【人生】映画『ロマンチック金銭感覚』は「お金って何だっけ?」という素朴な疑問をリアルに深堀る

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「ロマンチック金銭感覚」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

今どこで観れるのか?

公式HPの劇場情報をご覧ください

この記事の3つの要点

  • 「お金に関する映画を撮ろうとしている夫婦」の物語を導入に、「通貨の常識」を脱しようとする者たちの奮闘が描かれる
  • 自分で通貨を作れるサービス「ユーモ」の創業者らが目指す「お金に頼らず生活できる社会」とは?
  • 個人で地域通貨「ゆーる」を発行する万華鏡作家の「脱・貨幣経済」の取り組みとは?

普段何気なく使っている「お金」には全然違う可能性が見い出せるのだと実感できる作品だと思う

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

映画『ロマンチック金銭感覚』は「お金の価値」について改めて考えさせられる1作。私たちが生きていくのに本当に必要なものって何だっけ?

なかなか面白い映画だった。のだけど、しかし正直なところ、最初はどうなるかと思ったなぁ。冒頭から20~30分ぐらいはどちらかと言えば「つまらないなぁ」という感覚の方が強かったからだ。正直、配信で観ていたら途中で消していただろう。ちゃんと興味深い映画になってくれて良かったなと思う。

さて、先に少し書いておくと、私が観た回には「金銭感覚上映」という名前が付いていた。これは、「映画を観た後で、あなたが鑑賞料金を決めて下さい」という趣向である。なるほど、「お金の価値」について考えさせる本作の企画としては的を射ていると言えるだろう。オンラインでのチケット予約時の合計金額は「100円」になっており(恐らくシステムの都合上、0円には出来なかったのだろう)、そこに「上映後に金額を決めて下さい」みたいな注意書きが表示されていた。つまり、オンラインで予約した人は「100円+上映後に支払った現金」が鑑賞料金になるというわけだ。

劇場では、入場前にガチャガチャのカプセルを渡された。「最後これに現金を入れて下さい」というわけだ。私はチケット自体はオンラインで予約したし、普段から現金を持ち歩いてもいるので何の問題もなかったが、「完全キャッシュレス派の人」は対応できないんじゃないかと思う。もちろん対策は考えていただろうが、どう対応したんだろうなというのは気になるところだ。

さて、私がいくら支払ったのかここでは書かないが、映画を観た私なりに「作品の主旨に沿った支払い」をしたつもりである。まあ、私のやり方が制作側に喜ばれたかは何とも言えないところだが。

映画『ロマンチック金銭感覚』の内容紹介

というわけで、まずは内容を紹介しようと思うのだが、しかし本作はとにかく内容の説明が難しい。いや、観る分には難しいことなど何もないのだが、言葉で説明しようとすると非常にややこしくなるのだ。なので私の文章を読んでもイメージ出来ないかもしれないが、その点はご容赦願いたい。

さて、まずそもそもだが、私は本作を「フィクション映画」だと思っていた(特段の理由はない)。なので、オンラインでチケットを取る際、劇場のHPに「ドキュメンタリー」と書かれていて「え?」と感じたのだ。ただその時は、「記載ミスったかな」ぐらいに思っていてさほど気にしなかった。

で、映画が始まって、私は「やっぱりフィクションなんじゃん」と感じたのである。誰がどう観たってドキュメンタリーなわけがない内容だったのだ。というわけで、そのまま自分の認識を変えずに観ていたのだが、途中から受け取り方が変わった。「なるほど、確かにこれはドキュメンタリー映画だわ」となったのである。「作品全体としてはドキュメンタリー映画だが、それをフィクションの枠組みで包んでるみたいな映画」とでも言えばいいだろうか。なかなか変な映画だし、似たような作品に触れたことはないような気がする。

というわけで、まずは本作の「フィクションパート」の説明から始めようと思う。

物語の主人公は、夫婦という設定らしい緑茶麻悠と佐伯龍蔵。ちなみに実にややこしいが、本作の監督・脚本も緑茶麻悠・佐伯龍蔵の2人であり、つまり彼らは「本名(というか活動名)のまま映画に主演している」ことになる。彼らは「ドキュメンタリーパート」にも夫婦という設定で登場するので、そういう意味でもとてもややこしいなと思う。

で、そんな夫婦は、「お金を貯める」という目的で都会から地方へと引っ越してきた。しかし現実には、お金は一向に貯まらない。どちらもついお金を使いすぎてしまうからだ。夫はレコード収集が趣味で買い集めているし、また、レコードの掃除のためと言って100円ショップで同じ消耗品を大量に買ったりしてしまう。一方の妻は、フリマで安く売ってたからと木彫りの鳥を5体も買ってきたり、生活に必要不可欠とは言えない「バスソルト」にお金を使ったりする。そして、お互いがお互いの金遣いを「無駄だ」と感じて非難するみたいなことを続けているのだ。

それで、夫は映像作家であり(この辺りも佐伯氏のリアルをそのまま反映しているのだろう)、お金がないにも拘らず次に撮る映画の構想ばかり考えている。そのため、「洗濯物干し」など妻から頼まれたことを忘れることもしょっちゅうで、それで喧嘩になることも多い。お金だけの問題じゃなくて、そもそも生活全般が上手く回っていない感じがする。

というわけで2人は話し合い、そうして「生活上の諸問題を整理して解決するために『お金に関する映画』を撮ろう」という結論に至るのだ。

これが「フィクションパート」の設定である。では、そこに「ドキュメンタリーパート」がどんな風に絡んでくるのか。ここから説明がややこしくなってくるのである。

さて、その説明のために、フィクション映画でよくある「回想シーン」の説明をしておこうと思う。「物語の中で登場人物たちが過去の話をし始めると、それに合わせて映像も過去の回想シーンに切り替わり、その回想が終わると映像が登場人物たちの会話シーンに戻る」みたいな展開はよくあるだろう。そして本作『ロマンチック金銭感覚』でも同じような状況が展開される。

違うのは、緑茶麻悠と佐伯龍蔵が思い浮かべるのが「過去」ではなく「『こんな映画を作りたい』という構想」だということだ。2人は、「お金に関する映画」を作る上でどういう要素・映像が必要になるのかを話し合う。そしてそうやって生まれた「アイデア」が「回想シーン」の代わりに映像として流れるというわけだ。

そしてその「彼らが思い浮かべている構想・アイデア」こそが「ドキュメンタリーパート」なのである。フィクション映画でよくある「回想シーン」が本作では「2人が撮ろうとしている映画の構想・アイデア」になっていて、そしてその部分が丸々「ドキュメンタリー」というわけだ。

伝わるだろうか? まあ、私の説明で理解できないとしても、実際に観ればすんなり受け入れられると思うので、難しく考えることはない。何にせよ、変な映画であることは確かだ。

さて個人的には、本作のような構成は結構良いんじゃないかと感じた。というのも、ドキュメンタリー映画は普通あまり関心を持たれることがないからだ。

私はフィクションよりもドキュメンタリーの方が好きで、意識的にドキュメンタリーを観ているのだが、私の印象ではやはり、劇場の埋まり具合はドキュメンタリーの方が淋しい感じがある。もちろん例外もあって、少し前だと『どうすればよかったか?』というドキュメンタリー映画が連日満員の大反響だったが、そういうケースは稀だ。一般的には、「ドキュメンタリー」というだけで少しハードルが高いように感じられてしまうんじゃないかという気がする。

ただ本作は、私もなんとなく勘違いしていたようにフィクションっぽい印象をもたらすし、映画が始まってからもしばらくは(決して面白くはないが 笑)フィクションパートが続いていく。そういう構成にしたことによって「ドキュメンタリー映画を観ること」のハードルが少し下がるんじゃないかと思うし、だから、こういう異色の作品もあっていいなと感じた(ただやはり、「フィクションパート」のクオリティはもう少し上げてほしいなと思うのだが)。

自分で通貨を作れるサービス「ユーモ」の衝撃

そんなわけで、本作の本質は「ドキュメンタリーパート」にある。そしてその中では当然、「お金とは何か?」という問いが深堀りされるわけだが、それに関する様々な実例が実に興味深く感じられた。というわけでまずは、本作を観ながら一番グッときた「ユーモ」の話から始めようと思う。

ユーモというのは「自分で通貨を作れるサービス」である。例えば「カフェを経営している人が、自店だけで使用可能な通貨を作る」「ある商店街で使える通貨を作る」みたいなことが出来るようだ。本作中では、ユーモを通じて作られた実際の通貨として「フェアトレードコイン」が紹介されていた。その名の通り、「『フェアトレード』に賛同する店で使用可能な通貨」であり、映画では緑茶麻悠がフェアトレードコインでオリーブオイルを購入するシーンが使われていた。平成によくあった「地域通貨」のデジタル版みたいなイメージをすると想像しやすいという人もいるかもしれない。

そして本作では、このサービスの立ち上げに関わった2人へのインタビューも収録されており、そのやり取りが実に興味深く感じられた。

まず知識として初めて知ったのが「『ファイナンス(Finance)』の語源」について。実は「終わりにする(Finish)」から来ている言葉なのだそうだ。「通貨」というのは元々「知らない人同士でも交換を成り立たせるため」に生まれたわけで、だから「Finish」が語源になっているのだろう。つまり、「通貨を使えば使うほど、他者との関係性は終わっていく」というのが自然の摂理なのだそうだ。

そしてユーモを生み出した代表は、「そんなのおかしいだろう」と思ったという。そこで、「使えば使うほど人と繋がれるようなものとして通貨を設計できないか」と考えるようになったそうだ。その具体的な仕組みの1つが、「ユーモで作った通貨は3ヶ月で消えてしまう」という設計である。作中では「3ヶ月で」という表現しかされていなかったが、恐らくこれは「手に入れてから3ヶ月」という意味だと思う。つまり、「ユーモ発の通貨は貯め込めない」というわけだ。3ヶ月経ったら消えてしまうのだから、「どう使うか」を常に考えることになる。「だから、行動が自然と利他的になるんですよね」と代表は話していた。なるほど、これは面白い発想だなと感じた。

この話を聞いて私は、大分昔に読んだ『年収150万円で僕らは自由に生きていく』(イケダハヤト)のことを思い出した。2012年出版のこの本の中に、「お金とは、人とつながらないための『免罪符』」という印象的なフレーズがあったのだ。まさに同じ主張だと言っていいだろう。また、「人とつながるのが嫌なら、今まで通り、お金を払いましょう」「近い将来、孤独でいることは、金持ちの道楽になっていくはずです」とも書かれていて、これはまさにユーモが目指す経済圏を言い表した表現ではないかと思う。

そして代表以外でもう1人インタビューを受けていたのが、元銀行マンだという男性だ(ユーモの役員とかそういう立ち位置なのだと思う)。彼は銀行員時代も、その後自ら立ち上げた会社でも「資産運用業」に関わっていたそうだが、ずっと「なんか違う」という感覚を抱いていたのだという。そもそもの話、「既に持っている人のお金を増やす」というのが「資産運用」である。つまり、「今持っていない人」に対してアプローチ出来るようなものではなかったことにもどかしさを感じていたそうだ。

しかしそれ以上に、「『お金』が目的化してしまうこと」への問題意識の方が強かったという。「『お金』そのものには価値はない」と誰もが頭では分かっているはずなのに、それでも多くの人が「お金」そのものを大事なものとして捉えてしまう。「それはやっぱり、何か間違ってるんじゃないか?」という感覚をどうにも捨てきれなかったようなのだ。

「本当に価値があるもの」はむしろ「お金」の背後にあるのだが、「お金」の存在によってそれが見えなくなってしまう。ではその「本当に価値があるもの」は一体何から生まれるのか? 彼はそれを「コミュニティ」だと捉えているようだ。それで「『関わること』によって価値が生まれるような『お金』の在り方」を模索するようになったそうで、そういう経緯から代表と共にユーモを生み出したのだろう。

個人的に凄いなと感じたのが、「ユーモで作った通貨は日本円との交換が可能」という仕組みである。交換比率はよく分からないが、一般的に「地域通貨やポイント的なものを日本円に交換する」のは無理なはずなので、よくそんな仕組みを実装したものだなと思う。代表には、「ある程度広く使ってもらうためには、日本円との交換は必要不可欠」という発想があったようだ。彼らは最終的に「お金なんか無くても生きていける社会」を目指しているそうで、そこに至る段階としてユーモを使ってもらうというスタンスなのだろう。本作を観るまでユーモのことなどまるで知らなかったこともあり、実に興味深く感じられた。

個人で地域通貨「ゆーる」を発行した万華鏡作家の挑戦

さて、本作でもう1つメインで取り上げられるのが地域通貨「ゆーる」である。万華鏡作家として活動する個人が発行している地域通貨だ。彼は本業の他に、「ゆーるを使える場」としても機能させるためだろう、カフェのような空間も運営している。彼もまた「貨幣経済への疑問」を以前から抱いていたようで、だから、自らの実践によって「貨幣経済からの脱却」を目指そうと活動を続けているようだ。

ゆーるは既に、地域内で100万ゆーる(つまり100万円相当分)が流通しているという。またすべてではないものの、地域内の特定の店舗では実際にゆーるでの支払いが可能になっている。万華鏡作家が運営する店舗で使えるだけでは当然なかなか広まらないだろう。流通のための努力もかなりしているようだ。

それで、ゆーるの発行がガチャガチャで行われているというのはとても面白い点ではないかと思う。500円玉を入れると、550ゆーる、1000ゆーるなど様々な金額がランダムで出てくる仕様なのだ(ゆーるの外観は、いわゆるビックリマンチョコシールのような感じである)。ゆーるは地域外に流出する可能性がゼロなので(地域外ではそもそも使えない)、「500円=500ゆーる」という形にしなくてもある程度帳尻が合うようになっているのだと思う(勝手な予想だが)。自治体が発行する地域通貨は、現在まで継続しているのかはともかく、昔結構あったことは知っている。ただ、個人発行の地域通貨というのはかなり珍しい気がするし、斬新だなと感じた。

また彼は、ゆーるの発行以外でも「脱・貨幣経済」を目指そうとしている。例えば、彼が運営しているカフェは基本的に「ギフト」で成り立っているのだそうだ。要するに「寄付」ということだろう。詳しい説明はなかったが、恐らく物品に値段が付いておらず、「好きな金額をゆーるで払ってくれればいい」という仕組みになっているのだと思う。

しかしそんなやり方でどうして継続的な運営が可能なのだろうか? その秘訣は「運営コストを極限まで抑える」という工夫にある。電気は太陽光発電で賄い、使用する水は川から引いているようだ。さらに、お客さんの尿や便を肥料に変えられるようにトイレの設計を工夫しており、それを使って野菜などを育ててもいる。このように可能な限りコストを抑えることで、「寄付ベースでの運営」を可能にしているというわけだ。

ゆーるはユーモと違って日本円には交換できないので(もちろん、「交換してもいいよ」という人を見つけられれば話は別だが)、万華鏡作家が税金の支払いなどで日本円を必要とする場合にどうしているのかはちょっと謎だったが(貯金があるにしても、収入のほとんどがゆーるだとしたら早晩行き詰まるはず)、そういう問題がクリアにされているのであれば、これはとても面白く良い仕組みだなと感じた。

あと、ゆーるに関して斬新だなと思ったのが、「『煩悩』が書かれたバージョンがある」という話。全部で108枚の「煩悩ゆーる」が流通しているらしく、「煩悩は早く手放した方がいいからすぐ流通する」「地域通貨で初めて『悟り』を意識した」など、ふざけてるのか何なのか分からない話に思わず笑ってしまった。こういう遊び心も面白いなと思う。

さて、ドキュメンタリーパートでは実は、緑茶麻悠と佐伯龍蔵の2人がオリジナルの地域通貨(ユーモを使ったものではなく手作り)を発行しようと試みる。実は映画冒頭で、「2人が『クワガタ』という通貨を発行している」という話が出てくるのだが、その時には全然意味が分からなかった。ドキュメンタリーパートを追っていくことでようやく理解できるというわけだ。彼らもまた、地域の中で「通貨を介さない経済活動」を実践していて、その様をドキュメンタリーとして収めてもいるのである。

このように本作は、「お金とは何か?」が深堀りされる作品なのだ。

「石ラジオ」から流れる昆虫の話も面白かった

さて、これで「お金」の話は終わりなのだが、個人的には他にも興味深く感じられる要素があった。それが「『石ラジオ』から流れてくる昆虫の話」である。「石ラジオ」が何なのかはイマイチ理解できなかったのだが、とにかく本作には「石からラジオのように音声が聞こえる」という設定があり、そこから流れてくる話がとても面白かったのだ。ちなみにエンドロールで、このラジオの声を担当しているのが小松貴という昆虫学者だと表記された。

で、例えばどんな話があるのかというと、まず小松氏が「かつてはゲレンデを憎んでいた」みたいな話を始める。これは要するに、「人間の都合で自然を破壊していること」に対する怒りだと言っていいだろう。しかしその後、この点に関する考えが変わったそうなのだが、その理由がとても興味深かった。なんと、「草原に棲む昆虫にとっての最後の生息地がゲレンデになっている」というのだ。

かつて日本には「放牧地」などの形できちんと「草原」が存在していたが、今では「草原」と呼べるような場所はほとんど無くなってしまった。そのため、「草原に棲む昆虫」も減っているようである。そしてそんな昆虫にとっての最後の避難先が「夏のゲレンデ」なのだという。現代の日本でほぼ唯一と言っていいぐらい「ちゃんと残っている草原」だからだ。結果的にではあるが、「ゲレンデ」は昆虫が生き延びる上で重要な役割を果たしているのである。

また「中規模撹乱仮説」の話も興味深かった。これは、「自然環境は乱されすぎても、乱されなくても、生物の多様性が失われてしまう」という仮説である。乱されすぎた場合は、そんな過酷な環境でも生き残れる生物種しか生息できなくなるし、乱されない場合は競争に強い種だけが残ってしまう。そのためどちらも、結果として「多様性」から遠ざかってしまうのだ。だから「多様性」という意味では、自然環境というのは「適度に乱される」ぐらいが最も適しているという話のようである。

それで昔の日本では、薪を作るために木を伐採したり、技術的に自然災害に対処できなかったりと、「自然環境がそれなりに乱される状況」が整っていたため、生物の多様性も維持できていた。しかし今では、薪を使う人はほとんどいないし、枯れ葉を肥料にすることもない。また、山肌をコンクリートで固めたり、川の護岸工事を行ったりと、自然災害によるダメージを抑える対策が行えるようにもなった。だから自然環境が良い感じに乱されることが少なくなり、その結果として生物の多様性が失われつつあるのだそうだ。

なんとなく「人間が自然に介入することで生態系に悪影響を与えている」みたいに思っていたし、それは一面では正しい捉え方なのだろうが、それはそれとして、「人間が程よく介入する方が自然環境には良い」という話も一方ではあるわけで、実に面白いなと思う。ホントに、世の中まだまだ知らないことばかりだし、とても興味深かった。

最後に

最終的には「面白かった」という感想なのだが、冒頭で書いた通り、最初しばらくは「大丈夫か、この映画?」と感じていたし、全然良くなる予感もなかった。こういうことがあるから面白いなとは思うものの、配信だと離脱者が増えるような気もするので、冒頭からしばらくのフィクションパートももう少し面白く観られる方がいいだろう。

いずれにせよ、全体を貫く「お金」「脱・貨幣経済」の話はとても興味深かったし、現代を生きる多くの人に関心を抱かせるテーマではないかとも感じた。普段ドキュメンタリーを観ないという人もちょっと気にしてみてもいい作品かもしれない。

この記事を読んでくれた方にオススメのタグページ

タグ一覧ページへのリンクも貼っておきます

シェアに値する記事でしょうか?
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次