はじめに
この記事で取り上げる映画
この記事の3つの要点
- 「悪の組織ハマスと闘うネタニヤフ」という見え方がすべてひっくり返るような視点を与えてくれる作品
- 起訴されても政治家を辞めず、それどころか自身の政治生命の延命のために狂気的な選択・判断を続けるネタニヤフ首相のヤバさ
- 高額な贈答品や核関連設備の購入も驚きだが、個人的には「人気ニュースサイトへの介入」に最も驚かされた
自己紹介記事


記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
映画『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』は、首相の汚職疑惑を皮切りに「政治家として延命するために中東の紛争を長引かせている」という驚きの実態が明らかにされる
これはメチャクチャ面白い作品だった。もちろんこれはFunではなくInterestingの意味で、とにかく興味深い。イスラエルとパレスチナの間の紛争はずっと報じられているし、そこには長年の宗教的な対立が存在していることも知ってはいる。しかし、それとは別に「ネタニヤフ首相の個人的な思惑」がふんだんに詰まっていることが理解できたし、その現実はちょっとあまりにも酷すぎるなと思う。実にとんでもない話だった。

本作『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』で描かれている内容のまとめ
さて本作は、前半のメインが「ネタニヤフ首相の汚職」であり、後半では、それが「戦争」とどう関わるのかが明らかにされるという構成になっている。というわけで、個別の話に触れていく前にまず、本作の全体像をあらかじめざっくりと提示しておこうと思う。

- ネタニヤフは元々「テロ対策の専門家」として頭角を現し、さらに「テレビの天才」と言われるほどのパフォーマンスで政界に進出。そして1996年に40代の若さで首相に選出された
- 敗北確実と言われていた2015年に圧勝したネタニヤフ首相は、この頃から「自分を止められる者は誰もいない」と慢心し始めたのではないかと思われる
- ネタニヤフ首相には以前から収賄や詐欺など様々な疑惑があったため、2016年に警察が捜査を開始。富豪や政府要人を含む数百人の関係者全員から話を聞くという力の入れようだった。そしてなんと、その尋問の様子を撮影した映像が何故か流出したとかで、本作でもその映像が多く使われている
- 数年かけて関係者の聴取を行い、警察はついにネタニヤフ首相の尋問に踏み切った。その様子を映した映像も本作でふんだんに使われている
- 2019年にネタニヤフ首相は3つの罪で起訴された。しかし、これまでイスラエルでは刑事被告人になった政治家は全員辞任してきたにも拘らず、彼は「法に基づき職務を執行する」と宣言。今も首相を続けている。作中では「ネタニヤフ首相はとにかく、刑務所に入れられるのが怖いのだろう」と指摘されていた(元首相のオルメルトも、ネタニヤフよりも遥かに軽い罪だったが有罪となり収監された)
- 起訴されたという事実を踏まえ、イスラエルの中道左派はネタニヤフを引きずり下ろそうと画策する。そのため彼は、「極右と手を組まなければ政権を維持できない」と判断。元々過激な右派思想を持っているわけではなかったが(彼の長男ヤイルの方が遥かに右寄りである)、彼は右派過激派と連立政権を組む決断をした
- その過激派に属するスモトリッチとベングヴィルは、「数年前であれば、ネタニヤフは彼らと同じ写真に写ることも避けていた」という程の過激な極右なのだが、ネタニヤフは自身の権力維持のために、彼らをそれぞれ大臣に据える決断をする
- スモトリッチとベングヴィルは、「パレスチナ人の排斥」「ガザ地区やヨルダン川西岸地区の併合」などを推し進めるために様々な手を打ち始めた。そしてその過程で彼らは、「最高裁がその障害になる」と認識し始める
- 一方ネタニヤフ首相も、「司法改革を行えば、自身の裁判に有利な状況を作れる」と考え、両者の思惑が一致。連立政権樹立から1週間も経たない内に「強気な司法改革案」を提出する
- この司法改革案は国民を激怒させた。そして各地で抗議デモが勃発。39週も続く過去最大の巨大デモに発展し、これによって国内は大混乱に陥った
- またネタニヤフ首相は、「戦争中だから」という理由で自身の裁判の審理延期を何度も要求する。映画冒頭では、「戦争をも権力維持の道具にしている」「戦争と政情不安を頼りに生き延びている」と指摘されていた
- さらにネタニヤフ首相の驚きの事実が明かされる。なんと、パレスチナのイスラム原理主義政治集団(とネットで調べると出てくるが、ニュースではテロ組織のような扱いだろう)であるハマスを彼が延命させてきたというのだ。彼は「ハマスにガザを、ファタハにヨルダン川西岸地区を支配させ、両者が繋がることを防ぐ」という目的のために、カタールを通じてハマスに10億ドル以上の資金援助をしてきたのだという
- そんなハマスが2023年10月にイスラエル南部を襲撃し、多くの人を殺した上、多数の人質を拘束するという大事件が起こる。本作では、ネゲブにある共同体キブツで生活していた女性が当時のことを証言していた。狭いコミュニティの中で、知り合いが90人以上も殺されたそうだ
- イスラエルでは、10月7日の惨劇の責任がネタニヤフにあると非難が高まっていく。作中でも、「ハマスを作ったわけではないが、彼が育てた」「彼が獣を養った」と強く非難されていた
- しかしそんな批判をものともせず、ネタニヤフ首相は「完全な勝利を目指す」と主張しハマスとの戦闘継続を主張。またスモトリッチとベングヴィルも批判の声など意に介さず、ネタニヤフの信任を受ける形で戦争を継続させている

これが本作で描かれる全体像である。「ネタニヤフ首相が個人的な思惑で戦争を継続させている」という主張が伝わるのではないかと思う。
本作『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』は、ネタニヤフ首相やイスラエルの見え方が大きく変わり得る作品だ
本作で描かれていることが事実なら(私は事実だと思っているが)、ネタニヤフ首相やイスラエルという国家の見え方が大きく変わるんじゃないだろうか。一般的にも別に「良いイメージ」というわけではないと思うが、しかし何となく「ハマスは悪であり、そんなハマスとネタニヤフは戦っている」みたいな見え方になっている気がする。そしてそんな印象は本作で大きく覆されることになるだろう。

私は以前『戦場記者』というドキュメンタリー映画を観たことがあり、その中では「ハマスは悪者と報じられることが多いが、本質的にはそうではない」みたいなことが説明されていた。単なるテロ組織ではなく、教育や慈善活動なども行う「ガザ地区における社会運動」のような存在と捉える方が実態に即しているのだそうだ。だから私は本作『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』でも「ハマスが一方的に悪い」みたいな見方をしなかったつもりである。しかしそうだとしてもやはり、2023年10月7日にハマスが起こした出来事はあまりにも酷すぎるし、だから「ネタニヤフ首相はそんな極悪な組織と対峙しているんだ」みたいな印象になるのも自然だとは思う。

だから本作を観て、「そんなハマスを延命させていたのがネタニヤフ自身である」と指摘されて驚かされてしまった。もう何が何やら。さらに言えば、「自分が収監を免れるために極右と手を組み、中東を大混乱に陥れている」わけで、正直ちょっと信じがたい話だなと思う。まさかそんな状況になっているとは想像もしていなかったし、また、外国語に明るくない私が自力で情報収集したところで拾えるような話でもないと思うので、本作を観れてよかったなと思う。
で、作中では特に言及がなかったのだが、「ネタニヤフ首相に有罪判決が下ったらどうなるのだろう」と感じた。過去の事例では「全員辞任」だが(というか先述した通り、これまで政治家は起訴された時点で辞めている)、ネタニヤフは刑事被告人になっても首相を続けている。つまり「起訴されたら政治家を辞めなければならない」という法律は存在しないし、「有罪判決を受けたら政治家を辞めなければならない」という法律も無いんじゃないかと思う。もちろん、有罪となればさすがに次の選挙で勝てないだろうが、極右過激派と組んでいることで一定の支持は集まるだろう。その場合どうなるんだろうなと思う。ちなみに、映画公開時点では裁判は未だ継続中のようである。
本作だけから判断するなら、「ネタニヤフが起訴されなければ(つまり、ネタニヤフが汚職に手を染めなければ)、中東は現在のような混乱に陥っていなかったかもしれない」と言えるだろう。だとすれば、彼の責任はあまりにも重い。恐らく、悪い意味で歴史に名を刻むリーダーになるのではないかと思う。

前半より、後半の「起訴されて以降の狂気的な判断・行動」の方が圧倒的に興味深い
本作『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』はもちろん、イスラエル国内でも上映する予定だっただろうし(結局、本国では上映禁止らしいが。まあ、そうなるのも仕方ない内容ではある)、イスラエル国民的にはたぶん、本作後半で描かれる「起訴されて以降の出来事」はどちらかと言えば「周知の事実」という感じがする。だから、元々イスラエル国民向けに作っていたとするなら、「冒頭からしばらく、『ネタニヤフ首相がどのように汚職に手を染めていったのか?』が描かれる」という構成は妥当だろう。
もちろん、その話もとても面白い。ただ、イスラエル国外の観客にとってはやはり、「起訴されて以降のネタニヤフ首相の狂気的な判断・行動」の方がより興味深く感じられるのではないかと思う。少なくとも、私はそうだった。

本作では冒頭からしばらく、「ネタニヤフとその妻サラが、葉巻やシャンパンを受け取ったかどうか」みたいな、本作で描かれている事実の中では「せせこましい話」についてウダウダ描かれる。だから最初の内はあまり面白いとは感じられなかった。しかし汚職の話にもいくつかレベルがあり、葉巻・シャンパンの話が終わってからのより規模の大きな汚職の話は結構面白くなっていく。そしてさらに、その後描かれる「起訴後の展開」には、「ちょっと開いた口が塞がらなくなる」ぐらいの衝撃を抱かされてしまったのだ。

というわけで、本作後半で映し出される事実の中で、本記事冒頭のまとめでは触れなかった点についていくつか書いておこうと思う。
まず本作には、ネタニヤフの子ども時代の友人ウズィ・ベラーが登場し、彼についてあれこれ証言をしているのが興味深い。彼はネタニヤフについて、
私は彼が2人いると認識している。1人はビビ(※愛称なのか何なのか分からないが、ネタニヤフはこう呼ばれている)、そしてもう1人はネタニヤフだ。そう考えないと、理解できない。
と言っていた。子ども時代の印象とはまったくかけ離れてしまったということなのだろう。

さらに、作中では彼の発言が度々使われているのだが、その中でも印象的だったのが、「強気な司法改革案」を提出した後のネタニヤフの行動に言及した時のものだ。彼ははっきりと、「私の国に対して彼がしたことは許せない」と口にしたのである。そしてその上で、彼はデモに参加した際にこんな風に言って人々に連帯を呼びかけていた。
ネタニヤフは国を引き裂いた破壊者として記憶されるだろう。法的に裁く意思と勇気を持って戦おう。
ネタニヤフは友人が少ないことで知られているようで、「ネタニヤフの友人」としては必ずウズィの名前が挙がるそうなのだが、そんな数少ない友人からも見限られてしまったというわけだ。彼の発言はとても印象的だった。
また、極右過激派であるスモトリッチとベングヴィルの本作での紹介のされ方もなかなか凄かったなと思う。スモトリッチは2005年8月に「テロを企てた」として逮捕されている(ちゃんと覚えてはいないが、確か、実際に爆弾を組み立てていたみたいな話だったような気がする)。またベングヴィルは1995年に、オスロ合意の立役者であるラビン首相の暗殺を企てていたそうだ。実際には彼の車のエンブレムを盗んだだけだったようだが、ベングヴィルはカメラの前で「彼にダメージを与えることはいつでも出来ると思う」と話していた。そしてなんと、その3週間後にラビン首相は実際に暗殺されてしまったのだ。ベングヴィルは後に徴兵を免れたのだが、その理由が「裁判所がテロへの関与を認めたから」だそうで、そういう顛末まで含め、何とも言えない話だなと思う。

また本作では、ネタニヤフの妻サラについて前半でも色々と語られ、もちろんいけ好かなかったのだが、後半で紹介されたエピソードの方がより衝撃的だった。先述した通り、10月7日のハマスによる襲撃によって多くの人が人質に取られたのだが、その家族に対してサラが「助けてほしかったら、首相のことを良く言う(悪く言わない)ように」と発言したと報じられたのだ。さすがにそれはムチャクチャすぎるだろ。人の心ってものがないんだろうか。

ちなみにネタニヤフは、30年前に性的スキャンダルを起こしており、その時期を境に夫婦のパワーバランスが変わったと指摘されていた。多くの人が、「ネタニヤフは妻を恐れている」みたいに証言していたのだ。サラは積極的に政治判断に介入してくるようで、ある人物は「ネタニヤフがOKした人物・事案でも、サラの承認が無ければ何も進まない」と話していた。ネタニヤフはもちろんヤバいのだが、もしかしたらサラの方が輪をかけてヤバいのかもしれない。
前半で提示される「ネタニヤフ首相周辺の汚職疑惑」について
というわけで最後に、本作『ネタニヤフ調書 汚職と戦争』の前半で語られる汚職の話に触れていきたいと思う。

主に扱われる疑惑は3つ。1つ目は「高額な贈り物」、2つ目は「アーノン・ミルチャンに対する優遇と核関連設備の購入依頼」、そして3つ目が「シャウル・エロヴィッチへの2.5億円の資金援助と、その見返りとしてのニュースサイトの掌握」である。
1つ目の「高額な贈り物」の話は実にシンプルだ。日本同様、イスラエルでも政治家は他人から金品等を受け取ってはいけないのだが、ネタニヤフとサラは、高価な葉巻やシャンパン、ネックレス、指輪などを富豪からもらっている。ネタニヤフはそれらを「友人からのプレゼント」だと主張しているが、さすがにそう言い張るには無理があるだろうというレベルの金額だ。作中では確か「25万ドル」という金額が提示された。何年間での総額なのかは不明だが、いずれにせよ「プレゼント」で片付けるにはちょっと金額が大きすぎるだろう。
またこの疑惑に関しては、ハリウッドのプロデューサーとして名を馳せたアーノン・ミルチャンの元アシスタントが、「葉巻には『緑の草』、シャンパンには『ピンク』という隠語がつけられていた」とかなり詳細な証言をしていた。さらに別に人物も、「贈り物を渡すシステムが出来上がっていた」みたいに言っていたのだ。かなりシステマティックに贈答品を届ける仕組みが存在していたようである。

これだけでも十分犯罪が成立すると思うが、ただ正直、どうでもいいと言えばどうでもいい。そして2つ目のアーノン・ミルチャンに対する優遇についても、割とどうでもいい話である。「節税においてミルチャンが得する法律が存在し、その期限延長をミルチャンから求められたネタニヤフが財務省に相談した」というような話だ。まあ、勝手にやってくれという感じではある。
ただ、ミルチャンに関してはちょっと毛色の違う話があって、こちらの方が興味深かった。30~40年前になるらしいが、彼はネタニヤフから「核関連設備の購入」というミッションを与えられ、それをやり遂げたのだそうだ(何故そんな仕事をハリウッドのプロデューサーに頼んだのかは謎だが)。で、ミルチャンは後に、自身のこの仕事を「ジェームズ・ボンドのような仕事を20代で任された」と自慢げに話していたのだが、この発言は、ミルチャンの動向を注視していたアメリカの逆鱗に触れてしまった。そのため、アメリカからビザ停止と国外追放を食らいそうになったという。ハリウッドで活躍する彼には致命的な措置である。それで、ネタニヤフに頼んでどうにかその危機的状況を回避できたということのようだ。ただこれも、「勝手にやってくれ」的な話ではあるのだが。

さて、個人的に一番衝撃的だったのが、3つ目のシャウル・エロヴィッチに関する疑惑である。彼はイスラエル最大手の通信事業者であり、ノキアの輸入販売で財を成した。そしてその後銀行から大金を借り事業拡大を模索したのだが、2016年の終わり頃、財政的に深刻な状況に陥ってしまう。なんと、数十億ドルの返済期限が迫っていたという。そこでネタニヤフを頼り、2.5億ドルの資金援助を得たという疑惑が存在するのだ。

では、ネタニヤフはその見返りに何を得たのだろうか? エロヴィッチは実は、1日に数十万アクセスを誇り、特に若者が多く閲覧していると言われる「Walla!」というニュースサイトを保有している。そしてネタニヤフはこのサイトに、自身に友好的な記事を載せるように求めたというのだ。国のトップ自ら情報操作に手を染めているという疑惑である。
本作には、「Walla!」の元編集長だという人物も出演し、「突然解雇された」など、そのゴタゴタの状況について語っていた。解雇を告げられた時には理由がさっぱり理解できなかったそうだが、後でメールを見て状況を理解したのだという。ちなみに、「Walla!」の経営者2人は共に「スマホが壊れた/スマホを池に落とした」と主張したそうだ。もちろん、メールのやり取りなどの証拠を警察に渡さないためである。しかし「Walla!」で働いていたある人物がすべてのメール等の記録を警察に提出したことで、どのようなやり取りがあったのか明らかになっているという。恐らく、ネタニヤフからの圧力があったことを示唆する記録が残されているのだろう。裁判の行方がどうなるのか楽しみである。

最後に

本作を観終えてしばらく経った頃、哲学カフェで麻布高校の学生と話す機会があり、彼が「友人4人と『ネタニヤフ調書』を観に行った」と話していて驚かされた。高校生がわざわざ映画館まで行って観るような映画じゃないだろ。さすが麻布高校である。まあ、どうでもいい話だが。
中東の混乱に関しては正直「全然意味が分からない」という感じだったので、本作を観て少し状況が理解しやすくなったなと思う。もちろん、「数千年にも及ぶ宗教的な争い」が背景にあることは間違いないのだが、それだけではなく「ネタニヤフ首相の個人的な思惑」によって状況が一層混沌としているのだと知れたのは良かった。もちろん、そんな単純な捉え方をするのも良くないのかもしれないが、1つの視点として持っておいてもいいだろうし、その上で新たに知識を重ねていければいいなとも思う。







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