【不思議】「杉本博司 絶滅写真」展は衝撃的!だが、代表作<ジオラマ>を始め、何がすごいのかは謎だ

目次

はじめに

この記事で取り上げる美術展

この美術展をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「写真を観てここまでぶっ刺さるとは」と自分でも驚くぐらい、ほぼすべての作品に惹きつけられてしまった
  • 被写体そのものは「大したことない」はずなのに、杉本博司が写真として定着させることで、魔法が掛けられたかのように輝くのが不思議で仕方ない
  • 「生命ではないもの」を写しているのに、そこに「生命感」が力強く宿るのが本当に謎すぎる

「写真をアートの一流市民にする」という杉本博司の宣言通り、まさに「現代美術」と言っていい作品だったなと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

「杉本博司 絶滅写真」(@東京国立近代美術館)はちょっと衝撃的に素晴らしい展示だった。何にせよ、「生命感」に溢れていたことがとにかく不思議で仕方ない

写真展にはそこまで惹かれない私が、「杉本博司 絶滅写真」にはぶっ飛ぶほど圧倒された

東京国立近代美術館で現在開催中(2026年9月13日まで)の「杉本博司 絶滅写真」があまりにも素敵でハチャメチャに衝撃的だった。これはホント、行って大正解だったなぁ(そんなに期待していなかったので、行かない可能性も全然あった)。ここ最近だと、森美術館でやってる「ロン・ミュエク展」がかなり素晴らしかったのだが、それに匹敵するぐらいのインパクトだった。皆さんも機会があれば是非足を運んでみてほしい

正直なところ、写真展にはあまりピンとこないことが多い。これまでにもそれなりに写真展に行っているはずだが、森山大道のようなメチャクチャ個性的な写真家の作品か、あるいはロバート・キャパの戦場写真やピュリッツァー賞受賞作など、現実の有り様をリアルに切り取ったものじゃないと、なかなか私には刺さらなかったように思う。実際、これまでに「写真展で圧倒された」みたいな経験はちょっと記憶にない。恐らく、そんなことは今までなかったんじゃないかと思う。

そういうこともあって、本展「杉本博司 絶滅写真」には驚かされてしまったのだろう。まさか写真でこれほどの衝撃を受けるとは思ってもいなかった。

しかし、美術展の感想を書こうとする度に思うことだが、本展もやはり「何が良かったのか?」を言語化するのがとても難しい。私は、冒頭の<ジオラマ>というシリーズを目にした時から「えっ? 何これ?」と衝撃を受けていたし、その感覚が最後まで続いたという感じなのだが、とはいえ「どういう点に惹かれたのか?」を説明しようとすると言葉に詰まってしまう

なにせ、本展で展示されていた作品の「被写体」自体はそんなに大したものじゃないのだ。例えば<ジオラマ>は、ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館に展示されている「ジオラマ」を撮った作品である。要するに、「模型を写している」ということだ。にも拘らず、レンズやフィルムを経由して「銀塩写真」と呼ばれる技法で定着させた彼の作品は、「そこに生命がいる」かのような躍動感に溢れていた。恐らくだが、自然史博物館のジオラマを直接目にしたところで、同じような感覚にはならないんじゃないだろうか。だから、杉本博司が何か魔法を掛けているとしか思えなくなるのだ。本当に不思議な作品だったなと思う。

それで、私は美術展などで、普段から「良いと感じた作品」しか撮らないようにしているので、スマホには全展示作品の一部だけが保存されることになる。しかし本展では結局、私はほぼ全作品を撮ってしまったどれも素晴らしかったからだ。また、私は本展を3周した。これもかなり珍しい1周目では写真を撮ることを優先し、2周目でそれぞれの作品を細かく眺め3周目は全体を引きで見たりもしながら気に入った作品をさらに凝視する、という感じで回った。普段から2周はするようにしているのだが、森美術館のように回遊しやすい構造でもない限り、3周することはまずない。なんかずっと見ていたい感じがしたし、最初から最後まで惹きつけられてしまったのだ。ホントに、とても印象的な展示だった。

杉本博司がアートの世界に”殴り込み”をかけた動機と、代表作<ジオラマ>の衝撃

それでは本展「杉本博司 絶滅写真」について詳しく触れていこうと思う。まず興味深いなと感じたのが、「写真を学んでいた杉本博司がアートの世界に足を踏み入れようと考えた動機」である。本展の最初の説明文には、こんな風に書かれていた。

その時、私の心にある野心が芽生えた。写真はアートではないと思われている。よしんばアートだとしてもアート界の二流市民だ。この二流市民を一流市民にしてみせよう。こうして私は写真を媒体として写真を裏切り、現代美術作家として世に出ることを決意した。

本展では冒頭から<ジオラマ><劇場><海景>と作品が続く。これらは杉本博司のライフワークらしいのだが、同時に初期の代表作でもあり、そして確かに「写真」というより「アート/現代美術」という印象の方が強かったなと思う。彼はまさに、自身の野心を実現させる形でアート界に”殴り込み”をかけたというわけだ。

さて、<ジオラマ>は先述の通り「博物館の展示物を撮影した作品」である。しかし本展には、そういう解説自体が存在しなかった(と思う)。音声ガイドでは説明があったのかもしれないが(私は普段から音声ガイドを聞かない)、少なくとも掲示されている説明文やキャプションには書かれていなかったはずだ。なので私はしばらくの間、「この写真は一体何なわけ?」と混乱させられた「写真」だと主張するには、映し出されている状況があまりにも非現実的すぎるからだ。初めは「誰かに原人の着ぐるみを着てもらって撮ったのか?」みたいに考えていたのだが、細かく見てみるとやはりその解釈にも違和感があって、だから「これはホント何なん?」としばらくずっとグルグルしていた

ネットで調べてようやく「ジオラマを撮影したもの」だと分かり、とりあえずグルグルは解消されたのだが、となると今度は、これらの作品が放つ「生命感」が不思議に思えてくる「ジオラマが精巧に作られている」というのは確かにその通りだろうが、ただそれだけで「生きているみたいな雰囲気」が醸し出されるとは思えないのだ。

さて、そういう感覚になった理由の1つとしては、展示の最初の1枚がこの亀の写真だったことも大きいかもしれない。この作品は「現実の光景を撮影しました」と言われても違和感のないものであり、だからこそ余計に、それ以降続いていく「原人の写真」が意味不明に感じられたのだと思う。そういうことを意図していたのかは分からないが、上手い配置だなと感じた。しかしホント、近づいて見ても「生きてる感じ」が薄れないんだよなぁ。冒頭から惹きつける力が強い展示だったなと思う。

ちなみに、本展は外国人には少し優しくないかもしれない。というのも、作品脇にある説明文の大半が英訳されていないからだ。私の勝手な予想だが、説明文の中に57577の「短歌」の調べで書かれた文章があり、「そのニュアンスを英訳するのが難しい」みたいな理由なんじゃないかと思っている。説明文によって興味深さが増す作品もあるはずなので、日本語が読めない人には若干面白さが減るかもしれない(いや、その辺は音声ガイドで補完できるのかな)。

映画館を写しただけの<劇場>と、空と海を写しただけの<海景>の凄まじさ

<ジオラマ>の次の展示が<劇場>シリーズである。世界中の様々な映画館を撮影した作品だ。こちらについても、本展にはあまり詳しい説明がなかったように思う。ただ、杉本博司の作品は東京国立近代美術館の常設展の方にも置かれており、そちらに少し解説があった。<劇場>は「映画を1本上映している間ずっとシャッターを開きっぱなしにして撮った作品」なのだそうだ。そのため、スクリーン部分だけが白く光っているのである。

で、まあそれだけと言えばそれだけの作品なのだが、こちらも何故か惹きつける力がとても強く、魅入ってしまうような引力があった。常設展の方の解説には、「この写真は一瞬を切り取ったわけではなく、上映時間分の時間の堆積を含んでいる」みたいなことが書かれていたと思うのだが、別にそういう理解によって感動が駆動するみたいなことではないただ見て「うわぁ、メチャクチャ良いな」と感じさせられただけだ。そして、やはりどうしてなのかは良く分からない。私は別に、映画館やら古い建物やらに特別な関心を抱いてはいないし、写真自体も「シンプルに空間を写しているだけ」である。しかし、どうにも「それだけではない何か」が溢れ出しているような印象があって、でもそれが何なのか全然分からないよね、みたいに感じさせられた。本当に不思議な作品だなと思う。

さて、その次にあるのが<海景>シリーズだ。これも見た瞬間に「メチャクチャ良いな」と感じた。<海景>については、「水平線がちょうど真ん中に来る構図」「空と海以外何も写っていない構成」「水墨画を連想させるような世界観」など、「こういう部分に良さを感じているんだろうな」という要素を挙げられはする。けどやっぱり「それだけじゃないよな」という感覚も強い。またそもそもだが、「どこからどう撮ってるのか」も結構謎である。普通に陸地から撮ってるんだとは思うが、こんなに水平線をど真ん中に、しかも、空と海以外に何も映らないように撮れるものなのか? そういう「撮影手法」も気になる作品だった。

構図がほぼ統一されている<海景>にも様々なパターンがあり、「空も海も白くて水平線がほとんど認識できない」とか「水平線が直線ではなくかなりぼやけてる」などそれぞれ毎の特徴がある。そしてそういう中で私が一番好きだなと感じたのが、「夜の海を撮っただろう作品」だ(下の写真)。

他は基本的に「海が黒、空が白」という構図なのだが、この作品だけは逆である。夜の空が黒く、月明かりに照らされているのだろう海が白いのだ。色彩的にはやはり「黒色の方が重く見える」ので、本作以外の「黒色が下に配置されている写真」は自然な印象になる。しかし、この作品のように黒色が上部にあると、他との比較でなんとなく「物理法則に反している」みたいな印象になるなと思う。そのことが違和感を強めるから惹きつけられてしまうのかもしれない。

ちなみに、私は日曜日に行ったのでお客さんは結構いたのだが、「今のタイミングだけちょうど誰もいない」みたいな状況になることもちょいちょいあって、それで「広い空間を人が映らないように撮る」なんてことも出来た。また、<海景>は半円形の空間に配されていて、さらに座る場所も用意されているので、全体をゆったり見れるんじゃないかと思う。ちなみに、私は撮っていないが、ここは動画の撮影もOKだったはず(ここ以外は動画撮影禁止だったと思う)。

「人ならざるもの」を写しているのに「生命感」が宿る理由が謎すぎる

続いて、「建物のボケた写真」が展示されるコーナーが始まる(写真がボケているのは私の腕のせいではなく、そういう作品なのだ)。これもまた不思議な印象をもたらす作品だったなと思う。

これらの作品を見ている時は当然、「視界の一部がボケている」という見え方になるので、一瞬だが「自分の視力に何か問題があるのか?」みたいな感覚に陥る。おそらく目というのは無意識にピントを合わせようとする機能を持つはずで、とはいえ元の写真がボケてるのでもちろんどうやったってピントが合うことはないそういう違和感が脳内で上手く処理できずに、「不思議な感覚」として認識されるのかなという感じがした。

で恐らく、こんな解釈は杉本博司が本作に込めた意図や想いとは全然違うんだろうなと思う(正確には覚えていないが、「シンボルとして捉える」みたいな意図だったはず)。ただ私の中には、「アートに限らず、世にあるすべての『作品』は受け手が自由に解釈していい」という感覚が強くある。「作者の意図」を理解することも大事だが、それはそれとして「自分がどう感じたのか」をきちんと捉えるのも重要だよなと思っているのだ。「正解」は知っていてもいいが、別に知らなくてもいいのである。

さて、続く作品も個人的にはなかなか驚きだった。様々なファッションブランドの服を撮ったものなのだが、これもメチャクチャ良かったんだよなぁ。

でもやっぱり、何が良いのかは全然分からない。私はファッションにはまったく興味がないので、「シルエット」「素材感」などに惹かれているみたいなことではないと思う。服のことなんかマジでさっぱり分からないのに、それでもメチャクチャ素敵に感じられたのだ。本当に、どうしてなのか謎すぎる

で、さらに驚きなのが、作品を見れば理解できると思うが、このシリーズは「服を着た女性」ではなく、ただ「服を着たマネキン」を撮っているだけなのだ。にも拘らず、私はこれらの作品から「生命感」が感じ取れた「人ならざるもの」を写しているのに、そこに「生きているみたいな雰囲気」が浮かび上がっている気がするのだ。これもホントに不思議な感覚だったし、どうしてそんな風に感じるのか全然分からない

そしてその驚きは、その次の「人物写真」にも引き継がれる。ダイアナ妃や昭和天皇など「そんな人の写真も撮ってるの!?」と感じる被写体ばかりなのだが、実はその印象は正しくない。なにせ、この一連の写真群の中にはナポレオンもいるのだ。

さすがにナポレオンの写真なんか撮れはしないだろう。だったらこれらの写真は何なのか。なんと、すべて蝋人形を撮影しているのだそうだ。

で、私はやはり「蝋人形を撮っている」という事実をしばらく把握できておらず、普通に「本人を撮ったのだろう」と思いながら眺めていた。なので、蝋人形だと知って本当に驚かされてしまったのだ。こちらも先程同様、「人ならざるもの」を写しているのに「生命感」がとても強いなと思う。それが本当に不思議で仕方ない。

もちろん<ジオラマ>と同様「蝋人形がとてもリアル」だという事実は重要なポイントだろう。しかしやはり、これらの蝋人形の実物を見たとしても、杉本博司の作品を見た時ほどは「生命感」を感じられないんじゃないかと思う。というのは私の勝手な想像にすぎないが、もしその通りだとしたら、やはり「どのように『生命感』が宿るのか」は気になるところだ。ちなみに杉本博司は「自分の写真を撮ってほしい」みたいな依頼をされることもあるそうだが、その際は「死んで蝋人形になってからまたお声がけ下さい」みたいに返すのだそうだ。これもまた凄い話だなと思う。

「杉本博司 絶滅写真」のその他感想

さてその後は、「放電の様子」「分解された光」「暗闇を捉えるためのロウソク」などを写した作品が続き、展示は終了となる。「写真家として『光』の探求は重要である」という認識から、こういう被写体も撮っているようだ。

という感じで企画展の紹介は終わるのだが、前述の通り常設展にも杉本博司の展示コーナーが設けられている。そこでは写真の展示に加えて、非常に興味深いものも展示されていた。それが「設計図」である。杉本博司がこれから撮ろうとしている被写体について、使う機材や構図などのアイデアが記されたノートが置かれているのだ。

で、普通このような展示物はショーケースに収められていて触れないと思うのだが、本展では「実際にページをめくれるノート」も置かれていたこういう展示は凄く良いなと思う。

正直、何が書かれているのかはよく分かないが、それでも「事前にかなり詳細な検討がなされている」ことは伝わってくるだろう。こういう「作家の頭の中」が垣間見える展示はとても興味深いなと思う。色んな美術展に足を運んできたが、著名な作家の場合は特に、こういう「作品の制作過程」が見られることはないように思うので、貴重な機会だと言えるだろう。企画展のチケットを買えば追加料金なしで常設展にも入れるので、是非行ってみるといいと思う。

というわけで、ホントに素晴らしい作品だった。

最後に

冒頭でも触れたが、直近だと「ロン・ミュエク展」が白眉だったし、またそこまで大当たりというわけではないものの、今年は「マルタン・マルジェラ展」「シュルレアリスム展」「宇宙+量子+芸術展」(すべて既に終了している)もとても良かったので、私としては美術展の当たり年という感じである。まだあと半年あるので、さらに良い美術展・作品に出会いたいものだなと思う。

私は、本や映画の感想を書くことが多い。それらは言葉にしやすいからだ。一方、美術展はとにかく言語化が難しい。なので、物事を頭でっかちに言葉で捉えようとしがちな私にとっては、「なんかよく分かんないけどメチャクチャ良い」というアホみたいな感覚で脳内を満たせるのが良かったりもする。「言語化するのが好きだからこそ、『言語化できない』と感じさせられる対象に出会いたい」と考えているのだろうなと思う。

そんなわけで、美術展は「分からなくていい」し、分からないなりにではあるが、「杉本博司 絶滅写真」は本当に素敵だなと感じさせられた。本展は自分の中での優先順位がそこまで高くなかったので、マジで行かない可能性も全然あったし、だからホントに観に行って良かったなと思う。皆さんも機会があれば是非足を運んでみてほしい

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