犀川後藤のこれまでについて

ブログ「ルシルナ」の犀川後藤の自己紹介記事です。ここでは家族との関わりや学校での馴染めなさ、引きこもり時代や自殺を考えた時のこと、そして書店で働き始めたきっかけなどについて書いています。

初めまして。犀川後藤です。ブログ「ルシルナ」に来てくださってありがとうございます。

直接このページにたどり着いた方は、プロフィール記事全体にも目を通してみてください。

この記事では、「生きづらさ」や「普通への馴染めなさ」などを中心に、私のこれまでの人生を書いていこうと思います。

犀川後藤

ブログの記事を読んでもらう上での補助線のつもりです

いか

誰だかわからんやつのプロフィールなんて、普通興味ないしな

犀川後藤

分かってるって

目次

生まれ

富士山がドドンと見える県に生まれました。私が学生の頃は、最寄り駅は確か21時以降は無人駅になっていました。という程度には田舎ですが、山や畑に囲まれているという感じでもなく、これと言って特筆すべきことはない地元です。

家族との関わり

家族に対しては、小さな頃から違和感を覚えていました。私が記憶している限りでは、小学校低学年の頃には既に、親に対する嫌悪感がありました。当時はずっと「嫌い」という感情なのだと思っていましたが、今振り返ると「合わない」という方が近いと思います。

犀川後藤

「血が繋がってるだけの他人」という表現がしっくりきます

いか

厳しいねぇ……

小学生の頃から、「家族だからなんなんだ?」と感じていました。「家族というのは特別なものなのだ」という感覚は、学校やテレビなどからメッセージとして届いてくるものですが、そのことにずっともどかしさを覚えていました

いか

暴力とか兄弟間での扱いの差みたいなのがあったの?

犀川後藤

いや。怒られたこともほとんどないし、「勉強ができる優等生の長男」を演じてたから、兄弟の中での扱いはむしろ良かった

子どもの頃はこのモヤモヤの正体が上手く理解できなかったので、とりあえず「嫌い」という感情だということにして単純化していましたが、大人になって考えを改めました

きっかけは、大学進学を機に上京したことです。それまでの18年間のモヤモヤが積み重なっているので、すぐにとは行きませんでしたが、「物理的に距離が離れれば、『嫌い』という感情が特別浮かぶわけでもなく、どうでもいい存在である」と思えるようになりました。

今では、「私は、誰かと一緒に住むのが無理な性質の人間なのだな」という理解をしています。「親だから」嫌悪感があるのではなく、「一緒に住んでいたから」嫌悪感があるのだ、という風に考えるようにしたのです。

20代の頃は、親兄弟とはほぼ音信不通の人生でしたが、今では「ちょっと疎遠な普通の家族関係」ぐらいにはなっていると思います。

犀川後藤

20代は、冠婚葬祭だけは顔を出していました

いか

一応そこは頑張ったのね

学生時代(~高校)

私にとって「学校」というのは、とても大変な環境でした

今でこそ、コミュニケーション能力は結構向上したと思いますが、子どもの頃は「周囲の人間がどういう理屈で行動しているのかまったく理解できない」という状態にかなり苦しみました。感覚としては、私以外の人はルールを完璧に理解しているのに、私だけ基本的なルールも知らないままで何かのスポーツに参加させられているような状態でした。

いか

ルールを知らずにカバディをやってる、みたいな?

犀川後藤

そうそう、そんな感じ

今でこそ、一人でいることにさほど苦痛を感じなくなっていますが、子どもの頃は「孤独/友達がいないと思われること」に恐怖を感じていました。だから、「こいつルール知らないんだ」と思われないようにしなくちゃいけないというのが、私の学校生活の重大なミッションとなるのです。

一番印象的に記憶しているのは、「予想して笑うこと」です。私は子どもの頃、周りの人がどうして笑っているのか、そのほとんどの場合理解できませんでした。何か楽しい話題が繰り広げられているらしいけど、何が面白いのか全然分からない、という状態が続きました。

そこで、なんとなく会話の流れを予想して、「たぶんここでみんな笑うんだろう」というポイントで笑うようにしました。大体それで上手く行くのですが、時々私しか笑っていないという状況に陥ることがあり、ごまかすのに苦労したことを覚えています。結局この癖は、大学時代ぐらいまで抜けなくて大変でした。

いか

ごまかせるもん?

犀川後藤

いやー、ごまかせてなかっただろうね……

ただ私は、勉強だけはできました。県内の進学校の中でも学年トップ5ぐらいには入っていたので、悪くなかったと思います。とにかく、「誰かに勉強を教えるキャラ」というその一点だけで、学生時代をなんとか乗り切ったと言っていいくらいです。

犀川後藤

自分のテスト勉強は一週間前に終わらせて、試験までの一週間はみんなに勉強を教えてた

いか

そんなヤツいるんだねぇ

勉強だけはできたので、それなりの大学に進学するんだろう、と思ってはいました。ただ、別にやりたいことは何もありません。というか子どもの頃から、とにかく何もしたくなかったです。特に、社会に出るのは怖かった。今でも覚えていますが、中学生の頃には既に、「自分はサラリーマンにはなれないだろうなぁ」と漠然と考えていました。

しかし、「社会には出られないだろうなぁ」という自分の感覚に一旦気づかなかったことにして、とりあえず勉強ができるというだけの理由で、関東の誰もが知る知名度のある大学に入学することになります。

大学時代

大学時代も、コミュニケーション能力という点で激変したということはありませんでしたが、高校までではあまり出会えなかったような、ちょっと変わった人間、話が合いそうな人間に巡り会えるようになったこともあって、多少は生きやすくなった気がします。親と離れて一人で暮らした、ということも大きかったかもしれません。

しかし、人間関係とは別の大問題が迫っていました。就職活動です。

いか

結局、就職活動はしなかったんでしょ?

犀川後藤

それどころか、人生において、アルバイトの面接以外の面接を受けたことがないよ

私は本当に、上手くできているかどうかに関係なく、「面接」という舞台に上がったことがある人は凄いなと未だに思ってしまいます。私には無理です。

大人になり、多少色んな仕事を経験してみて感じることは、私はそれがどんなことであれ、やればそこそこできる人間です。ずば抜けてできることは限られていますが、平均点以上にはできると思うので、少なくとも迷惑をかけるようなタイプではないと思います。

ただ、とにかく「面接」という舞台に上がるのが怖い。今でも、無理だな、と感じてしまいます。

犀川後藤

皮肉でもなんでもなく、ちゃんとサラリーマンをやっている人は凄いといつも感心しています

だから私は、2年生の終わりに大学を中退しました。一応両親は、3年の学費も払ってくれましたが、結局一度も講義には出ませんでした。

それまでずっと優等生で、大学の講義もほぼ皆勤で出席し、成績もほぼオールAに近かったので、突然姿を見せなくなったことに友人も驚き、友人を通じて両親にも連絡がいきました。

未だに私は、この時に大学を中退したことを後悔していません。もちろんその後の人生は、決して順風満帆だと言えるものではありませんが、大学を中退せず、就職活動をちゃんと行い、真面目に働き始めていたら、中退した時よりももっとずっと高いところから落ち、さらに大きな怪我をしていたと感じるからです。

犀川後藤

とはいえ、メチャクチャ色んな人に迷惑をかけたので、申し訳ないなぁとは思っています

そこから、そう長い期間ではありませんが、引きこもり期間が始まります。

引きこもり時代

私の人生の中でおそらく、この引きこもり時代が最も暗黒だったと思います。人生のどの時期よりも辛かったです。

半年を2回という変則的な形でしたけど、計1年ぐらい誰とも会わない生活を選択しました。住んでいた場所の1階にコンビニがあったので、そこまでは足を伸ばすけれども、それ以外は外にも出ない、誰にも会わない、誰とも連絡を取らない、というような毎日です。それを、関東での一人暮らしでやっていたのだから、お金的にも迷惑をかけたなぁと今では感じます。

犀川後藤

後から聞いたけど、私のせいで妹は大学時代一人暮らしをさせてもらえなかったらしい

いか

酷い兄だこと

昼夜逆転の生活の中、ひたすらテレビを観るぐらいしかやることがない生活。スマホもそこまで普及しておらず、Youtubeもまだ存在していませんでした。私は、テレビしか観ていない生活に対して強烈な自己嫌悪を抱いており、その感覚が引きこもりを脱したいという思いに繋がったと思います。そういう意味では、やれることが全然ない生活環境は良かったと言えるかもしれません。

引きこもっている時期に、自殺を考えました。当時住んでいた建物の屋上から飛び降りようと、縁に立ってしばらく試行錯誤していたのですが、結局死ねませんでした。

それまで、「人生辛いことがあっても、最終的には死ねばいい」と思ってなんとか生きていました。ただ、「死ねばいい」が思ったようには実現できないことを理解して、少し生き方を考え直さなければならない、とも感じさせられた経験です。

犀川後藤

最近では「死にたい」ではなく「誰か殺してくれないかな」と思うようにしています

いか

どっちも物騒だけどな

最終的に私の引きこもり生活は、「実家への強制送還」という形で終了します。両親としても、金ばかりかかる私の一人暮らしを長々と許容することはできなかったでしょう。

結果的には、この強制送還が私の社会復帰のきっかけとなります

プチ家出から書店員へ

実家に強制送還されたことで、また「家族との問題」が再発しました。とにかく、実家の居心地が悪かったのです。私はプチ家出を繰り返し、大学時代の友人の家に泊まったりしていました。

そんなことを繰り返している内に、やっぱりこのままじゃマズいなと思うようになっていきます。「居心地の悪い実家から出たい」「そのためには働かなければならない」という、相当後ろ向きな理由から、何かバイトでもしようと考えます

しかし、どこで働くかは問題でした。というのも、大学時代、何度もアルバイトをバックレたからです。

犀川後藤

ファミレスもコンビニも宅配便の仕分けも全部3ヶ月でバックレた

いか

無断で辞めるとかマジで迷惑だな

今まで働いた業種はおそらく向いてないだろう、さてどこで働くか……と考えながら、かつて大学時代に住んでいたエリア周辺をうろうろしている時に、書店でのアルバイト募集の貼り紙を見つけました。なるほど、書店はまだ働いたことがないな、昔から本は読んでるし、いけるかも……。

という理由で、書店でのアルバイトを始めました

いか

本が好きだからじゃないのか

犀川後藤

好きは好きだけど、本が好きだから書店員になりたかったわけじゃないのよ

書店員時代~現在

それから書店員として何度か運の良い経験をしました。テレビに出させてもらったり、人前で話す機会をもらったりと、分不相応な体験をさせていただきました。ありがたいことです。いくつかの書店を転々としながら、15年ぐらい書店員として働きました

いか

楽しかった?

犀川後藤

向いてるし、楽しいと思うことも結構あったけど、かなり大変な仕事でもあったな

今は書店からは離れていますし、まだまだ安定しない働き方をしていますが、なんとか生きています。社会人としての生活も、心身も、どうにか安定させたいなと思うところですが、なかなか難しいなと感じます

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