はじめに
この記事で取り上げる映画
この記事の3つの要点
- 実話を基にしているわけではないが、「こんな災害、永遠に起こらないことを祈る」という字幕から制作陣の意気込みが感じられた
- 「一般市民がパニックになるから」という理由で思考停止しているエリートこそパニックに陥っている
- 現場で奮闘する消防隊員が織りなす様々な人間模様と、ちょっとあり得ないぐらいぶっ飛んでいたラストの「作戦」
自己紹介記事


記事中の引用は、映画館で取ったメモを参考にしているので、正確なものではありません
映画『カウントダウン』は、私たち日本人が”経験していたかもしれない”最悪な状況をリアルに描き出す
これは実に面白い作品だ。しかし、こんなに面白いどエンタメ映画なのに、私が本作を観た時点では全国12館でしか公開されていなかった。何とも不思議である。
本作『カウントダウン』で描かれるのは、「福島第一原発事故の際に”運良く”起こらなかった最悪な事態」だ

さて、どエンタメ映画であることは確かなのだが、本作は、特に日本人にとっては「無関係」とは思えない物語でもあるだろう。何故なら本作『カウントダウン』で描かれるのは、「福島第一原発事故の際に”運良く”起こらなかった最悪な事態」だからだ。

本作では冒頭で、「この物語はフィクションです」と表示される。私はかなり映画を観ているが、こんな表示がなされることはそうそうない(地上波のドラマではよく見かけるが)。よくあるのは「この物語は実話を基にしている」みたいな表記だが、本作はその逆である。また、映画で「この物語はフィクションです」と表記される場合は普通、「事実をベースにしているが、(関係者に訴えられたりしないように)フィクションであることを強調したい」みたいな動機があるように思う。が、本作で描かれていることが「事実」なはずがない。だから普通に考えればよく分からないメッセージである。
ただ、映画を最後まで観るとその理由がなんとなく理解できるだろう。というのも、本作のラストは「主要登場人物の後日談がテロップで表示される」という構成なのである。「◯◯は起訴され実刑判決を受けた」「△△は後に辞任した」みたいな後日談が主人公のワンショットと共に表示されるのだ。

こういうやり方は、実話を基にした作品で使われることが多いと思う。メインとなるエピソードを物語として描き、その後の展開については字幕で説明するみたいなやり方はよく見かける。そして本作はそんな構成になっていたので、私は一瞬、「あれ、これって実話が基になってるんだっけ?」と混乱してしまった。いやいや、ンなはずがない。本作で描かれることがもしも本当に起こっていたとしたら、世界中の人間が絶対に覚えているはずだからだ。実話のはずがないのである。
しかし、何故そんな構成になっているのか? その理由は、映画の最後(だったかははっきりと覚えてはいないが)に表示された字幕によって理解できるんじゃないかと思う。
こんな災害、永遠に起こらないことを祈る。

本作の舞台は2007年らしいのだが、描かれているのは、いつどの時代にどの国で起こってもおかしくない出来事である。特に本作の場合は、「海運ルート上にある国」という、香港の地理的特性が割と重要な要素だったので、そう考えると、島国である日本も無関係とは言えないと思う。
さらに重要なのは、日本が「世界最悪レベルの放射能汚染を経験している国」ということだ。そして本作で描かれているのはまさに、「私たちが”運良く”経験せずに済んだ最悪の事態」と言っていいと思う。
さて、「”偶然にも”経験せずに済んだ最悪の事態」について少し説明しておこう。知っている人もいるかもしれないので、適宜読み飛ばしていただければと思う。

福島第一原発事故では様々なことが起こったが、結局「核廃棄物が拡散するような爆発」は起こらなかった。そしてそこには様々な偶然が絡んでいたことが後に判明している。2号機だったか4号機だったかは忘れたが、そのどちらかが爆発しなかったのはなんと、「格納容器の設計に何らかのミスがあったから」なのだそうだ。そのミスのせい(お陰)で、事故後どこかのタイミングで容器に亀裂が入り、内部のガスがそこから外に漏れ出たため容器内の圧力が高まらず、結果として爆発には至らなかったというのである。つまり、「設計ミスがなかったら格納容器は爆発していた」というわけだ。そしてそれは、想像する限り恐ろしい、最低最悪な事態を引き起こしていたはずである。
こういう話は他にもあり、例えば「燃料プールの冷却水が無くなりかけていたが、偶然違うところから水が流入したために状況の悪化を免れた」みたいなことも起こっていた。日本は本当に、「”たまたま”最悪の事態を回避できた」に過ぎないのだ。そしてその事実を知っていた私には、本作『カウントダウン』の描写はフィクションには感じられなかった。「福島第一原発事故で起こっていてもおかしくなかった出来事」に思えてしまったのだ。

そしてその印象は、消火や救助にあたる消防隊員のとある描写からも感じられた。状況が最悪の最悪にまで達しつつある状況で、隊員たちは上官から「あまりにも危険な任務だから無理強いはしない。希望する者がいれば託したい」と告げられる。そして、まさに同じような場面が福島第一原発事故の時にもあったのだ。「命の保証は出来ない」という状況で、「志願してくれる者がいるなら頼みたい」という決断をせざるを得なかったのである。まさに死がそこまで迫っている状況で、「それでも、今自分が行かなかったら多くの人の命が危険に晒されてしまう」という覚悟で「最悪」へと飛び込んだ消防隊員の姿は、福島第一原発事故で事態に立ち向かった者たちの姿を想起させた。

字幕でわざわざ「こんな災害、永遠に起こらないことを祈る」と表記したのは、間違いなく、「同じような事態がいつどこで起こってもおかしくはない」というメッセージを込めたかったからだと思う。また、詳しいことは分からないが、本作はもしかしたら福島第一原発事故を念頭に制作された可能性だってあるだろう。辛い記憶を呼び覚ます可能性もあるので、そういう人は避けた方がいいとは思うが、私は「あり得たかもしれない未来を直視する」という意味で、日本人は本作を観ておいた方がいいんじゃないかと感じた。
映画『カウントダウン』の内容紹介
「電子廃棄物」は現在、年間で3500万トンも生み出されているという。そしてその処分によって世界中で様々な問題が引き起こされていた。恐らく、「先進国が発展途上国に電子廃棄物を押し付ける」みたいな構図が常態化していたのだろう。そのため1989年にバーゼル条約が採択され、電子廃棄物の処分に関する規制が行われることが決まった。この決定を受けて香港では、電子廃棄物の処分に1トン辺り最低700ドルの支払いが必要になったのだが、時を同じくして1トン25ドルという破格の値段で請け負う違法な企業が暗躍し始める。そしてその違法な処分に関わっているのがなんと、物流の国際企業であるDOE社だったのだ。
当時の香港では「1996年の香港返還を機に、物流のハブとして経済成長を目指そう」という機運が高まっており、その動きに乗っかってDOE社は税関の規制緩和を認める法案を通すことに成功する。そしてこの規制緩和を上手く利用して電子廃棄物を香港に持ち込んでは、そこから第三国へと移送するという違法なやり方を続けていたのだ。

さて、時は流れて2007年。日曜日の朝7時52分に火災の一報が入る。大塘村北東部に位置する新界北のイーストヒルにある鴻力回収所で火の手が上がっているというのだ。ここには多数のコンテナが乱雑に置かれており、出入り可能な場所は1箇所しかない。炎は高々と上がり、周囲を燃やし尽くすような勢いである。しかしそんな状況にも拘らず、消防隊員たちはまだ余裕を見せていた。恐らく、これよりも酷い現場を何度も経験しているのだろう。
しかし、燃料車に火が燃え移って爆発した辺りから状況が一変する。2号放水班の2人と連絡が取れなくなったため救助に向かいたかったのだが、このタイミングで本部から何故か「水の使用」が禁じられたのだ。水を使わずにこの炎に立ち向かうのは容易なことではない。どうしたらいいのだろうか……。
一方、とある事情で10年前に官僚を辞め、今は環境汚染の専門家として活躍するファンは、イーストヒルの火災を受けて政府から声が掛かった。現場から放射能が検出されたからだ。彼はすぐ本部に顔を出すよう指示を受けたのだが、それを無視して直接現場へと向かい、そこで驚きの光景を目にすることになる。なんと、急性放射線障害の患者が少なくとも5人はいたのだ。これは想像以上にマズい状況だ……。

ファンは10年前、葵涌で起こった火災によって妻を喪った。今回と同じく電子廃棄物に起因する火災であり、そしてその遠因が、官僚時代に決断した規制緩和にあるのではないかと考えている。それで彼は官僚を辞めたのだ。また、亡き妻もその弟も消防隊員であり、弟のキットは姉を助けられなかった後悔を今も抱えている。そして、義兄であるファンを今も許せていない。そんなキットは、今まさにイーストヒルの火災現場で消火活動に当たっている最中である。

さて、現場を見てから本部へとやってきたファンは、ヨーロッパ外遊中のため不在だった行政長官の代理を務めるセシリアに「水の使用を許可しろ」と詰め寄った。そもそも水の使用が禁止されたのは、現場からラジウム226が検出されたためである。放射性物質であるラジウム226は水溶性であり、放水によって拡散する可能性が高いと判断されたのだ。
しかしファンは、そのことを理解した上でなお放水しろと提言する。というのも、現場の状況からは明らかに、ラジウム226よりも遥かに放射線量の強い物質の存在が推定されるからだ。このゴミ処理場では不法労働者が働かされており、急性放射線障害になっていたのはそんな不法労働者たちだった。ここからファンは、「ゴミ処理場のどこかに強力な放射性物質が存在し、彼らはそれを直接手で触った」と考えていた。そうでもなければ、あんな酷い症状が出るはずがないからだ。

また、ファンの判断は気象予報によっても補強される。なんと、マレーシア沖で発生した熱帯低気圧マーフィーが香港に迫っているというのだ。直径900kmもある大型のもので、18時間後には香港に最接近すると予測されていた。熱帯低気圧が雨を降らせれば、どのみちラジウム226は拡散されてしまう。だったら、その前に放水して火を消し、その上でより強力な放射性物質を見つけ出して密閉するのが最善のはずだ。ファンは会議のメンバーにそう訴える。
しかしセシリアは、「憶測だけでは決断できない」と突っぱねる。さらに、「雨で汚染が広がるなら住民も納得するだろうが、今放水して、後から『強力な放射性物質はありませんでした』となれば、それは人災だ」とも口にしていた。被害を抑えることよりも保身の方が重要であるかのような発想だろう。
そんな中、現場から最悪の報告が上がってきた。救助した不法労働者が放射性物質を所持していたというのだ。検査の結果、その放射性物質はセシウム137だと判明する。それを聞いた全員の顔がこわばった。脳裏に「ゴイアニア被曝事故」のことが浮かんだからだ。医療廃棄物による史上最悪の被爆事故として知られており、盗み出されたセシウム137はたった93g、コップ半分程度だったにも拘らず、甚大な被害が発生したのである。

このままでは、香港は第2のゴイアニアになってしまう。しかしそのような状況においてもなお、セシリアはファンの忠告を聞こうとせず……。
「対策を立てる側の大混乱」が実に興味深い物語
本作『カウントダウン』ではもちろん、「現場で対応に当たる消防隊員の物語」の方が迫力や人間ドラマに溢れている。最初に発生した火事の時点でかなりの規模であり、個人的には「この時点でもう対処不能じゃない?」と感じるほどだったのだが、さらにそこから次々と「不可能状況」が積み上がっていく。放射性物質は見つかるわ、仲間は行方不明だわで、とにかく大混乱である。
その上でさらに本作では、もう1つの主軸である「対策を立てる側の物語」もまた興味深かった。というわけで、まずはこちらの話から始めたいと思う。

まず何よりも酷かったのが、「専門的な知見を元にファンがどれだけアドバイスをしても、行政長官代理のセシリアがまともな判断を下さない」という点だろう。状況は刻一刻と悪化していくのだが、その状況にまったく対応できないのだ。

とはいえ、セシリアを殊更に責めたいとも思わない。本作を観ている観客は全体像を把握できているし、物語的な展開も凡そ予測できるわけで、だから「ファンの主張が正しいはず」という確信を抱きながら物語を追えるはずだ。しかし、現場を直接見ているわけでもなく、先の状況がどうなるかも分からない中で、自分があの会議室にいるメンバーの1人だったとしたら、「より強力な放射性物質があるかは分からない」という状況ではなかなか決断を下せなかっただろうとも思う。
しかしそうだとしても、その後の展開はさすがに許容できないだろう。なにせセシリアは、セシウム137の存在が明らかになってからもファンの忠告を受け入れないのである。

さて、セシウム137の存在が明らかになった時点で、ファンは恐らく「さっきまで主張していた対策をすべて実行するだけでは対処不能だ」と判断したのだろう、さらに加えて「住民の避難」も提案していた。しかしセシリアは、この提案も拒否する。避難が必要な範囲内には200万もの市民が暮らしているのだが、「彼らに避難指示を出せばパニックが起こり、それが『セシリア137の処理』にも影響する」というのがその理由だ。
このやり取りを見ながら私は、以前読んだ『災害ユートピア』という本のことを思い出していた。これは、災害時の人々の行動に関する研究結果をまとめた学術書のような本なのだが、その中に、「災害時にパニックになるのはエリートの方であり、これまでの記録では、一般市民がパニックになったことはない」みたいなことが書かれていたのだ。

フィクションの世界では、例えば『ゴジラ』のような作品を思い浮かべてもらえると分かりやすいが、「ゴジラの襲来に対してパニックに陥る市民」みたいな描写が必ずある。もちろんそれは、物語を成立させる上で必要な分かりやすい要素の1つであり、そういうフィクションの描写に対して文句を言いたいとかでは全然ない。で、実際には、どうやら現実にはそんなことはないようだ。日本の場合、「災害時における人々の冷静さに驚かされる」みたいな海外からの反応もあったりするので余計判断が難しくなるが、先述した『災害ユートピア』は外国人による著作であり、扱われているのは世界中で起こった災害の事例である。そしてそれらを分析しても、「一般市民よりもエリートの方がパニックに陥っている」という結論になるのだろう。
そして本作でも、まさにそのような状況が描かれている。その後結局、住民に対する避難勧告が出されるのだが、市民はやはりパニックに陥ったりはせず、警察などの指示に従いつつ慌てることなく避難するのだ。さらにその避難の描写においては、「故障か何かでトラックが停車してしまい、その後ろにいた救急車が通れなくなったので、多くの人が車から降りてトラックを路肩まで押す」みたいな描写もあった。パニックとは無縁の行動だろう。もちろん、本作は別に実話を元にしているわけではないので、こんな描写いくらだって出来るわけだが、とはいえ、『ゴジラ』のようにパニックになって逃げ惑うよりも、「路肩までトラックを押す」方が描写としてしっくりこないだろうか? 日本では2024年の正月に航空機事故が起こったが、その際も、客室乗務員や乗客が冷静に対処したお陰で全員無事に脱出でき、世界的にも話題になったはずだ。まったく違う状況ではあるものの、これもまた「一般市民はパニックにならない」という傍証と言ってもいいのではないかと思う。
しかし現実には、「一般市民がパニックに陥るから」という理屈で様々な決断がなされている。福島第一原発事故の際にも、「『放射性物質がどの方角に飛散するか』を予測する『SPEEDI』の情報が伏せられていた」という話があったりした。そして実際に、「避難した場所に放射性物質が拡散した」なんてことも起こっていたという。「SPEEDI」によるモニターによって、放射性物質が拡散する方向はあらかじめ予測されていた(そして実際に、予測された通りに拡散された)わけで、だったら避難が始まる前にその情報を開示しておけば、「どこに避難すべきか」の判断材料になったはずだ。しかしこの時もまた、「こんな情報を開示したら一般市民がパニックになる」という理由から公開されなかったのである。

「SPEEDI」は、まさに福島第一原発事故のような事態が起こった際に役立てようと大金を掛けて開発されたシステムのはずだ。そしてそれが、本来最も必要とされるべき時にまったく機能しなかったのである。もちろん、後から振り返って「あの時はああすべきだった」みたいに言うのは簡単だし、不合理だと感じられる判断の中にも、その時点では妥当だったと考えられるものもあるとは思う。しかしそれはそれとして、「一般市民がパニックに陥るから」というだけの理由で何かが決断されるのはやはりおかしいなと思うし、「そういう思考こそ『エリートのパニック』を示唆している」とも考えられるだろう。
というわけでまずは、このような「対策を立てる側の混乱」が丁寧に描かれている点が実に興味深かったなと思う。
現場で奮闘する消防隊員の物語、そしてラストに行われる”ぶっ飛んだ”作戦

さて、やはり物語としては、現場で対応にあたる消防隊員の奮闘こそがメインになると言っていいだろう。先述した通り、最初はただの火災だと思われていたわけだが、次第に様々な状況が明らかになり事態は悪化、さらに仲間の安否も分からない状態になっていく。まさに、彼ら自身の命が危険に晒されているわけだが、それでも「多くの人の命を救いたい」「仲間を助けたい」という気持ちで目の前の危険な状況に立ち向かっていくのである。本当に凄いものだなと思う。

そしてその上で、彼ら消防隊員には様々な人間ドラマが詰め込まれている。正直に言えば、こういう描写は「感動させようとしているな」みたいに思えてしまうし、個人的には凄く良い印象というわけではないが、一般的には良いものとして受け取られるんじゃないかと思う。「これから恋愛に発展しそうな男女」「子どもを持つかどうかで揉めている夫婦」「入隊後1週間の隊員」など、「分かりやすく物語を盛り上げる人間関係」(みたいに書くと少し良くない印象として伝わるかもしれないが)が色々と詰め込まれている。
そしてその中でも、「対策を立てる側」の物語でもメインで描かれる環境汚染の専門家ファンと、彼の義弟に当たる消防隊員キットの関係が主軸になっていく。ファンは自身が関わった規制緩和のせいで妻が命を落としたかもしれないと考えているし、そしてキットはそんな姉の死を目の前で体験している。このことがきっかけで2人の間には修復しがたい亀裂が残ったままになっており、作中でも様々な形で2人の葛藤が明らかにされていく。
ファンとキットは、別に会おうと思わなければ関わらずにいられるはずなのだが、実はそうもいかない。というのも、ファンの娘であるアイリーンは母方の祖母(つまりキットの母親)に懐いているからだ。娘を通じて、ファンはキットと関わる機会があり、そのため日常的にキットとの間にある”断絶”を自覚させられる。そしてそんな中で最悪の火災が起こってしまったのだ。

「ファンは本部で、そしてキットは現場で奮闘する」というのは実に物語的でベタではあるが、だからこそ伝わってくるものがあるなとも思う。本作では様々な場面でこの2人の主張や人生が交錯していくのだが、そのような展開は凄く良かった。
そしてそれから、圧巻のラストがやってくる。いやー、まさかそんな展開になるとは思ってもみなかったし、驚かされてしまった。
なにせこのラストの展開は、環境汚染の専門家であるファンが「もう打つ手はない」と口にしてから始まるのだ。そう、どう考えたって「これ以上やれることはない」という状況なのである。しかし1つだけあった。とはいえ、「そんなこと出来るはずがない」と誰もが思う、というか、「誰も発想すらしないだろう」というようなアイデアであり、「こんなの思いつかないわ」みたいに感じるんじゃないかと思う。
本作で描かれている作戦が「本当に実現可能なもの」なのか私にはなんとも分からない。ただ、「このままでは甚大な被害がもたらされるが、しかしもう打つ手はない」という状況で「一応検討できる可能性」が見つかったわけで、そこに全集中するしかないという感じだったのだろう。このままでは香港は壊滅するのだから、何もしないよりはマシである。そう、そういう状況に追い込まれなければ検討しようなどとも思わないような、普通にはまず成立するはずがない状況なのだ。

そしてだからこそ、「そんな作戦を実行に移すしかないよね」と観客を納得させるだけの状況を作り上げたことが見事だったなと思う。とにかく、「もう打つ手はない」というセリフに説得力を持たせられなければこんな作戦実行に移せないわけで、そのためにありとあらゆる展開を詰め込んで状況を設定した感じが素晴らしかった。ホント、よく出来てるなと思う。

最後に
個人的には大満足な作品だった。冒頭でも書いた通り、どうして本作の公開館がこんなに少ないのかは謎だが、まあ色々あるのだろう。エンタメ的にも面白いし、「日本の未来だったかもしれない」という恐怖を描いているという意味でもオススメ出来る作品だ。







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