【秀逸】映画『ゴーストキラー』は、アクションを活かす見事な配役・設定が魅力を生んでいる(監督:園村健介、脚本:阪元裕吾、主演:髙石あかり、黒羽麻璃央)

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はじめに

この記事で取り上げる映画

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いか

この映画をガイドにしながら記事を書いていくようだよ

この記事で伝えたいこと

やはり、髙石あかりの上手さ・凄さが際立つ作品だと言えるでしょう

犀川後藤

映画『ベイビーわるきゅーれ』も良かったですが、そちらとはまた違った魅力を放っています

この記事の3つの要点

  • 冒頭からしばらくは、「あり得ない展開」と「その安直さ」に不安になったが、髙石あかりの演技の上手さで惹きつけられてしまう
  • 「髙石あかり演じる主人公には『動機』が存在しない」という問題を上手く解消して展開させる設定が見事
  • 全体的にアクションはさすがのレベルで、特に後半からラストに掛けてのバトルは圧巻
犀川後藤

映画『ベイビーわるきゅーれ』のテイストが濃い作品で、エンタメとして楽しめる映画に仕上がっていると思います

自己紹介記事

いか

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

髙石あかり主演映画『ゴーストキラー』は、ストーリー・キャラクターの魅力を引き出す「ぶっ飛んだ設定」がとにかく絶妙だった

これはホント絶妙に面白い設定を考えたものだなと感じました。兎にも角にも、本作『ゴーストキラー』は設定が見事です。そしてさらに、「この役は髙石あかりにしか出来ないだろう」と思わせる配役だったことも素晴らしかったなと思います。まあ「髙石あかりに”しか”」ってのは言い過ぎにしても、日本の女優だと土屋太鳳、清野菜名、髙石あかりぐらいしかこなせないんじゃないでしょうか。単に「アクションが出来る」ってだけじゃなくて、演技もかなり上手くないと務まらない役なので。

犀川後藤

もちろん、「演技が下手でも務まる役」なんてそもそも無いとは思うけど

いか

ただ、「アクションが出来るから演技には目を瞑ろう」みたいな需要は多少はあるかなって気がするけどね

そんなわけで、本作は「設定と配役だけでほぼ勝ちを掴んだ」と言っていいような作品であり、実によく出来てるなと感じました。

映画『ゴーストキラー』の内容紹介

大学生の松岡ふみかは、その日来るはずだったバイトが1人飛んでしまったため、膨大な仕事量にうんざりしながら居酒屋でのバイトを終えた後、飲み会へと向かった。彼女はバラエティ番組などの制作に関わりたいと思っており、多少なりともそのプラスになればと、インフルエンサー的な人と繋がるために自分から積極的に声を掛けているのだ。しかし、フォロワーが多くいるこの片山という男はなかなかのクズで、ふみかは何度も途中で帰ろうと思った。しかしどうにか耐え、朝方家路につく

自宅までの最後の難所である長い階段で躓いてしまったふみかは、それまで見たことのない何か(後に薬莢だと判明する)が落ちているのを目にし、特に理由もなく拾って持ち帰った。自宅の玄関前には、あらかじめ連絡をもらっていた友人・マホが座り込んでいる。顔の傷から判断するに、どうやらまた彼氏に殴られたようだ。部屋へと上がらせたマホに「いいかげん別れなよ」と説教している時、ふみかは部屋の片隅に見知らぬ男が立っているのに気づいてしまうえっ何これどういうこと。しかし、そのまま固まったふみかを、マホは不思議そうに眺めている。どうやらマホには、服が血だらけのあの男の姿が見えていないようなのだ。何それマジでどういうこと?

ただその後、男の姿が見えなくなったので、彼氏から連絡が来たらしいマホをとりあえず送り出し、ふみかは今度こそ一息つこうと考えるのだが、またあの男の姿が視界に入るマジでこれは何なんだ? 恐怖を感じたふみかは慌てて部屋から出ようとするのだが、玄関で躓いてしまう。そしてそれを見た血だらけの男が咄嗟に手を差し伸べた

するとなんと、その謎の男がどうやらふみかの中に入り込んだようなのだ。恐らく、幽霊の類なのだろう。なんて風に冷静でいられるはずもなく、ふみかはパニックに陥る。とりあえず”幽霊”には身体の外に出てもらい、そしてどうにか状況を把握しようと試みたすべてが意味不明ではあるが、起こった現象を整理すると、「男は既に死んでいて、ふみかにしか見えず、しかも手が触れると自分の身体に入ってくる」ということのようだ。いやいや、意味わからんて

ふみかはとりあえず、「工藤」と名乗る幽霊と共に外を歩くことにした(というか、男が勝手についてくる)のだが、そこで偶然、マホが彼氏と言い争っている場面に遭遇してしまう。ふみかはマホを助けるべく、仕方なく工藤を体内に入れ、そして工藤の力を借りてマホの彼氏をボコボコにした。ただ、身体はふみかのものなので、殴った拳とかメチャクチャ痛い

その後ふみかは工藤から改めて話を聞いた。「元殺し屋で、ただ誰かに殺されてしまい、その恨みで成仏できず、自分の命を奪った銃弾の薬莢を介してふみかに取り憑いた。自分にもよく分からないが、ただ恐らく、俺の無念が晴れるまで取り憑いた状態は解消されないんじゃないか」ということなのだが……。

あり得ない設定であり得ない展開を描いているのに、作品としてきちんと成立しているところが素晴らしい

さて私は本作を、「髙石あかり出演作」「阪元裕吾監督作」ぐらいの認識だけで観に行きました。まあ実際には、阪元裕吾は監督ではなく脚本を担当していたのですけど。それはともかく、そういう限られた情報しか知らなかったので、冒頭からしばらくの間は、「えっ!? 何このハチャメチャな設定・展開は?」と思いながら観ていました。そして、「うーむ、この感じのまま最後まで進むならちょっとダメかもしれないぞ」みたいにも考えていたのです。別に「幽霊が出てくるからリアリティがない」みたいなことではなくて、全体的に何となく「設定も展開もちょっと安直じゃない?」と感じていたのだと思います。

いか

ホント、「うわぁ、ハズレを引いたかもなぁ」って思ったもんね

犀川後藤

もし配信で観てたら途中で止めてたかもしれない

ただ、そんな冒頭の展開をそれでもちゃんと観られたのは、やはり髙石あかりの演技が上手かったからでしょう。これがもし下手な役者だったら、さすがにちょっとキツかっただろうと思います。映画『ベイビーわるきゅーれ』での彼女のコメディアンヌ的な演技が凄く良かったのですが、その雰囲気は本作でも生かされていると感じました。

さて、その「演技の上手さ」は「松岡ふみかが状況をすんなり受け入れない」という部分で発揮されていると言えるでしょう。その要素は、本作にとってとても重要だと思います。もしも彼女が「元殺し屋の幽霊に付きまとわれている」みたいな設定をするっと受け入れてしまったら、観客が置き去りにされてしまうからです。彼女が状況をすんなり受け入れずに“もたもた”するからこそ、観客も少しずつ世界観に馴染むことが出来、受け入れやすくなっているのでしょう。

しかし実際のところ、その”もたもた”を演じるのは結構難しいんじゃないかと思います。というのも、物語の展開的に「最終的には状況を受け入れなければならない」という流れは決まっているわけで、であれば、1人の人間の振る舞いとして矛盾を抱かせない範囲内の言動に収める必要があるからです。そしてその上で、これは監督からの要望なのでしょうが、冒頭では特に、ふみかには「コメディ的な雰囲気」も求められていたのだと思います。

いか

思いのほか難しいことが求められてるって感じだよね

犀川後藤

アクションももちろん大変だっただろうけど、個人的には、「冒頭で求められている役割」をこなすのもかなりハードだったんじゃないかなって思ってる

そんなわけで、髙石あかりの絶妙な演技のお陰で観客も少しずつ世界観に慣れていけるし、「松岡ふみかの近くに常に工藤がいてなんかゴチャゴチャしている」みたいな状況も受け入れられるようになるというわけです。本作は冒頭で好き嫌いが分かれちゃいそうな設定なので、そんな設定を受け入れにくいと感じる人も取りこぼさないという意味で、髙石あかりの演技は超重要だったなと思います。

しかしストーリー的にはむしろ、この冒頭のシーンを越えた辺りから「難しさ」が出てくると言っていいでしょう。別にそれは「難解」みたいなことではなく、「物語として成立させるのが難しい」という意味です。というのも当たり前の話ですが、ふみかには「工藤の無念を晴らす手伝いをする動機」が存在しません。なので普通に考えれば、ストーリーとして成り立つはずがないのです。

もちろん、「工藤を成仏させないと、ふみかの視界から消えてくれない」という点は、ふみかの動機になり得るでしょう。ただ。「じゃあそのために、元殺し屋だとかいう工藤の無念を晴らす手伝いをするのか」というと、かなり微妙ではないかと思います。なにせ、工藤の存在はふみかにしか見えていないわけで、「ふみかが工藤を全無視する」というやり方を貫けば他に影響はしません。もちろん、常に視界にいるのは邪魔ですが、しかしだからといって「無謀な闘いに挑んで工藤の無念を晴らす」みたいな行動に繋がるかはちょっと何とも言えない気がします。

いか

「工藤を視界から消す」ためだけに支払うコストとしてはちょっと高すぎるんだよね

犀川後藤

少なくとも観客はそう感じるだろうし、そう思われたら物語としてはちょっと成立しないんだよなぁ

そんなわけで、ストーリーを成り立たせるためには「ふみかが積極的に行動に移すための動機」がなければなりません。しかし、普通に考えてそんな状況はあり得ないはずです。ふみかは当然、生前の工藤とは何の関わりもなかったわけだし、そんな工藤から「俺の成仏のために協力してくれよ」なんて言われたところで「何で私があんたのために」みたいに思われて終わりでしょう。確かに、マホを守る手助けをしてくれたりと工藤に多少の恩はありますが、にしたって、「殺し屋を殺すような奴」と対峙しなければならない状況にわざわざ突っ込んでいくなんてことは考えにくいはずです。

しかし本作は、ストーリー展開におけるそんな「難所」を「なるほどなぁ」と思わせる状況設定で乗り越えていました。これはもの凄く上手かったなと思います。脚本に関して言うなら、私はこの展開に最も感心させられました。映画を観ていない人には伝わらない書き方をしますが、「確かに彼女ならあの場面でああいう決断をしそうだし、そしてそこに足を踏み入れちゃえば、後は自動的に『工藤の復讐』に加担するしかない」みたいな展開になっていくわけで、上手いなぁと思います。

いか

こういう部分をちゃんと詰めてくれてると嬉しいよね

犀川後藤

「物語世界の中で、それはちゃんとリアルなのか?」みたいな要素は結構重視しちゃうからなぁ

というわけで、普通ならまずあり得ないようなストーリー展開なのですが、本作においては「ごく普通の大学生が”悪の組織”と戦う」みたいな状況が割と無理なく描かれているのです。ホントに、よくもまあこんなムチャクチャな設定を成立させたものだなと感じました。

設定を活かしたアクションシーンもとても素晴らしかった

さて、本作では冒頭からしばらく「設定の紹介」と「ふみかが状況を受け入れる過程の描写」が続くのですが、その後はかなり「アクション」がメインになっていきます。で、もちろんのことながら、アクションシーンもとにかく素晴らしかったです。本作『ゴーストキラー』の監督は、本作の脚本を担当した阪元裕吾が監督した映画『ベイビーわるきゅーれ』でアクション監督を務めた園村健介です(ややこしい文章ですみません)。つまり、「アクションをやらせたらピカイチの人物が本作を撮った」ということになります。また、本作でかなりの量のアクションをこなしていた工藤役の三元雅芸は、数多くのヒーローショーに出演していた人物みたいです。本作には「『ふみかに工藤が乗り移った際のアクション』を工藤の姿で映し出す演出」が何度かあるのですが(意味わかりますか?)、とにかくバッキバキのアクションを披露していました。さらに、工藤と「最終対決」みたいな感じのバトルを繰り広げていた人物(川本直弘という役者らしいです)も恐らくアクションを中心にやっていた人なのでしょう、「肉弾戦」と言ってもいいような凄まじい迫力でした。

いか

基本は物語にしか興味がないから、普段は別に「アクションシーン、すげぇ!」なんて見方にはならないんだけどね

犀川後藤

でも、本作も『ベイビーわるきゅーれ』もさすがにアクションが凄すぎて、興味ない人間でも惹きつけられるわ

また本作には、「幽霊と一緒に戦う」という設定を絶妙に活かした演出もあって、これも良く出来ていたなと思います。例えば、「敵のアジト」に乗り込む際のこと。普通であれば、先行する人物が後から来る人間にハンドサインで敵の有無などを伝えなければならないでしょうが、工藤は幽霊なのでそんなこと関係ありません。先行する工藤は、敵がやってきたら大声でふみかに知らせればいいわけです。これが、緊迫しているはずのシーンの緊張を緩ませる演出にもなっていて面白かったなと思います。

さらに、アクションの話ではありませんが、工藤とは別にもう1人メインで描かれる殺し屋・影原も素敵でした。工藤と影原の間には因縁めいたものがあって、その関係性も結構魅力的だったなと思います。また、影原を演じていた黒羽麻璃央は実に良い雰囲気を醸し出すなとも感じました。以前、映画『生きててごめんなさい』で彼を観たことがあるのですが、その時とはまた全然違う雰囲気で、絶妙な存在感だったなと思います。

犀川後藤

いわゆる「イケメン」だと思うんだけど、でも「顔の良さ」以外の部分に目が行くみたいな存在感があるんだよなぁ

いか

いずれ、菅田将暉みたいになるかもね

というわけで、設定も配役も演技もアクションもかなり見事な作品で、映画冒頭で抱いた「大丈夫か、この映画……」みたいな印象は完全に吹き飛びました。実に素敵な作品です。

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最後に

本作はやはり、まずは何よりも髙石あかりの存在感が見事だと言っていいでしょう。全体的にはコメディ的に展開されるのですが、シリアスなシーンではしっかりグッと引き締めていくし、その切り替えを実に上手くやっていた印象があります。また、髙石あかりはやはり映画『ベイビーわるきゅーれ』でアクションやコメディの才能が開花したように思うし、本作『ゴーストキラー』の監督・脚本は『ベイビーわるきゅーれ』に深く関わる人物なわけで、つまり『ベイビーわるきゅーれ』あっての本作だなとも感じました。『ベイビーわるきゅーれ』のような「女子のダルい会話」はありませんが、やはりアクションが圧倒的で、後半に行けば行くほど惹きつけられてしまうのではないかと思います。とても素敵な作品でした。

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