【恋?】映画『早乙女カナコの場合は』が描く、「自然な自分でいるために隣にいるべき人」の話(監督:矢崎仁司、原作:柚木麻子、主演:橋本愛、中川大志、山田杏奈)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

客観的に見ても、本人の自覚的にも、長津田の隣にいるカナコはとても素敵である

犀川後藤

「それって一番大事なことなんじゃない?」と私なんかは感じてしまう

この記事の3つの要点

  • 「誰の隣にいるか」を何によって決めるべきだろうか?
  • 「『ダメ男との恋愛・結婚』が自分の人生を脅かさない」という状況になれば、長津田という選択肢は視界に入ってくるだろうか?
  • 「恋敵との連帯」という奇妙ではあるがリアルにも感じられる関係性が描かれることもまた興味深い
犀川後藤

色々捻れて拗れてややこしくなっている関係性をとても魅力的に描き出す作品である

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

映画『早乙女カナコの場合は』では「誰と一緒にいたら自分が一番自然体でいられるか」が濃密に描かれる

「誰の隣にいるか」を何によって決めるべきだろうか?

本作『早乙女カナコの場合は』はとにかく、「長津田と一緒にいる時のカナコが凄く素敵」という点に尽きるなぁ、と感じました。

犀川後藤

いきなりこれだけ書いても何も伝わらないだろうけど

いか

まあでもホント、本作はこれに尽きるよね

長津田は、客観的に見てどう考えてもダメダメだし、ってかそんなこと本人も分かっているし、そしてカナコだってちゃんと理解しています。なのに、そんな長津田と一緒にいる時のカナコはとても魅力的で、さらにカナコ自身もそう感じているのです。

本作には、そんなややこしさが随所で描かれていて、凄く面白いなと感じました。というわけで、この点をもう少し掘り下げていこうと思います。

さて、以前女友達(7歳ぐらい年下と、15歳ぐらい年下)と飲んでいる時に、「恋人に何を求めるか」という話になりました。そして2人とも「『話が合う』みたいなことは別に求めていない」と言っていたのです。個人的には、メチャクチャビックリしてしまいました。実際に、それぞれが今付き合っている彼氏は「話が合うタイプ」ではないらしく、そしてそれで別にいいのだそうです。

犀川後藤

どちらもその時点で結婚を考えてたわけじゃないみたいだから、純粋に「深く関わりたいと思う人」って意味での「恋愛」って感じの話だった

いか

「結婚を考えているからこの要素は妥協する」とかなら分かるけど、そうじゃないなら「話が合う」って結構大事だと思うんだけどね

私は「ちょっとそれは無理だな」と感じました。私は、別に恋愛に限ることではありませんが、大前提として「話が合う」と思えない人とはちょっと関われません(それは家族でも同じです)。恋愛を含むすべての対人関係に対して「話が合うかどうか」が何よりも大事なことに感じられるので、「話が合わない」となったらその時点で「この人とはなるべく関わらないようにしよう」という発想になってしまうのです。

そしてだからこそ私は、長津田とカナコの関係性を「いいなぁ~」なんて思いながら見ていられるのでしょう。

さて、恋愛でも結婚でも何でもいいのですが、「誰の隣にいることを選ぶか」はどのように決めるものなのでしょうか? 例えば本作では、「5年・10年後の未来を想定して、そこから逆算して今の行動を決めなきゃダメ」と語る女性が出てきます。もちろん、「誰の隣にいることを選ぶか」についても同じ判断をするというわけです。これももちろん1つの考え方だとは思います。そしてそういう考えの人からすれば、「将来」なんて微塵も描けないような長津田みたいな人間が視界に入ることなんてないんだろうし、そんな長津田のことを忘れられないでいるカナコのような人間も理解できないのだろうと思います。

犀川後藤

個人的には、「どうなってるか分からない将来」より「今」を大事にしたいなって思っちゃうけど

いか

そもそもいつまで生きるのかも分からないし、「そんなこと考えててもなぁ」って感じするよね

ただ先述した通り、カナコ自身も「長津田なんか選ぶべきじゃない」と分かっているわけです。彼女は内定先の出版社(入社前からインターンとして働いている)の上司から好意を寄せられていて、そして彼のことを「初めて出会ったまともな人」と表現していました。もちろんこれは、「長津田がいかにまともじゃないか」を示唆したものだと言っていいでしょう。またある人物は、長津田と4年も交際を続けたカナコに、その忍耐強さを称賛する言葉を掛けたりもしていました。

ただ、やはりどうしたってカナコは、長津田と一緒にいる時が最も良い姿を保っているように見えるのです。何かを取り繕ったりせずに思ったことを自分の言葉で口に出来るし、普通なら他人には頼みづらいお願いも長津田には平気で出来ます。また、彼女は決してポジティブとは言えない性格なのですが、長津田に対しては虚栄心や劣等感みたいなややこしい感情を抱かずに済んでいるのです。とにかく「早乙女カナコが早乙女カナコのままでいられる」のが長津田の隣なのだと言っていいでしょう。

そして私は、「それってメチャクチャ良いよなぁ」と感じました。

いか

そういう感じで一緒にいられる存在って超貴重だから羨ましいよね

犀川後藤

特に、男女で成立させるのはホントに難しいから余計にそう思う

そりゃあ、「結婚」ってなったら色んな話が絡んでくるから、「自分が自然体でいられるかどうか」よりももっと別の要素が優先されるのも分かります。でもなぁ、私だったら、「どれだけ『スペック』が高い相手でも、『その人の隣ではありのままの自分ではいられない』なら、一緒にいる意味なんてなくない?」って考えちゃうなぁ。昔からこの点に関してはかなり明確な考えを持っていましたが、本作『早乙女カナコの場合は』を観て、「改めて考えてみても、自分の感覚は変わらないよな」と思いました。

「恋愛感情だけでは決められない結婚」の話、そして「『恋敵との連帯』に見る、女性同士の興味深い関係性」について

カナコには「編集者になる」という明確な夢があって、そこに向かって必死に頑張っています。つまり彼女の人生においては、「仕事」がかなり大きなウェイトを占めることになるというわけです。学生時代ならややこしいことは考えずに「好き!」だけで恋愛が出来ると思いますが、社会人になると、仕事や結婚なんかのことを考えてそう単純ではなくなってくるでしょう。カナコはもちろん、自分の夢を諦めたり歪ませたりしてまで長津田との関係をどうこうするつもりはないと思います。

いか

しかしホント、みんな「将来のこと」なんていつから考え始めるんだろうね

犀川後藤

43歳にもなって未だに何も考えてない人間からすると、「みんな凄いな」としか思えない

でも、その先はどうでしょうか? つまり、「仕事において目指す場所にある程度まで辿り着けた場合、それでもカナコは長津田を選択肢から外したままにするのか?」ということです。「長津田なんか普通選ばないだろう」と考える場合、恐らく「将来が見通せない」という要素を重視しているわけですが、自分の努力でその「将来」をある程度確定させられれば、「ダメな男との恋愛・結婚」が人生を脅かす可能性は低くなるでしょう。そうなった時、長津田という選択肢は再びカナコの視界に入ってくるものなのか? というわけです。

この辺りの話になると、男の私にはちょっと想像が難しくなってきますが、「まったくないなんてこともないだろう」と思ってはいます。そして本作では、そういう想像を掻き立てるような「ぐちゃっとしたややこしさ」が描かれていて、面白いなと感じました。

犀川後藤

女性の場合は本当に、「子どもを産みたいかどうか」みたいな話も絡んでくるから大変だなって思う

いか

この点はどうしたって男にはイメージ出来ないものがあるよね

さて、「ぐちゃっとした」と書いてはみたものの、その言葉の響きからイメージするほどドロドロした感じではありません。本作では早乙女カナコを中心に様々な恋模様が描かれるわけですが、それらはかなり健全に展開していくと言っていいと思います。まあ、「どちらかと言えば不健全」みたいな恋愛も描かれますが、それにしたってそう大したレベルではありません

じゃあ何が「ぐちゃっと」しているのかというと、「恋の当事者たちの思いがけない関係性」です。ネタバレをしたくないので具体的には触れませんが、本作では「この人とこの人にこんな関係があるんだ」と感じられるような展開が多くて、この点もまた面白いなと思いました。こういう要素はともすればリアルさを失わせたり、フィクションっぽさを強めたりしてもおかしくないと思うのですが、本作ではそんな違和感が強く打ち出されてはいないはずです。そのバランスも良かったなと思います。

本作では特に、「恋敵」と呼んでいいだろう女性同士がちょっと変わった関わり方をする展開になるのも面白かったです。表現が難しいですが、「連帯」と呼んでもいいような状況が生み出されていました。フィクションの世界ではどうしても、「恋敵とは敵対する」という分かりやすい構図が採用されがちですが、「現実はそんなシンプルじゃないよな」と思ったりします。だから、本作で描かれている「恋敵同士の連帯」みたいな要素にはある意味でリアルさを感じさせられたし、本作の魅力の1つになっているとも言えるでしょう。

犀川後藤

女性同士の場合は特に、こういう「連帯」って生まれてもおかしくないよなってイメージがある

いか

男同士だとちょっと想像しにくいかなって気がするけどね

しかしホント、「早乙女カナコを橋本愛が演じる」というのはピッタリだったなと思います。本作においては、早乙女カナコが醸し出す「男っぽさ」、というか、「女っぽくはいられない感じ」みたいな雰囲気がとても重要だったと思うし、そして橋本愛がそんな佇まいを絶妙に醸し出しているなと感じました。また、山田杏奈が演じた麻衣子はまさにその真逆といった立ち位置であり、彼女もそんな雰囲気を絶妙に演じていたなと思います。

ただ、難しいなと感じる側面もありました。公式HPには、「早乙女カナコは恋に不器用」「本田麻衣子は高校時代ちょっと地味だった」と書かれているのですが、橋本愛・山田杏奈からそうした雰囲気を感じることは難しいでしょう。個人的には、橋本愛・山田杏奈の起用は大正解だったと思いますが、こういう部分はやはり「生身の人間が演じるデメリットだな」と感じます。

いか

ただ、以前観た映画『さかなのこ』のように、「さかなクン」の役を女性である「のん(能年玲奈)」が演じて超絶素晴らしかったみたいなパターンもあるけどね

犀川後藤

あれはホント、天才的な配役だったなと思う

最後に

もの凄く良かったというわけではないのですが、全体的としてはとても面白く観れた作品です。傍から見る限りは、長津田とカナコの10年間はとにかくめんどくさそうだったけど、でも同時に羨ましささえ感じさせる関係性で、「いいなぁ」と思わされてしまいました。個人的にはホント、こういう関係が理想です。

ちなみに、本作は柚木麻子原作で、同じく柚木麻子原作の映画『私にふさわしいホテル』(のん主演)と連動しているのでしょう、のんが『私にふさわしいホテル』と同じ役で本作『早乙女カナコの場合は』にも出演していました。ただ、『私にふさわしいホテル』では橋本愛がカリスマ書店員役として出演していたので、なんか混乱してしまいますが。こういう仕掛けも面白いなと思います。

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