目次
はじめに
この記事で取り上げる映画
「マミー」公式HP
この映画をガイドにしながら記事を書いていきます
今どこで観れるのか?
公式HPの劇場情報を御覧ください
この記事の3つの要点
- 「林眞須美を目撃した」という高校生は、林家の次女と観間違えただけなのではないか?
- 東京理科大学の教授が行った「ヒ素の鑑定」に京大の教授が疑義を突きつける
- 林眞須美の夫は何故、「保険金詐欺で1億5000万円手に入れた」とカメラの前で堂々と証言出来るのだろうか?
本作によって真実が明らかになるわけではないものの、再審・再捜査のための判断には十分ではないかと思う
自己紹介記事
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もの凄く面白い作品だった。もちろん、事件をリアルタイムに経験していない世代が本作を観てどう感じるかは分からない。ただ、私は当時の報道の苛烈さを何となく覚えているし、そしてその報道による”刷り込み”から「林眞須美が犯人で間違いないだろう」みたいに考えていた。恐らく、リアルタイムで事件を追っていた多くの人が同じ感覚を持っているだろうと思う。だから「林眞須美に冤罪の可能性がある」という取り上げられ方に驚かされたのだ。さらに、検証はかなり緻密に行われている印象で、映画を観れば「なるほど、その可能性もあり得るな」と感じる人も多いんじゃないかと思う。そういう意味で、実に興味深い作品だと言っていいだろう。
ちなみに、私は公開直後に観に行ったのだが、その時点で、東京での唯一の公開館だったシアター・イメージフォーラムは満員だった。私が観たのは劇場のサービスデーだったのだが、そのこととは関係なく、どうやら連日満員だったようだ。東京で1館しか公開していないのだからそうなるのも当然かもしれないが、それにしても、注目度の高さが窺えるのではないかと思う。
それでは、まずは「和歌山毒物カレー事件」の概要をおさらいするところから始めていくことにしよう。
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「和歌山毒物カレー事件」の概要と、「冤罪の可能性を示唆する」という本作『マミー』の目的について
事件は1998年7月25日、和歌山市園部で起こった。この日は地域のお祭りが開かれており、その一環として振る舞われていたカレーを食べた者たちが「食中毒」として次々と病院に搬送されたのだ。事件発生直後は体調不良を誘発する原因が分からなかったのだが、後の捜査で「カレー鍋にヒ素(亜ヒ酸)が混入されていたこと」が判明した。そうして最終的に、小学生を含む4名が死亡、67名が搬送されるという未曾有の事態に発展したのである。
全国的にも非常に注目度が高かったこともあり、警察も大規模な捜査を行っていたのだが、しばらくの間目立った進展はなかった。しかし事件からちょうど1ヶ月後の同年8月25日、朝日新聞朝刊があるスクープを報じる。事件以前に、園部のとある民家でヒ素中毒になった者が2名もいたというのだ。そしてその民家こそ、林眞須美宅だったのである。
さらに「林眞須美が保険金殺人を企てた」という続報が出たことで、一気に林眞須美を疑う論調が固まっていった。そして10月4日、彼女は「和歌山毒物カレー事件」の容疑者として逮捕されたのだ。その後2009年5月19日に死刑が確定、今も拘置所で死刑執行を待つ身である。
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色んな事件がその時々のマスコミを騒がせるが、「和歌山毒物カレー事件」が起こった時は報道はこれ一辺倒だったと思う。昔のことはあまり覚えていないが、「連日この話題でもちきり」みたいな感じだったはずだ。また、本作中でも使われていたが、林眞須美が報道陣にホースで水をかけるシーンも凄く印象的だった。あの映像は多くの人に、「こんなことをする奴はきっと犯人に違いない」という印象を与えたんじゃないだろうか。
そんなわけで私も、そして恐らく多くの人も、「林眞須美がどのような理屈で有罪と判断されたのか」を知らないまま、「林眞須美が犯人で間違いないはずだ」と考えているのだと思う。本作の冒頭では、園部の住民に林眞須美や事件のことについて聞いた際のやり取りの音声が流れるのだが、やはり住民としても、「林眞須美が犯人で間違いないだろうから、事件のことなんかもう考えたくもない」みたいな感覚を持っているのだろうなという感じだった。
そんな中で本作は、「林眞須美の冤罪を示す」という明確なスタンスを持って作られている。もちろん、「住民が事件をどう感じているのかの取材」や「林眞須美の長男の今」など様々な要素が含まれる作品なのだが、全体の方向としては「冤罪を示すこと」が目的になっているというわけだ。
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そして本作ではその「冤罪の証明」のために、「目撃証言」と「ヒ素の鑑定」に着目している。この記事でも、主にこの2点について書いていくつもりだ。
ちなみに、作中でも触れられていたが、「和歌山毒物カレー事件」においては最後まで、「林眞須美の犯行であることを示す直接的な証拠」は見つからなかった。これはつまり、「『林眞須美がカレー鍋にヒ素を入れた』という事実は立証されていない」ことを示している。そして様々な状況証拠から「林眞須美の犯行」と断定されたというわけだ。
では、まずは「目撃証言」から触れていくことにしよう。
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目撃証言の曖昧さ
裁判では、ある目撃証言が証拠として採用されている。カレーを作っていた場所(つまり犯行現場)は林眞須美の自宅ではなく、近隣にある敷地なのだが、その敷地の向かいに住んでいた高校生の証言だ。彼女は自宅の窓越しに林眞須美を目撃したそうで、「林眞須美が1人で鍋の近くにいた」「林眞須美が周りをきょろきょろしながら鍋の蓋を開けた」と証言したという。そして本作では、まずこの目撃証言について徹底した検証が行われる。
最初に重要になるのは「見通しが悪かった」という点だ。確かに、高校生が住む自宅から林眞須美がカレーを作っていた場所を見ることは可能である。ただ、視界はかなり狭い。間に様々な障害物が存在するため、林眞須美がいた場所のほんの一部しか見ることが叶わないのである。つまり、「その敷地の状況全体を見渡した上で『林眞須美が1人でいた』と判断したのではない」というわけだ。
また、これは「目撃証言の信憑性」に関わる問題だが、高校生の証言は実は後に変更されたのである。当初は「1階の窓越しに見ていた」という話だったのだが、後に「2階の自室の窓から見た」という証言に変わったのだ。もちろん、「単なる勘違いだった」という可能性もあるだろう。しかし私は、様々なノンフィクションやドキュメンタリー映画に触れる中で、「警察がいかにえげつないやり方をしてくるか」を知っているつもりである。つまり、「もしかしたら警察から何か誘導があり、無理やり証言を変えさせられたのかもしれない」みたいに考えてしまうのだ。まあそれは私の勝手な憶測にすぎないが、本作でも「何かしらの意図があって、高校生の意思とは関係なく証言が変更されたのではないか」と受け取れるような示唆がなされている。その真偽はともかく、なんとなく「不自然さ」を感じさせるポイントだとは言えるだろう。
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そして本作ではさらに、「林眞須美の長男の記憶」との整合性についても検証がなされていく。長男は「林浩次」という仮名で本作に登場するのだが、彼は事件当日、自転車で遊びに出かける際に、母親が次女と一緒にカレーを作っている姿を目撃しているのだ。この時の記憶については、後に次女と何度も話す機会があったそうだが、お互いの記憶に相違はなかったそうである。もちろん、「長男が見た時に次女と一緒にいた」というだけでは、「林眞須美が一人きりになる瞬間がなかった」という証明にはならない。しかし、高校生の証言には次女に関する話が一切出てこないので、その点はやはり不自然と考えて良いのではないかと思う。
ちなみに、長男による「母親は1人ではなく次女と一緒にいた」という証言は、「身内によるもの」として裁判では認められなかった。それは、次女による「母親と一緒にいた」という証言も同様である。まあ、裁判の仕組みとしてこの点は仕方ないとは思うが、長男や次女のこれらの証言を踏まえた上で、警察がもっと目撃証言を拾うべきだったのではないかとは感じた。
さて、さらに言えば、次女はもっと興味深い証言をしている。これは林眞須美の証言とも一致するのだが、「次女が鍋の蓋を開けた」そうなのだ。次女はカレーの味見がしてみたくなり、母親の制止を振り切って鍋の蓋を開け、指を突っ込んで味見したという。つまり、「きょろきょろしながら鍋の蓋を開けた」という高校生の証言は、この次女の行動を目にしたのではないかと考えられるのだ。
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しかしこの仮説が成り立つためには、林眞須美と次女を見間違う必要があるが、そんなことあり得るだろうか? この点に関して、実に興味深いエピソードが提示されていた。写真週刊誌の「フライデー」が当時、「室内にいる林眞須美」を捉えた写真を誌面に載せたのだが、実はその写真は次女のものだと発売後に判明し、回収騒ぎに発展したというのだ。つまり、現場で取材をしていたカメラマンでさえ見間違うぐらい、2人は見た目が似ていたのである。だとすれば、高校生が次女の行動を林眞須美のものと証言したとしてもおかしくはないだろう。
さらに高校生は当初、「蓋を開けた際、林眞須美の髪の毛が鍋に入りそうだった」と証言したそうなのだが、これもおかしな話である。というのも、林眞須美は事件当時短髪で、髪が長いのは次女の方だったからだ。この証言などは明らかに、「高校生が目撃したのは次女である」ことを示しているように私には感じられる。
また、林眞須美と次女はカレー鍋を2つ準備していたのだが、高校生の自宅から見える鍋はその内の一方だけだった。そして高校生は、「自宅から見える方の鍋の蓋を林眞須美が開けた」と主張しているわけだが、実はヒ素が入っていたのはもう一方の鍋の方で、林眞須美が開けたとされる鍋にヒ素は入っていなかったのである。もちろんこの話にしても「林眞須美の犯行ではない」ことの証明にはならないが、少なくとも「高校生の目撃証言の信頼性」を揺るがすことは確かだろうと思う。
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このような事実を丁寧に掘り起こしていくことで、「カレーを作っていた敷地に2人いたことに気づかなかった高校生が目撃したのは、林眞須美ではなく次女だったのではないか」という可能性が浮上してくるのである。なかなか興味深い検証ではないだろうか。
しかし私は、これらの検証は「林眞須美の冤罪証明には弱い」と考えていた。確かに、「高校生の目撃証言の信頼性」を崩すことには成功していると言えるだろう。この検証を踏まえれば、裁判で証拠として採用されたらしいこの目撃証言の証拠能力が低いことは明白だと思う。しかしだからと言って「林眞須美が冤罪である」と示されたわけではない。単に「警察が用意したストーリーが成り立たなくなった」というだけのことであり、仮にこの高校生の目撃証言が完全に排除されたところで、「林眞須美が犯人である可能性」が消えるわけではないはずだ。だから、この時点ではまだ証明には弱いと考えていたのである。
しかし、次で紹介する「ヒ素の鑑定」に関しては、冤罪を示すかなり決定的な事実を提示しているように私には感じられた。
最新の研究施設で行われたヒ素の鑑定
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以前私は、『すごい実験』(多田将/中央公論新社)という本を読んだことがある。素粒子物理学の研究者である著者が、最新の物理学についてかなり平易に紹介してくれる作品だ。そしてその中で、素粒子物理学の実験で使われる「SPring-8」という実験施設が紹介されていた。兵庫県にある、直径約500m(ちなみに東京ドームの直径は約200m)もの巨大な円形状の施設である。そしてさらに、「SPring-8で和歌山毒物カレー事件のヒ素の鑑定が行われた」というエピソードにも触れられていたのだ。
だから本作にSPring-8が出てきてちょっと驚いてしまった。そこで鑑定が行われたことは知っていたわけだが、「まさか物理学で使われる実験施設にまで取材に行っているとは」と感じたのである。
SPring-8は、1997年10月から運用が開始されたそうだ。「和歌山毒物カレー事件」が起こる直前である。そしてそんな最新施設で「ヒ素の鑑定」が行われたことで、マスコミにとってのニュースバリューが生まれることにもなった。そんなこともあって、「これで林眞須美の犯行であることが決定的」であるかのようなイメージがついたのである。
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では、そんな「ヒ素の鑑定」について、本作でどのような検証がなされているのか見ていくことにしよう。
そもそもSPring-8は、「高速で加速した物質にX線を照射することで、物質の組成が細かく分析できる」という代物である。これによって、「2つの試料が同一のものかどうか」が判定できるというわけだ。そして当時、この「ヒ素の鑑定」を担当したのが、東京理科大学の中井泉である。本作にも登場し、証言を行っていた。事件で実際に使われたヒ素は、まず別の方法で鑑定が行われたのだが、そこで「ビスマス」という成分が検出されたのだという。そしてそのことを知った中井泉は、「だったらSPring-8での分析が最適だ」と判断したそうだ。「ビスマス」は重い元素であり、SPring-8はそんな重い元素の分析に向いているからである。
さてそもそもだが、この鑑定によって「林眞須美の犯行である」という裏付けを得るためには、「林眞須美が使用可能だったヒ素」と「事件で実際に使われたヒ素」という2つの試料が必要だ。というわけでまずは、これらをどのように手に入れたのかについて書いていくことにしよう。
「林眞須美が使用可能だったヒ素」に関してはかなり徹底した調査が行われている。そもそも林眞須美の夫がシロアリ駆除の仕事をしていたこともあり、林眞須美の自宅にヒ素があった。そしてそれだけではなく、なんと「林眞須美の友人・兄弟宅」にあったヒ素も押収し分析にかけたのである。そのいずれかが「事件で実際に使われたヒ素」と一致すれば、林眞須美の犯行である可能性が高まるというわけだ。
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では、「事件で実際に使われたヒ素」はどのように入手したのだろうか? 「カレー鍋から採取した」と想像している人もいるかもしれないが、そうではない。作中では特に言及されていなかったが、普通に考えて、カレー鍋からヒ素だけを単離するのは不可能だろう。もちろん、被害者の体内からも取り出せはしないと思う。実際には、カレー鍋近くのゴミ袋から紙コップが見つかり、その紙コップにヒ素が付着していたのである。そしてこの紙コップが「『事件で実際に使われたヒ素』が入っていた容器」と認定されたようなのだ。
こうして2つの試料が揃った。後はSPring-8で分析するだけだ。そして、中井泉による鑑定の結果は「2つの試料は『同一起源』である」というものだった。これによって「林眞須美の犯行」が裏付けられたというわけだ。本作ではこのような鑑定の流れが説明され、私はそれを観ながら、「この鑑定を覆すのは難しいだろう」と考えていた。
しかしある人物の登場により、中井泉の鑑定結果に「疑義」が示されることになったのである。
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「ヒ素の鑑定」は何が問題だったのか?
京都大学の河合潤は、2010年か2011年のどちらかに、林眞須美の弁護団から「会いたい」と連絡をもらったという。そしてその後、「裁判で提出された鑑定資料を読んでほしい」とお願いされたのである。河合潤は当初、「中井さんの鑑定ならちゃんとしているだろう」と思ったそうだが、念の為資料に目を通してみることにしたのだそうだ。
そしてすぐに「おかしな点」に気づいたという。この件に関して河合潤は、「ちょっと酷いなと思った」という言い方で、中井泉の鑑定を非難していた。
では一体、どこに問題があったのか。河合潤は、中井泉が証人として出廷した際の証言と合わせて鑑定資料に目を通したのだが、その中で中井泉が「パターン分析」という言葉を使っていたことに引っかかったのである。
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作中では「パターン分析」について詳しくは説明されなかったが、科学の世界で「パターン分析」という言葉を使う場合は恐らく、「数学的に厳密な手順に則って行う分析」のことを指しているのだと思う。しかし中井泉は、「パターン分析」という言葉を使ってはいるものの、実際には、分析結果のグラフを”目視”で確認しただけだったのだ。河合潤はこの点について、「分析結果は中井泉の主観に過ぎない」と一刀両断していた。「科学的な検証が行われたわけではなく、中井泉の主観によって『同一起源』と判断されただけ」だと断じているのである。
では、そうだとしたら何がどう変わるのか。河合潤によると、中井泉が行った「グラフを目視で判断する」というやり方では、「そのヒ素が『中国産』なのか『韓国産』なのか『メキシコ産』なのかという違いぐらいしか分からない」のだそうだ。つまり中井泉の鑑定では、「『林眞須美が使用可能だったヒ素』と『事件で実際に使われたヒ素』は、どちらも同じ『◯◯産』だった」程度の認定しか出来ていないというのである。ここに、中井泉の「同一起源」という表現の巧みさがあると言っていいだろう。決して「同一」とは言っていないのだ。「産地が同じ」程度だとしても、「同一起源」という表現は成立するだろう。そして河合潤は、この点に気づいたというわけだ。
さて、「林眞須美が使用可能だったヒ素」も「事件で実際に使われたヒ素」も、どちらも岡山の会社が販売したものであることが分かっている。そしてその会社では、ひと月にドラム缶5~10本程度は出荷していた。つまり、「『事件で実際に使われたヒ素』と『同一起源』だとみなされるヒ素」は他にもたくさん存在していたというわけだ。実際、本作の監督らの取材によって、事件当時、近隣の他の住民もヒ素を所持していたことが判明している。しかし、それらについての捜査は行われていない。
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河合潤が言う「科学的に正しいパターン分析」を行えば、もっと詳細な判定が出来たのだろうが、それは行われなかった。にも拘らず、中井泉は裁判の中で、あたかも「パターン分析」を行ったかのような証言をしているのである。これはやはり問題があると言えるだろう。
さらに河合潤は、「1つのやり方だけで鑑定したら間違う」とも言っていた。正確さを期すためには、クロスチェックが欠かせないというわけだ。しかし、「2つの試料を比較する」という鑑定は、恐らくSPring-8でしか行われていない。それもあって河合潤は、「そもそもこの鑑定には不備があった」と判断しているのだ。
もちろん、中井泉にも反論がある。その主張は大きく2つに分けられるだろう。1つは、「自身の鑑定が決定的な判断に繋がるとは思っていなかった」というものである。中井泉がどのような形で鑑定を依頼されたのか分からないが、この「ヒ素の鑑定」について彼は「補助的な証拠能力」ぐらいの認識を持っていたようなのだ。だから「目視による判断でも問題ない」みたいに考えたのだろう。しかし実際には、彼が行った「ヒ素の鑑定」は「決定的な証拠能力」として扱われたのである。彼はずっと「同一」ではなく「同一起源」という言い方をしていたし、恐らく警察にもそのように伝えていたはずだ。たぶん、「『同一』ではないんだから、証拠能力は低い」みたいに考えていたんじゃないかと思う。ただ、警察はそうは考えなかったというわけだ。
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そしてもう1つの理由が、「試料の量に限界があった」である。容易に想像出来るだろうが、「紙コップに残っていたヒ素」はかなり少なかったはずだ。そして残存した試料では、「科学的に正しいパターン分析」を行うことが出来なかったのだと思う。まあそれはそうかもしれないし、試料の量に限界があったなら仕方ないとは思う。しかしそうであるなら、「この鑑定は決定的な証拠にはなり得ない」という認識をはっきり示しておくべきだっただろうし、それをしていなかったのであれば、中井泉の落ち度であるように感じられてしまう。
また本作では、「林眞須美の冤罪証明を支援するシンポジウム」みたいな場にもカメラが入り、そこで河合潤が発言する場面が映し出されていた。そしてその中で、「『事件で実際に使われたヒ素』と『林眞須美が使用可能だったヒ素』は、今手に入る情報から判断すると、明らかに違うんですよ」みたいに言っていたのである。「今手に入る情報」が何を指すのかはよく分からなかったが、問題なのは、「鑑定に使われた試料は今検察によって保管されている」という点だ。だから弁護団は検察に「再鑑定」を要求しているのだが、検察からは拒否されているそうである。検察側の事情は分からないものの、やはり「再鑑定したらマズイ結果が出るから拒否しているのではないか」みたいな捉え方をしたくもなるだろう。
もちろん、再鑑定の結果「2つのヒ素は同一のものではない」という結果が出たとしても、それが「林眞須美の無実」に直結するわけではない。しかしその場合は、「林眞須美は、他人の家で保管されていたヒ素を盗み出して犯行を行った」ということになる。もちろんそれが真相である可能性もゼロではないが、やはり「別の誰かが犯人だった」と考える方が圧倒的に自然だろう。そんなわけで、本作の「ヒ素の鑑定」に関する検証は、「林眞須美の無実」をかなり強力に裏付けるポイントなのではないかと感じた。
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「保険金詐欺」をカメラの前で告白する林眞須美の夫の驚くべき話
ここまでで、「目撃証言」と「ヒ素の鑑定」という2つの観点から「林眞須美の無実の可能性」を検討してきたわけだが、本作では、そのような「法的に有効な話」とはまた全然違った視点から「無実の可能性」が示唆される。これがまあ驚きの話で、正直なところ「裁判で証拠として使えるような話」ではないのだが、個人的には「この話こそ、最も『林眞須美の無実』を示すものと言えるのではないか」とさえ感じさせられた。
さて、本記事の冒頭で書いた話を少し思い出していただくことにしよう。「和歌山毒物カレー事件」の概要を説明した際、「『林眞須美宅でヒ素中毒になった者が2人いる』という朝日新聞の記事が出たことで彼女に容疑が向けられた」という話に触れた。では、その2人とは一体誰だったのだろうか? 実は、1人は林眞須美の夫であり、もう1人は林宅に居候していた泉という男なのである。ここから「林眞須美が夫と居候に対して保険金殺人を企てた」という話になり、一気に容疑者として浮上することになったのだ。
それではもう1つ、「和歌山毒物カレー事件」における「林眞須美の動機(とされているもの)」についても言及しておこう。林眞須美は取り調べの過程で「動機」について話さなかったし(というか、恐らく犯行自体を否認しているのだから当然だ)、警察の捜査でも明らかにはならなかった。しかし裁判では「動機」の説明を行わなければ立証が弱くなってしまう。そこで警察・検察は次のようなストーリーを仕立て上げることにした。「林眞須美は以前から夫や居候男性にヒ素を飲ませており、そのためヒ素の混入にも抵抗がなく、軽い気持ちで大事件を起こした」という内容である。この強引とも言える「動機」は、実際に裁判でも採用されているという。
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さて、ここで少し状況を整理しておこう。
裁判所は林眞須美の「動機」を、「殺害目的で日常的に夫らにヒ素を盛っており、そのため、カレー鍋にヒ素を混入し大量殺人を起こすことにも抵抗がなかった」と認定した。動機らしい動機を見つけ出せなかったのだから、「軽い気持ちでカレー鍋にヒ素を混ぜた」という話にするしかなかったわけだが、そのために警察・検察としては、この「動機」を死守しなければならないことになる。物証が限りなく少ない事件であり、このストーリーが崩れれば立証が成り立たなくなるのだ。
しかし本作ではなんと、林眞須美の夫が、警察・検察のそんなストーリーを粉砕するような発言をしていた。彼はカメラの前で堂々と、「眞須美と一緒に保険金詐欺をやっていた」と告白したのだ。夫は自らヒ素を舐め、その症状によって「終身介護が必要」と認定された。そしてそれを受けて、日本生命から1億5000万円の保険金を受け取ったというのである。さらに同様の詐欺をもう一度行い、同じぐらいの金額の保険金を得たのだという。予告でも使われていたが、夫の「『楽勝やな』と思った」という発言は、非常に印象的だった。
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夫のこの証言は、警察・検察としては非常に困る。林眞須美の「動機」が無くなってしまうからだ。夫も、そのことが理解できているからこそ、カメラの前でペラペラと保険金詐欺の話をしているのだろう。もちろん夫には、「妻の無実を証明するため」という目的があるのだろうが、同時に、「妻を『和歌山毒物カレー事件』の犯人に仕立て上げている以上、自分が逮捕されることはない」と分かっているからこそ可能な発言なのだとも思う。というのも、もしも夫を保険金詐欺の容疑で逮捕した場合、林眞須美と共謀していたことは明らかなわけで、となれば「林眞須美が夫らを殺すためにヒ素を盛っていた」という話が成り立たなくなってしまうからだ。つまり警察は、「林眞須美の有罪」を手放さないために、保険金詐欺を自白している夫を逮捕するわけにはいかないのである。
さて、先程も触れたが、この「夫がカメラの前で保険金詐欺についてべらべら語る」という要素は、法的にはなんの意味も成さない。しかし、感情的にはこの話こそが「林眞須美はホントに無実かもしれない」と思わせるものであるように感じられた。そういう意味で非常に興味深いし、さらに、長男の証言も含め、それまで林家は「良い家族」みたいな感じで語られていたのに、夫による保険金詐欺の証言によって、一気に「イカれた家族」みたいな印象になってしまったこともまた印象深かった。もちろん、子どもたちには何の罪もないのだが。
というわけで、本作ではこのような形で「林眞須美は冤罪かもしれない」という説明がなされていく。
さて、私はこれまでも冤罪(かもしれない事件)を扱ったノンフィクション・ドキュメンタリーに触れてきたのだが、日本の司法の「隠蔽体質」みたいなものにはちょっと驚かされる。警察・検察・裁判所は恐らく、「司法の信頼を揺るがせにしないため」という理由から「『過去の過ち』に蓋をする」みたいなやり方をしているのだろうが、それは逆効果でしかないと私は思う。「司法の信頼を回復させるため」というのであれば、過ちがあったのなら認め、捜査や裁判をやり直すなり謝罪するなりすべきだろう。もちろん、本作で提示された事実だけで「林眞須美の冤罪」が示されているとは言えないだろうが、一旦再審の扉を開き、改めて捜査を行うという形で真相究明を目指すには十分なはずだ。是非とも司法には真っ当な判断をしてほしいものだと思う。
その他、本作『マミー』に対しての様々な感想
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さて、私は少し前に、「冤罪かもしれない事件」としてよく知られている「飯塚事件」を扱ったドキュメンタリー映画『正義の行方』を観た。本作『マミー』と同様、「冤罪の可能性」を追究していく作品なのだが、両者には「客観性」という意味で大きな違いがあるように感じられたので、少しその辺りの話をしたいと思う。
映画『正義の行方』は、かなり客観的な立場から真相に迫ろうとしていた点が印象的だった。もちろん、監督は「飯塚事件は冤罪かもしれない」という“予断”を抱いているわけだが、それはそれとして、「事件に関わるあらゆる要素をかなり公平に扱っている」という印象が強い。つまり、「情報は提示しますので、結論はあなたが考えて下さい」みたいなスタンスに感じられたというわけだ。
しかし、本作『マミー』はそうではない。「林眞須美は冤罪だ」という主張ありきで作られている印象があり、「客観性」はかなり欠けていると言わざるを得ないだろう。また本作には「監督自身が登場する場面」が結構あるのだが、正直言って「ちょっと好きになれないなぁ」という振る舞いで、特に後半の監督の行動には「受け入れがたさ」を強く感じてしまった。もちろん、これは見方次第ではある。「それほど熱心に冤罪の証明に取り組んでいたのだ」というプラスの捉え方も可能だとは思う。しかし個人的にはやはり、「嫌だな」という感覚の方が強かった。
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ただ一方で、こうも感じる。監督がここまでの”強引さ”で映画を作らなければ、これほど観客を集める映画にはならなかったのではないか、と。監督の言動には賛否あるだろうが、少なくとも「情熱」が伝わってくることは確かである。そして、その強烈な「情熱」が作品から染み出るようにして観客に伝わり、それが作品の評判として広まっているみたいなところもあるんじゃないかと思う。そのように考えると、「一概に否定するのもまた違うのか」という気分にさせられる。なかなか難しいものだ。
さて最後に、林眞須美の長男が発した印象的な言葉に触れてこの記事を終えようと思う。
彼は、「母親が逮捕されてから数年ぐらいは、事件に対してあまり関心を抱いていなかった」と話していた。まあ、小学生であればそれも仕方ないだろう。しかしある時期から興味を持って調べるようになり、裁判記録にも目を通すようになったという。「和歌山毒物カレー事件」では、小学生も亡くなっている。そのため、裁判記録にはそんな遺族の悲しみの言葉も記述されており、その重さみたいなものを実感する機会も多くなっていったそうだ。
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だから彼は、「『母は無実だと思う』なんてことを軽々しくは言えない」という感覚をはっきりと抱いている。事件のあまりの重大さ故に、「母親が実際に犯人だった場合の責任の重さ」を十分に理解しているのだ。そしてその上で彼は、何年にも渡る調査・思考を続け、「やはり母は無実だと思う」と結論づけたのである。「母親だから信じる」みたいなことでは全然ない。本作で指摘されているような「矛盾点」を自ら探し出し、あらゆる可能性を考慮した上で、「犯人は母ではない」と考えているのである。
このように語る彼のスタンスは、とても真摯的に感じられたし、さらに、「母親が全国的に知られた死刑囚である」というあまりに巨大な”重し”を抱えながら、それでも至極真っ当に生きているように見えたのがとても印象的だった。この事件に限る話ではないが、林眞須美が「加害者」なのだとしてもて、家族は関係ないのだから、彼のような「加害者家族」が穏やかに生きられる世の中であってほしいと私は強く願っている。
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最後に
本作で提示される情報を知れば、多くの人が「林眞須美は無実である」という意見に傾くのではないかと思う。それぐらい、なかなか的を射た検証が行われているように感じられた。もちろん、たとえ林眞須美が「和歌山毒物カレー事件」の犯人ではないとしても、夫と共謀して「保険金詐欺」を行っていたことは確かなわけで、別に「林眞須美は清廉潔白だ」などと主張したいわけではない。ただ、もしもやってもいない罪で死刑判決が下されたのだとしたら、その誤りは正されるべきだと思う。
そして同じことは、すべての事件に対して言えるはずだ。だからこそ、「いつか発覚するかもしれない『誤り』」に対応できるように、「死刑制度」は廃止すべきだと思う。死刑が執行されてしまったら、何もかもが遅いのだから。
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事件・事故・犯罪・裁判【本・映画の感想】 | ルシルナ
私は、ノンフィクションやドキュメンタリーに多く触れますが、やはりテーマとして、トラブルなどが扱われることが多いです。単純にそれらに興味があるということもあります…
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