【始まり】宇宙ができる前が「無」なら何故「世界」が生まれた?「ビッグバンの前」は何が有った?:『宇宙が始まる前には何があったのか?』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:ローレンス・クラウス, 翻訳:青木 薫
¥866 (2021/08/30 06:16時点 | Amazon調べ)

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「ビッグバン」が起こったとしたら「宇宙の質量」が全然足りない
  • 何もないはずの「真空」がエネルギーを持っている
  • 観測不可能な「仮想粒子」が現れたり消えたりしている

「何もない状態は不安定」であり、「何かがある状態」になりたがる、というのが大きなポイントだ

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

宇宙ができる前は“無”だった? 『宇宙が始まる前には何があったのか?』を元に、ビッグバンが起こる前について量子力学的観点から学ぶ

「宇宙の始まり」を欧米で論じることの難しさ

本書は、アメリカでも屈指の物理学者であり、一般向けの科学書も多数執筆する著者が、現代科学において理解が及んでいる「宇宙の始まり」に関する研究をまとめた作品だ。「宇宙はビッグバンによって始まった」という話は聞いたことがあるだろうが、「じゃあそのビッグバンはどのように起こったのか?」まで理解している人は多くないだろう。本書は、その詳細を知ることができる1冊だ。

さて、本書の冒頭ではまず、「宇宙の始まり」が欧米でどう捉えられるのかについて触れられている。キリスト教の信仰が強い欧米においては、「科学研究における宇宙の始まり」は、「宗教における天地創造」と関連付けられることが多く、そのことで苦労することも多いという。

本書の原題の副題は、「WHY THERE IS SOMETHING RATHER THAN NOTHING」である。本書ではこれ章を、「なぜ何もないのではなく、何かがあるのだろうか?」と訳している。そして著者はこの副題を後悔しているという。

「WHY」という単語を科学者が使う場合、それは「HOW(どのように)」という意味である。しかし、宇宙論で「WHY」という単語を使うと、「第一原因」について言及している、つまり「神」のことを言っているのだ、と受け取られることが多くなる。そのせいで、宗教方面から攻撃を受けやすくなるのだという。

また、「NOTHING」という単語も鬼門だ。これは日本語の「無」でも状況は変わらない。

本書で著者は、「宇宙はNOTHING(無)から始まった」と主張する。しかしこのような主張をすると、「『そこから何かが生まれる』のであれば、『無』とは言えないのではないか」「たとえ『何もない』のだとしても、『何かがある可能性』は残るのだし、それは『無』ではないだろう」と批判を受けることになるという。

本書では特に、この「NOTHING(無)」に関する慎重な定義が頻繁に登場する。本書の主張にどこまで納得できるかによるが、著者の論旨をきちんと追っていけば、「宇宙は確かに無から生まれた」と感じられるだろうと思う。

しかし確かに、「NOTHING(無)」をどう考えるかは、難しい問題だとも感じた。本書の主張を理解しても、「やはりそれなら、それは無ではない」と考える人も出てくるだろう。科学的な定義のことを無視すれば、もはやこれは「個人の価値観」次第だと思う。

このように、「宇宙の始まり」はとかく議論を引き起こすのである。

「ビッグバン」を証明した観測がもたらした「宇宙の質量」に関する新たな謎

まずはざっと、「ビッグバン」について触れていこう。

「ビッグバン」という考え方は、ハッブル(「ハッブル望遠鏡」で有名だろう)によるある発見がきっかけで生まれた。彼は1929年に、「宇宙は膨張している」という、当時の常識を覆す大発見をしたのだ。

当時の科学者のほとんどは、アインシュタインも含め、「宇宙は静的で、過去から未来において不変」だと考えていた。しかし「宇宙が膨張している」と判明したことで、「時計の針を巻き戻して過去に向かえば向かうほど、宇宙のサイズは小さくなる」と考えざるを得なくなる。その考えを推し進めれば、「宇宙は極小の点のようなものから始まったはずだ」という、「ビッグバン理論」の原型となる考えに行き着くことになるわけだ。

この「ビッグバン」というアイデアは、反対する科学者が多くいる中でもなんとか生き延び(アインシュタインも拒否反応を示したことで知られている)、最終的にWMAP(ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機)が行った「宇宙背景放射」の観測によってその正しさが証明された。「宇宙背景放射」とは、誕生直後の宇宙の情報を内包したもので、その観測が「ビッグバン」の予測と一致したのだ。

そしてさらに、「宇宙背景放射」の観測によって、宇宙の「形」も判明することになる。宇宙の「形」には、「開いた宇宙」「閉じた宇宙」「平坦な宇宙」の3種類の可能性が存在することが知られていたが、WMAPの観測から、我々が生きているこの宇宙は「平坦な宇宙」だということが判明したのだ。

しかしこのことが、新たな問題を引き起こすことにもなる。

科学者は、「開いた宇宙」「閉じた宇宙」「平坦な宇宙」のそれぞれの場合において、「宇宙の質量」(銀河や銀河団など、宇宙に存在する天体などの質量の合計)がどれぐらい必要かを計算できる。つまり、「宇宙の質量」が分かれば「宇宙の形」も決まるというわけだ。一方で、現代のテクノロジーでは、我々が生きている宇宙の質量を測定することができる。

WMAPの観測から、我々は「平坦な宇宙」に生きていると分かったのだから、「我々が生きている宇宙の質量」が「平坦な宇宙に必要な質量」の範囲内になければおかしいことになる。

しかしこの2つの数値は全然違った。どのぐらい違ったのか。「我々が生きている宇宙の質量」は「平坦な宇宙に必要な質量」の30%程度しかないことが分かったのだ。

つまり理論上、私たちは「平坦な宇宙」にいられるはずがない。「平坦な宇宙」を作るのに、「宇宙の質量」が70%も足りないのだから。

しかし我々は「平坦な宇宙」に生きている。ということは、「我々がまだ知らない『質量』がこの宇宙に存在している」と考えるしかない。この謎の質量は、現在「暗黒エネルギー(ダークエネルギー)」と呼ばれている。もちろん、今のところ正体不明だ。

この「暗黒エネルギー」について考えることで、「宇宙はなぜ無から誕生可能なのか」が説明されることになるのだが、ここで一旦別の話をしよう。天才アインシュタインのエピソードとして非常に有名な「人生最大の過ち」の話だ

有名なアインシュタインの「過ち」と、その大復活

先程、「かつて科学者は、宇宙を静的なものだと考えていた」と書いた。アインシュタインもその一人で、強固にそう信じていたという。

実はハッブルが「宇宙膨張」を観測する以前に、アインシュタインは自らが導き出した「相対性理論」の方程式から「宇宙膨張」を予測していた。相対性理論の方程式を解くと、どうしても「宇宙は膨張していますよ」という結論が出てしまうのだ。これをそのまま発表すれば、ハッブルの発見よりも先に予測したと評価されていただろうが、「静的な宇宙」を信じているアインシュタインからすれば、由々しき事態でしかない。

そこでアインシュタインは、自らの方程式に手を加えることにした。「宇宙項」と名付けた項目を相対性理論の方程式に組み込んだのだ。これは、方程式の中に「斥力」を組み込んだということになる。

「斥力」についてはとりあえず、こんなイメージをしてくれればいい。飼い犬にリードをつけて散歩しているとしよう。このとき、犬が進みたい方向にグンと飛び出そうとしても、リードを引っ張れば抑えられる。この引っ張る力が「斥力」だ

アインシュタインはこのように、「宇宙を膨張させようとする力」と同じ大きさの「引っ張ってその膨張を抑えようとする力」があれば、ちょうど力が釣り合って宇宙は静止するはずだと考え、「宇宙項」を付け加えたのだ。

「宇宙が膨張している」という事実を知っていると、「アインシュタインは自分の都合がいいように方程式をいじってる」としか思えないだろう。実際にその通りなのだが、アインシュタインが導入した「宇宙項」は結構支持されたようだ。やはり当時の科学者は「静的な宇宙」を望んでいたということだろう。

ハッブルの発見を受けてアインシュタインは「宇宙項」を捨てたのだが、科学者の中には「宇宙項を捨てなければならないなんて残念だ」というような反応をした者さえいたという。

さて、アインシュタインに関する有名なエピソードとして、この「宇宙項」を方程式から葬り去る際に、「我が人生最大の過ち」と口にした、という話がある。非常によく知られており、ビッグバンを扱う本には大抵載っていると思うが、現在では、ガモフというイタズラ好きの科学者によるでっちあげだと考えられているようだ。これも「有名税」といったところだろうか。

さて、アインシュタインが導入し捨て去った「宇宙項」は、現在なんと「宇宙定数」という名前で復活を果たしている。アインシュタインが思い描いていたのとは少し違う形にはなったが、アインシュタインが相対性理論の方程式に「宇宙項(宇宙定数)」を導入したことは、実は正解だったのではないか? と考えられているのだ。どういうことかと言うと、この「宇宙定数」が「暗黒エネルギー」の正体だとは考えられないだろうか、という発想が出てくるようになったのである。

アインシュタインは、”失敗”さえもこのような形で話題になる、やはり”持ってる”科学者だったと言っていいだろう。

「宇宙定数」が「暗黒エネルギー」の正体なのかはまだ分かっていないが、「宇宙定数」が現実の何に対応するのかについての提案は存在する。アインシュタインは「宇宙項」を、「こんな性質を持つ力が存在したらいいんだけどなぁ」と、特に詳しいメカニズムを考えずに導入したのだが、現在では「宇宙定数」は、「空間そのものが持つエネルギー」だと考えられている。この「空間そのものが持つエネルギー」には、「真空エネルギー」という名前がついている。

さてここまでの話をまとめよう。

「ビッグバン」の研究の過程で、存在すると仮定しなければならない謎の質量(暗黒エネルギー)の問題が判明した。これが何なのかが分からなければ「ビッグバン」は上手く説明できない。一方で、アインシュタインがかつて捨て去った「宇宙項」は、現在「宇宙定数」として復活しており、「空間そのものが持つエネルギー」(真空エネルギー)ではないかと考えられている。

つまりこの「真空エネルギー」が「暗黒エネルギー」だとするなら、「ビッグバン」は上手く説明できる、というわけなのだ。

しかしそもそも、「空間そのものが持つエネルギー」(真空エネルギー)とは何だろうか? ここで言う「空間」とは「真空」のことを指す。「真空」と聞くと「何もない空間」とイメージされるだろう。つまり、「何もない空間がエネルギーを持っている」ということになるわけだ。

それは一体どういうことなのだろうか?

天才ディラックが予測することになった「反粒子」

それでは、「真空エネルギー」を説明するために必要な「反粒子」への理解を深めよう

「反粒子」とは、「粒子」と電荷の符号だけが反対のものであり、すべての「粒子」について対応する「反粒子」が存在する。人類が最初に発見した「反粒子」は「陽電子」と呼ばれているが、観測によって見つかる数年前に、この「陽電子」を予言していた人物がいる

それがディラックである。しかし彼は、「陽電子」なんてものを予言しようと思っていたわけでもなければ、自分が予言することになった「陽電子」を信じてもいなかった

当時、科学界には大きな問題が立ちふさがっていた。それは、「特殊相対性理論」と「量子力学」の折り合いの悪さである。共に20世紀物理学の至宝と呼ばれ、単独では完成された見事な理論だ。しかし、両者を同時に適用しようとすると上手くいかず、科学者は大いに困り果てた。

その状況を変えたのが、天才ディラックである。彼は「特殊相対性理論」と「量子力学」を融合したディラック方程式を完成させ、当時の科学者たちを驚愕させた。

しかしこのディラック方程式、一つ厄介な問題を抱えていた。方程式の解が2つ出てきてしまうのだ。

例えば一方の解が「電子」だとしよう。この場合、もう一方の解は「電子とは電荷だけが逆」になるのだが、それまでそんなものの存在は知られておらず、誰もその解を理解できないでいた。ディラック自身も、「方程式を解いた時だけに出てくるもので、現実には存在しないだろう」というような捉え方をしていたようだ。

しかし数年後、ディラックが予測したのとまったく同じ性質を持つものが発見され、「陽電子」と名付けられた。このようにして、「粒子」と電荷が逆である「反粒子」の存在が知られるようになったのだ。ちなみに、「粒子」から作られるのが「物質」であり、「反粒子」から作られるのが「反物質」である

天才ファインマンによる「仮想粒子」の説明

さて、この「反粒子」について、ファインマンという天才科学者がある画期的な捉え方をした。そしてその説明によって、「真空は無ではない」ということが示されることになるのだが、順を追って見ていこう。

量子力学の世界には、「ハイゼンベルグの不確定性原理」という大原則が存在する。「ハイゼンベルグの不完全性原理」については以下の記事に詳しく書いたので読んでほしいが、この「ハイゼンベルグの不確定性原理」によって、普通なら禁止されているある状況が許容される。「メチャクチャ短い時間なら、光速を超えてもいい」のだ。

アインシュタインが生み出した「相対性理論」は、「どんなものも光よりも速く運動できない」という「光速度不変の原理」を大前提にしている。つまり、我々が生きている世界では、「光速」が制限速度、ということだ。「光速」より速く動くことは許されない。

しかし「ハイゼンベルグの不確定性原理」によって、メチャクチャ短い時間であれば、速度は無限大に大きくなっても問題なくなる。「メチャクチャ短い時間」というのは、「プランク時間(5.391×10のマイナス44乗秒)以下」なので、私たちが想像している以上に短いが、とにかくそれぐらい短い時間であれば速度制限は無視できてしまうということだ。

さて一方で、「相対性理論」においては、「光より速く運動するものは、時間を逆行しているように振る舞う」とされている。これもまたなかなか意味不明な主張だが、そういうものだと思ってほしい。

そしてこの「時間を逆行するもの」こそが「反粒子」だとファインマンは説明したのだ。

ファインマンはこのように考えを深め、最終的に自らのアイデアを「ファインマン・ダイアグラム」という有名な図にまとめた。ネットで調べればすぐに出てくるので検索してみてほしい。

この図を見ても、ファインマンの主張がすんなり理解できるわけではないのだが、とにかくファインマンは、”現代物理学を一変させた”とも言われるこの革命的な図から、「真空では、粒子と反粒子が常に現れては消えている」という、それまでの「真空」のイメージを覆す世界を描いてみせたのである。図を見ると、「反粒子が時間を逆行していること」がなんとなく理解できる

さて、「ファインマン・ダイアグラム」から、「何もない空間に突然、「粒子」や「反粒子」が現れる」ということが分かるらしい。これらは「仮想粒子」と呼ばれている。量子力学の研究から、「何もない空間で『対生成』が起こって粒子と反粒子が生まれ、粒子と反粒子が衝突することで『対消滅』が起こる」ことが分かっているというわけだ。

つまり「真空」とは「何もない”無”の空間」ではなく、「仮想粒子が対生成・対消滅を繰り返している空間」だということになる。一瞬しか存在できない「仮想粒子」が絶えず現れたり消えたりしているのだ。

この「仮想粒子」は直接的には観測できない。なぜなら、「プランク時間以下」のメチャクチャ短い時間しか存在できないからだ。「ハイゼンベルグの不確定性原理」は、「プランク時間以下の物質の挙動については、”原理的に”観測できない」と示唆しており、「仮想粒子」を捉えることはできないということになる。

しかし、そんな捉えられない「仮想粒子」なんてものが本当に実在するのか? と疑問に思う方もいるだろう。しかしこの「仮想粒子」、直接の観測は出来ないものの、間接的にはその存在が証明されている

実験家がある実験を行った際、理論値と僅かに誤差があることに気づいた。何度も実験を繰り返した結果、彼らはようやく「仮想粒子の効果を組み込まなければ正確な測定ができない」と気づいたという。そこで、「仮想粒子が存在すること」を前提に実験結果を精査したところ、理論値とぴたり一致したのだ。しかも10億分の1以上の精度で理論値と一致したという。これは、科学のあらゆる分野の中で最も正確な測定とされている。

仮想粒子の存在を仮定しなければ実験結果に誤差が出て、仮想粒子の存在を仮定すれば恐ろしい精度で理論値と一致する、というのだから、直接的に観測ができなくても、「仮想粒子」の存在を信じるしかないだろう

そして、「真空では仮想粒子が常に現れては消えている」のであれば、「真空がエネルギーを持ってもいいじゃないか」と考えられるようになっていく。このようにして、「真空エネルギー」とはどういうものなのかが理解されるようになったというわけだ。

「真空エネルギー」はゼロだと思われていた

さてここまでで、「真空がエネルギーを持つとしたら何が起こっているのか」について、「仮想粒子」という考え方から説明してきた。しかし今から、「元々真空エネルギーはゼロだと思われていた」という話をしようと思う。

「真空エネルギーがゼロではない値を持つはずだ」と考えられるようになったのは、WMAPの観測から「暗黒エネルギー」という謎の質量について考えなければならなくなってからだ。「暗黒エネルギー」の正体は分からないが、もしそれが「真空エネルギー」なら、上手く説明がつくのではないか、と考えられるようになったのだった。

では、「暗黒エネルギー」の存在を仮定する以前の状況はどうだったのか

その当時、「宇宙定数問題」と呼ばれる難問が存在していた。これは、「仮想粒子の効果を考えるなら、真空エネルギーはメチャクチャ大きくなってしまう」という問題だ。当時の科学者が「仮想粒子」の存在を考慮して計算したところ、「真空エネルギー」は、「全宇宙に存在する物質のエネルギーの10の120乗も大きい」というとんでもない数字になってしまった。「10の10乗」が「100億」なので、「10の120乗」は「100億を12回掛けた数」となる。誰がどう考えたって、そんなはずはないと思うだろう。

しかし当時の科学者は、この状況を楽観していたという。何故なら科学の世界には、「とんでもなく大きな数字」が「それとまったく同じ大きさのマイナスの数字」によって綺麗に打ち消され、結果的にゼロになる、ということがよくあるからだ。科学者たちは、「真空エネルギー」に関するバカげた予測値について、「メカニズムは分からないが、恐らく何らかの理由で同じ大きさのマイナスの数字がどこかから現れて、真空エネルギーはゼロだということが判明するに違いない」と考えていたのである。

しかしWMAPの観測によって、そうではないことが分かった。「暗黒エネルギー」というものを仮定せざるを得なくなり、そしてその正体が「真空エネルギー」だとするなら、「真空エネルギー」はゼロではありえないことになる。

これは大変困った状況だ。何故なら、「大きな数字が同じ大きさのマイナスの数字と打ち消し合ってゼロになる」というのはイメージできるが、「理論上はとんでもなく大きな数字なのに、それが何らかのメカニズムでプラスの値になる」なんて説明が出来るとは思えなかったからである。

しかも実はこの議論、WMAPによる観測以前から行われていた。本書の著者が、WMAPの観測以前に、「真空エネルギーはゼロではないプラスの値」だという可能性を提示していたのだ。科学者は、「ンなわけないだろ」と著者の主張を「狂気」「異端」と受け取ったわけだが、WMAPの観測が著者の予測通りだったことで科学者たちは驚嘆することになる。

しかし実は、最も驚いたのは著者自身だった。著者は、「真空エネルギーはゼロではないプラスの値」と確かに主張したのだが、その主張を信じていたわけではなかったというのだ。この点について、「科学者が、当たり前のように『真空エネルギーはゼロだ』と信じている状況に疑問を呈したかった」と言っている。だから、「真空エネルギーがゼロではない」と観測で分かったことで、自身が最も驚くことになったのだ。

ちなみに、「真空エネルギーがゼロではないプラスの値」になっているメカニズムは、まだ分かっていない。観測してみたらそうなっていたから、その現実は受け入れるしかない、というのが現状である。

このようにして、「何もない空間だと思われていた『真空』は、実は仮想粒子が現れたり消えたりしている」「真空エネルギーはゼロではないプラスの値を持っている」ということが理解されるようになっていったのである。

宇宙はどのように誕生したのか?

ここまでくればあともう一歩である。最後に「インフレーション理論」の説明をしよう。

「ビッグバン理論」が正しいと認められるまでには、様々な問題を乗り越える必要があったが、「宇宙はなぜこんなに均一なのか」という問題にも対処しなければならなかった。宇宙は、大きなスケールで見れば「驚くほど均一」だという。

「均一」というのはこんなイメージでいいだろう。たとえば森の中を歩いているとする。歩く度に違う花を見つけたり、様々な生き物を目にしたりと、狭い範囲(小さなスケール)では変化は大きい(均一ではない)。しかし上空からなど広い範囲(大きなスケール)その森を見れば、場所ごとの差はほとんどないだろう。

これと同じように宇宙も、大きなスケールで見た時には、どこを向いてもほとんど同じ、恐ろしく均一な環境なのだという。

この「均一さ」がどのように実現されたのかは大きな謎だったのだが、「インフレーション理論」が登場して解決に至った。これは、「ビッグバン初期に、とんでもなく(指数関数的に)宇宙が一気に膨張した」という考え方だ。

例えば、風船をゆっくり膨らませる場合、その途中で鳥のフンが落ちてきたり、誰かが落書きしたりして、場所ごとの「均一さ」が失われるかもしれない。しかし一気に膨らませれば、場所ごとの変化が発生する前に大きく膨らむことになるので、全体的に均一になる、というわけだ。同じように宇宙も、一気にサイズが大きくなったと考えるのが「インフレーション理論」である。

そして、ここまでの説明を組み合わせることで、現代科学において「宇宙の始まり」がどう説明されているのかが理解できる。その文章を引用しよう。

空っぽの空間は、物質や放射がまったく存在しなくても、ゼロではないエネルギーを持つことができる。そして一般相対性理論の教えるところによれば、エネルギーを持つ空間は指数関数的に膨張する。結果として、ごく初期には極めて小さかった領域も、一瞬のうちに、今日の観測可能な宇宙全体を軽々と含むほどの大きさになったのだ

要するにこれは、「メチャクチャ短い時間しか存在できない仮想粒子が、インフレーションによって一気に膨張して大きな領域になる」みたいなイメージでいいだろう。このような出来事が過去のある時点で起こり、我々はそれを「ビッグバン」と呼んでいる、というのが、現在の結論である。

また本書には、こんな文章もある。

量子重力は、宇宙は無から生じてもよいということを教えてくれるだけでなく(この場合の「無」は、空間も時間もないという意味であることを強調しておこう)、むしろ宇宙が生じずにはすまないということを示しているように見えるのである。「何もない」(空間も時間もない)状態は、不安定なのだ。

なんとなくだが、「ビッグバンのような現象は、奇跡的な確率で起こった稀な出来事だ」と考えたくなるだろう。しかし「何もない空間は不安定だから、何かがある状態になってしまう」ということであれば、「ビッグバン」は決して奇跡的な現象ではないということになる。確かにこんな主張をすると、宗教的な立場の人から非難されるだろうなぁ、と感じるような結論だ。

また本書では、「宇宙ごとに物理法則は異なっている」とも示唆される。著者は、「空間も時間もないところ」から宇宙が生まれたとしているが、さらに「物理法則」もなかったと考えているのだ。

宇宙論には、「我々がその存在を感知しえない様々な宇宙が存在する」という「マルチバース宇宙論」という考え方が存在するが、「宇宙誕生」の際に「物理法則」もランダムに決まるとするなら、個々の宇宙はそれぞれまったく違うということになる。「別の宇宙」を観測することはまず不可能だが、想像が膨らんで面白い。

我々は特殊な時代に生きている

さて、「宇宙の始まり」に関する話は以上で終了だが、もう1つ、非常に興味深いと感じた話に触れて終わろうと思う。

それが、「我々は、『真空エネルギー』を観測できる唯一の時代に生きている」というものだ。著者はこのことを、

われわれはきわめて特殊な時代に生きている。……それは、われわれがきわめて特殊な時代に生きているということを、観測によって証明できる唯一の時代なのだ!

と、印象的な言い回しで表現している。

具体的な説明はここではしないが、「ビッグバン」が起こってしばらくしてからも、「ビッグバン」が起こってだいぶ経ってからも、観測によって「真空エネルギー」を捉えることは不可能らしい。

例えば、2兆年後の地球に天文学者がいるとして、望遠鏡を夜空に向けても、そもそも何も見えない。「宇宙が膨張している」ということは、すべての天体が地球から遠ざかっているということなので、2兆年も経つと、地球から見える範囲には何も無くなってしまうのだ。

そのようなことを色々と考え合わせると、我々が今生きている時代は、「過去にビッグバンが起こった証拠」も「真空エネルギー」もどちらも観測することができる非常に稀な時代だ、ということが分かるのだという。

そしてこの話から本書では「人間原理」の話が展開される。「人間原理」についてはこの記事では触れないが、異常な主張を繰り返してきた科学の歴史の中でもトップクラスに狂気と言える考え方であり、その議論も非常に興味深い。

著:ローレンス・クラウス, 翻訳:青木 薫
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最後に

冒頭で「無」の話に触れたが、ここまで読んでみて「宇宙は無から生まれた」という主張をどう感じただろうか

「真空」では「仮想粒子が現れては消えている」のだから「無」ではない、と考える人もいるだろう。しかし、「仮想粒子はどうやっても観測できないのだから、何もないと考えていい」と捉える人もいるだろう。

さて繰り返しになるが、「宇宙の始まり」の関して重要なことは、「宇宙の始まりにおいては『空間』さえなかった」という点だ

どうしても我々は、「何か空間があり、そこに仮想粒子が現れ、その仮想粒子が膨張して宇宙になった」とイメージしがちだが、「宇宙の始まり」の前には「空間」さえ存在しないのである。「空間も時間も物理法則も存在しない」という意味で「無」なのであり、ここを混同してはいけない

なかなか想像することが難しい領域だが、科学的に「宇宙の始まり」への理解がここまで進んでいるのだと知ることは、非常に面白いのではないかと思う。

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