はじめに
この記事で取り上げる映画
この記事の3つの要点
- 名前ぐらいしか知らなかった「プラハの春」の背後で、こんな奮闘が繰り広げられていたのかと驚かされてしまった
- 「どんな状況であれ正しい事実を伝えるべき」という信念を貫き通したミラン・ヴァイナーがとにかく素晴らしい
- 弟を守るために「正義」との間で揺れ動く主人公トマーシュの姿から、当時のチェコスロバキアの状況が理解できる
自己紹介記事


映画『プラハの春 不屈のラジオ報道』は、民主化の旗振り役を担ったラジオ局員たちの命がけの奮闘を描き出す実話を基にした物語
これは素敵な映画だったなぁ。私は基本的に歴史の知識がまったく無く(学生時代、日本史も世界史も避けて通ってきた)、だから本作に関しては「プラハの春」って名前ぐらいしか知らなかった。いや、「どこかの国が民主化した」ぐらいの知識は持っていたが、その程度である。だから、その「プラハの春」の裏側でこんなことが起こっていたなんて知らなかったし、驚かされてしまった。で、現代においてもそう変わらないと思うが、「真実を報道すること」にはそれなりの危険が伴うはずだ。そして本作では、「真実を報じることが身の危険を及ぼし得る」という最大級にヤバい状況の中で、それでも真実だけを伝えようと奮闘した者たちが描かれる。その姿には、圧倒させられてしまうだろう。

さて、本作では冒頭で、「実在の人物に着想を得た物語であり、同名で出演する人物もいる」と表記された。「同名で出演する人物“も”いる」という表記を踏まえると、「核となる部分だけが実話で、物語のすべてが事実というわけではない」と捉えるのが正しいように思う。誰が実在した人物なのか公式HPを見ても分からなかったが、主人公のトマーシュ・ハウリクが映画用に創作された人物という可能性もあるかもしれない。私の印象では、ラジオ局の国際報道部部長ミラン・ヴァイナーは実在したと考えて良い気がする。

さてその一方で、映画の最後には「この放送に関わった記者とその家族は、その後迫害され続けた」みたいな字幕が表記されたので、本作の最も核となる部分は基本的にすべて実話だと考えていいんじゃないかと思う。ホントに、凄い人たちがいたものだと感じさせられた。
映画『プラハの春 不屈のラジオ報道』の内容紹介
物語は1967年10月31日に起こった学生デモのシーンから始まる。ストラホフ大学の学生が「我らに光を!」とシュプレヒコールしながら歩いていたのだが、それを警察が鎮圧したのだ。さて、この件についてチェコスロバキア放送国際報道部のヴァイナーは、「学生がモノを壊したので警察が鎮圧した」と報じるように上から言われていた。当時は「義務報道」という、日本のかつての大本営発表のような仕組みがあったようで、「国家の都合の良いように情報を伝えなければならない」というルールが存在したのだ。しかし彼は自ら裏取りし、「壊されたものは何もなかったので報じなかった」と上司に伝えた。放送局としては、義務報道を無視すればどんな事態に陥るか分からない。そのためその報道は、ヴァイナーの担当ではない別の番組で扱われることになった。

ヴァイナーはこのように、常に「正しい情報」を伝えようと、組織の論理に反してでも自らの信念を貫き通していた。そこには恐らく、当時の東欧諸国の状況も関係していただろう。というのも、ソ連の支配下に置かれていたのだ。各国はクレムリンに服従させられており、130万人が政治犯として拘束され、その内5800人が処刑されたという。そしてそれとは別に、恐らく戦闘などによってだろう、数百万人の命まで失われたのだ。自由の兆しに繋がりそうなものはすべて武力で封じられており、当然すべての報道は検閲されていた。承認を得ていない報道はそもそも許可されなかったのだ。しかしそんな状況だからこそ、ヴァイナーは「正しい情報を伝えるべきだ」と考えている。そしてその信念は、彼の部下にも伝わっていくのだ。
一方、中央通信局で技術者として働いていたトマーシュは、両親を亡くしたため、弟パーヤと2人で暮らしている。そしてある日、弟が「ヴァイナーのオーディションに参加したい」と言い出した。トマーシュは弟を止めたのだが、別にトマーシュを嫌っていたとかではないはずだ。詳しくは分からないが、当時のチェコスロバキアには恐らく「養育に不備があると判断されたら養育対象を施設に入れる」という仕組みが存在していたのだと思う。そしてトマーシュは、弟を施設に取られたくないが故に、弟の行動に慎重さを求めていたのだろう。
しかし結局弟は、トマーシュの目を盗んでオーディション会場へと向かってしまった。そのことを察知したトマーシュは、弟の監視をしようと、自身もオーディションの場へと潜り込む。もちろんトマーシュはオーディションを受けるつもりなどなかった。しかし成り行きでそうせざるを得なくなり、そしてなんと、結果的にトマーシュが合格してしまったのだ。

ただ彼は、「今の仕事に満足しており、新たな職を望んではいない」と断る。しかしその後、中央通信局の局長であるホフマンから呼び出され、「ヴァイナーからのオファーを受けた方がいい」と言われてしまう。トマーシュは、「言語に明るくない自分に国際報道部が向いているとは思えない」と再度断るが、「ヴァイナーは記者としてではなく技術者としてオファーしているので何も問題はない」というのだ。トマーシュは結局、悩んだ末にヴァイナーの下で働くことに決めた。

国際報道部ではヴァイナーを筆頭に、スタッフ皆が報道と真摯に向き合っていた。その姿勢が顕著に現れた事例として、苦情の手紙に対する対応が挙げられるだろう。ヴァイナーはある日上司から、「放送内容に関して学生から苦情が来ている」と指摘される。しかし、何事も自ら事実を調べたいヴァイナーは、部下と共に大量の手紙すべてに目を通し、さらにトマーシュと記者のヴェラに「手紙を送った学生を訪ねてほしい」と指示した。ヴァイナーは「手紙を送った真意を知りたい」という動機で2人を派遣したのだが、結果的に驚くべき事実が判明する。送り主として名前が記載されている学生に話を聞くと、「手紙なんて送っていない」と断言されてしまったのだ。その話を受け、ヴァイナーはその後、同一筆跡の手紙が多数あることに気づく。そう、批判の手紙は捏造だったのだ。
またこんなこともあった。ある日リスナーから苦情の電話が届く。ヴァイナーを始めとする国際報道部による放送は聴取者から一定以上の支持を集めていたと思うが、しかしその電話の主は「すべてのリスナーが賛成しているわけではない」「自分が最も忠実な共産党員のはずだから、ラジオで自分の意見を主張させてくれ」と言ってきたのだ。普通ならこんな話、相手にしないだろう。しかしヴァイナーは、「反対意見を持つ者の話も聞くべきだ」と考え、電話を掛けてきた初老の男性を実際にスタジオに招き、ラジオ上で討論を行ったのである。とにかくあらゆる場面で「何が正しい情報なのかを捉え、それを適切に報じる」というスタンスを貫いていたと言っていいだろう。

さて、そんな彼らの放送も影響したのだろうか。チェコスロバキアでは「政治家のアレクサンデル・ドゥプチェクが、共産主義国家で初めて『言論の自由』に言及した」という話が話題になった。そして、抑圧的な政治体制に不満を抱く学生や若者たちが、ドゥプチェクの写真をチラシとして刷って街中に貼り始めたのだ。もちろん、見つかれば拘束され得る危険な行為なのだが、なんとパーヤもトマーシュに知られないようにしながらこの活動に関わっていたのである。
一方、ドゥプチェクのその「言論の自由」に関する発言を収めたテープ(だと私は理解したのだが、もしかしたら捉え間違えているかもしれない)を国際報道部は入手していたのだが、これももちろん危険な代物だ。「StB(国家保安部)」に見つかったら一発アウトである。突然のガサ入れなど不測の事態がいつ起こるか分からないので、このテープは記者が交代で持っておくというやり方で保管することが決まった。
さてそんな中、トマーシュの身に魔の手が迫る。弟パーヤが狙われたのだ。当時のチェコスロバキアは、アメリカやフランスなどから「黄金比を見つけた」と評されていた。つまり、「共産主義と民主主義の良いバランスを見出した」というような意味なのだろう。しかし国内ではStBが暗躍し、情報統制などを行っていた。そしてそんなStBが、チェコスロバキア放送局で働くトマーシュに目をつけたのだ。トマーシュは様々な葛藤を抱えながらも、変化する状況に対処していく。

そしてそんな中、後に「プラハの春」と呼ばれるようになる民主化の波がチェコスロバキアに押し寄せる。これもまた、国際報道部の放送による尽力が大きかったと言えるだろう。しかしなんとすぐに、ソ連が周辺国の軍隊を引き連れてチェコスロバキアに軍事侵攻することが決まってしまう。そしてそんな鬼気迫る状況下でも、国際報道部の記者たちは決死の覚悟で放送を続けるのだが……。
本作では何よりも、ミラン・ヴァイナーがとても素敵だった
本作『プラハの春 不屈のラジオ報道』の主人公はトマーシュだと思うが、彼以上にミラン・ヴァイナーの存在感がとても強かったなと思う。チェコスロバキア放送は恐らくNHKのような国営放送だと思うので、そんな中で彼が国家の方針に反するような振る舞いをしても何故問題なく仕事が続けられているのかはよく分からなかったが、何にせよ「事情がどうあれ、間違ったことを報じるべきではない」という信念を貫いている姿は素晴らしいなと感じた。上司から何を言われても動じず、逆に「情報の裏取りをすることの何が悪いんだ?」みたいに呟いたりしていたぐらいだ。「単にメチャクチャ純粋なだけなのか?」とも感じるが、実際のところどうかは分からない。ただいずれにせよ、「上司がこういう人物だったら、部下は頑張れるだろうな」と感じたし、凄く良い存在感だったなと思う。

また、彼は「このままでは学生がラジオを聴かなくなってしまう」という危惧をずっと抱いてもいた。ヴァイナーはそもそも、「民主化の実現のためには、学生・若者による運動は欠かせない」と考えていたんじゃないかと思う。そしてそれ故に、ラジオが「義務報道」を続ければ続けるほど、ラジオが学生にとって「信頼に足る情報源」では無くなってしまうという状況を恐れていたようだ。そうなってしまえば、どれだけ「正しい情報」を伝えようが、それを本当に必要とする人には届かなくなってしまう。それだけはなんとか避けなければならないと考えていたんじゃないかと思う。

だからこそヴァイナーは、ラジオ放送を通じてリスナーと信頼関係を醸成する努力を続けたのだろう。そして、はっきりとそう示唆されていたわけではないが、そういう地道な取り組みが実を結び、やがて「プラハの春」という大きな流れとして結実したのだと思う。もちろん「プラハの春」には、本作では描かれていない様々な要素が絡んでいるのだと思うが(私は全然知らない)、彼ら国際報道部の記者たちの貢献度はかなり高かったのではないかと本作を観ながら感じさせられた。
主人公のトマーシュは、「正義」か「弟」かの選択を常に突きつけられ続ける
本作『プラハの春 不屈のラジオ報道』では主に、技術者のトマーシュに焦点が当てられる。彼が技術者だという事実は物語の後半に入って大きな意味を持つのだが、冒頭からしばらくの間は全然関係がない。技術者としての活躍が描かれることはなく、記者のヴェラと組んで何かするなど、「技術者だが、時々記者の手伝いもする」みたいな人物として描かれているという感じだった。
だから、前半でのトマーシュは「国際報道部の一員」としてよりも「パーヤの兄」としての側面の方が強く描かれる。そして彼はこの点においてかなり葛藤させられることになるのだ。

そもそもだが、彼がヴァイナーの下で働くと決めた背景にも弟が関係している。彼は上司のホフマンから、「今人員整理の話があって、恐らく君も候補に入る。もし無職になったら、弟が施設行きになってしまうぞ」と言われていたのだ。ホフマンはトマーシュに「脅しではない。君を助けたいんだ」と言っていて、私は彼のこの言葉を最後まで真に受けていたのだが、どうやらそうではなかったようである。公式HPに書かれていた内容紹介を読むと、ホフマンはどうも自分の手飼いをヴァイナーの下に送り込みたかっただけのようで、そう考えれば「人員整理」の話も恐らく嘘だっただろうなと思う。
とこのように、トマーシュは何よりも弟のことを考えて行動しているのに、当の弟は、逮捕・拘束のリスクが高い学生運動に積極的に関わっているのだ。もちろん、「自分だって国の未来のために出来ることをしたい」という彼の気持ちも分からないではない。ただ、状況が状況なだけに、「頼むから静かに大人しくしててくれ」というトマーシュの想いも理解できる。
そしてそんなウィークポイントを抱えたトマーシュは、後にそこを突かれ、「正義のために闘う」か「弟を守るために行動する」かみたいな選択を迫られ続けてしまう。まあ、このトマーシュの設定はとてもフィクションっぽいところがあるので、だから「実在の人物ではないかもしれない」と思ったのだが、「プラハの春の放送に関わったラジオ局員にこういうことが起こったか」はともかく、このような状況は当時のチェコスロバキアでは普通にあったことなのだろう。そういう当時の世相みたいなものが、トマーシュの描写から伝わってくる感じがした。

民主化に貢献したラジオ局の面々の奮闘、そして「正しい事実を報じること」の重要さ
本作では物語の後半で、いわゆる「プラハの春」の描写が始まる。チェコスロバキアに民主化の波が押し寄せるのだ。そして国際報道部の面々はどうやら、「放送を通じて多くの人に連帯を促す」というだけではない、もっと直接的な貢献を果たしたようである(それについてはこの記事では触れないことにしよう)。まさに「直接のきっかけを作った」ということなのだろうし、その実現はヴァイナーを始めとする国際報道部の面々の信念のお陰だと言っていいと思う。

しかし歓喜に湧いたのも束の間、チェコスロバキアはソ連による軍事侵攻を受ける。ウクライナ侵攻と同様、ソ連は表向き「チェコスロバキアを支援する」という目的で軍隊を派遣したのだが、もちろんそんなわけがない。そしてなんと、プラハの街中に戦車がなだれ込んでくるのである。
本作の核となる物語は、まさにここから始まると言っていいだろう。これ以降の展開には詳しく触れないが、トマーシュを始めとする国際報道部の面々が、自らの危険を顧みずにとにかく放送を続けるのだ。凄かったのが、チェコスロバキア放送の建物が占拠された後も放送が続いたことだろう。ラジオはそこから発信しているのだから、そんなこと出来るはずがない。実際、中央通信局のホフマンはその報告を受け、「そんな馬鹿な」と声を上げていた。この辺りの状況については、予告編でも少しだけ情報が出てくる。「リレー方式で放送を続けよう」みたいなセリフをトマーシュが口にする場面があるのだ。まさにここから、技術者としてのトマーシュの本領発揮となっていくのである。

また本作では、「ラジオ放送を止めようと建物に向かう戦車を、丸腰の市民が必死で止めようとする」という状況も描かれていて、この場面も凄く良かったなと思う。というのも、市民のこの行動は、そこまでの過程で国際報道部(チェコスロバキア放送)が多くの人から支持を得ていたからこそのものに思えたからだ。普段は一方的に情報を伝えるだけで、なかなかリスナーの意見を知れなかっただろう記者たちも、窓からこの状況を見下ろして「自分たちがやってきたことは間違っていなかった」と実感できたんじゃないかと思う。
さらに、本作で描かれる「報道のあり方」は、現在の私たちが置かれている状況を再考させる力も持つだろう。現代は、正しい情報に「フェイクニュース」というレッテルを貼って事実を誤認させたり、あるいは、「明らかに間違っている情報」がさも正しいことであるかのように一人歩きしていく時代である。まさに色んな形で「情報の信頼性」が失われつつあると言っていいだろう。確かに、現代における問題は「報道」というよりもむしろ「SNS」であり、本作で描かれている状況とは大きく異なる。しかしそれでも、本作の描写は現代に通ずるものがあると言えると思う。何故なら問題は、「何を『正しい』と感じるか」という受け手側のスタンスにあるはずだからだ。
国際報道部の面々が自らの命を危険に晒してまで真実を報じようとしたのは、「それを受け取る人間に何かプラスがもたらされるはずだ」と信じていられたからだと思う。しかし現代では、情報の受け手である私たちが「真実かどうか」を軽視するようになってしまった。目の前の情報が「真実かどうか」なんてことよりも、「面白そうか(バズリやすそうか)」みたいなことばかり重視されているように感じられるのだ。そしてそんな世の中では誰も、「命を懸けて真実を伝える」なんて行動を取ろうとは思わないだろう。

もちろん私は、「すべての記者が命を懸ける覚悟を持つべきだ」なんて言いたいわけではないし、そんな必要もない。ただ、発信者と受信者が一定の良き関係を結んでいるからこそ「正しい情報」に意味がもたらされるわけで、その関係が壊れつつある現代においては、「正しい情報」の価値自体が下がっているように感じられることがちょっと恐ろしいなと思う。
本作を観ながら、私はそんなことを考えていた。嫌な世の中を生きているなと思う。

最後に
名前だけ何となく知っていた「プラハの春」の背景にこんな事実が存在していたのかと驚かされたし、「名もなきメディア人たちが命を懸けて闘っていた」という事実には圧倒させられてしまった。悪いことは起こらないに越したことはないが、起こってしまったのであれば、その中で抗った者たちの奮闘は知りたいし、広く知られるべきだなとも思う。







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