【諦念】映画『アフター・ザ・クエイク』が描く「日本と地震の30年」。奇妙で奇妙じゃない世界(監督:井上剛、主演:岡田将生、鳴海唯、渡辺大知、佐藤浩市)

目次

はじめに

この記事で取り上げる映画

「アフター・ザ・クエイク」公式HP

この映画をガイドにしながら記事を書いていきます

この記事の3つの要点

  • 「1995」「2011」「2020」「2025」の4つの物語はどれも、何かしらで「地震」との繋がりを持っている
  • 焚き火を媒介にして異質な2人が関わりを持つ第2話「2011」が一番興味深かった
  • 第4話「2025」は最も意味不明な物語だが、かえるくんの声をのん(能年玲奈)が担当していることもあり、楽しく観られた

「震災」を直接的に描かないことで、誰にとっても無視できない物語に仕上がっているような気がした

自己紹介記事

どんな人間がこの記事を書いているのかは、上の自己紹介記事をご覧ください

阪神・淡路大震災からの「震災の30年」を描く映画『アフター・ザ・クエイク』は、奇妙ではあるがどことなくリアルさもある不思議な作品だった

正直なところ、ストーリー的にはよく分からなかったし、随所で「???」となった。ただ、「自分には合わない作品かもなぁ」という予想をしていたこともあり、思いがけず面白い作品で良かったなと思う。観に行って正解だった。

映画『アフター・ザ・クエイク』が描き出す4つの物語はどれも、そこはかとなく「震災」と結びついている

本作は、NHKで放送されていた『地震のあとで』という全4話のドラマが元になっている。そして私は、その最初のエピソードだけテレビで観た。のだが、正直家にいると映像作品はどうしても「ながら」で観てしまうので(それもあって、配信ではなく映画館で鑑賞するようにしている)、ちゃんと観たとは言えないだろう。で、そんな第1話の感想は、「うーむ、よく分からない」だった。「ながら」で観ていたからなのか他に理由があるのかはよく分からなかったが、何にせよ「2話以降は観なくていいか」と判断したというわけだ。

で、今度は映画として上映するということだったので、再挑戦のつもりで観てみることにした。やはり、第1話の「1995」(各話のタイトルは年号である)はよく分からなかったし、というかそれは他の3話も同様だったのだが、4話全部通して観た印象は大分変わり、「面白い」となったのが不思議である。なかなか奇妙な印象をもたらす作品だった。

物語として一番現実味があったのは第2話の「2011」だろう。そして、一番訳が分からなかったのは第4話の「2025」である。第3話の「2020」は比較的リアル寄りだったかな。

それで基本的には、どの話も何らかの形で「地震」と結びついている1995年は阪神・淡路大震災が起こった年だし、「1995」では震災を報じるニュース映像が使われているぐらい、「地震」が正面から扱われていた。2011年はもちろん東日本大震災の年だが、「2011」では「予兆」が描かれている。本作の中では唯一、「地震」を直接的には描いていないと言っていいだろう。また、2020年はコロナ禍で、そして「2020」では9年前に起こった東日本大震災の話が少し関係してくる。そして「2025」では、「結果的には起こっていない地震」の話になるというわけだ(この説明では意味不明だろうが)。

「1995」を除けば、地震そのものは基本的に物語の中心にはならない(「1995」でも中心というほどではないが)。しかし、日本に住む者であれば誰もが無関係・無関心ではいられなかっただろう「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」が物語全体の背景として強い存在感を放っており、それ故に、本作の世界線においては「起こっていない地震」の存在がリアルさを持ち始める。「かえるくん」の存在など含め、「2025」は正直リアルさとはかけ離れていた。ただ、この30年に区切っても、私たちは様々な震災を経験してきたわけで、だからこそ「完全な与太話」としてあっさり切り捨てることもまた難しいなと思う。

「『震災』を『日常』として否応なしに受け入れざるを得ない日本」に生きている私たちには、やはり体感として本作の背景的な存在である「震災」が前面に存在するように感じられるはずだし、恐らくその感覚は、震災を直接的に経験した人にとってはより色濃いのではないかとも感じる(私は今のところ、自分自身が直接震災の被害を受けるような状況にはならずに済んでいるのだが)。また、これは正直上手く説明できないのだが、「震災」という、明らかに人間の手には負えないし関与のしようもない出来事によって、本作『アフター・ザ・クエイク』で描かれる様々な「非リアルなもの」の輪郭が明確になっているようにも思えた。さらに言えばそのお陰で、本作全体から醸し出される「訳の分からなさ」みたいなものが程よく中和されているような感覚もあったなと思う。

また、物語の背景としての「震災」が登場人物それぞれの人生のバックグラウンドとしてシミのように広がっている感じがして、さらにそのことによって、登場人物たちの「理屈を超越した雰囲気」が成立しているようにも感じられた。とにかく、「震災そのもの」に直接的に光を当てないことによって、登場人物の人生に色濃く漂う「諦念」みたいなものがより一層強く印象付けられている気もして、本作のそういう全体的な雰囲気が凄く良かったなと思う。

映画『アフター・ザ・クエイク』の内容紹介

正直なところ、説明できるほどストーリーをちゃんと理解できているわけではないのだが、一応それぞれの物語を紹介しておこう。

1995

阪神・淡路大震災が起こってから数日間、小村は、妻の未名が震災を報じるテレビ番組をひたすらに見続けている様を眺めていた。もつろん凄まじい事態だし、注視する気持ちも分かる。ただ、彼女は山形出身で、関西方面に知り合いがいるわけではない身じろぎもせずテレビの前に座りっぱなしなのは、やはり異常だ。とはいえ、彼女は何も喋らないし、だからどうして妻が震災のニュースに釘付けになっているのか、小村にはさっぱり理解できずにいる

そんなある日、1枚の手紙を残して妻が姿を消した。後日、叔父だという男性がやってきて、小村は唐突に離婚届へのサインを迫られる。状況はまったく理解できないものの、受け入れざるを得なかった小村は、そんなドタバタに一区切りつけようと、長期休暇を取ることに決めた。そしてそんな話を職場の同僚にしてみたところ、「どうせなら釧路まで小さな荷物を運んでほしい」と頼まれたのである。中身が何だかよく分からないその荷物を持って、小村は特に目的もないまま北海道へと向かうのだが……。

2011

スーパーで働く順子は、いつものおじさんを見ている毎日朝昼晩と同じものを買いに来ている人だ。なので、そのおじさんが外国人のレジスタッフにあーだこーだ言っているのを目にして、探しているのだろう牛乳を持ってきてあげた。三宅というそのおじさんは、順子がスーパーへの行き帰りで通る浜辺で毎日焚き火をしている。彼女はその姿を時々目にしていたのだが、ある日自分から声を掛け、おじさんと一緒に焚き火を囲んだ

順子は高校3年生の頃に家出し、この地に流れ着いた父親との関係が決定的にダメになってしまったのだ。それで、どこにも根を張れていなそうなおじさんが少し気になったのかもしれない。おじさんとは別にどうということのない会話をするだけなのだが、いつしか焚き火を囲むのが日課となっていき……。

2020

善也は、お世話になった田端のお別れ会に顔を出さないことに決めた。田端は新興宗教の教祖的な存在なのだが、善也はなんとその新興宗教の中で「神の子」だと見なされていたのだ。もちろん、彼はそんな扱いに反発していた。しかし母親は、東日本大震災が起こった直後に「一緒に被災地に行って祈ろう」と善也を誘う。そんなわけで、「自分が『神の子』のはずがない」と考えていた彼は、「もう信仰を捨てる」と宣言した

そうして善也は、教団から距離を置いたまま大人になっていく。田端のお別れ会に出なかったのもそういう理由からだ。そんなある日のこと、善也は電車の中で、かつて母親から聞いた特徴を持つ人物を見かけてしまい……。

2025

地下駐車場で警備員として働く片桐は、総白髪という高齢の身でありながら、漫画喫茶に寝泊まりする生活を続けている。かつて信用金庫で働いていたとかで、何故か移転前の店舗があった場所の近くに居座り続けているのだ。

ある日彼は、「片桐さん、お久しぶりです」と声を掛けられた巨大なかえるに。どうやら、他の人には見えていないようだ。かえるくんは、「30年前に一緒に東京を救ったじゃないですか」と片桐の記憶にはない出来事の話をしてくるさらに「また片桐さんの力を借りたいんです」とよく分からないことを言ってきて……。

映画『アフター・ザ・クエイク』の感想

さて、私が書いた内容紹介を読んだところで、どんな話なのかまったく想像できないだろうと思う。そしてそれは、観ても大して変わらないだろう。「よく分からん」ってなるんじゃないかと思う。ただ、物語全体が描こうとしている「何か」は何となく掴めそうな気がする。そしてそれはやはり、「『震災』を『日常』として生きざるを得ない日本人」だからこそだとも思う。日本ほどの地震大国はあまりないと思うので、「地震=日常」みたいな感覚のない国の人が本作を観たらどんな風に感じるのか、とても気になるところである。

個人的には、第2話の「2011」が一番好きだなと思う。全4話の中で最も何てことのない話だし、ホントに「ただ焚き火をしているだけ」でしかないのだが、それでも「この雰囲気はなんか凄く良いなぁ」と感じさせられた。

さて、私は基本的に「名前を付けようがない関係性」がとても好ましく思えるのだが、順子と三宅はまさにそのような雰囲気を漂わせる存在だったなと思う。家族や恋人では当然ないし、かと言って友達というのも違う。どんな関係性にも押し込められない雰囲気に満ちていたのだ。「しかし」なのか「だから」なのかはよく分からないが、焚き火を前にした2人の間には確かに「何か」が存在していて、そしてそこには「名前が付かないからこそ強固」みたいな印象もある。「必要条件も十分条件も最低条件さえも存在しない関わり方だからこそ、一度結びついてしまえば『関係性の終わり』が想定されない」みたいに考えればいいだろうか。

さらに言えば、ある意味では「強固」だと言っていいだろう2人の関係性には、その実、「焚き火」を前にしないと成立しないような雰囲気もあって、だからある意味では「虚ろ」でもあるどちらも足場が不安定な場所に立つ者同士だからこそお互いを支え合っているみたいな印象にもなるし、その一方で、焚き火が消えればすべてが漆黒の闇に溶けて「無」になってしまうような儚さもあり、凄く素敵な関係性に見えた。そんなわけで、物語らしい物語はないのに「ずっと見ていられる」と感じさせる世界観に仕上がっているんだと思う。

さて、そういう意味で言うなら、第3話の「2020」は「2011」の次の物語だったこともあり、「関係性が分かり易すぎる」という印象が強かった。「関係性が分かり易すぎる」というのは別に悪いことではないのだが、「2011」と比べるとどうしても、「関係性の魅力」という意味での薄さみたいなものが感じられたなと思う。ただ、渡辺大知と黒川想矢が醸し出す雰囲気はとても良かった。っていうか、黒川想矢がホントにあちこちの作品に出てくるので驚かされてしまう。

第1話の「1995」は、テレビ放送時の印象と変わらず「よく分からない」という感じだったが、テレビで観た時よりも全然受け入れられた感じはある。やはり「ながら」で観ていたのが良くなかったんだろうか。で、ここまで触れてこなかったが、本作『アフター・ザ・クエイク』は村上春樹の短編をベースにした作品であり、やはりとても村上春樹的である。村上春樹の物語らしく、「1995」もまた実に奇妙なのだが、ただ「奇妙すぎるわけではない展開」によって少しずつ日常からズレていくみたいな感じがとても良かった。そして、ずっと意味不明な状況に置かれ続ける小牧を演じた岡田将生の佇まいも素敵だったなと思う。何も始まっていないし終わってもいないみたいな物語であり、そういうストーリーはその時の気分次第でも受け取り方が変わるのかもしれないが、今回は「面白い」という印象だった。

「2025」は、ストーリーだけを抜き出すなら最も意味不明な物語なのだが、個人的には、かえるくんの声をのん(能年玲奈)が演じていたこともあって、全体的な印象としてはとても良かったなと思う。しかしホント、「完全に違和感でしかない存在」であるかえるくんが登場しているのに、「リアルな世界観」がそこまで大きく崩れない感じは見事だった。何がどうなってそうなっているのかはさっぱり分からないが、映像的な違和感も物語的な違和感も、どちらも割と良い方向に作用している感じがあって素晴らしかったなと思う。

最後に

全体的にフワッとした感想に終始したが、物語を上手く掴めていないのだからその辺りは仕方ない。「ちゃんと理解しよう」などとは思わず、何となく雰囲気を楽しむみたいな鑑賞をするのがいいんじゃないかな。個人的には、観れて良かったなと思っている。

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