【現実】戦争のリアルを”閉じ込めた”映画。第一次世界大戦の英軍を収めたフィルムが描く衝撃:映画『彼らは生きていた』

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

クリエイター:ピーター・ジャクソン, 監督:ピーター・ジャクソン
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この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 日常が退屈だから兵士に志願する若者たち
  • 人間は、どんなキツイ環境にもあっさり慣れてしまう
  • 「なんのために戦っているのか?」と感じてしまうほどの圧倒的な無意味さ

「戦争は悲惨だ」というメッセージを特別込めていない映画だからこそ、逆にその主張が強調される

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません

映画『彼らは生きていた』が映し出すのは、「戦争はいつでも起こりうる」と実感させられる「特別さのない映像」である

とんでもないやり方で制作された戦争映画

この映画は、実際のイギリス人兵士を撮影したフィルムを元に構築されたドキュメンタリーだ。約100年前の第一次世界大戦の記録映像である

この映画のポスターや予告を見たことがある人なら、「あれ?」と感じるだろう? 100年前の映像なのにカラーなのか、と。

ここが、この映画の凄さだ。元々は白黒だった映像をすべてカラー化し、再構築した。映像は2200時間分もあったが、撮影スピードはバラバラで、当然音声も入っていない。まず映像を1秒24フレームに統一し、着色した。

音をはめ込む作業も凄まじい。この白黒の映像とは無関係に、退役軍人のインタビューがイギリスBBCに600時間分保存されていた。それらの音声から、映像に合うものをナレーションのような形で抜き出して合成したのだという。足音や爆撃音などの効果音も付け足した。

兵士たちのセリフは、読唇術を駆使して話していることを読み取り、なまりまで当時のものを再現させてキャストに吹き込んでもらったのだという。

壮絶なまでに膨大な作業量だ。どれだけ時間を費やしたのだろうか。

そして、その甲斐はあったと私は強く感じた。どうしても白黒の映像というのは、自分との距離を強く意識させるからだ。

白黒の映像ももちろん嫌いなわけじゃない。しかし、それがドキュメンタリーである場合、白黒だとどうしても「大昔の出来事」という印象になってしまう。実際に結構昔の出来事なのだが、とはいえ数百年も昔なわけじゃない。でも、白黒だと、ずーっと前に起こったことのように感じられてしまうのだ。

この映画は、非常に興味深い視覚効果を冒頭で示している。映画が始まって15分ぐらい、ずっと白黒のままだった。しかしそれが突然カラーに変わる。場面が切り替わったのではなく、同じ場面なのに白黒からカラーに変わったのだ。この変化は、非常にインパクトが大きいものだった。まさにここで、「白黒ってやっぱり大昔のことに感じられる」と改めて実感させられた。

そして、戦争をカラー映像で「体験する」ことによって、我々の生活の地続きに「戦争」があるのだと感じることもできた

兵士たちは、なぜ軍人を志願したのか

映画は、イギリス軍が兵士を募集するところから始まる。年齢は19歳から35歳までとされていたが、18歳以下の若者も入隊した。実年齢を正直に口にすると、「違う年齢を言え」「18歳1ヶ月なら19歳だ」などと言われ、年齢の制約はあってないようなものだった。

こう聞くと、若者は無理やり入隊させられたと感じるかもしれない。しかし、決してそうではない。様々な理由があったが、「使命感から」という者も多くいた。

イギリスのために戦うのは当然だと思った

役目を果たさなければならないと思った

このような感覚は、まあ真っ当という感じはする(本当は、「戦争という行為」が真っ当なものではないので、この間違っているのだが)。しかし、今の日本にいて、彼らの志願理由に共感する人はそう多くはないだろう。自衛隊員を目指す者は「日本を守るために」という気持ちを持っているだろうが、やはりその感覚は、残念ではあるが少数派だろうなと思う。

一方、こんな理由を口にする者もいた。

退屈な仕事から、解放された気がした

要するに、それまでやっていた退屈な仕事から解放されるために兵士になった、ということだ。

こういう感覚になら、共感できるという人は多いかもしれない。

結構前のことだが、フリーターみたいな立場の人が、論文を発表して話題になったことがあったと思う。その趣旨は確か、「今のままでは日本の社会構造や階層みたいなものは変わらない。だから戦争を希望している」というものだったと記憶している。戦争は望まないが、そのフリーターの人の主張の趣旨は理解できる。確かに、戦争でも起こらなければ、下層の立場の人間がのし上がっていくような機会はなかなかない。実際日本でも、第二次世界大戦をきっかけに這い上がった、という人はいるだろうと思う。

「人生がつまらないから兵士になった」という気分は、今の時代の雰囲気に合うのではないかと私は感じる。そして、無意識の内にそういう気分が積み重なっていけば、「戦争に反対する理由ってなんだっけ?」というような雰囲気になっていくかもしれない。そういうタイミングで、例えばアメリカと中国の緊張が最高潮まで高まっていれば、日本はそのまま戦争になだれ込んでしまってもおかしくはない

というようなことを、この映画を観ながら考えていた。

私は結構リアルに、自分が死ぬまでの間に日本が世界大戦に巻き込まれる可能性があると思っている(さすがに日本が仕掛けることはないと思うが)。政治は、憲法を改正して軍隊を持てるようにしたがっているような気がするし、時間が経てば経つほど世界大戦を経験した人間も亡くなっていく。戦争がどれだけ不毛で無意味かという記憶を継承する人間がいなくなることで、ストッパーが外れてしまう可能性は十分にある。

若者は、自分たちがこれから生きる社会が右肩上がりにならないばかりか、おそらく右肩下がりだろうと感じているはずだ。明るい未来を見通せる人間は、一部の有能な人間かラッキーな者だけだろう。そういう世の中に生きていれば、戦争になってしまうかもしれないという瀬戸際で、「別に戦争でもいいんじゃない?」という雰囲気が作られる可能性がある

そんな風に、私は結構リアルに危惧している。

そして、この映画を観ることでさらに、その感覚は強まったと言える。というのもこの映画では、「前線の日常」がリアルに描かれるからだ。

「戦争の酷さ」は、日常になってしまう

この映画では、実際の戦闘シーンなど、分かりやすく「戦争」を想起させるような場面はあまりない。それよりは、「前線で塹壕に隠れて戦闘待機をしている兵士は何をしているのか」「前線にいない兵士はどう過ごしているのか」など、戦闘ではない部分が切り取られていく。

そしてそれは、なかなかにハードだ。

トイレ一つとっても悲惨である。穴を掘って丸太を渡しただけの場所で、囲いなどない。トイレットペーパーなどないから手で拭い、その手は洗わない。時々、丸太が外れて肥溜めに落ちてしまう。

ドイツ軍が毒ガスを撒き散らす場面もあった。ガスマスクを持っている者はガスマスクをつけるが、持っていない者はハンカチに小便を掛けたもので顔を覆う。なぜ小便なのかは分からないが、シンプルに嫌だ。

さて、こういう場面について触れたのは、「こういうのって辛いよね」と伝えたいからではない。この映画で真に感じるべきは、「人間はどんな環境にも割とすぐ適応してしまう」ということだ。頭でどれだけ「戦争は悲惨だ、ダメだ」と考えていても、実際に前線にいれば、その状況に慣れてしまう。

だからこそ怖い。

映画の中ではこんな発言さえある。

仲間の死は悲しいが、それにもじきに慣れてしまう

転がっている死体が、いつしか日常になった

安全な日常を生きている我々は、こういう発言をする者を「冷たい」「人でなし」と感じるかもしれない。しかし、非日常の中にいれば、それが当たり前になってしまうのだ。人間はどんどんと鈍麻していくし、その中で、「自分が今しんどい状況にいる」ということも上手く感じられなくなってしまうかもしれない。

そのことに怖さを感じてほしい。この映画はそういう主張として広く観られるべきではないかと思う。

戦争の虚しさも感じられる

この映画を観ていると、「戦争の虚しさ」も実感できるのではないかと思う。

それは、多くの人が死んでいくからではない。兵士自らが、「戦争の無意味さ」を実感する場面があるのだ。

後半で、イギリス兵がドイツ兵を捕虜にする場面が出てくる。そしてなんと、最前線で戦闘を繰り広げていた敵国の兵士同士が理解し合うのだ。

ドイツ兵とは意見が一致した。まったくもってこの戦争は無意味だ

ドイツ人たちも戦争にうんざりしていたんだ。その空気が、戦争をやめさせた

「戦争」となるとどうしても「国と国の戦い」という感じがして、個人の観点が失われてしまいがちだろう。しかし、まさに殺し合いを繰り広げている者同士は、「戦争なんか馬鹿げている」という意見で一致しているのだ。さらに、

ほとんどの者はドイツ兵に報復など考えていなかった。彼らに敬意を払っていた

実際に接してみると、随分と好人物だった

と語る場面さえある。

戦争映画などを観ると「鬼畜米兵」という単語を耳にすることはよくあるし、今でも敗戦国が戦勝国を悪し様に表現するような教育が行われている国もあるだろう。そんな風にして、お互いに面識さえ無いままに相手への恨みを抱くようになってしまう。

しかし、実際に接してみれば、目の前にいる個人に対して憎悪はないと気づく。それはまさに、「なんのために戦争なんかしているのか」と我に返る瞬間だろうと思う。

また、「戦争の虚しさ」を実感させる別の場面もあった。戦争が終わり、兵士たちが戦場から戻ってきた場面でのことだ。ある兵士は、昔からの知人にこう言われる。

ずっとどこに行ってたの?

なんと、「お国のために戦っていた」ということさえ知られていなかったのだ。それを聞いて兵士は落胆していたが、当然だろう。まさに、なんのために頑張ったのか分からない。

この映画では、戦場から戻ってきた者たちは称賛されるのではなく、市民から爪弾きにされる。これもまた、イメージとは違う「戦争のリアル」だ。日本は第二次世界大戦で負けたが、この映画で描かれるイギリス軍は第一次世界大戦で勝っているはずだ。しかしそれでも、市民から歓迎されぬ存在だったのだ。

まさに、虚しさ満点といった場面である。

監督:ピーター・ジャクソン, クリエイター:ピーター・ジャクソン
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最後に

この映画からは、「戦争は酷いものだ」というようなメッセージ性を直接的には感じない。「戦争の現場は実際こうなっているのだ」ということを、客観的に提示するに留めている印象だ。

しかしそれでも、「安易に思えてしまう理由で志願する兵士」や「様々な形で描かれる戦争の虚しさ」などを実感することで、「やっぱ戦争なんかするもんじゃねーよな」という感覚を強く持つことができるのだろうと思う。

いずれにしろ、戦争は悲惨なものだ。避ける努力をするべきだ。どうやったって正当化できない

まさにその通りである。実際に戦争に従事していた者の言葉は、重く受け止めるべきだろう。

多くの人は、「今の日本が戦争に突入する」ということをリアルには考えていないだろう。まあ確かに、今は平和だし、この平和がずっと続けばいいと思う。しかし、戦争はいつ起こってもおかしくはないし、日本がそう遠くない内に巻き込まれる可能性は決して低くはないと思う。

仮にそうなっても、私は、戦争には関わらない。仮に逮捕されたり、暴力を振るわれたりしても、「戦争には加担しない」という意思を貫ける人間でありたいと、改めて感じた。

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