【爆発】どうしても人目が気になる自意識過剰者2人、せきしろと又吉直樹のエッセイに爆笑&共感:『蕎麦湯が来ない』(せきしろ、又吉直樹)

目次

はじめに

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この記事で伝えたいこと

こんな自分は「めんどくさい」と思うけれど、どうにもしようがない

犀川後藤

自分のそんな性格とは、一生付き合っていくしかないですよね

この記事の3つの要点

  • 他人の目をどうしても気にしすぎてしまうせきしろ氏
  • 起こり得ない妄想の中で、絶対に自分がミスを犯すと確信している又吉直樹氏
  • 自由律俳句も含め、日常の「隙間」に入り込んだ些細な出来事を拾い上げるのがとても上手い
犀川後藤

共感できない人も、「世の中にはこんな人もいるんだな」と暖かい目で見守ってくれると助かります

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いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

どうしても考えすぎてしまう「自意識過剰」の2人、せきしろと又吉直樹が『蕎麦湯が来ない』で綴る日常や思考に共感しかない

「コンビニのコピー機の列に並べない」というエピソードに超共感

本書は、せきしろ氏と又吉直樹氏(どちらも、どんな肩書で紹介すればいいか悩む人ですね)の共著で、自作の自由律俳句と、日常を描くエッセイが載った作品です。

その全エピソードの中で私が最も共感したのが、せきしろ氏の「コンビニのコピー機」の話でした。

せきしろ氏は、コピーをしようとコンビニに行った時、誰かがコピー機を使っていたら、「私は待ってます」という風に並んだりしない、と言います。今コピー機を使っている人にプレッシャーを与えることになってしまうからです。だから店内で、さりげなくコピーが終わるのを待つのですが、そんな風にしていると当然、別の誰かがコピー機を使おうと並んでしまいます。そうなった時には、諦めて別のコンビニに行く、という話でした。

これ、私もまったく同じです。ホントにそっくりそのままで驚きました。

犀川後藤

この本を読む直前に、まさにおんなじようなことを考えちゃった状況があったわ

いか

コンビニに着く前に色んなシミュレーションをしてただけで、実際には先客はいなかったから良かったよね

世の中にはもちろん、「コピー機を使っている時に後ろに並ばれても、あんまりプレッシャーを感じない人」もたくさんいるでしょう。だから自分が2番手の状況でも、悩まず後ろに並ぶことができる。でもせきしろ氏もそうでしょうし私もそうですが、自分がコピー機を使っていて誰かに並ばれた気配を感じると、凄く焦ります。これは、混んでいるATMや公衆トイレでも同じです。

後ろに並んでる人はたぶん、「早くしろよ」「遅せぇよ」なんて考えてないと思うんですが、どうしてもそう思われてるように感じられてしまいます。で、焦って、失敗して、余計時間が掛かる、みたいな悪循環に陥ったりもするんですよね。

せきしろ氏の「見られ方を気にする問題」には共感しかない

他にもせきしろ氏は、喫茶店での話を書いています。例えば、自分が今いる喫茶店が混み始めてきたとしましょう。せきしろ氏は、なんとなく人口密度の低い辺りを好んでいるようで、あまり混んでいない場所に移りたいと思うのですが、そこでこんなことを考えてしまうのです。

隣の人から、『私の隣は嫌なのか』と思われるかもしれない

まあはっきり言って、そんな風に思われるはずがありません。というか、誰もせきしろ氏のことなんか気にしていないでしょう。でも、本人としてはどうしても気になって仕方ないわけです。

これも、もの凄く分かるなぁ、と感じます。

私の場合は、電車の座席で葛藤することがあります。車両の乗客が乗り降りを繰り返すことで、「自分が座っている側は密集してるのに、向かい側は空いてる」なんていう状況になったりするでしょう。そういう時に、「車内のバランス的にも、自分の気分的にも、向かいの座席に移った方がいいよなぁ」と思うんですが、しかし同時に、「ここで座席を移ったら、隣に座っている人を嫌な気分にさせたりしないだろうか」とも考えてしまうのです。

で、一瞬でもそんな躊躇をしてしまうと、席を立つタイミングを逃すことになって、結局そのまま座り続ける、なんてことになってしまいます。

犀川後藤

自分でも、変なこと考えてるなぁ、とは思うんだけど

いか

そういう思考が浮かんじゃうんだからしょうがないよね

自分でも当然、「隣に座っている人が私のことなんか気にしてるはずがない」と頭では理解してるんですが、それでも躊躇なく行動に移すのが難しいんですよね。だからせきしろ氏の話にはもの凄く共感できます。

せきしろ氏は、

私は人目を気にしてばかりいる。(中略)
それでも気にしすぎであることには変わりなく、それはもう子どもの頃からずっとなのである。親に喜ばれようとか、先生に楽しんでもらおうとか、友達に驚いてもらおうとか、絶えずそういうことを考えながら行動し、わざと失敗することもあれば、あえて変わったことを口走ったりもした。

と書いていて、これも凄く分かるなと感じます。私も、「他人からどう見られるかコントロールしよう」みたいな意識が常にあって、「今は失敗した感じにする方がいいかな」とか「ここでこういう発言をすると変わった人って思ってもらえるだろう」みたいなことを結構考えてしまうんです。そういう自分にはもう慣れましたが、やっぱり自分でも時々「めんどくさい性格だよなぁ」と思ったりします。

寿司屋でせきしろ氏が目撃した女性の話

また、寿司屋で目撃した出来事も、凄く理解できてしまいました。それはこんな場面です。

せきしろ氏は知り合いの女性と回転寿司を食べに行きます。職人が連れの女性に「わさびは大丈夫?」と聞いているのですが、その口ぶりから、どうやら職人はその女性の年齢を相当年下に見ていることが分かりました。女性は童顔で、実年齢には見られないことが多いだそう。そんな職人の「勘違い」を理解した彼女の返答について、せきしろ氏はこんな風に書いています。

すると女性はさっきよりも高めの、まるで子どものような声で「はい」と答えたのだ。子どもと勘違いしている寿司職人に恥をかかせないようにと、気を遣って子どものふりをしたわけである。
この不思議な気の遣い方、私もよくする。

私も、分かるなぁ、と感じました。具体例がすぐに浮かぶわけではないんですが、「誤解されたままでも特に問題はない」という状況の場合、相手の誤解を解くことはせず、逆にその誤解を補強するような振る舞いをするというのは、私の行動原理の中にもあります。

このようにせきしろ氏は、「他人からどう見られているか」という自意識がとにかく過剰で、そしてその過剰さを自覚しているが故に、日常の中に面白いエピソードを見出すことが出来るのだろうと感じます。

又吉直樹氏の「フラッシュモブ恐怖」

又吉直樹氏のエッセイは、せきしろ氏とはまたちょっと違った視点が強いです

めちゃくちゃ共感してしまった「フラッシュモブ」の話は、こんな文章から始まります。

フラッシュモブの映像を見るたびに、当事者ではないのに緊張してしまう

私も、フラッシュモブの映像を見るとゾワゾワして、それがテレビだったらチャンネルを変えてしまいます。見るに耐えない、という表現が最も適切でしょう。どういう結果になるにせよ、「悪い結果になる可能性がある」、つまり「フラッシュモブというサプライズが成功しない可能性がある」という状態に耐えられません

犀川後藤

だから、「このフラッシュモブのサプライズは大成功に終わります」って最初に言ってくれれば見れると思う

いか

ま、そんなアナウンスをしたら台無しだけどね

そしてそこから又吉直樹氏は、「もし自分がフラッシュモブで女性に告白するとしたら」という「妄想」に突入していきます。そして彼は何故かその妄想の中で、「自分は絶対に失敗すること」を確信しているのです。

彼の妄想は、

そもそも「フラッシュモブで告白する」なんていう大それたことをするのに、「相手が自分のことを好きかもしれない」という「希望」程度の状態では無理だ。「確実」でなければフラッシュモブなんかできない。しかし「確実」なんてことがあるはずがない。だったらどうすればいい……

という風に展開されていくわけです。しかしそもそも、又吉直樹氏が「フラッシュモブで告白なんかしない」と決めればそういう状況に陥ることはありません。なのに「自分が失敗する」という結末まで含めてリアルに想像している様子が面白いなと思います。

又吉直樹氏は「妄想」に打ちのめされる

他にも又吉直樹氏の妄想が炸裂するエッセイがあります。

たとえば、ライブ会場で開始時間を過ぎても一向にライブが始まらない時に、「まさか、名探偵コナンが登場するような事件が起こるのではないか」と考えてしまうといいます。そんなわけないと思いつつ、その妄想を突き詰める過程で、又吉直樹氏は「自分が致命的なミスをしてしまう可能性」について考えてしまい、そういう状況にならないことを切に祈るのです。

また、「お通しは最初に出てくるが、あれは最初に食べるものとして相応しいのか」という、まったく妄想ではない話から始めているのに、結局また妄想に突入してしまうエッセイもあります。最初に出てくるのにすぐにお通しを食べなかった場合、もしかしたらこんな悪いことが起こるかもしれない、と妄想し始めるのです。まあ、意味不明ですね。そしてこの妄想の中でも、「自分は失敗する」と考えてしまうわけです。

ただ私は、「起こってもいないことについて、悪い想定をしてしまう」という感覚については理解できます。なんというのか、「悪いことが起こる」と考えておくことで、本当に悪い展開を迎えたとしても、「思ってた通り」という安心感を得られる、という考え方が僕の中にはあるのです。「想定外の出来事に直面する」より、「『それはちゃんと想定されていた結果だ』と感じられる」方が気分的に楽だと思うので、私も、特に未来について考える時には、悪い想像をしてしまいがちかもしれません。

又吉直樹氏が私と同じ理由でそういう妄想をしてしまうのかは分かりませんが、いずれにしても面白い発想力の持ち主だなぁと感じさせるエッセイです。

また、「妄想」とはまた少し違うのですが、「誕生日の過ごし方が難しい」という内容のエッセイも、自意識のねじれみたいなものを感じられて面白いなと思います。

又吉直樹氏は、「誕生日だからと言って特別な過ごし方をしたくない」と考えています。この感覚は、私もとてもよく分かります。なんか浮かれているような感じがするし、「自分が誕生した日」が、他の364日と比べて特別だとそこまで感じられないからです。

いか

どうしてみんな、あんなに「誕生日」が重要なんだろうね?

犀川後藤

「今日1日だけは、あなたは自分のことを『特別』だと感じていいですよ」っていうお墨付きを与えられた気分になれるのかな?

そんなわけで又吉直樹氏は、「誕生日を、普通に自然に過ごす」ことを心がけるのですが、しかし、そんな風に考えてしまっている時点で既に「普通」でも「自然」でもありません。「今日は誕生日である」と意識してしまうことで、「誕生日だからと言って特別な過ごし方をしないぞ」と考えてしまい、そう考えるが故にむしろ「特別な過ごし方」になってしまっています。この点を指して又吉直樹氏は「誕生日の過ごし方が難しい」と言っているのです。

私は、誕生日について同じように考えることはありませんが、似たような思考をすることはあります。例えば、以前雪の降る街に住んでいた時、道で派手に転んでしまいました。もの凄く恥ずかしいから足早で逃げるように歩き去りたいけれど、そうすると「恥ずかしがっている」と思われるかもしれないから意識的にゆっくり歩こう、でもゆっくり過ぎても不自然だし……みたいなことを考えていると、普段自分がどんなスピードで歩いていたのか分からなくなる、みたいなことはあるなと思います。

日常の「隙間」を丁寧に拾い上げる

2人のエッセイは本当に、「日常の『隙間』に入り込んでいて見えないものを拾い上げている」という感じがします。それが起こった瞬間に書き留めておかないと、後から思い出すことなど不可能だと感じられるような「どうでもいいこと」を、非常に面白い文章で綴っているのです。普段からメモをしているのか、あるいは「何か書こう」と思った時にこういう出来事を思い出せるものなのか。ちょっと聞いてみたい気がします。

そういう意味で凄いと感じたエッセイが、せきしろ氏の「漢字」の話です。せきしろ氏は、「相殺」という漢字の読みが「そうさい」であることは当然知っているのだけれど、「あい……」と口に出してしまうことがあって、「ちゃんと読み方は知ってるんです」と主張しても説得力がない、という話を書きます。

そしてさらに、同じような状況に陥りがちな漢字を他に2つ挙げるのです。私からすれば、よくそんなこと思い出せるなぁ、と感じるような「どうでもいいこと」なので、そういうエッセイをどんな風に書いているのか、非常に気になります

いか

芸能人なんかはよく、「エピソードトークのためにメモをしてる」って発言をしてたりするよね

犀川後藤

でも、「どう考えてもメモとかしてないだろうなぁ」って人の話の方が面白かったりするんだよなぁ

また本書には、「自由律俳句」という「5・7・5」の定型に収まらない俳句が多数掲載されています。「自由律俳句」がどんなものか分からない人にはイメージしにくいでしょうから2つだけ挙げてみましょう。

「近所まで蹴り育てた石を諦める」(又吉直樹)

「明らかに元セブンイレブン」(せきしろ)

これらもまさに、日常の「隙間」から引っ張り出してこなければ作れないような、「あー分かるわー」と感じるようなものが多くて、感心させられてしまいます。

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最後に

彼らの「自意識」や「妄想」にまったく共感できないという人もいるでしょうし、そういう人にはきっと、まったく面白くないエッセイでしょう。ただ、似たような感覚を持っている人からすれば、「自分の感覚を言語化してくれた」という感想になるのではないかと思います。

「自意識過剰さ」がなんらかの「面白さ」に繋がり得るのだ、と感じさせてくれるという意味でも、本書は救いになると言える作品かもしれません。

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