【感想】高倍率のやばい藝大入試に挑む映画『ブルーピリオド』は「生きてる実感の無さ」をぶち壊す(監督:萩原健太郎、原作:山口つばさ、主演:眞栄田郷敦、高橋文哉、板垣李光人、桜田ひより)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

監督:萩原健太郎, Writer:吉田玲子, 出演:眞栄田郷敦, 出演:高橋文哉, 出演:板垣李光人, 出演:桜田ひより
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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

「生きてる実感」を抱きつつ生きられるのは素敵なことだと思う

犀川後藤

しかしそれは同時に、「『抜け出せない沼』にハマり続ける人生」でもある

この記事の3つの要点

  • 「生きてる実感」を得られずにいた高校生が、「絵」に引きずり込まれるようにして人生が激変していく過程を鮮やかに描き出す
  • 「『好き』を突き詰めざるを得ない者たち」の葛藤もリアルに映し出されていく
  • 藝大入試まで620日しかない中で受験を決断した主人公・矢口八虎は、他の人と比べて何に優れていたのか?
犀川後藤

私のように芸術・アートに詳しくない人間でも惹き込まれる「情熱の物語」だった

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

最難関・東京藝術大学の入試に挑む若者たちを描く映画『ブルーピリオド』は、「生きてる実感が得られない人生」を吹き飛ばす爽快さがある

「『生きてる実感』が抱ける人生」を生きられるなんて羨ましいなと思う

ここ数年、毎年「藝祭」に行っています東京藝術大学の学園祭です。藝大から割と近いところに住んでいることもあり、毎年金曜日にわざわざ有休を取り、学生たちが神輿を担いでいる姿を見学しています。その後、もちろん構内の展示も眺め、「若者たちの活気と芸術に触れる一日」として有意義に過ごしているのです。

犀川後藤

何なら、あのお神輿の練り歩きに付いて歩いてる時間は、1年の中でもかなりテンションの上がる瞬間なんだよなぁ

いか

どうしてそうなるのか分からないけど、なんかウキウキしちゃうよね

まあ、だからと言って別に、「芸術・アートのことが理解できる」などと言いたいわけではありません。むしろ、「全然分からない側の人間」だと思います。というかむしろ、「『よく分からないなー』という感覚を得るために芸術・アートに触れている」とさえ言ってもいいでしょう。美術展などにも時折足を運びますが、やはり「全然分からん」という感じだし、そして「それで全然良い」と個人的には思っているのです。

ただ、芸術・アートそのものはよく分かっていないものの、様々な作品に触れることで毎回感じることがあります。それは、「この作者は、この作品・表現に自らの人生を注ぎ込んでいるんだ」ということです。そして私はいつも、そのことに強く羨ましさを感じています

いか

42歳にもなって、未だに「人生面白くないなぁ」ってずっと思ってるよね

犀川後藤

子どもの頃から、この感覚がしがみついて離れないから困る

そして本作『ブルーピリオド』の主人公・矢口八虎も、割と似たような感覚を抱いているのです。

あの青い絵を描くまで、生きてる実感が持てなかった。

今、俺の心臓は動き出した気がした。

傍目には、彼の人生はとても充実しているように見えるでしょう。友人たちと毎晩のように渋谷でオールしてから学校に行き大した勉強もしていないのに学年で4位という好成績を保っています。また、普段つるんでいる仲間以外のクラスメートたちとも上手くやっているみたいです。こういう言い方は好きではありませんが、かなり「勝ち組」的な生き方だと言っていいように思います。

しかし実際には、彼は「あまりの手応えの無さ」に絶望していました。八虎にとっては、「成績を上げること」も「友人との会話」も「ノルマをクリアする」みたいな感覚にしかなれず、そのあまりのつまらなさ故、高校生にして既に陰鬱な気分に沈んでいたのです。ある意味では、「優秀すぎるが故の退屈さ」みたいにも言えるかもしれません。

犀川後藤

八虎みたいな人は、結構いるんじゃないかなって思う

いか

特に現代のような、「『与えられるもの』が安価で、それで十分楽しめてしまう世界」では余計にね

さて、私も八虎のような感覚は結構よく分かります子どもの頃からずっと、「あー退屈」と思いながら生きてきたからです。確かに時々、「あ、もしかしたらこれなのか?」みたいに感じることもありました。「これこそが注力すべきことなのか?」みたいな感覚です。ただ、どうやら錯覚だったみたいで、結局この年になるまでずっと「生きている実感」らしきものに出会えたことはありません

なので、創作でもスポーツでも何でもいいのですが、「『そういう何か』に出会えている人」に羨ましさを感じてしまうのです。

八虎が衝動に突き動かされたのは「絵」でした。そして彼は、母親から「食べていけないでしょ」と言われようが、「自分より上手い奴はいくらでもいる」と常に自覚させられながら進まざるを得なかろうが、「空っぽの自分」を突きつけられるようなしんどい道だろうが、「これだ!」という確信と共に力強く進み続けるのです。

犀川後藤

ホントに、「そういう何か」に出会えているのっていいよなぁ

いか

「すべての人に『そういう何か』がちゃんと備わってるのかな?」って考えちゃうよね

もちろん、八虎が歩む道は遠く険しいだろうし、そのことは理解しているつもりですが、それでも、「『そういう何か』に突き動かされたい」と思うし、そういう意味で、八虎にも羨ましさを感じてしまいました

「好き」を突き詰めざるを得ないユカちゃん

さて、そんな風に「『好き』を突き詰めることに全力疾走する八虎」のような人物が描かれる一方で、本作には「『好き』を突き詰めたのに上手く行かなかった人物」も出てきます。

そもそも、本作が描き出す世界にいるのは、そんな人間ばかりだと言っていいでしょう。というのも、矢口八虎が目指す東京藝術大学絵画科は「日本一倍率が高い」と言われているからです。

いか

初めて知った時、そのあまりの非現実感に驚いたよね

犀川後藤

そりゃあ変人が集まるわけだわ、って感じだよなぁ

東京藝術大学絵画科の倍率はなんと200倍毎年5人程度の合格者枠を1000人ほどの受験生が争うというわけです。この事実を踏まえれば、毎年995人もの「『好き』を突き詰めたのに上手くいかなかった人」が生み出まれると言えるでしょう。しかも、絵画科だけでこの数字なのです。他の科も含めたら、東京藝術大学を目指す者たちは”死屍累々”と言ったところだと思います。

しかし本作では、そういう「試験を突破できなかった」のとはまた違う形で、「『好き』を突き詰めたのに上手くいかなかった人」が描かれていました。その人物は、鮎川龍二。学校に女子の制服を着て登校していて、学校では「ユカちゃん」と呼ばれています。そして映画の冒頭、彼はその服装について教師から注意を受けるのですが、「私は自分のルールを守る」と言ってその注意をひらりとかわしていたのです。

いか

なかなか印象的な始まり方だったよね

犀川後藤

特に私は、原作漫画を読まずに実写映画だけ観てるから余計にって感じ

彼の振る舞いは一見すると「反抗的な態度」にしか見えないでしょう。しかし物語を追っていく内に、徐々にそうではないことが分かってくるだろうと思います。彼はむしろ、「『好きを突き詰めること』で自分を守っている」のです。女子の制服を着て登校するのもその1つで、彼にとってはある種の「鎧」なのだと思います。

ユカちゃんについてはあまり詳しく描かれないのですが(映画はあくまでも矢口八虎に焦点が当たる構成です)、「『美しいもの』が大好きで、自分も『美しいもの』として存在したい」みたいに考えていることは間違いないでしょう。そして、彼のそんなスタンスは、家族にはまったく理解されていないようです。同級生からは受け入れられているものの、教師は彼のことを許容していないし、ユカちゃん自身も「自分は世間に広く受け入れられる存在ではない」と自覚しています

そして、そんなしんどい世界で自分を守りながら生きていくために、彼は「『好き』を突き詰めざるを得ない」のです。

犀川後藤

ホントにいつも、「他人に迷惑を掛けていないなら好きにさせてくれればいいのに」って思ってる

いか

そういうことを言うと、「視界に入ると不愉快で、私には迷惑なんだ」みたいな屁理屈をこねる奴が出てきたりするんだけどね

このように本作では、「全然違う形で『好き』を突き詰めようとする人物」が描かれます。それは決して、この2人に限りません。例えば、八虎が入部する美術部の先輩である森まるは、「私は好きなものしか描けないから、入試で作品の持ち込みが可能な美大を選んだ」みたいに言っていました東京藝術大学の場合は、試験会場でお題が出され、その場で絵を描かなければなりませんが、「好きなものしか描けない」彼女には向いていないため、「好き」の方を優先したというわけです。あるいは、美大専門の予備校で出会った高橋世田介は、「『努力』と『戦略』で藝大入試を突破しようとしている八虎」に向かって、「芸術じゃなくても良かったくせに」と”嫌味”を言っていました。恐らく、「お前なんかより自分の方が、遥かに芸術を『好き』だぞ」と訴えたかったのだと思います。

本作はこんな風に「『好き』に囚われた者たち」を描き出す物語であり、そのややこしさを存分に詰め込んだ作品だと言えるでしょう。

犀川後藤

「何かに突き動かされたい」って気持ちがあるのはホントなんだけど、でも「囚われるのはやっぱ嫌だな」とも思っちゃう

いか

ほど良い距離感で……なんてわけには行かないだろうから、二律背反だよね

本作を観ていると、「『そういう何か』に出会えること」が幸せに繋がるのか、よく分からなくなってきます。出会ってしまったら最後、底なし沼のように抜けられなくなってしまうようにも思うからです。もちろん、それが「熱中している」ということなんでしょうが、「絵」に情熱を注ぐ彼らの姿を見ていると、「やっぱり自分には無理かー」という気にもなってきます

私は今、彼らの側には立っていないので、結局のところ「隣の芝生が青く見えている」に過ぎないのでしょう。それでもやはり、退屈さに倦んでいた八虎の変化を見てしまうと、「彼らの側」が羨ましく思えるしまうこともまた確かです。

突然藝大を目指すことに決めた主人公が持っている「覚悟」

さて、そんな「『好き』に囚われた者たち」の中で、八虎が特に優れていた要素は一体何だったのでしょうか

いか

あまりにも無謀すぎる挑戦を描き出しているからね

犀川後藤

「いやいや無理でしょ!」をねじ伏せる何かを八虎が持っていないと物語が成立しないんだよなぁ

八虎は高校2年まで、「絵」とは無縁の生活をしていました。しかし、美術の時間に自ら描いた「青い絵」によって芸術の世界に引きずり込まれ、藝大受験までたった620日という地点から努力を始めたのです。繰り返しますが、彼が目指す絵画科の倍率は200倍にも達します。3浪4浪は当たり前の世界です。そんな狭き門を目指すことにした理由はシンプルで、「家庭の事情」でした。「国公立以外に通わせる余裕はない」と親から言われていたのです。であれば、芸術系の大学で唯一の国公立である東京藝術大学しか選択肢はありません。そんな理由で、「それまで絵など描いたことがない高校生」が、たったの620日間で200倍を突破しようというのが本作の物語なのです。

では、そんな八虎には一体、どんな「優れた点」があったのでしょうか

そもそもですが、「何も知らなかったが故の強さ」みたいなものがあったことは間違いないでしょう。芸術の世界とは縁がなかった彼には、「東京藝術大学の頂きの高さ」が上手く理解できてはいなかったはずです。そしてその上で彼は、美術教師の佐伯や先輩の森から、「決して才能だけの世界じゃない」みたいなことを言われてもいました。「才能」で合否が決するなら、八虎はそもそも藝大を目指しはしなかったはずです。しかし「才能だけではない」と言われたことで、「自分にもチャンスはある」と思い込むことが出来たのだと思います。

いか

それにしても、倍率200倍ってことは当然知ってたはずだから、よく踏み出したものだなって思うよね

犀川後藤

高橋世田介みたいに「才能」に圧倒的な自信があるならともかく、八虎にはちょっと無謀すぎるよなぁ

さらにその上で、彼には「ずっと手を動かし続けられる」という才能がありました。もちろんこれは、「620日間しかないのだから、そうせざるを得なかった」と表現する方が正しいのかもしれません。しかし、どれだけ好きなことだとしても、気力・体力・メンタルなど様々な要因から「手を動かし続けられない状況」に陥ることはあると思います。八虎にしても、受験までの日々を疾走する中で、メンタルが大きくやられていたこともあったはずです。

まあ、そりゃあメンタルもやられるでしょう。親からは「私立には行かせられない」と言われているし、さらに「浪人は避けてほしい」という雰囲気も感じる中で「倍率200倍」に挑もうとしているわけです。また、いくら「才能だけの世界じゃない」と信じて進んだ道だとしても、受験に至る過程で「圧倒的な才能を持つ者たち」とも関わるわけで、自身の実力の無さに落ち込みもします。さらに八虎は「目の前にあるモノしか描いたことがない」ため、予備校で出された「縁」というお題に苦労してもいました。そんな時には、自分の引き出しの無さ、底の浅さみたいなものに打ちのめされもしたでしょう。

いか

「自分の出来なさ」に直面させられるのはホント嫌だよね

犀川後藤

まあ、そんなこと言ってる人間は、「創作」の世界ではやっていけないんだろうなって思うけど

しかし八虎は、そんな状況でも「手を動かし続ける」ことだけは止めませんでした。これはある種の「才能」と言っていいでしょう。そしてユカちゃんは、そんな八虎に対して「覚悟」という言葉を使っていました。「藝大は、お前のように『覚悟』を決めた人間が行くべき場所だ」と。この言葉は逆説的に、「才能があったとしても、『覚悟』が無ければ藝大の壁を突破できない」とも読み替えられるでしょう。そして、予告編でも使われていましたが、八虎は「俺は天才じゃない。だから、天才と見分けがつかなくなるぐらいまでやるしかない」と考えているし、まさにこれこそが八虎の「覚悟」なのだろうと思います。

そんな八虎の姿は、「努力が才能に打ち克つ可能性」をリアルに信じさせてくれるし、そんなところもグッと来るポイントに感じられました。

映画としては正直物足りなさを感じたが、「原作を読みたい」と思わせる作品であることは確か

さて、そんなわけで色々と書いてきましたが、正直なところ、実写映画版『ブルーピリオド』は、メチャクチャ良いとは言い難い作品かなと思います。その理由ははっきりしていて、2時間じゃ足りないからです。個人的にはやはり、勇気を持って前後編にすべきだったと思います。興行的に前後編にするハードルがあることは理解しているつもりですが、やはり2時間で描くにはちょっと無理がある物語でしょう。せめて2時間半ぐらいにはすべきだったように思います。

犀川後藤

さすがにちょっと、物語が駆け足で進みすぎた感じがある

いか

2時間じゃ窮屈だよね

そもそも私は、主人公の矢口八虎に対してさえ、「もう少し掘り下げた方が良いのでは?」と感じました。さらに本作には、鮎川龍二(ユカちゃん)、森まる、高橋世田介と、主役級の存在感を持つ人物が出てくるわけで、当然彼らの描き方も「浅い」という印象になります。ユカちゃんはそれでも描かれている方だと思いますが、森まると高橋世田介は「それだけしか出てこないの?」と感じたくらいで、ちょっともったいない気がしました。私は原作漫画を読んでいませんが、恐らく使えるエピソードはたくさんあるでしょう。なので、全体的にもう少し深堀りした物語であってほしかったなと思います。

ただ、「そう感じたからこその話」ではあるのですが、逆に言えば「原作を読みたくなる映画」とは言えるでしょう。観れば「面白い世界観の物語だ」ということはもちろん伝わるので、「じゃあ原作を読んでみよう」みたいになる人は多かったんじゃないかと思います(まあ普通は、原作を読んだ人が映画を観に行くのかもしれませんが)。私は普段から漫画を読む機会がないので、恐らく実際には本作も読むことはないでしょうが、「何か機会があれば読んでみよう」ぐらいには考えているところです。

犀川後藤

現実的には、「漫画喫茶に行ったら」みたいな感じになるかな

いか

あとは、なかなかそんな機会もないけど、「友人宅に行って、本棚に並んでたら」とかね

そんなわけで、もしも本作が「観た人に『原作を読みたい』と思わせること」に主眼を置いて作られたとすれば、それは成功していると言っていいと思います。まあでも、「映画を作る人が、そんな思惑で映画制作するとは思えないよなぁ」みたいに感じたりもするし。その辺りの「制作側の意図」次第で、作品の評価がちょっと揺れる気もします

監督:萩原健太郎, Writer:吉田玲子, 出演:眞栄田郷敦, 出演:高橋文哉, 出演:板垣李光人, 出演:桜田ひより
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最後に

さて本作は、「絵を描くシーンを吹き替え無しで行った」ことでも注目されています。主役級の人物を演じた眞栄田郷敦、高橋文哉、桜田ひより、板垣李光人は、超一流の指導者に教えてもらいながら、「プロが見ても違和感を与えない動き」を叩き込まれたそうです。

私自身は全然詳しくないので、彼らの手の動かし方を見ても「本物っぽい」みたいに感じられるわけではないのですが、こういう外的な情報を知った上で観ることで、より一層「圧倒的なリアリティ」を感じられるんじゃないかと思います。中でも板垣李光人は、自身もアート作品を発表するアーティストの一面もあるため、天才として描かれる「高橋世田介」役がしっくりきていたなと感じました。

いか

しかしホント、こういう話を聞く度に、「役者ってのは凄いな」って思うよね

犀川後藤

医師やピアニストの動きを習得するみたいな、「役を演じる」ための努力は本当に凄まじい

あと、「ユカちゃん」を演じた高橋文哉の脚が細くてメチャクチャ驚いたのですが、なんと8kgも減量して撮影に臨んだそうです。根性だなぁ。

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