はじめに
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この記事の3つの要点
- 「ユン・ソンニョルを以前から糾弾していたニュース打破」と「ニュース打破を弾圧する機会を窺っていたユン・ソンニョル」
- 事態を決定づけた「大蔵洞事件」に関する報道と、ニュース打破が市民から批判されてしまった理由
- あからさまな横紙破りをしてでもニュース打破を抑え込もうとした検察と、まったく屈することなく闘い続けたニュース打破
自己紹介記事


記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
映画『非常戒厳前夜』は、当時の大統領ユン・ソンニョルが非常戒厳令を発令するという理解不能な出来事の舞台裏を描く衝撃作である
これはメチャクチャ面白い作品だった! しかも、事前に情報をキャッチアップできていたわけではなく、公開中にたまたま存在を知った作品である。そのまま観ずに公開期間が終わってしまう可能性も全然あったわけで、本当に観れて良かったなと思う。

当時の大統領ユン・ソンニョルによる非常戒厳令の発令と、その背後で暗躍(?)した独立系メディア「ニュース打破」について
2024年12月3日、驚きのニュースが飛び込んできた。当時韓国の大統領だったユン・ソンニョルが非常戒厳令を発令したというのだ。彼は自身の決断を伝える会見の中で、「北朝鮮の共産主義勢力や従北半国家勢力から韓国を守るため」というような説明をしていたが、日本人にはもちろん意味不明だったし、韓国人にも「???」という感じだったんじゃないかと思う。そして誰もが知っている通り、ユン・ソンニョルが発した非常戒厳令は後に無効とされ、さらに彼は逮捕された。韓国の大統領は、不慮の死を遂げたり逮捕されたりと色んな末路を辿るが、そんな韓国大統領史においても「特異的」と言っていい出来事だったんじゃないかと思う。

さて、私は本作を観るまでは当然、「ユン・ソンニョルが何のために非常戒厳令を発したのか?」についてはまったく知らなかったのだが、その舞台裏を明かす本作を観て本当に驚かされてしまった。私なりに本作の内容をざっくりまとめるなら、「ユン・ソンニョルは『私怨』のために非常戒厳令を出した」となる。あまりにもムチャクチャだろう。本作には冒頭の方で、全体の核心部分をざっとまとめたようなパートがあるのだが、その中で、「『このままだと夫婦揃ってお終いだ』となったため、ユン・ソンニョルは憲法違反でも何でもしようと考えたのだろう」「妻を守るための最後の賭けだった」みたいな表現が出てくる。もちろん最初は、「いやいや、それはさすがに誇張でしょう」と思っていたのだが、本作を最後まで観ると、「確かに、そう考えるしかないか」という印象になってしまう。とにかく、凄まじい状況だなと感じた。
では、ユン・ソンニョルの「私怨」の対象とは何だろうか? それは「ニュース打破」と呼ばれる非営利の独立系メディアである。作中の説明によると、「10年間、資本とは無縁でやってきた」そうだ。どのように運営されているのか詳しい説明はなかったが、恐らく「購読料」や「支援者からの会費」などによって成り立っているのだろう。本作の最後には、「本作は貴重な会費を使って制作された」みたいな字幕が表示された。広告に頼らないことで、言いたいことが自由に主張できる態勢にしているのだと思う。

そしてそんなメディアだからこそ、政権批判も厳しく行う。ユン・ソンニョルへの批判も大統領就任以前から行っており、それ故に目を付けられてしまったのだ。そして本作『非常戒厳前夜』は、日本ではまったく報じられていないだろうその背景についてニュース打破側の視点から描き出す作品である。
さて、当然と言えば当然だが、本作には「ユン・ソンニョル側の主張」は基本的に含まれない。ニュース打破が制作した映画なので、ユン・ソンニョル側の人間が何らかの形で協力するなんてことはまずあり得ないからだ。そしてそういう点を踏まえれば「フェアではない」とも言えるかもしれない。本作を観る限りは、ニュース打破の記者たちは、凄まじい高潔さと信念で権力を監視しようと奮闘しているように見えた。しかしそうだとしても「一方的な捉え方」であることに変わりはない。少しだけ、その点は意識しながら観るべきかもしれないなとも思う。
ニュース打破はなぜ批判の対象となったのか?
ニュース打破は、2019年にユン・ソンニョルが検察総長候補に指名された時から彼の不正を追及していた。そして先述した通り、「それ故に目を付けられて弾圧された」というのがシンプルに捉えた場合の構図である。なのだが、恐らくユン・ソンニョルの予想に反してニュース打破がまったく屈せずに闘い続けたため、追い詰められたユン・ソンニョルが非常戒厳令を出して自爆したというわけだ。少なくとも映画公開時点では裁判が継続中だったようなので、「完全勝利」とはまだ言えないかもしれないが、大統領相手に大金星と考えていいのではないかと思う。

そして、そんな両者の闘いにおいてまず大きな出来事となったのが、2022年3月に行われた大統領選で争点となった「大蔵洞事件」である。これは釜山貯蓄銀行を舞台にした不正融資などに関する問題だ。しかし、何故この事件が大統領選の争点になったのか? それは、「事件当時検事だったユン・ソンニョルが裏で手を回し、銀行のトップに手が及ばないように采配したのではないか?」という疑惑が持ち上がったからだ。
そんな中、ニュース打破が特大の情報を入手した。大蔵洞事件の中心人物と目されていたキム・マンベとの会話を収めた音声記録である。その中でなんと、キム・マンベが「トップを見逃すように検事に頼んだ」と言及していたのだ。こんな情報を手に入れたからには当然、ニュース打破は報道する気満々でいたのだが、タイミングが微妙だった。その音声記録を入手したのが投開票日(だったと思うが、選挙開始日だったかもしれない)の5日前だったのだ。そんなタイミングで報じれば、立候補しているユン・ソンニョルが圧倒的に不利になるだろう。彼らは「そんなことをしていいのか?」と逡巡したのである。
しかし裏付け取材を行った記者は、「やはりこれは報じるべきだ」と判断した。そしてニュース打破の報道を皮切りに、ユン・ソンニョルの疑惑に関する報道が増えていったのである。

さて、そんな報道があったにも拘らず、この時の大統領選でユン・ソンニョルは当選を果たした。そしてその後、キム・マンベと接触した記者への捜査を皮切りに、ニュース打破への攻撃が激しくなっていく。恐らく上から圧力が掛かったのだろう、他のメディアが「ニュース打破は大金を受け取っている」「デマを報じて大統領選に影響を与えようとした」などと報じ始めたのだ。さらに、ある国の機関(恐らく、メディアの監督・監視を行うところ)でのやり取りが公開され、その中で「ワンストライクアウト法を制定しよう」「ニュース打破は配信停止・解体すべきだ」といった発言が飛び交っていたのである(「ワンストライクアウト法」は恐らく、「不正等があった場合に一発アウトにする法律」だと思う)。この時期を振り返った記者は、「『自分たちが間違ったことをしてしまったのか』と錯覚するぐらいの凄まじい攻撃だった」「誰もが恐怖を覚えていた」と、その凄まじさについて語っていた。

そしてさらに信じがたい事態が進行する。なんと検索が特捜部を立ち上げ、10人の検察官を投入することに決めたというのだ。パク・クネ元大統領の捜査の際にも特捜部が設置されたが、その際は検察官13人が専従したという。つまりニュース打破に対しては、パク・クネと同規模の特捜部が捜査に当たるというわけで、その事実に記者たちも驚いていた。
さらにその後、検察官が家宅捜索のためにある日突然ニュース打破の本社にやってくるという事態に発展する。代表や記者らは当初、検察を中に入れまいと抵抗を続けた。しかし、「何も動きを見せないまま膠着状態を続けていれば口実を与えるだけだ」と考え、代表は最終的に彼らを中に入れる決断をする。ある記者がこの時の状況について、「検察がメディアの自由を侵した初めての瞬間」という表現を使っていたし、代表も「民主主義国家としては類を見ない言論弾圧だ」と言っていた。これらの発言からも、その異例さが理解できるのではないかと思う。

「検察が名誉毀損罪でメディアを捜査する」という“異様な”状況
検察による家宅捜索は、なんと「名誉毀損罪」に対するものだった。もちろん名誉毀損罪だって摘発すべき重要な罪だとは思うが、とはいえ「『メディアの自由を侵す』『言論弾圧』と言われるような家宅捜索を行ってまで捜査することなのか」とも感じさせられる。
しかし実はそもそも、そんなレベルではない問題がここにはあったようだ。というのも、韓国では「名誉毀損罪は警察が捜査する」と決まっているのである。日本でも、そう明文化されているかどうかは知らないが、確かに名誉毀損罪であれば警察が捜査するようなイメージがあるだろう。検察はもっと、「政治家の汚職」や「大掛かりな脱税」などの事件に関わっているように思う。そしてそれはやはり韓国でも同じらしく、検察にはそもそも名誉毀損罪を捜査する権限がないようなので、「これは明確に違法捜査だ」と指摘されていた。
しかも、これも日本と同様だと思うが、名誉毀損罪はどうやら韓国でも「親告罪」、つまり「被害者からの訴えがあって初めて捜査が行える犯罪」のようである。だから、家宅捜索令状をチェックした弁護士は、「”被害者”であるユン・ソンニョルの意思を確認したい」と検察に告げていた。つまり、「名誉毀損罪が成立しているかどうかは、ユン・ソンニョルからの親告の有無によって決まるのだから、まずはそれを確かめたい」というわけだ。恐らく弁護士は、「検察がユン・ソンニョルの意思に反して(というか、忖度して)勝手に動いている」と推測していたのではないかと思う。さらにこの話は、後の裁判にも関係してくる。代表が「ユン・ソンニョルの証人喚問を要請する」と口にしていたのだ。これも、「”被害者”が沈黙しているままでは罪の成立が判断できないから」ということらしい。

さて、恐らくここまでの説明で全体の構図は凡そ伝わったのではないかと思うが、一応整理しておこう。つまり、「ニュース打破は何故、検察には捜査権限がないはずの名誉毀損罪で家宅捜索を受けたのか?」についてである。前述した通り、大統領になる以前ユン・ソンニョルは検事であり、検察のトップである検事総長まで務めた。だから、検事たちにとってユン・ソンニョルは「元上司」なのであり、「そんな元上司の名誉が傷つけられたから、報復のようなことをしている」と考えるのが自然ではないかというわけだ。
そしてそんな「報復」はニュース打破本体だけではなく記者個人にも向けられた。ニュース打破の家宅捜索と同時に、報道に深く関わった記者2名の自宅にも検察がやってきたのだ。やはり「名誉毀損罪でここまでやるか?」という感じである。とはいえ、検察としては「捜査権限がないのに名誉毀損罪の捜査をしている」という時点で明らかに横紙破りなわけで、だからなりふり構わず徹底的にやるつもりだったとも考えられるだろう。
また個人的には、家宅捜索を受けた記者が語る当時の感覚も興味深かった。事件捜査など日々重ねている記者にしても、自身が捜査対象になることなどまずないわけで、内心相当緊張していたようだ。「弁護士と一緒に捜査令状を読むのだが、文字が全然頭に入ってこなかった」「家宅捜索前に署名する必要があったのだが、手の震えに気づかれたくなくて10秒ほど静止していたら、取り囲む検事に急かされた」など、あまりに非日常的な状況に対する感覚もとても印象的だったなと思う。

以前からユン・ソンニョルを追及し続けてきたニュース打破と、ニュース打破への反撃の機会を窺っていたユン・ソンニョル
さてここまでで、「ユン・ソンニョル VS ニュース打破」の直接のきっかけとなった「大蔵洞事件」からの流れに触れてきたが、両者の闘いは実はずっと以前から続いていた。ニュース打破が最初にユン・ソンニョルを取り上げたのが恐らく2019年で、彼が検事総長候補になった際に報じた「元龍山税務署長に弁護士を紹介した疑惑」である。正直この何が問題なのかは私にはイマイチよく分からなかったが、彼の立場的に許されない行動だったのだろう。

さて、この「弁護士を紹介した疑惑」は2012年の出来事のようで、2012年にも報じたのかは分からないが、検事総長候補になったことをきっかけに、2019年に改めて疑惑として取り上げたのだと思う。この報道に対してユン・ソンニョルは、何か公聴会みたいなところで「税務署長に弁護士を紹介した事実はない」と断言していた。しかしニュース打破は、2012年の時点でユン・ソンニョルから直接「弁護士を紹介した」と聞いており、その録音データも存在している。そのためニュース打破は、「2012年とは証言が異なる」として、その録音データと共に彼の証言の変化を報じたのだ。
しかしそんな報道をものともせず、結局ユン・ソンニョルは検事総長に任命された。さらに、ニュース打破がこの報道を行った後、ニュース打破には抗議の電話が殺到したのだそうだ。韓国では当時「検察改革」の必要性が叫ばれており、だから多くの人が「検察を変えなきゃいけない時にあんな報道をするなんて幻滅した」みたいに文句を言ってきたのだという。ただ、市民のこの怒りを知った記者は、「そうか、国民は本気で検察改革を望んでいるんだな」と実感できたとも話していた。というのも、ニュース打破はまさに、当初から「検察改革」を訴え続けてきたメディアだったからである。だからこそ彼らは、ユン・ソンニョルの不正も糺さなければならないと考えていたのだ。

そしてそんな取材の過程で明らかになったのが、ユン・ソンニョルの妻キム・ゴンヒによる株価操作疑惑である。記者の1人は、「この事実が明るみになったことが恐らく、ユン・ソンニョルにとって最も大きな打撃になったのではないか」と推察していた。そしてさらに、「これ以降、ニュース打破を弾圧する機会を窺っていたはずだ」とも語っていたのだ。その傍証の1つとして取り上げられていたのが、「放送通信審議委員会の委員長による偽の陳情疑惑」である。
ある時期、ニュース打破に対する陳情が数日間で180件以上も寄せられた。しかし、その内の少なくとも70件以上が、委員長の家族・親族・同僚らによるものだったと明らかになったのだ。中には、誤字までまったく同じ陳情が複数存在したという。もちろんこれは、「市民から多数の苦情が寄せられた」という体でニュース打破を排除しようとする動きである。これもまたムチャクチャな話だなと感じた。
そんなわけで、長年ニュース打破に煮え湯を飲まされてきたユン・ソンニョルは、「大蔵洞事件」の報道を機に反撃の糸口を見出したというわけだ。しかし、そんな国家権力からの凄まじい攻撃にも屈せず、さらに起訴されても闘う姿勢を崩さなかったニュース打破にユン・ソンニョルは追い詰められてしまったのだろう。結局「非常戒厳令の発令」という最悪の一手を繰り出し自爆したのである。その後彼は弾劾により罷免され、さらに逮捕された。まさに「完敗」と言っていいんじゃないかと思う。

起訴され裁判に臨む記者らの真摯さが伝わる様々な場面
ただし、一度始まってしまった裁判は、ユン・ソンニョルが罷免され大統領でなくなっても継続する。ニュース打破の記者たちは、「一審の判決が出るのに1年は掛かるかな」「いや、たぶんもっとですね」みたいな会話をしていた。また検察としても、ユン・ソンニョルが逮捕されてしまった以上、こんな裁判を続けたいなどとは思っていないだろう。つまり、お互いにまったく無意味な裁判に長期間拘束され疲弊させられるというわけだ。あまりに不毛である。
さてそんな裁判の話で言えば、起訴された記者の1人が「ゴミみたいな起訴状」という表現を使っていたのが印象的だった。これは、単に「記者の怒りを表現した言葉」というだけではない。実際に「ゴミみたい」と言いたくなるような代物だったのだ。というのも、その記者に送られてきた起訴状は、裁判官の命令で3回も書き直されたのである。最初は71ページあった起訴状は、3度の修正を経て37ページにまで減った。そりゃあ「ゴミみたい」と言うしかないだろうなと思う。
また裁判については、起訴された記者が「『弾圧に屈しなかった』という前例を作るべきだ」という言い方で意気込みを語っていたのが印象的だった。非常に強い言葉ではないかと思う。さらに彼は、「負ければ、将来ジャーナリストを目指そうとする若者の障害になりかねない」とも危惧していた。だからこそ、不毛な闘いだと分かっていながら全力で臨むのだろうし、とても素晴らしいスタンスだったなと思う。

さて最後にもう1つ。本作には、検察による取り調べに呼ばれた代表が、同業者であるマスコミに囲まれて取材を受ける場面がある。そしてその中で代表は次のような話をしていた。
今、韓国のジャーナリズムは不信を抱かれている。私たちに出来るのは、権力者の言葉を鵜呑みにしないことだ。

これは本当にその通りだし、日本にも同じことが言えるはずだ。代表は、カメラの向こうにいる国民のことももちろん意識していたと思うが、それ以上に、今まさに自分を取り囲んでいる記者に向けて話している印象が強く、権力に屈せずに闘い続けてきた者だからこその気迫みたいなものが感じられてとても良かったなと思う。


最後に
本作『非常戒厳前夜』は、まったく知らなかった事実がとにかく満載で非常に興味深かった。にしても、ニュース打破としては恐らく、「ユン・ソンニョルとの闘いの記録として映像を撮り続けてきた」だけだと思うのだが、まさか非常戒厳令の発令、さらに逮捕・罷免にまで至るとは想像もしていなかっただろう。そういう展開になったお陰で、ニュース打破はそれまでよりは安全になったと言えると思うし(裁判は続くが)、ドキュメンタリー映画としての完成度も高まったと言えるだろう。しかしもちろん、そんな展開にはならなかったかもしれないわけで、本当に「“現実”は小説よりも奇なり」だなと思う。
韓国に住んでいる人の中にはもしかしたら、「戒厳令の背景にはニュース打破とのバトルが関係しているのかも?」と想像できた人もいるのかもしれないが、私たちのような外国人は「は? 非常戒厳令? 何で?」みたいな感じだったはずだ。そんなわけで、その背景をかなり詳細に描いている本作は非常に興味深く感じられるはずだし、機会があれば是非観てほしいとな思う。








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