はじめに
この記事で取り上げる本
この記事の3つの要点
- 借金が増えると通貨が増えるという仕組みについて
- 「将来の価値」が生み出されないなら借金などしてはいけない
- 日銀が国債の爆買を止められない理由
自己紹介記事
先に書いておくと、本書の記述をきちんと理解できた自信はない。そう大きな捉え間違いをしていないと思うが、以下の記事にはもしかしたらおかしな記述が混じっているかもしれない。その場合は、本の内容ではなく私の理解の方を疑ってほしい。
追記)著者に「私がまとめるよりわかりやすいかもしれない」と言っていただけたので、記事内容は信じていただいて大丈夫だと思います。
「通貨」と「税金」から「経済の基本」と「日本経済」について易しく説明する『ツーカとゼーキン』
「日本の財政は再建不能」という衝撃的な指摘
本書で著者は、
財政再建は不可能
と明言している。もっと具体的には、
ここではっきり断言します。私は「財政あきらめ論者」です。日本の財政再建はもう絶対に不可能なので増税も緊縮も不要です。どこかの時点で円が大暴落して膨大な借金が事実上踏み倒されると私は思っています。そのどん底に落ちた後の日本の再生のために前著を書きました。そして、今回もそれは同じです
と書いている。
日本の借金が1000兆円ある、という話を何かで知った時、「それでどうにかなるんだろうか?」と思った。その後、「借金が膨大にあっても大丈夫な理由」を様々に聞いたような気がするが、納得できた記憶がない。
「確かに借金は1000兆円あるが、日本には資産もあるのだから、その資産を差っ引いて考えなければならない」という意見を知った時は、なるほど確かにそうかもしれないと感じた記憶がある。しかし本書には、この考えを否定する説明が載っていた。
この場合の「資産」とは何を指すかと言えば、橋や高速道路などだ。要するに、「確かに資産価値はあるが、国家を存続させるためには売るわけにいかないもの」である。そう考えると、「資産を差っ引いて考える」というのも難しいと言わざるをえない。
また、詳しい中身は知らないが、「国家はいくら借金をしても大丈夫」という「MMT理論」なる主張も、経済学の世界には存在するようだ。一応理論として存在するので、何らかの理屈は通っているのだろうが、本書の著者はMMT理論を否定している。私の実感としても、「借金をしまくっても大丈夫」というのは、ホントにそんなことあるんだろうか? と感じてしまう。
著者は、
私のように悲観的な未来を語ると、猛烈にバッシングされる。でも私は完全に開き直っていますよ。「ありもしない幻想を振りまいて人々をぬか喜びさせるぐらいなら、厳しい現実を突きつけて思いっきり嫌われてやる」と開き直っています。それが私の役割ですし、長い目で見れば、多くの人の助けになると思っています
と、本書で明確に断言している。
私もそうだが、確かに経済のことはよく分からないし、よく分からないからこそ、聞こえの良いことを言っている人を信じたくなる気持ちも分からなくはない。ただ、楽観視できる状況ではなさそうだと、本書を読んで感じた。
莫大な借金によって国家が破綻するのかどうかは、実際になってみないと分からないので、現時点ではどちらが正しいとも言えないだろうが、危機を共有しておいた方がいいのではないかと個人的には思う。
そして著者は、日本の現状が危機的であることを訴えた上で、
私が強調したいのは、「税は権力者に取られるもの」という認識を変えていかなければならないということです。「税は、みんなでお金を出し合って支え合うためにある」ものです。
と書く。確かに、著者の主張する通りこのまま国家が破綻してしまう可能性があるのなら、自分たちがきちんと税金を払って、なんとかそれを回避する必要があるだろう。そういう意識で、本書を読むのがいいと思う。
あなたは「通貨とは何か?」を説明することが出来るだろうか?
まず「通貨」について語ろう。
本書の記述で私がまず驚いたことは、「借金をすることで通貨が増える」という話だ。
意味が分かるだろうか?
例えば、「私が1,000万円を借りる」とする。そうすると、「私の預金通帳に1,000万円が記録される」ことになる。ここまではいいだろう。そして、この「私が借りた1,000万円の借金」の分だけ、「通貨」が世の中に増えたことになる、らしい。専門的にはこれを「預金通帳」という。
ここまでの説明ではあまり理解できなかった。しかしその後、江戸時代の両替商の話が出てくる。そしてこの話で、なんとなく「預金通貨」を理解できたような気になった。
江戸時代には、金・銀・銭の三種の硬貨が使用されていた。この両替をするのが両替商の役割だが、硬貨は重いため、実際に硬貨を持ち運んでやり取りするのは大変だ。
そこで両替商は、「振手形」という硬貨との交換券を発行した。その「振手形」を両替商に持っていけば、いつでもそこに記載されているだけの硬貨と交換できる、という代物だ。このことが保証されているため、この「振手形」は、それ自体も紙幣のように扱われた。例えばだが、「金20枚」と「金20枚と交換できる振手形」は、同じ価値のものとしてやり取りされていた、ということだ。
この仕組みで重要なのは、両替商は、実際に保有している硬貨以上に「振手形」を発行した、という点だ。これを、具体的な数字で考えてみよう。例えばある両替商が、手元に100万円分の硬貨を保有しているとしよう。しかし一方で、500万円分の「振手形」を発行しているということだだ。
それで困らないのだろうか?
実際、ほとんど困ることはない。何故なら「振手形」は、それ自体も紙幣のように使われていたからだ。硬貨より、「振手形」の方が軽い。「金20枚」と「金20枚と交換できる振手形」の価値が同じなら、紙でできた「金20枚と交換できる振手形」の方を持ち歩きたいだろう。
つまり、「振手形」を両替商に持ち込んで実際に両替を行う人はそう頻繁にはいない、ということだ。「振手形」を持つ人間が全員一斉に両替しにきたら破綻する。しかしその可能性は限りなく低い。だから、手元に100万円分しか硬貨がないままでも、500万円分の「振手形」を発行できるのだ。
さてこの場合、実際に存在する100万円と、発行された「振手形」500万円の間には、400万円分の差がある。「振手形」は紙幣と同じように使えるのだから、この400万円は「通貨の増加分」と言っていい。つまり、通貨が増えているということになるわけだ。
そして銀行も、これと同じ仕組みなのだ。銀行は、預金者からお金を預かっている。その総額を1,000億円としよう。しかしこの1,000億円を預金者が一斉に引き出しにくることはないので、一部を貸し出しに回している。とりあえず、500億円ぐらいとしよう。この500億円は、借り主からすれば「借金」だ。
銀行には預金者から預かった1,000億円が存在することになっている。そして、銀行は500億円を貸し出している(500億円の借金が発生している)ので、トータルで1,500億円お金があることになる。つまり、「500億円分通貨が増えた」ということなのだ。
というような形で、「借金が増える度に通貨が増える」のだという。なんだか不思議な話である。
「借金の本質」とは一体なんだろうか?
では次に、「借金」とは何なのか考えよう。これから書くことは非常に当たり前のことだが、本書の主張においては重要なポイントだ。それは、
借金というのは、現在の価値と将来の価値との交換だ
である。
例えば、今100万円借りるとする。そしてしばらくして利子をつけてそのお金を返す。これは、「働いたことによって得られる価値(=将来の価値)」を「100万円(=現在の価値)」と交換している、ということだ。
だから、「借金」については、
重要なのは、現実に貸したお金を上回る価値が、この世に生み出されるかどうかだ
を考えることが必要である。
まあ、当たり前の話だろう。
「国債」という「借金」の仕組みについて説明する
では、この「借金」の話を踏まえた上で、今度は「国債」について考えよう。
「国債」というのは平たく言えば、「後で少し多くして返すので、今お金を出してください」と言って発行するものだ。日本の1000兆円とも言われる借金の大部分が、この「国債」である。
「国債」には、「60年償還ルール」というものがある。細かな話は省くが、要するに、「借りたお金は60年掛けて返します」というものだ。
この「60年償還ルール」は当初、「建設国債」のみに適用されていた。これは、橋や道路の建設など公共事業を行う際の借金である。橋や道路は60年ぐらい使用できるだろう。だったら、それを作るのに借りたお金も60年掛けて返せばいい、という発想であり、これは「借金」のルールとしても真っ当だろう。「橋や道路(=将来の価値)」のために「建設国債(=今の価値)」を発行するという理屈は、普通に理解できる。
しかしこの「60年償還ルール」、なんと「特例国債」にも適用されるようになった。「特例国債」というのは、公共事業以外に使われるもので、医療費や社会保障費に充てられる。
では「特例国債」は、「借金」のルールに照らしてどう判断されるだろうか?
「借金」というのは「現在の価値と将来の価値との交換」である。しかし医療費や社会保障費としてお金が使われた場合、それに対応する「将来の価値」は存在しない。これは「借金」のルールにそぐわない。つまり、医療費や社会保障費を借金で賄う、という発想がそもそも間違っているということだ。それなのに国は、「特例国債」にも「60年償還ルール」を適用し、問題を先送りにしようとしている。
さてでは、ここからどんな結論が導かれるだろうか? そう、単純に、「税収が足りない」のだ。
もしも1979年(※消費税が初めて導入されようとした年)から消費税を導入してこつこつ増税し、所得税や法人税の減税もせず、きちんと税収を確保してそれを社会保障や教育に回し、労働者も徹底して保護していれば、日本の現在、そして未来は違っていたと思います
著者の主張は、要約すれば、「日本は、将来の価値が存在しない医療費・社会保障費さえも借金で賄っている。それは単純に税収が足りないせいであり、だから今のままでは日本の財政再建は不可能だ」ということになる。非常にシンプルで、納得感のある主張だと感じるが、皆さんはどうだろうか?
「日銀による国債の爆買」は暴挙だと著者は指摘する
安倍政権ではアベノミクスの3本の矢が目玉として打ち出されていたが、その1本目の矢が「日銀による国債の爆買」である。
これには以下の2つの目的があった。
- 実質金利がマイナスになることでお金を借りやすくなり、世の中にお金が大量に行き渡る。それによってインフレとなり、景気が良くなる
- モノの値段が上がる前に買おうとするので、消費も活性化する
さて実際はどうだったか。確かに市中にお金は流れた。しかし残念ながら借りたいという人がおらず、狙った通りにはうまくいかなかったらしい。
しかし日銀は、失敗だと分かっても、「国債の爆買」を止めることができない。そこにはこんな理屈がある。
日銀が爆買を止める
⇒国債の値段が下がる
⇒次回国債を発行する際の表面利率(何年後に何%プラスで返しますという約束)は上げなければならない(新規発行の国債が、値段が下がっている流通市場の国債と同価値でなければ買われないから)
⇒「表面利率」を上げたことで利払い費が増える=日本の借金が増える
⇒日本の借金が増えれば増えるほど、日本の返済能力への信頼が下がり、国債の値段が下がる
⇒(以下ループ)
つまり、日銀が国債の爆買を止めた瞬間、国債の値段が下がり続ける無限ループに落ち込んでしまうというわけである。
これに対し、「国債の値段が下がろうが、最終的に日銀が直接引き取ればいい」と主張する人がいるようだ。確かにもっともな理屈に思える。今だって日銀が爆買してるんだし、誰も買ってくれないなら日銀が最終的に買えばいいじゃないか、と。
しかし、「日銀が国債を直接引き取ること」は禁止されている。
え? 日銀は国債を爆買しているんじゃないの? と思うだろう。確かにその通り。しかし日銀は、国債を直接引き取っているのではなく、流通市場に流れた国債を買っているのだ。
つまり、「国が発行し、誰かが買った後、流通市場に流れてきた国債」であれば日銀は買うことができるが、「国が発行し、誰も買わなかった国債」を日銀が引き取ることはできないのである。
何故そんな仕組みになっているのか。それは、「通貨が増えすぎないようにするため」だ。
ここまでで、「借金=通貨」「国債=借金」だと説明してきた。つまり、「国債の発行=通貨の発行」と言っていい。そして、国が発行した国債を日銀が無限に引き取れるということは、「通貨を無限に発行できる」ことを意味している。
それの何が悪いのか?
通貨の発行量が増えすぎると、通貨の価値が下がり、急激な物価上昇を引き起こし、インフレになる、とこれまでの歴史が証明している。だからどの国も、通貨発行権を持っているのは国ではなく中央銀行なのである。国の都合では通貨を増やせない仕組みが作られているのだ。
しかし、仮にこの法律のことは無視して、日銀が国債を直接引き受けるとしよう。するとどうなるのか?
日銀が国債を直接引き受ける=通貨発行量が増える
⇒投資家は、「通貨発行量が増えるとインフレになる」と理解しているため、円の価値が下がると判断して円を売る
⇒加速度的に円安になる
⇒急激なインフレが引き起こされる
結局、日銀が国債を引き受けても、急激なインフレが起こるのだ。
さらにここで、「日銀が売りオペをすればいい」という主張をする者がいるという。「売りオペ」とは、日銀が国債を売ることである。日銀は通常、適切なタイミングを見計らって「売りオペ」と「買いオペ」を行うことで金利の操作をしている。平時であれば、「売りオペ」はなんの問題もない。
しかし今は、国債の6割を日銀が保有している。平時ではなく、異常事態である。
さてここで、「世界中に存在するダイヤモンドの6割を保有する組織」について考えよう。この組織が、保有するダイヤモンドを売りに出すとする。さて、ダイヤモンド業界はどう判断するだろう?
「ダイヤモンドを6割も持っている組織がダイヤモンドを手放した。もしかして、何らかの理由でダイヤモンドの値段がこれから下がると予想しているから手放したのではないか?」というのは妥当な判断だろう。そこでダイヤモンドを保有する他の人たちも一斉にダイヤモンドを売りに出し、ダイヤモンドの値段は暴落する。
もし日銀が国債を売れば、投資家は同じように判断して国債を売りに出し、国債の値段は暴落する。すると、先述した「国債の値段が無限に下がるループ」に陥ることになる。
このような理由から著者は、「日銀は国債の爆買を止められない」「日銀は国債を売りにも出せない」、つまり「日銀は国債を買い続けなければならない」と結論づけている。
しかし果たしてこんなやり方をずっと続けていけるものだろうか? いずれ破綻するだろうことは目に見えているように思うし、そうなった時、果たして日本はどうなるのだろうか? 考えるのも恐ろしい
最後に
経済や経済理論について学んだことはほとんどないし、そういう類の本を読んでもなかなか難しくて理解できないことが多い。しかし本書は、難しいながらもそれなりには理解できたつもりだ。そして、今までに読んだ言説の中で、一番納得感があった。まあ普通に考えて、借金が1,000兆円もあって大丈夫なわけがないだろう。
個人にできることがあるのか分からないが、日本が破綻する可能性を常に意識し、覚悟を決めておく必要はあるのかもしれない。
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