【相違】友人の友人が作ったZINE『our house』には様々な「恋愛に惑う気持ち」が詰まっている

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

いか

この本をガイドに記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

思ってもみなかった形で本作『our house』と出会えました

犀川後藤

こういうことが時々起こるから、やっぱり人と関わるのは面白いなって思います

この記事の3つの要点

  • ZINE界隈に積極的に足を踏み入れていたわけではない私は、いかにしてインディペンデントマガジン『our house』と出会ったのか?
  • 「恋愛はしたいけどセックスはしたくない」というノンセクシャルの恋愛に対する感覚に凄く共感させられた
  • 「言葉では『恋愛』と『友情』を区別できないが、感覚的には明らかに違う『何か』がある」という話は実に興味深い
犀川後藤

「恋愛」を主軸に多様な価値観に触れられる、メチャクチャ素敵な作品だった

自己紹介記事

犀川後藤

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

ZINE(インディペンデントマガジン)である『our house』は、「恋愛」をテーマに様々な価値観を浮き彫りにするとても刺激的な1冊だった

私が本作『our house』を手にすることになったきっかけ

今回取り上げるのは、いわゆるZINE(個人制作の出版物)である『our house』です。私はminneで購入したのですが、この記事をUPする時点では「SOLD OUT」となっていました。第2号はまだ在庫があるようなので、興味がある方は2号を買ってみてもいいかもしれません。

いか

しかしこの記事を書くのに久々に販売サイトを見てみたら売り切れててビックリだったよね

犀川後藤

ホント改めて、メチャクチャ良いタイミングでこの作品に出会えたんだなぁって思った

というわけで、今回感想を書く第1号を今後手に入れられるかは分かりませんが、個人的にはかなり素敵な作品に感じられたので、その中身を紹介していきたいと思います。

ただまずは、「私が何故『our house』を手にするに至ったのか?」という話から始めることにしましょう。友人の友人というある女性と知り合ったことで本作に出会えたという話です。

きっかけは、友人と飲みに行ったことでした。彼女は、私が以前働いていた本屋でバイトしていた学生(当時)で、今でも時々飲みに行きます。そしてその友人と飲んでいる時に、会社の後輩(新入社員)を呼んだみたいなのです。会話の中で前触れなく「これから後輩が来ますよ」という話になったのでした。

いか

こういうのはメチャクチャ嬉しいよね

犀川後藤

私のことを何て説明してるのか知らないけど、良い風に言ってくれてるんだろうし、「良かった~」って感じになる

友人はその新入社員について「哲学とか勉強してる」「だから犀川さんとも話が合うんじゃないかと思って」と言っていたのですが、実際には大学でアートの勉強(ただし芸術大学ではなく、総合大学で研究)をしていたそうです。そしてそんな流れから、「私、友達とZINE作ってるんですよ」という話になりました。それで、これは本当に偶然なんですが、ちょうど私もその時にZINEの制作を別の友人に頼んでいるところで、それでさらに会話が進んだという感じです(私のZINEに関する情報は以下に)。

ただ、初対面の年上の異性からいきなり「ZINE買います!」みたいに言われるのはちょっと気持ち悪いかなとか思って(「急に距離を詰めてきやがった」なんて印象になったら嫌だなと)、なのでまずは、彼女たちがそのZINEの宣伝を兼ねて始めたらしいポッドキャストを聴いてみることにしました(そのポッドキャストのリンクは以下に)。そしてこのポッドキャストが大変面白く、「会って話した時から思ってたけど、やっぱりメチャクチャ興味深い人だな」と感じたので、それでポッドキャストやInstagramのリンクから販売サイトに辿り着き、購入してみたという感じです。

犀川後藤

ホントに、メチャクチャ良いタイミングでメチャクチャ興味深い人に出会えたって感じだったよね

いか

私の人生にはこういうことがちょいちょいあるけど、久々に「おぉ!」ってなる出会いだった

「ZINEを作った」みたいな話をしましたが、だからと言って私はZINE界隈に首を突っ込んでるとかではなく、というか全然関わっていません。なので、その新入社員と出会うことがなければ、本作『our house』に辿り着くこともまずなかったでしょう。そしてさらに、そんな風に出会ったZINEの内容が、私が作ったZINEのテーマとほぼ同じで、そのことにも驚かされました。あんまりこういう言葉を使いたくはないですが、「運命」的なものを感じる出会いだったなと思うし、ホントにこういうことが起こるから「人と関わるのって面白いよなぁ」って感じたりします。人にもZINEにも、とにかくメチャクチャ良い具合に出会えたなという感じでした。

セクシャリティへの理解など一切ないだろう「でも、それって詐欺じゃん」の話

さて、ZINEの内容にはこれから触れていきますが、その前にもう1つだけ、本作『our house』で扱われている話に親和性のあるエピソードについて書いておきたいと思います。これも、私が本作に出会うちょっと前の出来事で、私は本作を読みながらすぐにこのことを思い出しました。個人的にはなかなか強烈なインパクトを感じた出来事であり、「相互理解というのはやはり難しいのだなぁ」と感じさせられた話です。

いか

しかし、ここで言及している人がこの記事を目にする可能性がゼロではないってのがちょっと怖いよね

犀川後藤

本人が読んだらたぶん一発で自分のことだって分かるだろうけど、それでも一応、具体的なことにはなるべく触れずにぼやっと書いておこう

さて私はある時、「『その場にいるほぼ全員が、お互いに初対面』という状況で『性的同意』について議論する」という場にいました(なかなか状況を想像しにくいでしょうが、そういうことがあったんだなと思って下さい)。男女半々ぐらいの計10人弱の参加者は皆共通して、「基本的に性的同意は取るべきだよね」という意見を持っていましたが、その中で個々の価値観にはやはり差があり、様々な具体例や想像を取り上げながら話を進めていったという感じです。

そしてそのやり取りの中で、私は「アセクシャル」の話に触れました。「アセクシャル」というのは「他者に性的には惹かれないタイプのセクシャリティ」を指す言葉です。私の友人に「アセクシャル」にかなり近い人がいて、彼女とはそういうセクシャリティについてよく話すので、私にとっては割と身近な話題です。そして私は、「アセクシャルの中にも恋愛的な関係になりたいと考えている人はいるはず。でも、当然『セックスは避けたい』と考えているだろう。そういう人が割と一定数いることを前提に考えると、やっぱりもっと積極的に性的同意は取った方がいいと思う」みたいな話を出してみました。すると、私のこの意見に対して参加者のある男性(恐らく30代前半ぐらい)がこんな発言をしたのです。

でも、それって詐欺じゃん。

この発言の意味が理解できるでしょうか? 要するに、「『性的な関係を築きたくない』のに『恋愛的な関係になろうとする』のは相手を騙してることにならない?」みたいなことなのでしょう。私は正直、「すげぇこと言うな」と思いました。そんな風に感じる人がいてもまあいいのですが、「それをさも当然のことのように躊躇せず言えちゃうんだ」と驚かされたのです。掘り下げようと思えば、この点に関しても議論を広げられたかもしれませんが、その時のテーマは「性的同意」だったし、本筋から逸れてまで深堀りすることではないとその時は判断したので、それ以上相手の価値観を知ることは出来ませんでした。もちろん、他の参加者の意見を聞く機会もなかったので、この「それって詐欺じゃん」が一般的にどう受け取られ得るのかも私にはなんとも分かりません。ただ、特に若い世代ほど「えっ(絶句)」みたいになるんじゃないかなと思っています。

犀川後藤

しかしホントに凄い発言だったよなぁ

いか

これほどまでに「私はセクシャリティに対して理解がありません」と端的に表明する言葉もないからね

さて、この話がどう本作『our house』に繋がるのかは次で触れますが、私がどうしてこの発言に驚いたかと言えば、私の中には「恋愛とセックスが結びついている必要はない」という感覚があるからです。私は割と昔からそんな風に考えていたのですが、そうではない人、つまり「恋愛とセックスは分かち難く結びついている」と思っている人には「詐欺」という感覚になってしまうのでしょうそんな価値観が浮き彫りになった出来事だったなと思います。

『our house』の制作過程と、本作中で最も好きな「ロマンティック・アセクシャル(ノンセクシャル)」の話

というわけでようやくですが、本作『our house』の内容に入っていきましょう。まずは、どんな人たちが作っているのかから。

本作は、制作当時大学生だった2人の女性(この記事をUPした時点では、1人が社会人でもう1人は学生)が作ったZINEです(彼女たちは「インディペンデントマガジン」と呼んでいます)。第1号のテーマは「恋愛」で、彼女たちは自身でも文章を寄稿しつつ、同時に他の人にも執筆を依頼しているので、「恋愛」に関する様々な価値観が盛り込まれています

犀川後藤

依頼した1人から「何を書けばいいか分からない」って話が出たことがきっかけで、「お話会」も開いたみたいね

いか

本作『our house』には、「お話会」の内容も収録されてる

制作の2人は、本作『our house』でもポッドキャストでも繰り返し述べていますが、「恋愛に正解なんかないし、価値観を押し付けるつもりもない」「今恋愛をしている人にも、していない人にも、興味がない人にも関心を持ってもらえるように作ったつもり」みたいな話をしていました。ポッドキャストでは確か、「キュンキュンするような話は全然ない」みたいに言っていた気がするのですが、それは本当にその通りです。全体としては「恋愛に惑っている」みたいな話が多くて、それらから「なるほど、そういう考え方・価値観もあるんだなぁ」みたいに感じられるんじゃないかと思います。

さてそれではまず、先の「それって詐欺じゃん」の話に絡めるような形で、本作の中で私が最も好きな話を取り上げることにしましょう。それは、自身を「ロマンティック・アセクシャル(ノンセクシャル)」と規定する人の恋愛観です。非常に興味深い内容でした。

犀川後藤

ちなみにこの記事では、本作に寄稿している人について「彼」「彼女」みたいな表現は使わないつもり

いか

そもそも性別が分からないパターンもあるし、文面からそれが分かっても「身体と心の性が違う」なんて可能性もあったりするだろうしね

「ロマンティック・アセクシャル(ノンセクシャル)」という言葉は本作で初めて知りましたが、寄稿者の文章を借りるなら「恋はするけどセックスはしたくない」というセクシャリティを指すようです。調べてみると、どうやら「アセクシャル」の一部のような概念みたいでした。「アセクシャル」には「恋愛感情の有無」は関係ないようなので、つまり、「『アセクシャル』の中で『恋愛感情を抱く人』のことを『ノンセクシャル』と呼ぶ」みたいな認識でいいんじゃないかと思います。

そしてこの寄稿者はまさに、「『それって詐欺じゃん』的な認識に絶望している」と言っていいでしょう。

いや、この人物は別に「それって詐欺じゃん」みたいなネガティブな言葉を投げかけられたわけではなさそうです。というか、言葉の響きだけを素直に捉えるなら、かなりポジティブなものだと言えるかもしれません。本人も、ある言葉を投げかけられた状況について、「これに関してはどちらかと言えば私が悪いし、相手はこれっぽっちも悪くない」と書いていました。「相手は『配慮』の気持ちを込めてこのような発言をしたんだろう」と想像出来るような状況だと言っていいと思います。

しかし寄稿者はその発言を聞いて、「だからこそ私たちの関係はここで終わりなのだということを悟った」と実感したそうなのです。そして私は、その感覚がそれなりには理解できるつもりでいるので、「なるほどなぁ」と感じさせられました。

いか

ホント難しいよね

犀川後藤

「良かれと思っての言動」が結果として相手を傷つけてしまう、みたいな状況はホントに悲しいよなぁ

「恋愛」に「セックス」は不可欠な要素なのだろうか?

さて、私自身はアセクシャルでもノンセクシャルでもない(少なくともそう自覚している)のですが、全然別の理由から「なるべくセックスするような関係にならないと良いな」と思っています。というのも私の中には、「セックスは終わりの始まり」みたいな感覚があるのです。恋愛経験が多い方ではないのでサンプルは少ないのですが、ただこれまで、セックスをするとどうしても、「この関係は終わりに向かって進み始めたなぁ」みたいになってしまいました。そして、実際に長続きしません私としては「この人とは長く関わりたい」と思って恋愛にしていたつもりなのに、結果的に本末転倒みたいな状態になってしまうのです。それで、「恋愛を目指さない方がいいのかもしれない」と考えるようになりました。今では、「異性とは友人になろう」というマインドで日々過ごしています。

そんなこともあって、私はずっと「『セックスと切り離された恋愛』があってもいいんじゃないか」みたいに考えてきたし、だから「それって詐欺じゃん」みたいな感覚にも違和感を覚えてしまうというわけです。

いか

ただこういう話をしてみても、まず共感されることがないよね

犀川後藤

昔はよく、「本当の恋に出会ってないだけだよ」みたいに言われたなぁ

さて、この点に関しては、本作中にかなり近い感覚の発言があったので抜き出してみたいと思います。

私もそこ(※筆者注 セックス的なもの)の価値観が合わなくて仲良くできなくなるっていうのがすごく嫌なのよ。関係性をはっきりさせたくない理由もそこにあって。二人の関係に恋愛と名前をつけた途端に、そこの価値観が合わなかったら全部終わるわけ。どんなに精神的に馬が合っていたとしても、それが私は許せないよ。私が相手に抱いていた感情は、恋愛ではなかったのだろうかと不安になる。

ホントそうなんだよなぁ。私も、「恋愛って名前がつくと、精神的に馬が合っていたとしても、セックスの価値観が合わないと全部終わってしまう」みたいな感覚をずっと嫌だなって思ってきました。「その2つって、同列に並んでないといけない話なの?」って感じです。

いか

同じようなことは結婚に対しても感じるよね

犀川後藤

「恋愛と結婚って求めるものが全然違うはずなのに、どっちも満足できる人を求めるのなんて無理ゲーじゃない?」っていつも思う

そしてだからこそ、同じ寄稿者のこんな文章にも共感させられました

服を着たままでも私は愛を伝えられると、同じ気持ちを抱える人たちのためにも何度だって言おう。好きになった人に対して性欲が湧いたことは一度もないけれど、確かに私はあの人たちが好きだった。

凄く良い文章だなぁ」と思います。そして私は、「こんなことを改めて言語化しなくても済むような社会になればいいのに」とも感じました。今は、このような感覚・価値観が「当たり前のもの」ではないからこそ、こうして言語化して伝える必要があるわけですが、社会がもっと成熟して(それを「成熟」と呼ぶべきなのかはともかく)、こういう価値観が「当たり前のもの」になればわざわざ表明する必要もないわけです。そしてそれこそが「多様性が実現した社会」なんじゃないかと思っています。

犀川後藤

「多様性」を「他者を理解する」って捉えてる人が多い印象だけど、それは本質じゃないって私は思ってる

いか

「仮に理解できなくても排除しない」が「多様性」の本質だって考えてるんだよね

「性別で捉えられること」への嫌悪感も凄くよく分かる

さて、少し違う話ではありますが、別の寄稿者も似たような話に触れていました

けれど「男性」「女性」として振る舞わないと恋愛における好意を伝えることはできないのだろうか。

このような感覚も凄く良いなと思うし、とても共感できます

この寄稿者は冒頭で、「わたしが人を好きになる条件のうち最優先事項にあるのは、『女性』として見られていないという安心感があること」と書いていました。個人的には、「恋愛」の文脈でこういう話が出るのはかなり意外に感じられますが、「性別で捉えられたくない」という話なら割と一般的な感覚ではないかと思います。異性の友人からそういう話を聞くこともあるし、あるいは「ハラスメント」的な文脈では割と必須の理解と言っていいでしょう。ただ、この寄稿者の感覚は私の想像を大きく超えるもので、そしてだからこそ興味深くも感じられました

犀川後藤

ここまで極端な価値観には初めて触れたかも

いか

ただメチャクチャ徹底してるから、凄く好感が持てるけどね

この人物はなんと、「車道側を歩いてくれる」「上着を羽織る時に小さなバッグを持とうとしてくれる」「必ずドアを開けて先に通してくれる」みたいな、いわゆる「ジェントルな振る舞い」に対して「心が曇ってしまう」というのです。結構色んな人から様々な価値観を聞いたことがある私としても、「相当極端な感覚だな」と感じました。この人物のことを好きになる人は、かなり苦労するんじゃないかと思います。

ただ、程度の問題はともかく、この寄稿者が抱いている

相手が「ジェントルマン」として振る舞うことで、私は「女性」でなければならないことを再認識するし、「女性」として居ることを強いられている気がしてしまう。

という感覚は理解できるつもりです。私も「男らしさ的なもの」を求められる(求められている気がする)状況が苦手だし、というかむしろ、はっきりと「嫌だな」と感じます。もちろん「男性性である」という事実が私に何かプラスをもたらしていることは多々あるはずだし、そういう”恩恵”があるのだとして、それを積極的に拒絶しようとしているわけでもないので、その事実を無視して何か主張しても説得力はないでしょう。ただ理想を語るのであれば、「『男性性である』という事実とは関係なく他者と関われたらいいな」と思っているし、私も他者を性別では捉えないように意識しているつもりです。

犀川後藤

そして、同世代の人たちと比較するなら、それはかなり実現できてるとも思ってる

いか

ただ、若い世代にも通用するレベルでそれが出来てるかは、ちょっと何とも言えないよね

さて、この「性別で捉えられたくない」という感覚については、別の寄稿者も触れていました

それからいくつもの春をこえたとき、わたしは他人から「女の子」らしく見られることを拒絶し始めました。きっかけは、ある男の子に恋愛感情を向けられたことでした。

これはどうやら小中学生ぐらいの時の話のようで、今はさすがにそこまでのことは考えていないみたいです。ただ、これもきっと程度の問題で、本質的には恐らく「自分の中にそういう感覚が今もある」という事実に変わりはないのでしょう。これは別に恋愛に限る話ではなく、「自分がどういう存在として認識されるか」という問題なわけですが、やはりどうしたって、恋愛においてはこの点が顕著に浮き彫りにされてしまいます。本作ではこのような感覚についても触れられていて、興味深いなと感じました。

犀川後藤

こういう風潮は、これからもどんどんと加速していく印象なんだよなぁ

いか

だから「恋愛」のハードルが今以上に上がるような雰囲気を感じてもいるよね

「恋愛」と「友情」はどのように区別されるのだろうか?

さて、このように「性別で捉えられたくない」という感覚を有するとしたら、「『恋愛』と『友情』はそもそもどのように区別されるのか?」という疑問が出てくるんじゃないかと思います。

「友情」の場合は基本的に「性別」による制約は存在しないでしょう。もちろん、往年の「男女の友情は成立するか」みたいな問題もありますが、ただ、「異性/同性としか友達になれない」みたいな状況を耳にする機会はなかなか無いだろうし、そういう状態に今のところ名前が付いていたりもしないはずです。一方で、「恋愛」の場合は一般的に「自分が好きになる性別」が決まっているし、それによって「LGBTQ+」などの概念(名称)が存在します。となれば、「お互いに性別で捉えられる」のはある程度必然と言えるのではないでしょうか。

そしてその上で、「性別で捉えられたくない」という感覚を有するとすれば、「それは『友情』とどう違うのか?」と考えたくもなるんじゃないかと思います。

犀川後藤

私の感覚ではホント「セックスをするかどうかの差」でしかないんだよなぁ

いか

だから、「セックスさえ諦められるなら、別に友人でいいんじゃない?」みたいな感覚になったんだよね

さてこの点に関しては、「性別で捉えられたくない」という主張の寄稿者2人がどちらも同じようなことを言っていました

(友情と恋愛は明確に違うのか? という問いに対して)感覚はね全然違う。頭では一緒だけど、体が感じ取ってるものが違う。

私らにとって友情と恋愛があまりに同じものやから、そこを分けるものがそういう予感のほかにないよな。

要するに、どちらも「言葉で定義しようとすると『友情』も『恋愛』も同じものになってしまうが、感覚的には『明確に異なる何か』がある」と感じているようなのです。この感覚は、個人的にはとても興味深いものに感じられました。

犀川後藤

正直、この認識が、本作『our house』を読んだ最大の収穫と言ってもいいかもしれない

いか

漠然と理解していたことではあるけど、本作を読んで輪郭がはっきりしたって感じだよね

この点に関しては、別の寄稿者も似たようなことを書いていたので引用したいと思います。

基本は友達から好きになってたけど、好きになる人に対しては友達のときからちょっとだけ特別な感情はある。

やはり、「『友人に対する気持ち』とは違う『何か』があるから『恋愛』感情を抱く」というような認識のようです。

さて、正直なところ私は、この感覚が上手く理解出来ません。私は、今でこそ「異性とは友人になろう」と考えていますが、20代の頃は「恋愛にしたい」と思っていました。ただそれは、「恋愛にしないと異性と深く仲良くなるのは難しい」と考えていたからで、「恋愛的に惹かれていたから」ではないような気がします(とはいえ、昔のことはスパスパ忘れてしまうので、覚えていないだけかもしれませんが)。そして今では、「友人のままでも全然深く仲良くなれる」と思えるようになったこともあり、「『友情』と『恋愛』の区別をする必要は別にないし、何なら『友情』の方がいいな」ぐらいに感じられるようになったというわけです。

いか

ホントにこういう感覚になれて良かったなって思うよね

犀川後藤

「恋愛にしたい」って思ってるままだったら、異性と今みたいな関係にはまずなれてないからなぁ

それで、私は正直同性とあまり話が合わず、実際に話をする機会も少ないのであくまでも想像でしかありませんが、「男性の場合は、『恋愛的に惹かれている』みたいな感覚って別に無いんじゃないか」と考えています。20代の私と同じように、単に「恋愛にしないと相手と深く仲良くなれない」と思っているだけなんじゃないか、というわけです。また私の印象では、「男女の友情は成立する」と主張しているのは女性の方が多い気がしているのですが、もしかしたらこれも「男性は『友情』と『恋愛』を区別していない」「女性は『友情』と『恋愛』を感覚的に区別している」ということの表れなのかもしれません。

この辺り、性差がある話なのかも気になるところです。

「ドキドキ」よりも「落ち着き」を求めているという話

さて、本作で扱われている話では、次のような発言も印象的でした。

自分は恋愛と、結婚やパートナーが結びついてて、ドキドキワクワクする関係よりも、この人といると落ち着くとか、人として尊敬できるとか、この人だったらなんでも話せるっていう関係のほうが自分に合ってる。それが自分にとっての恋愛かなって最近は思ってます。

犀川後藤

これもメッチャ分かるなぁって感じだった

いか

別に結婚願望があるわけじゃないけど、「関係を長く続けたい」とは思ってるから、感覚としては同じだよね

私は割と昔から、「恋愛から結婚に至る流れってメチャクチャ非合理的じゃないか」みたいに感じていました。恋愛には「ドキドキ」を、そして結婚には「落ち着き」を求めているというのが一般的な理解だとすれば、恋愛から結婚に至る過程でドラスティックに関係性を変えないといけないことになるし、それは何か変な気がするのです。だから割と本気で、「友達と結婚する」みたいなパターンも結構アリなんじゃない? と思っていたりします。

「恋愛結婚」の歴史は実は浅いって話もあるし、というか実は「『恋愛結婚』の誕生は、結婚制度の歴史においてかなり異次元の捻れ」なんだそうです(詳しい話は以下の『現代思想』の記事に書きました)。だとすれば、「友達と結婚する」みたいな新たな流れが生まれても全然おかしくないでしょう。今の世の中の風潮を見ていると、「『頭の固い上の世代』が退場した後は、結婚制度もかなりドラスティックに作り変えられるんじゃないか」みたいな想像も全然おかしなものではないと思っています。

いか

「選択的夫婦別姓さえ認められない」みたいな不満の反動が、大きく針を揺らすなんてことが起こるかもしれないしね

犀川後藤

見えないところでそういう不満が結構積もり積もってる感じもするからなぁ

まあこれは私の希望的観測も含んだ根拠のない想像ですが、そんな予感を抱かせてくれる話でもありました。

最後に

長々と書きましたが、これでも本作『our house』の記述の一部です。他にも、「フランスでの恋愛の始まり方」や「ブラジルの婚姻制度」など気になる話は色々と出てきました。かなり多様な価値観が収録されているので、「恋愛」に対してどんなスタンスを抱いていても共感できる何かを見つけられるんじゃないかと思います。

しかしホントに、ほとんど偶然みたいに知り合った人が作ったZINEが、ほぼ同時期に自分が作っていたZINEと同じようなテーマで、しかもそのスタンスがかなり近いものだったというのは結構奇跡的だなと改めて感じるし、とても良い出会いでした。今後も関わりが持てるといいなと思うし、「不用」をテーマにしているという第2号もいずれ読んでみようと思っています。

いか

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