信じがたい実話を通じて明らかにされる作品であり、門外漢でも興味深く観ることができた。

現実に存在する「魑魅魍魎の世界」に是非触れてみてほしい。

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