はじめに
この記事で取り上げる美術展
この記事の3つの要点
- 18年ぶりの日本開催となる「ロン・ミュエク展」は、平日でもかなり混み合う人気っぷりだった
- 本物にしか見えないリアルな造形なのだが、異様なサイズ感ゆえに「人ではない」という感覚が強くもなるという不思議な体験が出来る
- 100個の巨大な頭蓋骨に埋め尽くされた空間は圧巻で、この作品のためだけにロン・ミュエク展に足を運んでもいいと思えるぐらいだ
自己紹介記事


平日でもかなり混んでいた「ロン・ミュエク展」はとにかく素晴らしかった!

森美術館で開催中の「ロン・ミュエク展」に行ってきた。2026年9月23日までやっているので、観に行ける方はマジで行った方がいいと思う。メチャクチャ良かった。私はこれまでにも色んな美術展・アートイベントに足を運んできたが、その中でもトップクラスに良かったなと思う。結局私は、会場を3周もしてしまった。森美術館はドーナツ状なので、何度も回遊するのに向いているのだ。
絶対に混んでいると思ったので、平日に有休を取って観に行ったのだが、それでもかなりの盛況だった。森美術館の場合は、外国人のお客さんもとても多いので、それもあって平日でも混んでいたりするのだろう。土日は、かなりぎゅうぎゅうなんじゃないかと思う(とはいえ、森美術館は日時指定券の販売によって入場時間ごとの上限を設けているから、そう酷いことにはならないだろう)。「人が映っていない作品だけの写真」を撮りたい場合は、平日に行くのがマストじゃないかな。

日本でロン・ミュエク展が開催されるのは、金沢21世紀美術館での展示以来18年ぶりらしい。この機会を逃すと、次にいつ観られるか分からないということだろう。なので、行けるタイミングがありそうな人は行ってみるのがオススメだ。私としては「久々に誰彼構わず勧めたいと思える美術展」だったし、普段アートに触れないという人も楽しめるんじゃないかなと思う。

で、本展で意外だったのが、11作品しか展示されていなかったということ。ロン・ミュエクはそもそも寡作だそうで(あのクオリティを見れば、さもありなんという感じだ)、30年間の作家生活で僅か49作品しかないのだという。で、今回はその中から11作品が集まったわけだが、個人的には「11作品しか展示されてなかったのか」という感じだった。作品自体も、作品が展示されている空間もとにかく濃密だったので、そんなに少ないとは思わなかったのだ。終始圧倒されていたという感じである。

とはいえ、「じゃあ何が良かったの?」と聞かれると、なかなか説明が難しい。そもそも私は、アートを評価するのに必要な知識などまったく持っていないのだが、まあそれは置いておこう。で、ロン・ミュエクの作品は基本的に「精密な彫刻」であり、それ以上でもそれ以下でもないように感じられる。現代美術においては特にだろうが、「正確さ」「リアルさ」みたいな要素はさして重視されない要素な気がするし、「リアルな造形だから何?」みたいに受け取られてもおかしくないように思う。

なのだけど、本展はとにかくメチャクチャ良かった。というわけで、なんとかその辺りの言語化を試みたいと思う。

「圧倒的なリアルさ」と「バグったサイズ感」が印象的だった作品
繰り返しになるが、まずは何よりも「圧倒的なリアルさ」が凄まじかった。皮膚や爪まで「本物じゃない?」と感じられる造形には、シンプルに「凄っ!」という感じになる。ロン・ミュエクは基本的に「人」をモチーフにしているようで(今回、人以外の存在はニワトリだけだったと思う)、そして「リアルさ」が徹底的に追求されることで、そんな「人の存在感」が圧倒的なものになっていたなと思う。

さて、興味深いのはここからだ。彫刻だから当然と言えば当然なのだが、展示作品は「実際の人」とはサイズ感が異なる。小さなサイズのものもあるが、やはり印象的だったのは、「バグってるな」と感じられるぐらい大きなサイズの作品だ。そしてその異様なサイズ感によって、「人ではない」という印象がとても強くなっていたように思う。


それが最も顕著に表れていたのが《イン・ベッド》だろう。ベッドに横たわる女性の彫像だ。写真からもその大きさがなんとなくイメージ出来ると思うが、実際に観ると圧倒される大きさである。そしてそのことによって、「人ではない」という感覚に襲われるのだ。

しかしその一方で、女性の造形は異様なほどリアルである。まるで本物の人が横たわっているかのようなリアルさだった。だからこの作品を観ていると、「現実感」と「非現実感」が同時に存在しているような違和感を抱かされてしまうのだと思う。


そしてその強烈な違和感が、観る者に強い印象をもたらすんじゃないかという気がした。また、「ベッドに横になっている」という何でもない日常を切り取っているからこそ、それが異様なサイズで提示されることでなんとも言えない非日常感に繋がったのかもしれないとも思う。

で、印象的な作品は色々あったのだが、まずは《ゴースト》から紹介しよう。スクール水着(ではないんだろうが、日本人にはそう見えてしまうだろう)の女性をかたどった作品だ。私には欧米の女性の年齢を見た目から推定することは出来ないが、作品紹介によると「10代の女性」であるらしい。そしてやはり、先ほどと同様、リアルすぎる造形に圧倒させられた。脚の感じなんか、本物にしか見えないんじゃないかと思う。また、欧米の女性の場合は恐らくこれが普通なんだと思うが、腕には毛も生えていた。




というわけで、実にリアルな作品である。ただ、写真では伝わりづらいだろうが、《ゴースト》は割と大きい。2mぐらいあるようだ。欧米にも2mの10代女性はそういないと思うので、やはりサイズが誇張されていると考えるべきだろう。そしてそれ故に、やはりリアルな存在には思えない。何かを訴えかけてくるような表情からは、「まさに目の前にいる」という実在感を抱かされるのだが、そのサイズ感のせいでリアルな存在と思えなくもなるというわけだ。やはりここでも、「現実感」と「非現実感」が共存しているなという感じだった。

また、《チキン/マン》という作品も興味深い。これは「パンツ一丁の老人とニワトリが向かい合っている」という作品だ。で、まずはそのシチュエーションが謎すぎる。どうしてパンツ一丁なのか? 何故ニワトリと対峙しているのか? そもそも何故ニワトリがテーブルに載っているのか? そのすべてが謎だ。そんなわけで、この作品の場合はまず、「何でこんなことになってるのか?」という「非現実感」が強く意識されるんじゃないかと思う。



しかし、やはり老人もニワトリも凄まじいリアルさで造形されており、圧倒的な現実感を兼ね備えているとも言える。つまり、「実際にはあり得そうにない状況」を「まさに目の前で繰り広げられているかのようなリアルさ」で描き出しているわけで、やはりそこに強く違和感を抱かされてしまうのだと思う。


あるいは、《マスクⅡ》も実に印象的だった。ロン・ミュエク自身をかたどった作品のようだ。「顔」というのはやはり人を特徴づける大きな要素だろうし、そしてだからこそ、リアルだと感じさせるにはより高い精密さが要求されるように思う。のだが、本作品はヒゲや唇のシワも本物みたいで、本当にビックリさせられた。

しかしやはり、あまりにも巨大すぎるが故にリアルさが損なわれている。そしてさらに、この作品は裏側が空洞になっていた。正面から見ればちゃんと人の顔なのだが、少し角度を変えるだけではっきりと「虚構」であることが示されるというわけだ。現実感と非現実感がシームレスに接している、というか「反転している」と表現するべきだろうか、そんな印象がとても強くて、これも不思議な感覚をもたらす作品だったなと思う。

ロン・ミュエク展の白眉と言っていいだろう《マス》(頭蓋骨の山)の衝撃

さて、そんなロン・ミュエクの作品の中でも、やはり白眉と言っていいのが展示のラストとなる《マス》だろう。一部屋をまるまる使い、巨大な頭蓋骨100個を“無造作に”積み上げたように見える作品だ(もちろん実際には、展示会場ごとに作家自らが配置を決めているらしいが)。とにかく圧巻の存在感で、この作品を観るためだけに本展に足を運んでもいいんじゃないかと思えるぐらいだった。


頭蓋骨1つの大きさを何に喩えたらいいか色々と考えたのだが、なかなか思いつくものがない。私の身長(182cm)の半分以上はあったと思うので、直径100~120cmぐらいの球体といった感じだろうか。パッと思いつくものがないぐらい、日常で見かけることのないサイズの物体だし、もちろん、頭蓋骨のサイズとしても異常な大きさである。

「彫刻作品」かつ「頭蓋骨」という性質を踏まえれば、「物言わぬ存在」という印象が強くなるだろう。一方で、「かつて生物だった」こともまた明白であり、だから「何かを訴えかけてくる存在」とも捉えられるんじゃないかと思う。つまりここでも、「有声」と「無声」が同時に存在しているような印象になるというわけだ。


また、この頭蓋骨は明らかに人骨を模していると思うのだが、サイズがバグっているせいでやはり人骨には見えない。日本人なら『進撃の巨人』を連想する人もいるんじゃないかと思う。あの巨人たちが死んで骨になったら、その頭蓋骨はこれぐらいのサイズじゃないだろうか? そして《マス》には、そんな「人の形をした人ならぬ存在」の「死」が無数に積み上がっているような印象もあって、実に不気味だった。

ただ、この頭蓋骨を人骨と捉える解釈も可能だろう。でその前に、私が抱いているある感覚の話をしたいと思う。私は普段から、「我々の日常からは『死』が覆い隠されてしまっている」みたいに感じている。「『死』について語るのが不謹慎」みたいな感覚が、どこか社会には強く蔓延っているように感じられてしまうのだ。「死」は誰もが迎える普遍的なものであるのに、何故か「触れてはいけないもの」みたいな扱いになっている気がして、そのことに違和感を覚えてしまうことが結構ある。

で、この巨大な頭蓋骨を人骨と捉えるならば、「人の世から忌避されているせいで逆に強く意識され、そのせいで肥大してしまった『死』を象徴している」なんて風にも解釈できるかもしれない。

さて、心理学の世界に「シロクマ効果」と呼ばれるものがある。「『シロクマのことだけは考えないで下さい』と言われると、シロクマのことばかり頭に浮かんでしまう」という有名な実験から得られた結論だ。気にしないようにすればするほど気になってしまう性質が人間にはあるのである。
それで、同じように考えるなら、「社会が『死』を遠ざけようとすればするほど、社会における『死』の存在は大きくなっていく」なんて理屈も通るだろう。そして《マス》は、「そんな肥大化してしまった『死』を、巨大な頭蓋骨として表現している」なんて風にも解釈できるんじゃないかと思う。

そしてそのように考えるなら、《イン・ベッド》も違った解釈が可能になるかもしれない。調べてみると2005年制作の作品だそうで、20年以上前であれば当然、現代よりもずっと女性の地位や権利が低く抑えられていたんじゃないかと思う。つまり、「(男)社会が『女性』を遠ざけていた」というわけだ。そしてだとすると、「社会にとっての『女性』の存在が肥大化している」とも捉えられるし、そんな世の中を《イン・ベッド》という巨大な作品として表現したと受け取ることも可能だろう。


まあこの辺りの解釈はかなり我田引水感が強いと自覚しているが、何にせよ、こんな風に思考が湧き上がってくるというのも、アートを観る効用としてとても良いんじゃないかと感じている。私はアートに限らず、本でも映画でも人と喋る時でも、「自分の頭を刺激するため」という目的がメチャクチャ強いので、そういう意味でも本展は興味深かったなと思う。
ロン・ミュエク展に関するその他感想

さて、《マス》に関してはアート的な観点ではない部分でも気になることがあった。それは「あの頭蓋骨たちはちゃんと固定されているのか?」である。気になったのでかなり近づいてじっくり見てみたのだが、正直「ただ積み上げているだけ」にしか思えなかった。でも、そんなわけはないだろう。「鑑賞者が絶対に触れることはない」ということを大前提にしたとしても、特に日本の場合は地震が起こる可能性もあるわけで、「固定しないで載せているだけ」なんことはあり得ないように思う。


なのだけど、結局どんな風に固定しているのかはよく分からなかった。だから《マス》に関しては、「展示の準備映像」なんかを展示してもいいんじゃないかと感じた。頭蓋骨1つの重さがどのぐらいなのか見当もつかないが、そんなに軽いものではないはずだし、単にそれをかなりの高さまで積んでいくというだけでも結構な重労働だろう。そもそも作業工程が想像できないし、シンプルにどんな風に会場設営をしたのか知りたかったなと思う。
さて話は変わるが、私は森美術館の年パスと言っていい「MAMC個人メンバー」に入会したので、1年間森美術館に入り放題になった。なので、ロン・ミュエク展も会期終了までに何回か行きたいなと思っている。恐らく次は土日に行くことになるだろうが、もう写真は十分に撮ったので問題ない。そしてさらに言えば、「人がわらわら群がっている状態で《マス》を観てみるのも良いかもしれない」とも思っているのだ。というのも、あの頭蓋骨を人骨と捉えるなら、その周囲をうろつく鑑賞者はサイズ的に「死骸に群がる虫」みたいに見えるような気がするからである。実際にそんな印象になるかは分からないが、鑑賞者の存在によって見え方が変わるとしたら面白いし、「試しに土日の混んでいるタイミングで行ってみよう」という動機にもなるなと思う。
というわけで、再訪もまた楽しみである。

最後に
あまりに展示が良かったので、勢い余ってポストカードを4枚(10%割引で800円)も買ってしまったのだが、公式カタログが3000円弱で売っていたので、「ポストカード4枚に800円も出すなら公式カタログを買えば良かったな」と後から後悔した。次行ったら、カタログを買っちゃうかもしれない。
というわけで、過去イチレベルで素晴らしい美術展だったし、これから色んな人に勧めていきたいなと思う。森美術館は、以前「Chim↑Pom」の展示もやってて、それも素晴らしかったし、「推せるなぁ」という感じである。








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