【絶望】100m走で哲学するアニメ映画『ひゃくえむ。』は変人揃いで名言満載の超面白い作品(監督:岩井澤健治、原作:魚豊、主演:松坂桃李、染谷将太)

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はじめに

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この記事の3つの要点

  • マンガ『チ。―地球の運動について―』を読んでいたお陰で、スポーツには興味がない私も映画『ひゃくえむ。』を観ようと思えた
  • 「何故走るのか?」というシンプルな問いに、まったくシンプルではない返答をする者たちの歪みっぷりが面白い
  • 「努力や才能の先にある絶望」が様々な形で描き出される構成になっている

ド級の変人である財津を始めとした魅力的な登場人物が、イカれた思考で「走ること」に向き合う作品だ

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

アニメ映画『ひゃくえむ。』は、100m走をテーマに据えているのに哲学感がもの凄く強く、スポーツにまるで興味のない私でもメチャクチャ楽しめた

スポーツにまったく興味のない私が本作『ひゃくえむ。』を観ようと思った理由

これはメチャクチャ面白い! とんでもなく魅力的な作品だった。ただ、もしも本作を観る少し前にマンガ『チ。―地球の運動について―』を読んでいなかったら、本作を観ようとは思わなかったかもしれない。

というのも私は、スポーツにはまったく興味がないのである。どれだけ話題になろうが大谷翔平にさほど興味は持てないし、日本開催の世界陸上もまったく観なかった(ニュース番組内でのダイジェスト映像を観たぐらい)。「自分がやるならまだしも、観ているだけの何が面白いんだろう」と感じてしまうほどだ。だから、普段の私ならとても観ようとは思えなかっただろう。ただ、本作『ひゃくえむ。』が『チ。―地球の運動について―』と同じ著者のマンガを原作にしていることを知り、それで一気に興味が湧いた。それぐらい、『チ。―地球の運動について―』がメチャクチャ面白かったのだ。

そして私の直感はやはり当たっていて、アニメ映画『ひゃくえむ。』もとにかく最高だった。

「スポーツに興味が持てない」のにはたぶん色んな理由が絡んでいるはずなのだが、その1つは恐らく「分かりやすい」からではないかと思っている。これは「ルール」の話ではない「動機」の話だ。そのスポーツを突き詰めようと考えた理由は色々あるのだろうが、「記録を更新したい」「テクニックを追求したい」「有名になりたい」「お金を稼ぎたい」みたいなシンプルな動機であることが多いんじゃないかと思っている。

しかし本作で描かれるメインの登場人物には、そういう「分かりやすさ」がまったくない。100m走に人生を捧げているのに、「何故走っているのか分からない」みたいな人物ばかりなのだ。

そして、そういう者たちを主役にした場合、「100m走」は一気に理解不能なスポーツとなるだろう。チームスポーツではないから誰かと協力するなんてこともないし、「ただ走るだけ」というシンプルさとずっと向き合うことになる。もちろん、記録の更新は目標の1つになるだろうが、しかしそれは「0.01秒単位」の世界であり、個人的には「誤差じゃない?」としか思えない。

そして本作では、そんなスポーツに「分かりやすい動機」を持たないまま己の人生を注ぎ込んでいる者たちが描かれているわけで、そりゃあ興味深くもなるだろうという感じだ。まあ、ここまで書いてきたことには「スポーツにまるで興味のない私が抱いている偏見」も多々含まれているだろうが、なんにしても、「そんな偏見を持つ人間でもメチャクチャ面白く観られるアニメ映画だった」ということが伝わってくれればいいかなと思う。

「何故走るのか?」という動機が哲学的に捻れていて面白い

作中では様々な場面で、色んな人が色んな人に「何故走るのか?」という問いを投げかけていた。でそもそもだが、この問いは他のスポーツではあまり突きつけられないように思う。もちろん、「何故サッカーを始めたのか?」みたいなきっかけを聞くことはいくらでもあるが、そういう話ではない。また、「何故サッカーを続けているのか?」みたいな問いとも異なるだろう。私の認識では、この問いには「(こんなに単調でしんどくて刹那的なのに)何故走るのか?」みたいな意味が含まれているように思う。そういう意味では、「何故山に登るのか?」に近い問いだと言えるだろう。

そして登場人物たちがこの問いに、皆なかなか面白い返答をするのである。個人的に一番好きなのが、小学生時代の小宮の返答だ。彼は学校で一番足が速いトガシから走り方を教えてもらうのだが、そのきっかけの1つが、小宮が町中をがむしゃらに走っている姿をトガシが見かけたことだった。トガシは小宮に「走るの好きなの?」と聞くのだが、小宮は「いや、辛い。でも、ぼやけるから。現実より辛いことをすると気が紛れる」と答えるのだ。

まあ普通に考えてこんなの「小学生の返答」とは思えないし、こういう部分が違和感に繋がってもおかしくないようにも思うのだが、本作では決してそんな風にならないのが不思議なところである。そして本作は全般的に、このような「哲学的」と言いたくなる言葉に溢れているのだ。

本作には、「現役最強のスプリンター」である財津という男が登場するのだが、彼もなかなかに凄まじい財津の登場シーンはかなり遅いのだが、それまでにも名前だけは頻繁に出てくる。そしてそんな財津が初めて姿を現した際のやり取りはなかなか衝撃的だった。変人が好きな私としてはメチャクチャ興味深い存在でかなりお気に入りなのだが、とはいえ「近くにいたらめんどくさいだろうなぁ」と思わせる男でもある。

そのセリフは、後輩にスピーチをするシーンで出てきた。恐らく母校の恩師に呼ばれたのだろう、彼は生徒たちの前で講演することになったようだ。しかし、財津自身の話は30秒ほどで終わり、「あとは質問があればどうぞ」と口にする。陸上部の部長が先陣を切ることになっており、彼は当たり障りのない「どうして今も記録更新を目指して走り続けられるんですか?」みたいなことを聞いていた

さて、この問いに対する返答は、およそスポーツアニメ(マンガ)ではお目にかかれないようなものだと言っていいだろう。彼はこんな風に答えていたのだ。

私は生物だ。いつか死ぬ。そして2度と生まれてこない。理由はそれだけだ。

そもそも問いに対する答えになっているのかさえ判然としないし、しかも彼はこれを高校生に向けて言っているわけで、これだけで十分そのイカれっぷりが理解できるんじゃないだろうか。ホントに想像を絶する答えだなと思う。

このように本作『ひゃくえむ。』は、スポーツを扱っているにも拘らず「よく理解できない理由で走り続けている奴」ばっかり出てくるし、だからそこにある種の狂気が生まれる。「100m走」という割と馴染み深いテーマなのに、「よく分からない何か」に全力を注いでいるような不可解さが通底しており、そういう雰囲気が凄く良かったなと思う。

加えて、個人的に好ましく感じられたのが、「『走ることの真髄』を突き詰めたい」みたいな人物が出てこなかったこと。本作のような物語であれば、そういうキャラクターを1人ぐらい出したくなるんじゃないかなと思う。キャラクターとして分かりやすいし、また「天才」としても描き出せるからだ。しかし本作にはそういう人物は出てこない。こういう点からも物語の「定石」をことごとく外しているように感じられて、その点もとても良かったなと思う。

映画『ひゃくえむ。』で描かれているのは、「努力や才能の先にある絶望」

では、映画『ひゃくえむ。』では一体何が描かれているのだろうか? 一応主軸となる物語はあって、それは「小学生の頃にライバルだったトガシと小宮が、大人になって再び対戦する」みたいな展開である。しかし実際には、「これを本筋と呼んでいいんだろうか?」みたいに感じられるような構成だったなと思う。「物語を追いやすくするために、一応これを主軸ってことにしますけど」みたいなニュアンスさえ感じさせられたぐらいだ。

というわけで改めて「何が描かれているのか?」について考えてみると、それは「努力や才能の先にある絶望」みたいに表現できるように思う。

例えばトガシの視点で物語を捉えるなら、「小学生の頃には自分の方が圧倒的に上だったが、大人になってから小宮に抜かれた」という話になるだろう。トガシももちろん努力したが、小宮の努力の方が、あるいは元々の才能が上回っていたのだと思う。大人になったトガシは、かつて「天才」と騒がれていた頃の面影などなく、かなり厳しい環境で陸上生活を続けている。一方の小宮は、どうやらずっと第一線で活躍し続けているようだ。小学生の頃には、まさかそんな圧倒的な差がつくなど想像も出来なかっただろう。

あるいは、海棠という人物の話もなかなか興味深い。彼も幼い頃から圧倒的な才能を有していたのだが、不運なことに、同時代に財津という天才がいた。「万年2位」と称されるほど財津には歯が立たず、彼は何度も「生まれる時代が違っていたら」と言われてきたのだ。

さて、そんな彼がトガシからアドバイスを求められて口にしたのが、「現実からは逃避できる」である。これもまた、スポーツの世界で語られる言葉としては大いに違和感があるだろう。彼の主張はなかなかに捻れていて、彼の理屈を再現できるほどは理解できなかったのだが、何にせよ彼は、「現実からは逃避できる」という考えをベースにすることで、「何故だか毎回、『次に勝つのは俺だ』と思い込める」みたいなことを言っていた。はっきり言って意味不明だが、何にせよ、財津という「圧倒的な現実」が常に自分の目の前にいた人生をそれでも走り続けてこられたのは、このような「歪な思考」のお陰なのだろう。

本作において「最も哲学的な存在」はやはり財津だと思うが、彼はどちらかと言えば「変人枠」という印象であり、「まともな人」の中では海棠が最も哲学的ではないかと思う。予告で使われていた「現実が何か分からなければ、現実からは逃げられない」という彼のセリフは凄く良かったなと思う。「なるほど、確かにな」って感じである。

世代最強の財津が抱く「絶望」

さてこのように、「圧倒的な才能に打ちのめされる」みたいな意味での「絶望」はとても理解しやすいんじゃないかと思う。ただ、個人的に最も興味深く感じられたのが、財津が抱く「絶望」である。例えば、記録更新にこだわり続ける小宮とのやり取りの中で、彼は次のようなことを言っていた。

先頭を走り続けていれば、隣を見ても常に誰もいない。その光景は、最下位のそれと同じだ。本当の勝利をもたらすのは記録でもメダルでもなく、対戦相手だけだ。

彼のこんな実感もまた、ある種の「絶望」と捉えていいんじゃないかと思う。

財津はとにかく異次元に強かったみたいで、観客席でのある会話からもその強さが窺い知れた。女性のグループが、「財津は最近落ち目だから」「いや、財津は全盛期が異常だっただけだから」みたいな話をしていたのだ。そりゃあ、海棠が現実逃避を考えるのも無理はないよなと思う。

しかし、「世代最強」であるが故に、彼はどんどん「走る理由」を失っていった。どれだけ走ったところで、彼を脅かすライバルは出てこない「隣を見ても誰もいないなら最下位と同じだ」と感じていたのであれば、走ることがどんどんつまらなくなっていくのも当然だろう。

この辺りはやはり「登山」とは明らかに違うなと感じる。「登山」は「己との闘い」という印象が強いが、「100m走」の場合は明確に「対戦相手」が想定されているからだ。海棠にとっては「同時代に財津がいたこと」が不幸だった。しかし財津にとってみれば、「彼と張り合えるライバルが現れなかったこと」が不幸だったというわけだ。なんとも残酷な話である。

「走ること」は誰にでも出来るからこそ人生を狂わされやすい

さて、本作『ひゃくえむ。』では割と早いタイミングで、予告でも使われていたこんなセリフが出てくる

人生にはシンプルなルールがある。100m走を誰よりも早く走れば、大抵のことは解決する。

これは小学生時代のトガシが口にしたセリフで、そして、この言葉を真に受けた小宮はひたすらに努力を重ね、ついにトガシを追い抜く。結果的にではあるが、小宮にとってはとても重要な言葉になったと言えるだろう。

しかし、そう口にしたトガシにとってはどうだっただろうか? 具体的なことには触れないが、本作では後半で、トガシが号泣する場面が描かれる。実に印象的なシーンだった。そして、そこで彼が口にしていたことを踏まえれば、先のセリフにはこんな注釈を含めるべきなんじゃないかという気がしてしまう。

100m走を誰よりも早く走れば、大抵のことは解決する(が、そんな人生は選ばない方がいいに決まってる)。

この「100m走を誰よりも早く走れば、大抵のことは解決する」という価値観の背景には、大前提として「『走ること』は誰にでも出来る」という感覚が存在するように思う。これが「ピアノ」や「将棋」となると、最初の段階でかなりのハードルがあるし、恐らく天賦の才能もそれなりに必要になるだろう。だから「人生を狂わされた」みたいになる人は少ないはずだ。しかし、「走ること」はハードルが低いし、誰にでも出来る。そしてだからこそ、「踏み入れてしまえば人生が狂わされる」みたいな感覚にもなりやすいんじゃないかと思う。

そしてこのように考えると、改めて「努力や才能の先の絶望」の話に繋がる気がする。「ピアノ」や「将棋」の場合は、「己の才能を偶然知る」みたいなケースは低いだろう。触れる機会が多くはないからこそ、仮に才能を有していても気づかないまま一生を終えるなんて可能性も十分にあるはずだ。一方で、「走ること」はとても日常的な動作なので、「思いがけず才能が見つかる」なんてことも十分起こり得る。そしてだからこそ「人生が狂わされる人」も相対的に増える可能性が高いのではないだろうか。

そういう様々な要素を踏まえると、「100m走」というのはかなり絶妙なモチーフではないかなと思う。そして本作『ひゃくえむ。』は、そんな世界に生きる特異なキャラクターたちを活き活きと描き出すのである。実に興味深い作品だった。

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最後に

最後にいくつか、内容そのものではない点に触れて終わろうと思う。

まず、本作は全体的に「印象的なカメラワーク」が多かったなと思う。「実際のスポーツ中継では不可能なアングルからの映像」や、「雨の中行われたレースをワンカットで捉えたシーン」など、印象的なカットがとても多い。アニメだからこそではあるが、「こういうアングルから実際の観戦が出来たらもっと臨場感が増すんだろうな」とも感じた。選手的には邪魔でしかないだろうが。

また、エンドロールが「シーン毎の作画表記」になっていて、これは結構珍しいのではないかと感じた。「小学生時代」や「全国大会」などシーン毎に原画・作画のスタッフが列記されていたのだ。この表記にどんな意図があるのかは分からないが、私にはなんとなく「関わってくれたスタッフに、より強く感謝を示している」みたいに思えたので、これも素敵に感じられた。

そんなわけで、スポーツにまったく興味がない私でも楽しめたし、作中に山ほど出てくる「哲学的で捻れた思想・価値観」もかなり刺激的である。良い作品を観れたなという感じだった。

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