【挑戦】深海に棲む”聖杯”ダイオウイカをNHKが世界初撮影。関わった者が語る奇跡のプロジェクト:『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:NHKスペシャル深海プロジェクト取材班, 著:坂元志歩
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この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 欧米では、ダイオウイカは「聖杯」としてもの凄く強い存在感を放っている
  • 日本では企画さえなかなか通らず、10年の間に何度も危機的状況に見舞われた
  • 撮影成功に対する世界からの絶賛の嵐と、研究成果の捉え方

東日本大震災すらも乗り越え実現した、NHKにしか不可能だっただろう超ビッグプロジェクトの全貌

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

生きたダイオウイカをNHKが世界で初めて撮影した10年間にも及ぶ長い苦闘と快挙を追う『ドキュメント 深海の超巨大イカを追え!』

これが、人類が初めて深海の生きたダイオウイカと対面した瞬間だ。
ダイオウイカが現れた時間は、わずか23分。誰も成し得なかったことを、やりとげてしまった23分間。この物語は、その23分間のために10年の歳月と情熱を捧げた人々を追ったものだ。

2012年7月10日、NHKの取材チームが世界初となる快挙を成し遂げた。深海に棲むとされており、船乗りを襲うとして古くから恐れられた怪物「クラーケン」のモデルとも言われるダイオウイカ、その生きた姿の撮影に世界で初めて成功したのだ。日本でも大きな話題となり、その姿を捉えたNHKのドキュメンタリー番組も高視聴率を記録したが、この快挙は特に欧米で話題をかっさらった

確かに、日本人にとって「ダイオウイカ」は大した存在には感じられないだろう。しかしどうやら欧米人にとっては「聖杯」のような存在らしい。

ダイオウイカを「聖杯」と捉える欧米人の感覚

どんな学問分野にも「聖杯」と呼ばれる、誰もが目指すべきゴール的な目標が存在するだろうと思う。現代数学で言えば恐らく「リーマン予想」だろう。物理学であれば「統一理論」や「ビッグバン以前」などの研究がそれに当たると思う。

そして、欧米人にとってダイオウイカは、そのような「聖杯」として受け取られているという。

彼らにとってダイオウイカとは、たとえるなら聖杯伝説にも似た特別なもののようだ。現実として存在すると期待されながらも、伝説の生きものとして、大きな憧れと畏怖の念をかき立てられる存在であることを、岩崎は実感した。

これはちょっと、日本人には馴染まない感覚だろう。日本人にイメージしやすい形で例えると、「徳川埋蔵金」のようなものと言えるかもしれない。ダイオウイカは、目撃情報も存在していたし、死骸が発見されたこともある。しかしそれでも、誰も「生きた姿」を目にしたことがない。存在はするのだろうが、本当に実在するのか確証はないという状況が、欧米人の興味を駆り立てるというわけだ。

NHKの取材班は、2004年にダイオウイカの静止画を発表した際にそのことをより強く実感したという。

「日本の窪寺がついにやりとげた!」
窪寺を称賛する数々の文字が躍った。
欧米の新聞社やテレビ局が窪寺からインタビューを取ろうと、こぞって国立科学博物館に電話をかけてきていた。フランス、イギリス、ドイツ、アメリカ……各国から記者が押し寄せてきた。はじめは新聞、テレビ、その後に雑誌という具合に、少しずつ時期をずらしながら1ヶ月あまりメディア取材に対応せざるを得なかった。
その騒ぎを見て、小山と河野は驚きを隠せなかった。
「静止画でこれほどの騒ぎになるのか」

なかなか凄まじい反応だと言えるだろう。静止画でこれだ。欧米人のあまりの関心の高さが窺えるだろう。長年、航海によって領土の拡大を行ってきた欧米人には、「海の怪物」としてその存在が語り継がれてきたということなのだと思う。

本書には、欧米人にとっての「ダイオウイカ」は、日本人にとっての「龍」に当たるかもしれないと書かれている。しかし私たちは「龍」が存在しないことを知っているので、あまり適切な例ではないように思う。「ツチノコ」では少し規模感が小さくなると考えて、先程は「徳川埋蔵金」を例に挙げた。「実在が完全に否定されているわけではない」という意味では、「ネッシー」「雪男」「チュパカブラ」のようないわゆる「UMA」を思い浮かべてもいいかもしれない。

いずれにせよ欧米人にとって、「ダイオウイカ」は壮大なロマンを駆り立てる「聖杯」そのものであり、だからこそNHKの快挙は、日本以上に諸外国で大きく取り上げられたのである。

NHK主導で進められた、10年にも及ぶ超長期取材の凄まじさと過酷さ

本書を読む前、「NHKが世界で初めてダイオウイカを撮影した」というニュースを目にした時、私はこの「ダイオウイカ撮影プロジェクト」についてこんなイメージをしていた。まず、世界のどこかの国の研究機関なり博物館なりがダイオウイカの大規模な調査に乗り出す決断をする。その情報を聞きつけたNHKが「取材をさせてもらえませんか?」と交渉し、密着がスタートした。私はそう思い込んでいたのだ。

つまり、プロジェクトの主導はあくまでも研究機関・博物館が有していると考えていたのである。

しかし本書を読んで、その認識が誤りだったことを知る。このプロジェクトはなんと、NHK主導で行われたのだ。

ただ、イメージできるかもしれないが、この企画がNHKですんなり通ったわけではない

企画を採択する側から見ると、ダイオウイカという題材はリスクにあふれていた。欧米のテレビ局がこぞって狙っているというのに、撮影できていない。つまり、撮影できる可能性は限りなくゼロに近く、そこにかかる労力はただならぬものがあることが予想される。
幻の、文字通り捉えようのないイカであること。この点は、自然番組を長年つくっている人々なら、みな知っていた。
さらに致命的だったのは、日本のなかでのダイオウイカの知名度の低さだった。欧米では、誰もがロマンをかきたてられる伝説の怪物だが、日本ではその魅力が伝わらず、リスクを冒してまで撮影しようという雰囲気ではなかったのだ。

それはその通りだろう。「徳川埋蔵金」の企画の方が、知名度や関心度など考えても企画はずっと通りやすいと思う。ダイオウイカを撮影できる可能性は限りなく低く、それでいて撮影できても国内での関心はそこまで期待できない。NHKがGOサインを渋るのも当然と言える。

そこでプロデューサーの岩崎は発想を変えた。日本で企画が採用されないならと、世界の放送局を巻き込むプロジェクトとして始動させる決断をしたのだ。そして、ディスカバリーとの共同制作としてようやく企画が進むことになったのである。

しかし、ようやく動き出したプロジェクトも、幾度も暗礁に乗り上げてしまう。その最大の要因は、期間と資金にあった。

じつは2009年9月の時点で、岩崎は、上層部から引き返す地点をつくろうという話をもちかけられていた。それは、2009~10年で、ダイオウイカが全く撮影できなければ、企画そのものを白紙に戻すというものだった。何に一番費用がかかるかといえば、やはり潜水艇なのだ。その前に引き返すことができれば、痛手とはいえ、致命傷を避けることができる。

最終的に、プロジェクトの始動から10年で撮影に成功したわけだが、当然、10年経ってもダイオウイカが撮影できない可能性も十分にあった。それぐらい困難なミッションなのだ。上層部としては、「どこで諦めるのか」という引き際を考えないわけにはいかないだろう。

プロジェクトに関わる者たちも常に焦りを抱えていた

月日を重ねるごとに、小山と河野は追い込まれていった。3年という長期のプロジェクト期間をもらって撮影できなければ、2人のNHKでの立場は微妙になるかもしれない。深海以上の暗黒世界が、2人の背後に口を開けて待ち構えていた。焦燥感の募る、厳しい労働。それがイカ工船だ。

繰り返すが、「ただダイオウイカの姿を撮影する」というだけのために、膨大な労力・時間・資金を費やしているのだ。だから「撮れない」ことへのプレッシャーは凄まじいものがある。

また、「撮れないこと」を凌駕するような苦痛もあった。ディレクターの小山は、船酔いに耐えながら日々深海の撮影を行うのだが、陸に上がってからは撮影したテープをチェックする作業も待っている。そしてそれは、黒い画面がひたすらに続く眠気を誘う映像なのだ。この確認作業ももの凄く苦痛だったのである。

しかも小山は、この確認作業の間、毎回必ず自分の後ろにカメラをセットしていた万が一ダイオウイカが映っていた場合の自身の反応をカメラに収めるためだ。ダイオウイカが撮影できない期間、ずっとこれをやり続けるのである。なかなかの精神力が必要だと言えるだろう。

そんな中で、部長職に昇進していた岩崎はこんな決断をするに至った。

そして、2010年の春、岩崎は一つの決断をする。全く成果の出ないプロジェクトに危機感を抱いて、部長職を辞し、プロデューサーとして現場に戻る決意を固めたのだ。

彼もまた、このプロジェクトに囚われていた人物であり、人生を懸けていたと言ってもいいだろうと思う。このように、プロジェクトに関わった多くの人の様々な決断が、撮影成功という快挙の背景にあったのである。

また、東日本大震災もこのプロジェクトに暗雲をもたらすことになった。

未曾有の震災の後も、番組を継続するのか。本当にできるのか。大震災、原発事故と震災の余波は収まることはない。優先されるべきは緊急報道だ。予定されていた番組編成は大幅に変更になり、緊急性の低いものは延期、休止されていった。

当たり前の判断だろう。「こんな状況下で、”ダイオウイカ”なんかに構っていていいのか」という感覚になるのも当然だ。

こんな風に、結果として撮影できたから良かったものの、そこに至るまでの10年間は、よくぞ持ちこたえたと感じるほどの苦難の連続だったのだ。その過酷な道のりが、本書には描かれている。

また、ダイオウイカの撮影に至るまでには、様々な知見・発見・決断・技術革新が不可欠だった。漁師に協力してもらい、ダイオウイカが集まりやすい季節を特定したこと。イカの視界を想像した上で、赤色方向の光で撮影したこと。光量の少ない環境でも撮影可能なカメラをNHKが独自に開発したこと。撮影クルーの反対を押し切ってカメラをもう1台設置する決断をしたこと。これらの要素が絶妙に絡まり合い、「奇跡の23分間」が生まれたのである。努力したからといって奇跡が起こるとは限らないが、努力し続けなければ奇跡など起こらないのだと実感させられるエピソードの数々だった。

ついに奇跡の瞬間を迎えた歓喜と、その後の反応

このように艱難辛苦を乗り越えながら、このプロジェクトに当初から関わっていた岩崎・小山・河野の3人は、ついにダイオウイカという聖杯を掴み取るに至った。その日々を、彼らはこんな風に振り返っている。

岩崎も、小山も、河野も口を揃えて言う。
世界で初めてのダイオウイカの撮影という偉業を成し得た理由は……奇跡だった、と。それは、仲間たちに支えられ、諦めずに挑戦し続けたからこそ成し得た奇跡だった、とも。

このプロジェクトに参加したのは、ほんの少しの夢と情熱を持ち続けた普通の人々だ。地道に研究を重ねてきた科学者、休むことなく撮影に挑んできたカメラマン、苦労をいとわなかったディレクター、現場に戻り陣頭指揮を取ることを選んだプロデューサー……。
成功など、全く約束されていない。日々孤独感に苛まれ、苦しむことはわかっていても、誰も挑戦を辞めなかった。

本当に、彼らの努力が報われて良かったと改めて感じる

さてその後、ダイオウイカの映像がNHKスペシャルで放映された

ダイオウイカの映像が放送された後、「世界で初めてダイオウイカを撮影して何の意味があるのですか?」と誰かがテレビで話していた。その通りかもしれない。でも、10年の物語は――変わらぬ夢を持ち続け、逆境を跳ね返し、時にはばかばかしいほど熱くなる物語――そこに意味があるということを、きっと教えてくれる。

特に科学研究に対しては、このような視線を向けられることが多い。大金を注ぎ込んで判明したその研究結果は、どんな役に立つのだろうか、と。

確かに、直接的には意味はないかもしれない。しかし、「人間である以上、知的好奇心を失ったら終わりだ」とも感じている。人間と他の生き物とを区別する指標は様々に存在するだろうが、「知りたい」という欲求が人類をここまでの存在に引き上げてきたのだ、という事実は揺るがないと私は思う。

ダイオウイカ撮影の物語は、「知りたい」という気持ちを素直に捉え、その可能性を諦めずに追い求めた者たちの奇跡の物語だ。そして、その軌跡に触発された「『知りたい』欲求を抱えた者」が、世界を一変させるような発見・発明をするかもしれない。そのようにして私たち人類の歴史は連綿と続いてきたのだと私は思っている。

だから私は断言したい。「世界で初めてダイオウイカを撮影して何の意味があるのですか?」という問いは愚問だ、と。

著:NHKスペシャル深海プロジェクト取材班, 著:坂元志歩
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最後に

以前何かで、「深海」「宇宙」「脳」の3つが、人類が未だ奥深くまで入り込めていない未知の領域だと書かれているのを読んだ記憶がある。さらに、これまで宇宙に行ったことがある人は500人を超えているが、地球で最も深いマリアナ海溝にはこれまで23人しか到達したことがないという。ある意味で、宇宙よりも深海は遠いと言っていいだろう。

そんな深海に棲むダイオウイカを捉えるのは並大抵のことではない。彼らの偉業の凄まじさが改めて理解できるのではないだろうか。

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