【天才】数学の捉え方を一変させた「シンメトリー(対称性)」と、その発見から発展に至る歴史:『シンメトリーの地図帳』

目次

はじめに

この記事で取り上げる本

著:マーカス デュ・ソートイ, 原著:du Sautoy,Marcus, 翻訳:星, 冨永
¥1,850 (2021/08/17 06:18時点 | Amazon調べ)

この本をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • シンメトリーはなんと、セックスにも甘さにも関係している
  • 「どの5次方程式なら解けるのか?」という発想から「シンメトリー」は発展した
  • 4154781481226426191177580544000000個のシンメトリーを含み、196883次元に存在する「モンスター」とは?

「単純群を網羅する」という、結果として壮大になったプロジェクトが、想像を超える展開をもたらしたという歴史物語

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

『シンメトリーの地図帳』は、数学における超重要概念「シンメトリー」を分かりやすく説明する1冊

「シンメトリー」は、実は身近に存在する

この記事では、「シンメトリーとは何であり、その研究がどのように展開されていったか?」について書いていく。しかし「シンメトリー」そのものの説明の前に、「シンメトリー」が我々の日常に関係していることを示そう。例えば、こんな文章には興味を惹かれるのではないだろうか。

さまざまな研究の結果、われわれ人間においても、シンメトリーが強い人間のほうが早くセックスをはじめることがわかった

また、こんな風にも書かれている。

動物たちもまた、鏡映シンメトリーに引かれてきた。なぜなら、体のシンメトリーがとれていると、運動能力が高くなるからだ。シンメトリーは、完璧にバランスの取れた形と結びつくことが多い。ほとんどの運動能力において、シンメトリーなほうが、前進する力を効率的に生み出すことができる

「シンメトリー」は「対称性」という意味であり、「対称」であればイメージしやすいだろう。半分に折っても同じ形なら「線対称」だし、回転しても同じ形なら「回転対称」だ。この記事で取り上げる「対称性」は、決して「モノの形」に限る話ではないが、モノの形とも関係する話だ、と考えると捉えやすいかもしれない。

自然界にも、「シンメトリー」は溢れている。

ミツバチの視覚はひどく限られている。(中略)ただひとつ、この縁の厚いメガネをかけたミツバチの目に強烈に焼き付くもの、それがシンメトリーなのである。
ミツバチは、六角形の形をしたクレマチスの花や、放射状に花弁が並ぶデイジーやヒマワリといった回転シンメトリーな形を好み、一方マルハナバチは、ランやフォックスグローブやマメ科の植物といった左右対称な鏡映シンメトリーを好む

そうはいっても、シンメトリーを手に入れるのはそう簡単なことではない。植物が懸命に努力し、貴重な自然資源をシンメトリーに振り向けない限り、ランやヒマワリのような美しくもバランスのとれた形は生み出せない。美しい形は、いわば贅沢だ。植物のなかでもっとも健康でもっとも生存に適した個体だけが余分なエネルギーを持っていて、それをバランスの取れた形を作ることに振り向けられる。つまり、シンメトリーな花のほうが個体として勝っているからこそ、蜜をたくさん作ることが出来て、そのうえ蜜の糖分も多くなる。シンメトリーは甘いのだ。

要するに、「ミツバチは、シンメトリーを見ることができるメガネを掛けている。そんなミツバチに見つけてもらうために、植物はシンメトリーの形に進化した。その形は、人間にとっても美しく見える」ということだ。「シンメトリーは甘いのだ」という表現は、すごくいいなぁと感じる。

さてこのシンメトリーは、科学研究においてもかなり重視される。有名な例は、アインシュタインだろう。本書の訳者があとがきでこんな風に書いている。

アインシュタインは、これを受けてさらに考えを進め、できあがった理論や法則や方程式に結果として対称性が生まれるのではなく、逆に、対称性があるという前提に立つことで、自然法則や方程式が得られる、と確信するようになった。この決定的な発想の転換から生まれたのが、一般性相対性理論なのである。こうして20世紀の物理学は、まず対称性ありきで前進することとなった

つまり、「自然はどうもシンメトリーに支配されているらしい。ということは、新しい仮説を考える時には、『自然界はシンメトリーを好む』という前提に立って考えよう」という発想が生まれ、それによって実際に大きな成果を挙げられるようになっていった、ということである。

我々がこの世界を正しく捉えるために、「シンメトリー」は欠かせない武器だということだ。

「シンメトリー」への理解は、「方程式の解の公式」から発展した

そんな「シンメトリー」は、科学ではなく数学の世界で発展した。その発端となったのは、自然界の深遠な性質と結びついているなどとは到底考えられないようなものだった。

それが、「方程式の解の公式」である。

皆さんも学生時代、「2次方程式の解の公式」を習っただろう。a,b,c,x,yと√(ルート)が入り混じったよく分からない式だ。かつて数学者は、このような「方程式の解の公式」を懸命に探していた。数学者の奮闘により、3次方程式、4次方程式の公式は発見されたのだが、5次方程式でつまずいた。優秀とされたどんな数学者も、5次方程式の解の公式を見つけることができなかったのだ。

この問題に、まったく別の光を当てたのがアーベルという天才数学者だ。彼はなんと、「5次方程式の解の公式は存在しない」と証明したのだ。

この証明は、現在では画期的なものと評価されているが、当時は違った。アーベルはノルウェー出身であり、当時ノルウェーは周辺諸国から孤立していた。学問の中心であるパリからも非常に遠く、アーベルは自らの成果を認めてもらおうと奮闘したものの、それには恐ろしく長い時間が掛かった。アーベルにとっては、不運としか言いようのない時間が続くことになる。

しかしようやくアーベルの功績は正しく評価されるに至った。本書にはこう書かれている。

数学者たちにも、アーベルの業績の美しさや深さがしだいにわかりはじめた。そしてフランスの数学者シャルル・エルミートが述べたように「アーベルが数学に残してくれたもののおかげで、数学者たちはその後500年間、忙しく過ごすことになった」。パリのアカデミーは1830年に、亡きアーベルにグランプリを与えた。今日、数学者にとって最高の名誉のひとつとされているのはノルウェーのアカデミーが授与するアーベル賞で、2003年に始まったこの賞には600万クローネの賞金がついており、ほかの科学におけるノーベル賞と並ぶ誉れ高い賞となっている

数学史に燦然と輝く天才・ガロアの功績

アーベルは、新たな扉を開いたが、しかしまだまだ「シンメトリー」には遠い。

さてその後、アーベルの業績を発展させる形で、革命的な仕事を成し遂げたのが、天才数学者ガロアである。ガロアは、「20歳の時に決闘で命を落とした」というエピソードがあまりに有名だが、20歳という若さで亡くなったにも関わらず、その後の数学界を一変させるような業績を残した

しかしアーベル同様、ガロアも様々な不運があり、生きている間にその業績が認められることはなかった

彼の画期的な論文は、学位論文として発表されたのが、当時の教授がその真価を見抜けず、そればかりか「意味がない研究」と一蹴されてしまう

ただし、この教授を責めることは酷かもしれない。何故ならガロアは、「それまで存在しなかった新たな分野をたった一人で作り上げた」からだ。存在しなかった分野だからこそ、「それまで誰も考えたことのない新たな概念を、既存の言葉だけで説明しなければならない」ということになる。

たとえば江戸時代に、江戸時代に存在した言葉だけで「携帯電話」の構造を説明するのは不可能だろう。ガロアは、それと同じような状況に立たされていたというわけだ。評価できなかった教授が悪いのではなく、ガロアが天才過ぎたと言うべきだろう。

ガロアの業績が認められるようになったのは、友人シュヴァリエのお陰だ。ガロアは決闘の直前に自らの考えを書き記し、そのメモを彼に託したのだ。ガロアの死後、数学的素養を持っていたわけではないこのシュヴァリエが、友人の仕事を絶対に数学界に認めさせてやるんだと奮闘したお陰で、時間は掛かったがようやくガロアの研究の真価が認められることになった。

ガロアがシュヴァリエに残した文書には、自然界のもっとも基本的な概念のひとつであるシンメトリーに関するまったく新たな展望の種が含まれていた。今になってガロアのメモに目を通してみると、こんなに若い人間がここまでの洞察力を持っていたことに、ただただ目を見張るばかりだ。数学者たちはここ200年の間に、シンメトリーに関する理論において幾度となく飛躍的な前進を遂げてきたが、それもこれも元をたどれば、ガロアが書きなぐったメモに潜む奥深い発想が源なのだ。この若き革命家は、今わたしたちが毎日のように仕事で使っている数学の言語を、はじめて明確に表現した人物だったのである

では、ガロアは一体何をしたのだろうか?

アーベルが証明したことは、「5次方程式の解の公式は存在しない」である。しかしこれは、「5次方程式は解けない」と言っているのではない。たとえば、「x^5=1」(xの5乗イコール1)という方程式は、誰でも解ける。解の公式が無ければ方程式が解けない、というわけではない。5次方程式にも、解ける方程式と解けない方程式が存在するということだ。

ここでガロアは考えた。じゃあ、解ける5次方程式と解けない5次方程式を分けるものとはなんだろう? これを説明するために、それまでに存在しなかったまったく新しい数学「群論」を生み出したのだ。

この群論は、「シンメトリー」を分かりやすく記述するための言語だと思えばいい。「英語」が「アルファベット」で記述されるのと同じように、「シンメトリー」は「群論」で記述されるのだ。

それまでにも「シンメトリー」という概念は存在したのだが、それを数学的に記述する方法は存在しなかった。ガロアは独力でそれを記述する分野を切り開いたのである。

ガロアが考えたことを正しく説明することは難しい。これは、この記事のこれからの記述すべてに当てはまることだが、正直私はこの「シンメトリー」をきちんと理解できているわけではないので間違いもあるかもしれない。メチャクチャ難しい。『シンメトリーの地図帳』に書かれている記述から自分なりにイメージし、それらしく説明しているだけなのだ。大きく間違っているとは思わないが、誤りがあったら申し訳ない。

さて私なりに、ガロアの思考を説明してみよう。

ガロアは、5次方程式が解けるかどうかの問題にはシンメトリーが関係していると考え、様々な5次方程式を「シンメトリー群」と呼ばれるものに分類した。そして、ある5次方程式が解けるかどうかは、その5次方程式のシンメトリー群が、より小さなシンメトリー群に分割可能かに関係していると見抜いたのだ。

既に私には何を言っているの分からないが、「シンメトリー群が分割可能か」をイメージすることはできる。素因数分解を考えればいい。

例えば、「12」という数字は、「2×2×3」という素数の掛け算で表現できる。しかし「13」では同じことができない(「1」は素数ではないので、1×13は素因数分解ではない)。この場合、「12」を分割可能、「13」を分割不可能と表現できるだろう。5次方程式のシンメトリー群の分割に関しても、このようなイメージを持てばいいのだと思う。

こうしてガロアの研究を端緒に「シンメトリー」に関する様々な研究が始まることになる。そして最終的に、「モンスター」と名付けられる存在に行き着くわけだが、ここからその流れを追っていこう。

「分割不可能な群=単純群」の研究が始まる

ガロアのバトンを引き継いでシンメトリーの研究を行ったのがジョルダンだ。彼は「単純群」に注目した。これは、「分割不可能な群」のことである。ジョルダンの研究によって「単純群」が注目されるようになり、次第に「存在するすべての単純群を網羅して、その地図(アトラス)を作ろう」という動きに発展していく。「モンスター」が発見されたのも、この流れにおいてである。

ここで重要な役割を担ったのがケイリーだ。彼は弁護士のかたわら、趣味で膨大な数学論文を執筆した人物である。ケイリーは、シンメトリーの性質を整理するためのある表を作り出し、これによって、シンメトリーの研究は一気に進展することになった。本書には、このケイリーの功績についてこんな風に書かれている。

同時代人のジョージ・サーモンは、数学に対するケイリーの貢献を次のように要約している。
現在数学者たちが代数形式の構造に関して知っていることは、ケイリーが登場する以前の知識とはがらりと様変わりしている。ちょうど、人体を解剖したうえでその内部構造についての知識を得た人が人体について知っていることと、人体を外から見ただけの人が人体について知っていることとが、まるで違っているように

このように「単純群」の研究には様々な数学者が関わっている。バーンサイドもその一人だ。

バーンサイドは、「位数が二つの素数でしか割り切れない群は、辺の数が十数の正多角形の回転群から構成されている」という定理を証明した。意味が分からないだろう。私も分からない。とにかく彼がこの定理を証明したことで、「単純群」の性質をより正確に捉えることができるようになったという。

さらにバーンサイドは、自身が証明した定理を元に、「位数が二つの素数で割り切れない群」についてある予想を立てた。それが、「シンメトリーの総数が奇数なら、そのシンメトリー群は常に辺の数が素数の図形の単純群に分割されるだろう」というものだ。相変わらず何を言っているかさっぱり理解できない。

どうやらこのバーンサイドの予想が証明されると、「単純群の基本構成要素が完璧に分析できる」そうである。数学者はこの予想は正しいだろうと楽観的に考えるようになったし、そのため「単純群を網羅しよう」という動きが生まれることになる。

このように多数の数学者が関係することで、ガロアが生み出した「群論」は、「単純群を網羅する」というプロジェクトへと繋がっていくのだ。

数学者たちの目論見が崩れ、「モンスター」が発見される

ここで、マシューという数学者が登場する。彼がなんとも奇妙な単純群を発見してしまったのだ。

繰り返すが、当時の雰囲気としては、「バーンサイドの定理と予想があるから、単純群は捉えやすい」と考えられていた。名前の通り”単純”だと思われていたということだ。しかしマシューが、「分割不可能(これは単純群の性質である)でありながら、知られていたパターンに当てはまらない単純群」を発見する。このような単純群はその後も次々と見つかることになり、「単純群を網羅するというプロジェクトは、思っていたよりも”単純”ではなさそうだ」ということが理解されるようになっていく。

そしてここから、話は一層奇妙なものになっていく。後に「モンスター」と名付けられる単純群が発見されたのだ。

この「モンスター」、その性質はまさにモンスター級である。4154781481226426191177580544000000個のシンメトリーを含み、最低でも196883次元に存在するのだという。もはや理解しようとも思えないような意味不明な輩である。

では「モンスター」がどのように発見されたのか見ていこう。

その物語には、これまた有名な未解決問題だった「ケプラー予想」が関係している

ケプラー予想は、問い自体は非常に簡単だ。「ある空間の中に同じ大きさの球(ボール)を詰め込むことを考えた時、一番たくさん球を入れられる(充填率の大きい)詰め方は何か?」というものだ。そしてこの予想については、答えもあらかじめ分かっていた。「六角格子」と呼ばれる詰め方だ。しかし、「六角格子が最も充填率の大きい詰め方だ」と証明することが難しかったのである。

さて、今言及した「ケプラー予想」は3次元空間における問いである。つまり、誰もがイメージする、縦・横・高さのある箱に球を詰める場合の話だ。しかしこのケプラー予想は、どんな次元でも考えられる。

ケプラー予想が証明された後、4次元、5次元……と様々な次元でケプラー予想を考える者が現れた。どの次元でもやはり、六角格子が最も充填率が大きかったのだが、24次元までたどり着いた時に奇妙なことが起こった。24次元においては、六角格子よりも充填率の大きな詰め方が発見されたのだ。しかも、リーチ格子と呼ばれることの詰め方が最大の充填率となるのは、24次元空間のみだと分かった。

このリーチ格子の存在をシンメトリーを研究していたコンウェイが耳にしたことで、「モンスター」の発見物語が始まることになる。

コンウェイは、このリーチ格子を詳しく調べることで、ある単純群と関係していると気づいた。しかしその単純群が持つべき性質は桁違いだったのだ。まさにそれが先程挙げた数字であり、そのあり得ない巨大ぶりから「モンスター」と名付けられることになった。

しかしコンウェイは、「リーチ格子について研究していたら、このような性質を持つ単純群(モンスター)があるはずだと分かった」というところまで辿り着けたが、実際に「モンスター」を構築することはできなかった。この表現はイメージしにくいかもしれないが、冥王星の発見物語で喩えてみよう。

冥王星が発見される以前にある天文学者が、「海王星の動きは予測からズレている。これはきっと、海王星の外側にまだ発見されていない惑星が存在し、その惑星が海王星の動きに影響を与えているのだ」と予測した。この考えは実際に正しく、予測された場所に惑星が発見され、冥王星と名付けられた

「モンスター」についてもこの状況に似ていると言える。コンウェイは「モンスターという単純群が存在するならこういう性質を持つはず」と主張したが、実際にそれが存在することは示せなかった、というわけだ。

しかし別の数学者が実際に「モンスター」を発見し、実在することが明らかになった。まあ正直、「モンスターが実在する」というのがどういう状況を指すのか、私には上手くイメージができないが。

さらに話は続く。単純群の研究からアトラスという地図製作が計画され、その過程で発見された「モンスター」は、なんと理論物理学と関係していることが分かってきたのだ。

ボーチャーズの計算によって、「アトラス」のモンスターに関する数値と、数論に登場するモジュラー関数を巡る数値が、なぜともに頂点作用素代数によって照らされているのかが明らかになった。こうして、紐理論を支える代数や宇宙についての物理理論とつながっていることがわかると、ムーンシャインはますます風変わりなものに見えてきた。この結びつきが噂になり、モンスターは神秘的な「宇宙のシンメトリー群」と呼ばれるようになった。19万6883次元に存在するこの奇妙なシンメトリーを持つ雪片が明らかにしているパターンは、どう考えても理論物理学の概念と響き合っているとしか考えられなかった

物理学の世界には、「ひも理論(紐理論、弦理論などとも表記する)」と呼ばれるものが存在する。ここではその詳細には触れないが、この「ひも理論」は、ある可能性を期待されている。それが、「一般相対性理論」と「量子力学」の融合だ。物理学においては、20世紀物理学の2大巨頭であるこの2つの理論の融合が待たれているのだが、それを可能にする候補の一つと目されているのが「ひも理論」というわけである

つまり、数学者が発見した196883次元に存在するらしい「モンスター」が、我々の現実世界を記述するかもしれない「ひも理論」と関係している可能性がある、ということだ。壮大過ぎてよく分からないが、ある意味で「数学者の妄想」としか言えないものが、現実世界と結びついているかもしれない、と考えるだけで、非常にワクワクさせられる。

ちなみに、「単純群の分類」は、数十年に渡って多数の数学者が成し遂げた。「単純群を分類したという証明」は、1つの論文として発表されたわけではなく、様々な数学者による、500タイトル以上の雑誌に掲載された延べ1万ページにも及ぶ論文によってなされ、その全文を読んだ人間がいるかどうかも定かではないそうだ。「単純群の分類」という研究によって生まれた「モンスター」という成果も壮大だが、「単純群の分類という証明」そのものも壮大だと言える。

「シンメトリー」は役に立つのか?

数学や科学の研究に関してはよく、「それは何の役に立つのか?」と問われることがある。本書でもその話題に触れられているが、まず別の本に書かれていた印象的な話を紹介しよう。素粒子物理学の研究者である多田将は、「研究すること」を「東急ハンズの棚に商品を並べる」ことに喩えている。

実はね、科学の世界もこれと同じなんですよ。東急ハンズみたいなものです。
科学の世界っていうのは、まずいきなり、この携帯電話を作ろうと思って、その技術を開発しようとしても無理なんです。非常に複雑な機械ですからね。だからまずは各々の学者なり技術者が自分の専門の何かを研究します。そして、「それが何の役に立つか?」は、とりあえず置いておいて、その研究成果を発表するわけです。この「研究成果を発表する」ということが、すなわち、「ハンズの棚に商品を並べること」なんです。いろんな学者が、棚にどんどん並べていくわけです
そしたら、次の世代の学者がハンズにやって来て、棚を見て、自分の役に立つものをピックアップしていきます。そうして作り上げたもの――それがこの携帯電話なんです。そうしないとできないんですよ、これは

多田将「すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線」

ここで「携帯電話」の話が出てくるが、携帯電話が生み出された際、新たな技術開発はなかったという。それまでに存在していた様々な技術を組み合わせて出来上がっているのだ。そしてそれぞれの技術は、「携帯電話を作ろう」という意図で生まれたものではまったくない。多田将は、

「携帯電話を開発しましょうか」って言って、1から開発してると100年経っても絶対にできません。科学技術の世界は、そういうものなんです

多田将「すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線」

とも書いている。

携帯電話はリチウム電池で動いているが、このリチウム電池も開発された当初は「何に使えるのかさっぱり分からなかった」という。旭化成の吉野彰が、リチウム電池の開発でノーベル賞を受賞した際のインタビューでそのような発言をしていた。

そんなわけで、科学や数学の個々の成果を取り上げて「それが何の役に立つのか?」と聞くことに、ほとんど意味はない。今はまだ何の役に立つか分からないものであっても、100年後にそれ無しでは社会が機能しないような大発明に変わっている可能性は常に存在するのだ。

この点を踏まえた上で、改めて「シンメトリー」がどう役に立っているのかに触れよう。

実は「シンメトリー」は結構役に立っている。例えば「電子通信システム」。要するに「インターネット」のことを思い浮かべればいいだろう。

何らかのデータをネット回線で送信する際、どうしてもエラーが発生してしまう。エラーをゼロにすることは出来ないのだが、「受け取った情報のどこにエラーが存在するか」を知ることが出来れば修復は可能だ。さらに、「そのエラーが自動的に修復される」となればより素晴らしい。そしてそんなシステムの構築に、シンメトリーの知見が使われているのだという。

本書にはさらに、「『サリドマイド』(妊娠中のつわりを軽減する薬として発売された)が奇形児を生み出すことになった原因究明」や「バクテリアとは全然違う振る舞いをする生命体(後に「ウイルス」と名付けられた)の研究」に「シンメトリー」の知見は欠かせなかったと書かれている。

このように「シンメトリー」は、我々の知らないところで活躍してくれているのである。

著:マーカス デュ・ソートイ, 原著:du Sautoy,Marcus, 翻訳:星, 冨永
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最後に

この記事ではほとんど触れていないが、本書は「シンメトリー」や「群論」に関する記述だけではなく、自身も数学者である著者の個人史についてもかなりページが割かれており、エッセイ的な意味でも面白い

子どもの頃はスパイになる夢を持っていたが、数学者になるためにその夢を諦めたとか、ある数学の証明に関して同業者に先を越されそうになった際に不安になったことなど、人間味溢れる描写も多い。数学者の個人的な話を知る機会はそうあるものではないし、数学者が書いているからこその着眼点も楽しめる

「シンメトリー」や「群論」という、数学の世界を一変させたと言っていい分野に秘められたドラマチックな歴史と、過去から現在に至る著者を含む数学者たちの奮闘を、是非楽しんでほしい。

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