【協働】日本の未来は福井から。地方だからこその「問題意識の共有」が、社会変革を成し遂げる強み:『福井モデル 未来は地方から始まる』(藤吉雅春)

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:雅春, 藤吉
¥781 (2022/01/21 06:15時点 | Amazon調べ)

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 日本の人口は減り続けると予測されており、あらゆる社会問題の根本原因となっている
  • 富山市は、コンパクトシティ化を成し遂げた街として世界的に注目されている
  • 福井県の子どもはなぜ勉強が出来るのか?

具体的な事例だけではなく、その根底にある考え方を理解することで、様々な問題解決に役立てられそうな1冊

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「人口減少社会・日本」で生きる我々が、都会・地方を問わず持つべき「危機意識」をどう共有するかについて、『福井モデル 未来は地方から始まる』から考える

本書は、福井県の事例を中心とした「地方改革」の話であり、そういう事柄に関心を持つ人にももちろん読んでほしい作品だ。具体的な事例を元に、「地方が抱える問題をどう解決したか」が描かれており、本書の記述が直接的に参考になる、というケースもあるはずだ

しかし本書で語られるのは、決して「地方改革」の話に留まらない。私が思う本書の最も重要なポイントは、「問題に対する『危機意識』をいかに共有するか」だからだ。

職場でも地域でも家庭でも、常に様々な問題が起こる。それらに自発的に気づき、率先して行動を起こせる個人もいると思う、やはり個人の力でどうにかなる領域は少ないはずだ

だからこそ、その問題に対する「危機意識」を関係者間でどう共有するのかが、何よりも重要になってくると私は考えている。

そして、この点について具体的に考える上で「地方改革」は最適だろう。地方であればあるほど、日本が将来的に直面する社会課題を先取りしている。それに対する危機意識を持つ者も、都会よりは多いだろう。しかしやはり全員ではない。だからこそ「危機意識を持っている者同士をいかに繋げ、危機意識をまだ持てていない者をどう巻き込んでいくのか」という発想が重要になってくるし、その実践の場として地方は適していると感じる。

危機に早く気づいた地域には、一歩先を進んだ社会のヒントがあるのではないか。つまり、地方は「先に終わった」のではなく、「先に始まった」のだ。地方にこそ2025年の未来を知る機会があふれている。東京よりも先にどん底を見た人たちは、どういう手段で今までとは異なる社会をつくろうとしているのだろうか

そういう意味で本書は、あらゆる組織・コミュニティにおいて参考になる話ではないかと感じる。

日本の人口は減り続けているし、これからも増えないと予測されている

日本は様々な社会課題を抱えているが、本書はその中でも「人口減少」を取り上げる。出生率が低くなっている、若者が結婚しない、結婚しても子どもを持とうとしない、少子高齢化が進んでおり若者の数が少ない、などなど、「人口が増えない/減っている」ことに絡む話は日々耳にすることがあるだろう。しかし実際に現状がどうであり、どのような予測がなされているのか知っている人は多くないと思う

本書の31ページには、2010年に国土交通省が作成した「人口変動の予想グラフ」が載っている。まったく同じものではないが、同じく国土交通省が作成した資料があるのでリンクを貼っておく。

https://www.mlit.go.jp/singikai/kokudosin/keikaku/lifestyle/kondankai/shiryou5.pdf

本書によれば、2000年から2050年の50年間で、人口が約3000万人減ると予想されている。この記事を書いている時点での東京の人口が約1500万人なので、50年で東京の2倍の人口が減るというわけだ。

また、2050年から2100年までの50年間については3パターンの予測が提示されているのだが、その中で最も悪い予測の場合、日本の人口は3770万人となる。これは、明治維新の頃とほぼ同じ人口だそうだ。

なかなか衝撃的な可能性ではないだろうか。こういう予想がどの程度正しく未来を描くものなのか分からないが、人口に関しては「出生率」「死亡率」などの統計データがかなり潤沢に揃っている印象があるので、大きく外れた予測にはならないのではないかと私は思っている。

また重要なのは、「ただ人口が減るだけではない」ということだ。予想しているだろうが、高齢者の割合がさらに高くなると予測されている。2050年の予測値では、人口に占める高齢者の割合は40%とされているのだ。「高齢者」というのは65歳以上の人を指すので、2050年には「5人中2人が65歳以上」ということになる。ちなみに、日本の人口のピークは2006年であり、その時点での高齢者の割合は20%だったので、約50年でその割合が2倍になる、と予測されているというわけだ。

それがすべてではないにせよ、日本が抱える問題の多くにこの「人口減少」が関係している。地方では特にその影響が深刻だ。先程示した「人口における高齢者の割合」は日本全体の平均だが、当然、地方の方が高齢化率は高くなる。働く人が少なくなる一方で、医療・介護・生活のサポートを必要とするお年寄りの割合が増していくのだ。

本書では、「人口減少」に直面する地方の厳しさと、それにどう対処しようとしてきたのかの歴史がざっくりと概観されていく。政治の世界で「出生」を扱うことの難しさや、「かつての成功体験を追い求めてしまいがちな発想」が悪循環を生んでいる現状など、過去から現在に至るまでの情報が様々な形で整理されていくというわけだ。

富山県の成功例

本書は、タイトルに「福井」とつくが、富山県の事例についても多く触れられる。まずそちらの話からしていこう。

私は本書を読むまで知らなかったが、富山市は世界的に注目されている「コンパクトシティの成功例」なのだという。コンパクトシティ先進都市である「メルボルン」「バンクーバー」「パリ」「ポートランド」と並び、富山市が選出されているのだ。

本書には、まさにそのコンパクトシティ化を推し進めた市長が登場する。そして現状をどう捉え、その改善策としていかにして「コンパクトシティ」にたどり着き、それをどのように実現させていったのかを語っていく。

「コンパクトシティ」というのは、名前のイメージの通り、「郊外に居住地域が広がらないように抑え、生活圏を出来るだけコンパクトにまとめた街」のことだ。例えば、山奥に住んでいる人にも水道を行き渡らせたり、数家族しか使わない橋の維持管理にお金が掛かったりと、住民が広範囲に渡って分散していると、それだけ行政サービスのためのお金が掛かる。だからこそ、住民をなるべく中心部などに固めることで、支出を抑えながら行政サービスを充実させるような発想が必要になっているのだ。

人口減少社会においては、検討すべき有力な対策の1つと言っていいだろう。

とはいえ、住み慣れた地域を離れてもらうのはそう容易なことではない。そこで市長は施策の1つとして、「お得感」を抱かせて行動変容を促そうとした。

その事例として紹介されているのが、「孫と一緒に来れば無料」というサービスだ。市内にある動物園など市が管理する施設について、「祖父母が、孫やひ孫と一緒に来れば入園料を無料にする」という1年限定の施策を行ったのである。

この施策に関する、市長の発言が非常に面白かった

上述のようなアイデアは、別の自治体でも検討されていたのだが、「孫がいない人には不公平な仕組みだ」という声が上がり、結局実現しなかったという。しかし市長は、「小さい子どもを連れてきて『孫だ』と言い張ればいい」と堂々と主張する。

それは、この施策の本質をきちんと理解しているからだ

市長が考えるこの施策の最も重要なポイントは、「お年寄りを外出させること」だった。だから、連れてくるのが本当の孫かどうかなど、はっきり言ってどうでもいいのだ。

こういう柔軟な発想の持ち主である市長の音頭の元、様々なデータと論理を駆使して住民の支持を集めつつ、「お得感」を抱かせる手法も様々に取り入れることで、人々をいくつかの地域に集約させることに成功した。そしてその地域同士を公共の交通網で結ぶことで、富山市の「コンパクトシティ化」を実現させたのだ。

富山市長には、この成功を知った世界中の人たちからの講演依頼が引きも切らないそうである。富山市がそんなことになっているとは、まったく知らなかった。

またもう1つ、富山県の成功事例が紹介されている。港町である岩渕地区の話だ。

この地区はかつて、猫とロシア人しかいなかったと言われるほど寂れた地域だったというしかしそんな場所が、観光客が大挙する町へと変わった

岩渕地区は今、伝統的な竹細工が施された古さを感じさせる建築物で埋め尽くされている。しかし元々はそんな町ではなかった。地元の造り酒屋の店主が発起人となり、時代劇に迷い込んだような町並みを作り出すために「古い建築物が増える仕組み」を生み出したのである。それは、多くの人が自ずと協力したくなるようなものであり、住民一丸となって「観光客が来たいと感じる町並み」を作り上げたのだ。

また本書では、富山県の中小企業である精米会社とタンク製造会社の事例も取り上げられる。かつて外務省が、「中小企業の技術力を海外へと広めよう」というプロジェクトを立ち上げたことがあり、富山県のこの2社も参加することになっていた。しかしこのプロジェクト、「法律の壁」に直面したことで当初の狙いから方向転換せざるを得なくなってしまう。しかし結果的に、方向転換が良い効果をもたらし、長期的な繁栄をもたらすことになったそうだ。

そのような事例についても触れられている。

富山県が「地方改革」という点でこのような目立つ成果を挙げているとは知らなかったので、非常に驚かされた。

福井県・鯖江市の特殊さ

さてここから、福井県について取り上げていこう。まずはデータから、福井県の凄さを見ていくことにする。

都道府県幸福度ランキング」という指標があり、このランキングでは北陸3県が毎回上位にランクインするそうだ。福井県はその3県の中でも、合計特殊出生率が高い。本書によれば、共働きが当たり前という考えが昔からあり、さらに子どもを産み育てやすい環境が整っているのだという。本書には他にも、福井県が様々なデータで突出した数字を叩き出す例を紹介しているが、とにかく日本の地方の中で、福井というのはかなり特異な存在であるらしい。

そしてその中でも特殊さを示す地域として、本書では鯖江市が取り上げられる。鯖江市は、福井県内でも唯一人口が増加し続けている土地だという。また、学校で「お父さんの職業は?」と聞くと、ほぼ全員が「社長」と答えるほど「社長」が多い町でもあるそうだ。

さてご存知かもしれないが、鯖江市は眼鏡フレームの生産で有名だ。しかし同時に、「日本でも最も早く中国にやられた町」でもあるという。眼鏡フレームは、安い中国製にシェアを奪われてしまったのだ。しかしそれでも、鯖江市には未だに「社長」が多く、産業は生き残り、他に類を見ない強みを維持している

何故だろうか?

これには、増永五右衛門という人物が関係している。明治時代、鯖江に眼鏡フレームの産業を持ち込んだ人物だ。眼鏡フレームの生産には高度な技術を必要とするが、増永五右衛門は育てた技術者を囲い込むのではなく、独立させてグループ毎に競わせた。この仕組みは「帳場制」と呼ばれており、これが鯖江の眼鏡フレームの品質を向上させたのである。

「帳場制」の効果はそれだけではない。この仕組みは鯖江に、新たな起業家を生み出す土壌をもたらしたとも言われている。それぞれが独立して技術や品質を競うというスタイルは、起業家精神を育てるのに適していると言えるだろう。

そんな起業家精神が地域全体に根付いていることで、鯖江市は「インキュベータ(孵化器)」の性質も有することとなった。そのことを如実に示す、ある看護師のエピソードが語られている。一介の看護師でしかなかった女性が、日本政府からも注目され、外務省の管轄団体が彼女の成果を海外に紹介するまでになった、という物語だ。

その看護師は普段の仕事の中で、些細だが決して無視はできない問題を発見し、それを解決したいと考えた。そこからあれよあれよと話が進んでいく。彼女の夫はアイデアを耳にするや、すぐに設計を始めた。職場の医師はその話を聞き、資金が必要だろうと大金を出してくれる。地元の製造業の人たちも手助けをしてくれた。そんな風にして彼女は、起業の経験などまったくなかったにも関わらず、問題解決のための製品を完成させてしまったのだ。その製品は、グッドデザイン賞を受賞するほど評価された。

このようなことが鯖江市では当たり前のように起こるという。確かにこのような環境であれば、新たな起業家が生まれてもおかしくはないだろう。

このような特徴は決して鯖江市のみに留まるものではなく、福井県全体で見られるそうだ。福井には国内シェア・世界シェアで優位に立つ企業が多いようで、まさにこれは「インキュベータ」としての地域性が影響していると言えるだろう。

著者は、そんな福井の特徴について、

では、「なぜ福井なのか」と問われれば、こう答えている。常に何かが欠けているからだ。欠けているから、自助努力をして必死に埋めようとしている

と書いている。「足りない」という危機意識が地域全体で共有されているからこそ、「何かしなくては」という行動を皆が取ることができる、ということなのだろう。

福井県の「教育」は何が凄いのか?

本書には、文科省のキャリア官僚による、

日本の教育を変えることができるのは、福井大学の教職大学院しかありません

という発言が記されている。これまた私は寡聞にして知らなかったが、福井県は「教育」でも非常に注目されているのだそうだ。

福井県はなんと、小中学校の全国学力テストで10年連続全国トップクラスを維持しているのだが、一方で、福井県では学力テスト対策は行われていないという。全国の教育関係者から、「福井の子どもたちはどうしてあんなに勉強が出来るのか?」と不思議がる声が上がるほどの状況なのだ。本書を読めばその一端が理解できるだろう。

例えばこんなことが書かれている。

中学の「技術・家庭」という授業が、福井県と他県の違いを見る上でわかりやすいだろう。(中略)
福井県では、ここでも「思考」から取りかかる。
「学校に必要なものは何か、こんなものがあったら便利だなと思うものを探しなさい」

グループで討論して、その場で書いたものを記録として残す手法は、昔から福井では行われているという。「ポートフォリオ」と呼ばれていて、残すだけでは価値がなく、記録を見て必ず振り返ることが重要だ。
そして、何を学んだかを、自分たちでレポートにする。思考のプロセスを見ていると、当初の見立てと違い、自分の考えがどう変容したかがわかる。つまり、先生に教えられたから答えを導き出したのではなく、自分の考えがどう変わり、どんな結論になったかを自分の言葉で書く。これが「子どもが主体となった授業」である。

どうしても学校の勉強というと「暗記」という考えになりがちだが、福井県ではそもそもそういう発想がないそうだ。本書を読んでも、「いかに思考させるか」という点に全振りしている、という印象が強い。

何度も何度も思ったことを書く。書いて書いて書きまくる。そして思考を整理する。
自分で課題を見つけて、協働で解決していく。それにはコミュニケーションできる能力を高めていくことが必要になる。これがあらゆる授業の基本だ。
社会に出た時には、学校で習ったことはすでに古びてしまい、グローバル化と超高齢化によって社会の仕組み自体が変わっている。より良い結果を導き出すには、思考を整理できるこうした能力を養っておいた方がいいというわけだ。

福井県で行えていることが、他県でどうして出来ないのかはよく分からない。起業家精神の根付いた土地柄だからこそ、「既存の考えを学んでも仕方ない」という発想が支配的なのかもしれないし、そのお陰で、「テスト対策ではなく、社会に出た時に持っているべき能力を鍛える」という観点で教育が行われているのかもしれない。

福井県の凄さが実感できる1冊だった

著:雅春, 藤吉
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最後に

冒頭でも書いた通り、本書は「地方改革」がテーマではあるのだが、決してそれだけの本はない。本書を読むと、「地方改革」のためかどうかに関係なく、「自分にも何かできるのではないか」という気持ちになれるのではないかと思う。

個人が出来ることは決して多くはないが、意思を持つ多くの個人が集えば出来ることは格段に増える。そんな可能性を示唆してくれる1冊だ。

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