はじめに
この記事で取り上げる映画
「見はらし世代」公式HP
今どこで観れるのか?
公式HPの劇場情報をご覧ください
この記事の3つの要点
- 黒崎煌代、木竜麻生の雰囲気が実に素敵で、加えて、遠藤憲一、井川遥が作品全体に重心を与えていたなと思う
- 「家族の物語」ではあるのだが、「家族家族していない雰囲気」が私にはとても素敵に感じられた
- 「思わず零れた笑み」や「電球のくだり」など、印象的なワンシーンが多い作品でもある
自己紹介記事


記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
映画『見はらし世代』は、これと言ったストーリーがあるわけじゃない静かな物語なのに、なんかもの凄く良くてビックリさせられた
全然期待していなかったのも関係しているとは思うが、正直ビックリするぐらい素敵な作品だった。しかし、思い返してみても、何がどう良かったのかはよく分からない。捉えどころのない魅力を放つ作品であり、超良い作品に出会ったなという感じだった。

とにかく役者が圧倒的に素晴らしかった
何が良かったのかはよく分からないものの、1つだけ明確に言えることがある。それは「役者の演技がとにかく素晴らしかった」ということだ。本作『見はらし世代』は、「家族」に焦点を当ててはいるものの、正直これと言って大した物語性はない。確かにところどころで「なるほど、そんな展開になるのか」と感じるような瞬間はあるものの、「ストーリーで惹きつけるタイプの映画」ではないと思う。はっきり言って、ストーリーはあってないようなものだろう。

そしてだからこそ(と繋げるのが正しいのかはよく分からないが)、役者の演技が際立っていたなと思う。
主演の黒崎煌代は、今まで私が観てきた彼の雰囲気とはまた全然違う役回りだった。本作を観る少し前に、『アフター・ザ・クエイク』や『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』などを観ており、彼はその中で「陽気で個性的なキャラ」を演じていたのだが、本作『見はらし世代』では全然違う。笑顔などほぼ見せないようなキャラクターであり(だからこそ、後半のある場面における笑顔が印象的でもあったのだが)、その落差に驚かされてしまった。とても良い雰囲気だったなと思う。

また、高野蓮(黒崎煌代)の姉・恵美を演じたのは木竜麻生なのだが、彼女もまた、本作を観る直前に鑑賞した映画『秒速5センチメートル』で実に良い存在感を放っていた。「どこにでもいそうだけど、どこかズレている」みたいな振る舞いが凄く上手い人だなぁと感じたし、本作でもそんな雰囲気が印象的だったなと思う。

本作『見はらし世代』においては、とにかくこの2人の存在感が凄く素敵で、そしてその上で、遠藤憲一や井川遥が作品全体に重心を与えているような印象だった。私は基本的に「ストーリーさえ面白ければ、役者の演技がそこそこでも楽しめる」みたいな人間で、演技にそこまで重点を置いていないのだが、本作はまさに「演技ありきで成立している」という感じがしたし、まずはその点が素晴らしかったなと思う。
「家族」の物語だが、「家族家族していない」のも凄く良かった
さて、そんな役者の演技が良い風に影響していたのが、本作に満ちていた「家族家族していない雰囲気」だろう。先述した通り、本作は「家族の物語」がベースになっている。しかし、より正確に言うなら「壊れた家族の物語」であり、さらに、これは書いてしまってもいいと思うのだが、「再生するわけじゃない家族の物語」でもあるのだ。そして、そういう作品においては「家族家族していない雰囲気」はとても重要だろうし、それが絶妙な感じで作品をまとめあげていたなとも思う。

物語は一応、「家族に関わる状況」の積み重ねによって進行していく。姉には結婚の予定があり、そのことを直接伝えるべきかなと考えて弟のアパートを訪ねる(ただ、姉はある場面で、これから同棲しようとしている相手に躊躇を伝えたりもしていた)。また蓮には、両親の離婚以来長く会っていない父親と半分偶然みたいにして再会するなんてことも起こった。そんな「家族が関わる出来事」によって物語が動くというわけだ。

しかしそんな物語において、「高野家」には「家族感」が全然ない。そのことが「『家族に関わる出来事』によって動く物語」に良い感じに違和感を与えていたし、そして私にはそのことが心地良くも感じられた。
私は元々、「家族家族した物語」があまり好きではない。というか、はっきり言って嫌いである。私にとって「家族」という単位は「特に意味を持たない空集合」みたいな扱いなのだが、世間ではどうもそうではないらしく、「大事に扱うべき存在」として認識されているようだ。私はどうしても、「良いもの」とされている「家族」を世間の人と同じようには扱えないこともあり、「家族」に焦点が当たる場面では違和感を覚えてしまうことが多い。

だから私は、本作『見はらし世代』の「家族家族していない雰囲気」が凄く良いなと感じたし、それが役者の絶妙な演技によって醸し出されているのも凄く良かったなと思う。
さて、そのような物語において、姉・恵美のスタンスはなかなか興味深く見えた。彼女は「父親とは6~7年会ってない」と言っていたし、結婚の予定についても特に報告するつもりはないようだ。そしてそんな恵美には、「蓮は何かにつけて父親と関わろうとする」と感じられている(蓮にはそんな自覚はなさそうだが)。だからだろう、そんな弟に対して彼女は、「私は家族を元通りにしようなんて思ってないよ」と口にするのだ。「そんなことしようとしてるなら余計なお世話だよ」という牽制なのだろう。
その一方で、恵美はこれから新しく家族を築こうと考えている。まあ、本作の描写だけからでは正直、恵美がどの程度「結婚」に対しての意欲を持っているのかはよく分からない。恋人であるアンドウとの会話を聞く限りは、「どちらともなく同棲の話が出て、そのまま何となく結婚という流れになりつつある」みたいな感じのようだ。まあ、それぐらいは普通の話だろう。

ただ彼女は事ここに至って、改めて「自分は本当に『家族』という単位にまとまりたいのか?」みたいに考えるようになったんじゃないかと私には感じられた。もちろんそれは、両親のことが頭にあるからだろう。恵美は父親に対して敵意(ではないか。「圧倒的な無関心」とでも表現すべきだろうか)を抱きながら、同時に、かつて父親がぶち壊した(この認識はむしろ蓮の方が強そうだが)「家族」をまさに今築こうとしている。そしてそのことが、彼女には「矛盾」に感じられているんじゃないだろうか。
しかし同時に、「ここで退いたら、父親に負けたような気になる」みたいにも感じていたのかもしれないとも思う。「『結婚』に躊躇するのではなく向き合うことによって、本当の意味で父親と『無関係』でいられる」なんて風に考えていたんじゃないだろうか。そして私には、そんな葛藤を木竜麻生が絶妙に演じていたように感じられた。とても素敵な存在感だったなと思う。
「同棲」の秘訣として語られた「相手のコーヒーをついでに淹れてあげないこと」の真意とは?
結婚の話に関連して、本作のかなり冒頭のシーンでとても印象的なセリフがあった。

恵美は、ヨガ教室(だと思う)で知り合った佐倉マキという女性と仲良くなる。このシーンの時点で佐倉マキに関する情報はほとんど無いので、観客は彼女の背景を想像で補うしかないのだが、恐らく彼女には離婚歴、あるいは「同棲を解消した経験」があるのだと思う。そしてそれを踏まえてのことだろう、教室からの帰り道で恵美が「同棲のアドバイスってありますか?」と質問し、それに対してマキが次のように返す場面がある。
うーん……例えば、自分がコーヒーを淹れる時に、相手のもついでに淹れてあげる、みたいなことってよくあるじゃない。そういうことを出来るだけしない。

このセリフだけだとよく分からないだろう。ただ、それに続けて彼女は「そういうちょっとした優しさにつけこんで、男の人ってどうしようもなく偉そうになったりするの」みたいに話しており、「なるほど、そういうことなら理解できるような気がするな」という感じだった。私は別に同棲や結婚をしたことがないのであくまでも想像でしかないが、男は確かにそういう振る舞いになりがちな気がする。だからこのセリフは「他人と生活することのままならなさ」みたいなものを実に端的に表現しているように感じられた。

そしてまさに本作の冒頭では、そんな「ままならなさ」が全開で描かれていると言っていいだろう。物語は、まだ幼かった蓮と恵美を連れて高野家が車で一軒家(宿泊施設か別荘だろう)にやってきたところから始まる。これは「妻たっての希望」で実現した家族旅行であり、彼女は前々から夫に「この3日間は家族のために空けてほしい」と念押ししていた。しかし着いて早々、夫はコンペの事前準備のために東京に戻らなければならなくなり、それで夫婦は揉めてしまうのだ。
いわゆる「仕事と家族、どっちが大事なの?」的な状況なわけだが、本作では、冒頭で突きつけられたこの「息苦しさ」がそのまま最後まで貫かれている感じがあった。そしてさらに言えば、そんな「息苦しさ」が「家族」という枠を超えてすべての「人と人との関わり」にまで滲み出ているような気がして、そういう雰囲気も凄く良かったなと思う。
映画『見はらし世代』のその他感想
印象的なシーンは色々とあったが、個人的に一番グッときたのは、この記事の冒頭で少し触れた、ラスト付近の蓮の「笑顔」である。ある人物が号泣し、それを蓮が遠目から見ているのだが、そこで蓮が零した(まさに「零した」という表現がピッタリだった)「笑い」がもの凄く良かったのだ。「思わず零れてしまった」みたいな笑いって時々あるものだけど、ただそれを演技で再現するのは凄く難しい気がするし、黒崎煌代はそれをメチャクチャ自然な感じでやってたので、凄く素敵だったなと思う。その数秒の映像だけ保存していつでも見られるようにしておきたいぐらいだ。

さて、物語的な点で言うなら、「電球のくだり」はメチャクチャ好きである。正直なところ、「あのシーン」に至るまでは「この電球の話は一体どう繋がるんだ?」と疑問でしかなかったのだが、「なるほど、このためだったのか!」と納得させられた。
本作では後半、現実世界から少し外れたような展開になるのだが、でも何故かリアリティが大きく損なわれたみたいな感じにはならない。そしてその雰囲気に一役買っているのが「電球」なのである。具体的には説明したくないので上手くは表現できないが、「非論理的な状況を非論理的な状況を通じて接続させる」みたいな感じの場面であり、普通なら「納得感」など生まれそうにない。にも拘らずこの場面では何故か、「なるほど、だからそうなったのか」みたいに思わされてしまったのだ。なんか不思議な魔法に掛けられたみたいな展開で、とても印象に残っている。
さて一方で、私にはラストシーンの意味が分からず、観ている時には「???」という感じだったし、「えっ? これ、今までの話と繋がってる?」とさえ感じさせられた。ただ同時に、自分でも不思議なのだが、「本作はこれがラストでもまあいいか」という気分にもなったのである。自分でも凄く変だなと思うが、何故かそんな風に感じたのだ。それまでの流れからは「これがラストシーンなの???」としか思えないような映像だったのだが、とはいえ「まあアリっちゃアリか」みたいにもなる。意味が分からないし、とても不思議だった。

ただ、このラストシーンを踏まえることで、作品の捉え方が少し変わったようにも思う。そしてそう感じられた理由の1つである「遠景のショットが多い」という話を少ししておこう。
本作『見はらし世代』では、人物や状況を遠景で捉えるような映像が多かったように思う。寄りのショットももちろんあるのだが、全体的には「遠目から撮ってるな」という印象が強かった。観ている時には単に「映像としての美しさ」みたいな捉え方をしていたのだが、ラストシーンを踏まえると違った見方も出来るんじゃないかと思う。
それを言語化するなら、「本作の主人公は『人』ではなく『街』である」となるだろうか。本作では「宮下公園(渋谷区)」が意味を持つ要素として登場することもあり、「『街そのもの』をメインとして描いている」なんて見方もあり得るように思う。

本作には、「in memories of my mother and the city」(だったと思う)というフレーズが表示される場面がある。で、「my mother」はもちろん理解できるが、ここに「the city」が含まれていたことに、この表示を目にした時には違和感を覚えた。しかし、「主役は『街』である」という解釈を採用するなら、その違和感も無くなるだろう。

住む人が入れ替わろうが、ホームレスを排除した公園が生まれ変わろうが、「街」はそんな変化をものともせず「大して変化しないもの」として継続していく。「人や状況の変化など、『街』という単位で捉えれば何ほどのこともない」というわけだ。こう考えると本作からは、「だからこそ、『街』に呑み込まれてしまうような変化を大切にしながら生きていこう」みたいなメッセージも感じ取れるんじゃないかと思う。
そんな捉え方をしてみると、また違った何かが見えてくるんじゃないだろうか。

26歳の新鋭監督・団塚唯我について
ここからは映画自体の話からは離れて、本作監督・団塚唯我について触れていくことにしよう。公式HPでは次のように紹介されている。
今年5月、第78回カンヌ国際映画祭の監督週間に日本人史上最年少、26歳の監督作品が選出された。オリジナル脚本・初長編作品でその快挙を成し遂げたのは、短編『遠くへいきたいわ』(ndjc2021)で注目を集めた団塚唯我監督。
26歳という若さにも驚かされるが、個人的にはそれ以上に、「オリジナル脚本」「初長編作品」にも拘らず、これだけの役者を集めて映画が撮れたことにビックリさせられた。公式HPに載っていた監督のインタビューにはキャスティングに関する言及もあり、その話もまた印象的だったので紹介したいと思う。
キャスティングの作業って、最初に決めた方がスケジュール的にダメだったときのために、2番目の候補者を決めていてほしいとよく言われますが、今回は基本的に最初に声をかける人を一人だけ決めて、進めていきました。

「この人に演じてほしい」と決め打ちで役者を選び、そして(恐らく)望んだ通りのキャスティングが出来たということなのだろう。それもまた凄まじいことだなと思う。冒頭で書いた通り「物語で惹きつけるような作品」ではないし、つまり「脚本を読んで惹かれた」みたいにはなりにくいと思うのだが、キャスト陣には26歳の新人の作品に出演しようと思える何かがあったということなのだろう。そんなわけで、「どんな風に制作したんだろう?」みたいな部分も気になるところである。
さて最後に。本作は音楽(劇伴)も結構印象的な作品だった。音楽には全然詳しくないのだが、「ストーリー」や「映像そのもの」に対して強く「違和感」をもたらすような音楽だと感じたし、「日常に溶け込まない雰囲気の音」だったなとも思う。SF・ファンタジー作品で流れていそうな印象で、そういう「音楽の異質さ」もまた、本作の特異的な雰囲気に寄与しているように感じられた。
全編を通じて色々と気になるところが多かったなと思う。


最後に
「凄く良いものを観たな」という印象がとても強かったし、大いに惹きつけられた。弱冠26歳の新鋭がこれからどんな作品を生み出していくのかも楽しみである。








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